クローズアップ現代

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No.36462015年4月23日(木)放送
絵巻がひもとく清水寺 ~知られざる1200年の歩み~

絵巻がひもとく清水寺 ~知られざる1200年の歩み~

京都・清水寺絵巻 知られざる1200年の歩み

毎朝6時、清水の舞台のたもとに地元の人たちが集まってきます。
清水寺の起源とされる音羽の滝です。
地元の人たちは、この湧き水を飲み水や料理などに使ってきました。


「何年来ている?」

地元の人
「15、6年来ています。」

地元の人
「30年、毎日。」

今回完成した、清水寺平成縁起絵巻。
全9巻1200年にわたる歴史は、この音羽の滝を巡る物語から描かれています。



清水寺を開いた僧侶・延鎮。
修行の旅の途中、京都・東山で清水の湧き出る滝と出会います。
時は奈良時代の終わり、778年。
これが清水寺の始まりです。


そのとき延鎮が彫ったとされる観音様。
清水寺の本尊です。
宗派や身分にかかわらず、誰でも分け隔てなく救うといわれています。


清水寺がある京都・東山。
山肌の急しゅんな地形に、寺は建てられています。
京に都が移ったとき、庶民にとって数少ない祈りの場所でした。



当時、近くには鳥辺野(とりべの)と呼ばれる墓地があり、しかばねが野ざらしで置かれていました。
その地を通ってでも寺に向かう人々。
身分を問わず誰でも受け入れるという観音様に救いを求めたのです。


より多くの人を迎え入れたい。
平安時代の末、崖にせり出すように造られたのが清水の舞台でした。
時代とともに訪れる人が増え、舞台はさらに拡張されて、今の形になったと伝えられています。
今月(4月)初め、完成した平成縁起絵巻が寺に奉納されました。
清水寺にとって寺の歴史を描いた絵巻は、長年の悲願でした。

実は、かつて寺には室町時代に描かれた絵巻がありましたが、明治時代に入ってから流失してしまいました。
大きく傾いた舞台。
明治の神仏分離令をきっかけに、神道が唯一の国教となる中で仏教排斥の動きが広がったのです。
寺は財政難に陥りました。

清水寺 森清範貫主
「寺が困窮したときに(絵巻を)売らざるを得なかった。
そのときの住職の気持ちはいかばかりか。
本当に悲願の絵巻ができてありがたい。」

悲願の清水寺絵巻 復活にかける思い

新たな絵巻作りが始まったのは10年前。
絵を託されたのは、日本画家の箱崎睦昌さんです。
近代以降、初めてとなる大きな寺の絵巻。
箱崎さんは、途絶えそうになっていた日本古来の技法を復活させたいと考えました。

絵を描く素材に用いたのは一般的な和紙ではなく、京都・西陣で織られた絹織物。
「絵絹(えぎぬ)」と呼ばれています。
極細の糸で織られたしなやかな素材。
和紙に比べて光沢があり、こすれに強いとされています。
絹だからこそできるのが、裏彩色(うらざいしき)と呼ばれる平安時代から伝わる特殊な技法です。

日本画家 箱崎睦昌さん
「いま、絵の裏を見せています。」

まず裏から色を塗り、絹の織り目を通して絵の具を表ににじみ出させます。


そして表からも色を重ねることで、より深みのある色になるのです。




日本画家 箱崎睦昌さん
「時代の要求にそわなくなって消えてしまっているものが結構ある。
そこの中には素晴らしい英知があったり、現在では及ばない知恵があったり。」

絵巻の物語を作ったのは、6年前に亡くなった横山正幸さん。
高校の社会科教師でしたが、退職後、寺の歴史の研究にささげました。




横山さんが手がかりにしたのが、寺が手放したかつての絵巻。
現在は東京国立博物館に保存されています。
室町時代に描かれた絵巻は、寺の権勢を誇る戦の場面が強調されています。
今の時代にふさわしい絵巻とは何か。
横山さんは、全く違うものにしたいと考えました。

度重なる消失と復興 寺を支えた“庶民の力”

横山さんが新しい絵巻の大きなテーマにしたのが、人々によって支えられてきた寺の歴史。
清水寺は火災によって10回以上焼失しましたが、そのたびに再建を繰り返してきました。

その1つが、応仁の乱。
戦乱によって京都の街は焼け野原となり、寺の建物もすべて燃えました。
そのとき支えとなったのが、庶民の力でした。
多くの人々が再建のために寄進したといいます。

寺には当時の記録が残されていました。
西日本各地から寄進が寄せられたことが克明に記されています。




京都国立博物館名誉館員 下坂守さん
「老いも若きも、金持ちもそうでない人も、一生懸命寄付をしてくださった。
本当に庶民信仰の寺だった。」


応仁の乱が終わると、人々の寄進をもとにぼん鐘が作られました。
境内に運び込む人々で京の街が大騒ぎになった様子が描かれています。



ぼん鐘は7年前まで、500年以上にわたって使われてきました。
今でも寺に大切に保管されています。




庶民によって支えられてきた寺の歴史は、今も息づいています。
地元の人たちが作る警備団。
皆、ボランティアで参加しています。
二度と火災は起こさない。
歴史の教訓が引き継がれています。

“宗派を超えて” 清水寺1200年の祈り

平成の世によみがえった縁起絵巻。
近代から現在に至るまでの新たな寺の歴史も描かれています。

神仏分離令をきっかけに創建以来の危機を迎えた明治時代。
経済的に困窮し、傷んだ舞台が手前に大きく傾いている様子が描かれています。



そのときも窮地を救ったのは庶民でした。
募金で買った丸太を運び込み、寺の再建へと結び付けたのです。




寺を支えてくれた人々へ恩返しをしたい。
清水寺の先代の貫主大西良慶和上。
全国各地を行脚し、講話を行いました。



晩年の大西和上です。
107歳の生涯を通じて貫いたのは、宗派や身分を問わず受け入れるという、清水伝統の精神でした。
清水寺には、今も宗派を超えて多くの人が祈りをささげにやって来ます。


