クローズアップ現代

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No.35842014年11月20日(木)放送
“人を想う”~映画俳優・高倉健さん~

“人を想う”~映画俳優・高倉健さん~

“人を想う” 映画俳優・高倉健さん

13年前、クローズアップ現代に出演した高倉健さん。
当時70歳。
映画への情熱を支えているものについてこう語っていました。

高倉健さん
「あの、やっぱり、誰かを好きになるっていうことが一番、やっぱり強いと思いますね。
僕はやっぱり自分が一番ぴっとするのは、好きなスタッフに見つめられるとき、やっぱりぶるぶるっとしますですよね。
それは本当にもう、口に出して言ってもなかなか分かってもらえないと思います。
自分が心で感じることですから、鳥肌が本当にこう、立つんですね。」

高倉さんが大切にした人を想う気持ち。
それは、長い映画人生を通じて育まれたものでした。

『網走番外地』より
“あたくし関東竜神一家、橘真一という駆け出し者でございます。
先夜のお礼にまいりました。”

高倉さんがデビューしたのは1956年、25歳のときでした。
数多く出演した仁きょう映画。
義理と人情を重んじる役柄は、多くの人々の心をつかみます。

『昭和残侠伝』より
“湯浅…死んでもらうぜ。”

高まる一方だった人気とは裏腹に、高倉さんは悩みを深めていました。
高倉さんの映画のポスターを手がけ、親交を深めていた、美術家の横尾忠則さん。
当時、高倉さんから悩みを打ち明けられていました。

横尾忠則さん
「健さんは、やくざ映画はいいかげん足を洗いたいとおっしゃっていました。
何かわかりませんが、自分がいつの間にか人生で抱えた荷物のようなものを外して、それを表現という媒体を通して、吐き出していきたいという気持ちがあったと思う。」

『幸福の黄色いハンカチ』より
“ゆうさん、ほら、見てみろ!”

転機となったのは1977年、映画「幸福の黄色いハンカチ」。

“ほら、ちゃんとあったじゃないの!”

演じたのは仁きょうものではなく、不器用な生き方しかできない一本気の男。
高倉さんは目の色を変えて役作りに励みました。

“しょうゆラーメンとカツ丼ください。”

特に力を入れたのが、刑務所から出所したばかりの男が、久しぶりに町なかで食事をするシーン。
高倉さんは特別な準備をしていました。
この映画で共演していた武田鉄矢さんです。

武田鉄矢さん
「1杯のビールがやってきたときに、彼が、飲んだあと震えるんですよね。
その短いワンカットのために、健さんは前日から食事を抜かれたり、その何秒かに 、あの人は数日間の努力と今まで生きてきた人生の重たいもの全部をかける方だった。」

その後、社会の荒波の中で懸命に生きる男を演じるようになっていった高倉さん。
人を思いやる主人公の姿にみずからを重ねていきました。

高倉健さん
「普通の人っていうんでしょうか、そういう役が多いですね。
これは、どうしてそういうふうになっているのか、自分では分かりません。
自分がきっと、なんかそういう人に、なんかを感じるようになっているのかもしれないですけど。
感じられないと、やらないというふうに決めていますから。
なんか笑ってちょっと色っぽくてああ、いいな、生きてるのいいな、そういうのに出たいっていつも思うんですよ。」

『動乱 第1部 海峡を渡る愛/第2部 雪降り止まず』より
“本日、供与した弾薬はすべて実包である。”

その3年後に出演した映画、「動乱」。
高倉さんは、昭和初期に起きた二・二六事件の首謀者となった将校を演じます。

“私は…。”

その妻を演じたのは吉永小百合さん。

“私を許してくれ。”

時代に翻弄されながらも互いを想い絆を確かめ合う夫婦を共演しました。

“私は幸せです。”

今年(2014年)9月、吉永さんは高倉さんと共演したときのことをこう振り返っています。

吉永小百合さん
「すごい集中力で、こんな方がいらっしゃるんだと知りました。
高倉さんの息づかいとか、そういうものが伝わってきて、お互いにしっかり間を取って芝居をしているんですけど、でも別の世界に、カメラマンとかスタッフの方がいらっしゃらないような状況になっていました。」

演技の幅を広げた高倉さんは、数々の映画賞を受賞していきます。
映画俳優として不動の地位を築いていったのです。
さまざまな役を演じる中で、高倉さんは主人公の生き方にさらにみずからを重ねていきます。
常に追い求めていたのは、人を想う生き方を演じることでした。
68歳で出演した映画「鉄道員(ぽっぽや)」では、雪深い北国で働く鉄道員を演じました。

『鉄道員(ぽっぽや)』より
“そりゃお父さん、ぽっぽやだもん。”

死んだはずの娘に再会するこのシーン。
台本には書かれていない涙が、自然に流れてきました。

高倉健さん
「悲しみとか喜びを受けたときに、自然に出るのが涙なんですね。
だからやっぱり感激してたっていうことなんだよね。
涙って、目薬をメーキャップさんがさして、涙出なくても出てるように、映画やドラマの場合はそういうこともできますよね。
出すつもりがなくて困ったと思っても出ることがあるんでね。」