大阪に住む髙見さん夫婦です。
毎年、桜の季節になると訪れます。
19年前、最愛の娘を失ったのがきっかけでした。



当時、大学4年生だった娘の雅子さん。
就職活動を始めようとしていたやさきに突然、不整脈で亡くなりました。



親としてなかなか受け入れることができなかった娘の死。
そんなときに知ったのが清水寺の観音桜。
寄付した人のために桜の苗木を植えると募集していたのです。



妻 初子さん
「雅子を預かってくださると思った、清水さんで。」




髙見さん夫婦が娘の名前を付けた桜の木。
当時は苗木でしたが今では見上げるまでに成長しています。

妻 初子さん
「頑張っているわね。」

妻 初子さん
「“観音桜”という桜で雅子がいてくれている、私はその気持ちでおりますので。
この桜に会うと抱きしめる、すごくうれしい。」

絵巻の最後を飾るのは、山肌を覆い尽くす満開の観音桜。
争いや災いのない平和な世の中が続いてほしい。
いつの世も変わらぬ人々の願いが込められています。

復活 清水寺絵巻 知られざる1200年の歩み

ゲスト五木寛之さん(作家)

●1200年の歴史絵巻、どんな印象を持った?

正直言って、ちょっと意外な感じがしたんですね。
私ども普通、絵巻物風とか、絵巻物的なとか、そういう言い方をしますけども、日本の絵巻物でお寺の縁起を描いたものというのは、例えば信貴山縁起とかね、石山寺縁起とかいろいろありますけれども、頭の中でもっとこう、刺激の強いドラマティックな、そういう劇的なものを想像していたんですが、非常に何かこう静かでそして穏やかで、なんかいわゆる劇画とかそういう感じではなくて、視点が違うところにあるんだなと。
今までの絵巻と違うところでこの絵巻を作られたんだなという感じがして、それが非常に印象的でしたね。

●物語を読むと、清水寺は昔全く違う空間だった?

そうですね。
最初のころの、創立のころの穏やかな物語もそうなんですけれども、普通、劇画っていうか絵巻物っていいますと、例えば合戦の場面とか、もっとこう凄惨な血潮が吹き飛ぶような、そういう場面を想像しがちなんですね。
まして清水寺っていうのは1200年の間に10回以上大火事に遭ったり、あるいは応仁の乱とか、そういうところをくぐりぬけて今日あるわけですから、さぞかしドラマティックな、刺激的な物語が出てくるだろうと思ってましたら、非常に静ひつで、穏やかで、ある意味では平和的な場面の連続だったので、それが意外という感じがしたんですけれども、なるほどっていう納得するところもたくさんありました。

●どんな位置づけの寺だった?

この絵を見ても分かるんですけど、まず女性が多いですね。
それから職人さんとか、そういう普通の階級の人がたくさん出てくる。
子どもも出てくる。
絵巻っていうと、王朝絵巻風といいますか、貴族とか、なんて言うか豊かな人たちの世界が描かれることが多いわけなんですけれども、この絵巻の中にある庶民の生活っていうか、つまり、清水が1200年続いたということはすごいことなんですよ。
国家がそれを支えているわけでも大きな権力に護持されているわけでもなく、それがね、やはりこの絵巻の中によくあるように、庶民大衆といいますか、全国のそういう人たちの志や、そういう思いをね、宗派を超えてってさっきお話がありましたけれども、そういうふうに受け入れていく広さというか、寛容さといいますか、ちょっと大ざっぱなんですけどね、そういうものがこの絵にもよく表れてるなという感じがしましたね。

●1200年続くことがどれだけ大変か実感する人も多いのでは?

まあこの世の中では、さりげなくさらっとですけれども、つまり鴨川の川を渡って清水の谷にやって来るっていうことは、1つの異界に、違う世界に入ってくることなんですね。
かつてはそこには墓地もあったでしょうし、野ざらしの、かばねもたくさん累々としてあったでしょうし、病者の館もあったし、いろんなものがあって、そういう中をくぐり抜けてこの清水の舞台に来たときに、なんか違う世界に入ってきたというような、そういう感覚がここへ詣でる方たち、皆の中にあったんじゃないかと思いますね。
(1つの聖地のような感覚で人々は訪れていた?)
ですから、この絵巻、絵巻っていうのは日本の10世紀ぐらいから室町時代ぐらいまでずっと続くわけですけれども、これほど穏やかに、しかも人々の日々の営みみたいなものを静かに描いたっていうのは、原案をお作りになった、お亡くなりになった横山さんの遺志でもありましたでしょうし、絵をお描きになった箱崎さんのお仕事でもあると思うんですけれども、絵として拝見してても非常に興味深いところがたくさんあるんですよ。
例えば、ここでは遠近法っていうのが逆になっているなというふうにね、見ながら思ったんですが、遠くのほうが広くなってるとかね、そういういろんなところがありますけど、根底を流れているものは誰がこの1200年を支えてきたかっていう、そういう思いなんでしょうね。
それは人々であった。
大きな国の力でもなく、権力の財力でもなく、全国各地の人々が心を合わせながらこのお寺を支え続けてきたんだということが、この絵巻を通じてよく感じられますね。
(そうした思いがこの清水寺の魅力、みんなでもり立ててきた魅力?)
今もう、すごく刺激の強い時代ですからね。
凄惨な事件も次々に起こってますし、そういう時代にこの絵はすごく貴重なものを感じさせます。

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