年齢を重ねるにつれ、演じることが高倉さんの人生そのものになっていたのです。

高倉健さん
「俳優という仕事はとっても嫌な仕事だと思って、でも生きていくためにこれしかないと。
好きな、ほれた女の子と一緒になるには、一緒に暮らすのには、もう俳優しかないと思ってなったんですが、もしかすると人の小説や音楽とまた違う、本当に映画でなければできない、ある思いを伝えるジャンルなのかなと、どこかでちょっとそういう気が起きているのかもしれません。
もう小田剛一(高倉さんの本名)よりも高倉健のほうがはるかに長くなりましたから、どっちが本当の自分だか分かりません。」

多くの映画で共演した女優の三田佳子さん。
高倉さんは人生のすべてをかけて、映画俳優・高倉健を演じていたのではないかと言います。

三田佳子さん
「健さんは、私たちのように平均的に生きないで、そのままを貫いた。
富士山みたいなもの。
富士山はやはり孤高ではないか。
愛されてもいるが、畏れられてもいる、そういう存在にならざるを得ない。
でも健さんは、そういうことを全うされたと思います。」

日本を代表する映画俳優の高倉さん。
2005年、国境を越えて、新たな映画作りに挑みます。




中国で撮影した映画「単騎、千里を走る」。
病気で倒れた息子との約束を果たすため、単身、中国を旅する父親の物語です。
高倉さんは、映画の役と同様に、付き人も伴わず、たった1人で中国に渡りました。
NHKでは、このときの様子を密着取材していました。
メガホンを執ったのは、世界的な映画監督、張芸謀(チャン・イーモウ)さん。
俳優歴50年の高倉さんに対し、チャン監督は、あえて中国の農村で暮らす普通の人々を共演させました。

張芸謀さん
「日本人・高倉健が、中国に生きる人々とぶつかることで生まれる友情や感動を、この映画に込めたかったのです。」

現地の人
「あれ、どこかでお会いしたような。
もしかして日本の映画に出ていませんか?」

実は高倉さんは、中国全土にその名を知られています。
改革開放以降、初めて入ってきた外国映画が、高倉さん主演の日本映画だったからです。

現地の人
「生まれて初めてだよ、わしが映画に出るなんて。」

高倉健さん
「村長、心痛。」

日本の大スターを前に、素人の出演者たちは、緊張を隠しきれません。
NGを繰り返し、困り果てる青年もいました。

高倉さんは緊張を解きほぐそうと、気を配ります。
3時間かけて、ようやくOKが出ると、青年は高倉さんのもとへ歩み寄りました。



「『どこでもいいですから、コーヒー一杯ごちそうしたい』と。
そういう気持ちがあります。」



高倉さんの通訳を務めた張景生さん。
高倉さんの気遣いは、中国の人々の心を揺さぶったといいます。

張景生さん
「ちょっと手が寒くてブルブルこすっているスタッフを見たら、カイロを出して、使ってよと。
本当に心から、一つ一つの積み重ねで、そういうのが現場で隅々まで伝わって、みんな想像以上の高倉さんからいただいた、よくしてくれた親切とかね、それをみんな応えたい。」

一方、中国の人たちと撮影を続けていく中で、高倉さんの心にも変化が生じていました。
映画の中で仮面劇の役者が、生き別れた息子に一目会いたいと、想いを吐き出すシーン。
この役を演じていた農民は、実際に離れて暮らすみずからの息子を想い、涙を流しました。
なぜ、役者ではない農民の演技が、これほど心を打つのか。
芝居とは何かを、改めて突きつけられました。

高倉健さん
「巻き込まれますよね、やっぱりお芝居じゃない何かを感じる。
非常に新鮮ですね。
お芝居ってなんだったのかなって思いますよ。
今頃になって、ちょっと遅いんだけど。
やっぱりなんか、強烈に伝わってきますね、生きてるってこと。」

「ラストシーンに入ります。
高倉さんのラストシーン!」

高倉健さん
「ああ、ちきしょう。」


ことばも文化も違う人々との交流。
高倉さんは、人を想うことの大切さをかみしめていました。

高倉健さん
「人を感動させるのはお金ではない、力ではない、物ではない。
なんか違うものがあるはずなんだよね。
何十年たっても人を想うってことは、いかに美しいかってことでしょう。
人を想うってことだよね。
人間が人間のことを想う、これ以上に美しいものはないよね。」

そして人生最後の作品となった、「あなたへ」の撮影に臨みます。
自分の骨をふるさとの海に散骨してほしいという妻の願いをかなえようと、1人、旅に出る男の物語です。
NHKの密着取材には、共演者やスタッフへの気遣い、撮影に協力してくれた人々と触れ合う姿が記録されています。

高倉健さん
「船に乗ってらっしゃるんですか?」

「いえいえ。」

高倉健さん
「乗ってない?」

「昔はね。」

高倉健さん
「サインしに来たの?走ってきたの?
持ってきたんだから、なんかちょっと書かないと、書かないと悪いような気もするけど。
一枚だけね、じゃあ。
せっかく走ってきたからな。」

高倉健さん
「やっぱり出会う人でしょうね、一番大事なの。
どういう人に人生で出会うか。
そこで決まるんじゃないですかね。
やっぱりいい人に出会うと、いろんなものをもらいますよね。」

半世紀を超える俳優人生。
出演した作品は205本。
映画、そして高倉健を愛する人々と共に歩んだ、83年の人生でした。


高倉健さん
「これやらないと食ってけないと思ってやり出してから、もう五十何年たつのかね、二百何十本もやってきて。
まだ分かりませんよ。
まだ分かんないんですけど、分かんないからやりたいんでしょうね。」

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