クローズアップ現代

毎週月曜から木曜 総合 午後10:00

Menu
No.34852014年4月16日(水)放送
イラク派遣 10年の真実

イラク派遣 10年の真実

“戦場に近かった” イラク派遣10年

今年(2014年)1月。
イラク派遣10年を機に開かれた懇親会。
現地に派遣された隊員たちが全国から集まりました。



元派遣隊員
「いつテロがある緊張の中で過ごしていましたので、精神的にきつかったのはある。」



元派遣隊員
「あそこは戦場に近かった所だったかな。」

イラク派遣10年 極秘映像は何を語る

この10年公開されることのなかった映像記録が、防衛省に保管されていました。
半年に及ぶ交渉で初めて開示されました。
自衛隊が撮影した、1,000本に及ぶイラク派遣の記録です。
その内容の大半は医療支援や給水、道路の修復など、人道復興支援活動の様子でした。
しかし詳しく見ていくと、これまで明らかにされてこなかったイラク派遣の実態が、記録されていたことが分かりました。
派遣からおよそ1か月後。
夜間の宿営地を映した映像です。

自衛隊員
「ただいまの時刻、イラク時間10時57分です。
突然、鉄帽と防弾チョッキ着用が命令されました。」



自衛隊員
「戦闘服。」

自衛隊員
「A警備の要員はただちに指揮所に集合。」

宿営地にアナウンスされたA警備。
不測の事態に緊急で警戒に当たる態勢のことです。
この夜、武装勢力が宿営地を攻撃するかもしれないという情報が、現地警察から寄せられていました。
自衛隊は、派遣された当初から武装勢力に狙われていたことが分かります。

そして、この1か月後。
宿営地に向けて迫撃砲が撃ち込まれました。
映像には、迫撃砲の着弾地点を探す隊員たちが映っていました。

自衛隊員
「ここです。」

自衛隊員
「間違いなく破裂してるね。」

着弾地点から数メートルにわたって、土地がえぐられていました。

自衛隊員
「おそらく82ミリ迫撃砲。」

迫撃砲は、各国の軍隊にも配備されている殺傷力の高い兵器です。
こうした迫撃砲やロケット弾による宿営地への攻撃は、13回に及びました。

イラク派遣10年 “非戦闘地域”の実相

自衛隊が派遣された非戦闘地域。
こうした線引きをしたのは、憲法9条の下で海外での武力行使が禁止されているからです。
そのために作られたイラク支援法。
非戦闘地域への派遣であれば、他国の武力行使と一体化せず憲法に抵触しないとしたのです。

当時、陸上自衛隊のトップを務めていた先崎一さんです。
自衛隊の転機となった任務だったと振り返ります。




元統合幕僚長 先崎一さん
「政治的には非戦闘地域といわれていたが、対テロ戦が実際に行われている地域への派遣で、派遣部隊からみれば何が起こってもおかしくないと。
戦闘地域に臨むという気持ちを原点に置きながら、危機意識を共有して臨んだ。」

派遣から1年半後の訓練の映像です。

自衛隊員
「痛い!
痛い!」

自衛隊は路上に仕掛けられた爆弾で攻撃されたことを想定していました。

自衛隊員
「負傷者3名。
警戒処置等、取れない。」

イラクで、多国籍軍を狙ったテロが一向に収まらなかったからです。

自衛隊員
「搬送が終わった者については警戒に就け、警戒!」

人道復興支援の陰で、こうした訓練を繰り返さざるをえない状況が続いていました。
訓練には、多国籍軍が参加していたことも分かりました。
付近に展開する他国の軍隊と共に活動することが、日常化していたのです。

先崎さんは攻撃によって隊員が死亡した場合の対応まで、極秘に検討していたことを明かしました。
遺体をどのように運ぶのか、詳細に手順を検討。
国主催の葬儀も考えられていました。
さらに宿営地に棺まで持ち込んでいたといいます。

元統合幕僚長 先崎一さん
「忘れもしないですね、先遣隊、業務支援隊が、約10個近く棺を準備して持っていって、クウェートとサマーワに置いて。
隊員の目に触れないようにしておかないと、かえって逆効果にもなりますから、そこは分からないように、非常に気をつかいながら準備だけはしていた。
自分が経験をした中では一番ハードルの高い、有事に近い体験をしたイラク派遣だったと思います。」

イラク派遣10年 極秘映像は語る

ゲスト宮下大輔記者(社会部)

●非戦闘地域への派遣 かなり際どい現場だった?

そうですね。
映像にもありました、多国籍軍との訓練の1か月ほど前には、実際に自衛隊の車両が市街地を移動中に、道路に仕掛けられた爆弾で攻撃を受けるという事態がありました。
このときは、隊員にけがはありませんでしたが、車両に被害が出ました。
もちろん宿営地の外での活動を控えれば、部隊の安全はより確保できたのかもしれませんが、外で復興支援活動をしなければ、逆に今度は住民の不満が爆発しかねないという状況にありました。
映像にありました訓練に参加していたのは、オーストラリア軍ですが、自衛隊が宿営地の外での活動を安全に行うためには、治安維持を任務とする多国籍軍と連携して対処する必要に迫られていたといえます。

イラク派遣10年 隊員たちの心にも…

イラクへ派遣された陸海空の自衛隊員は、5年間で延べ1万人。
隊員の精神面にも大きな影響を与えていました。
NHKの調べで、このうち帰国後28人が、みずから命を絶っていたことが分かりました。
28人は、なぜ命を落としたのか。
イラク派遣から1か月後に自殺した20代の隊員の母親が、取材に応じました。
イラク派遣のときの土産と、迷彩服につけていた記章が飾られていました。
派遣中の任務は宿営地の警備でした。

20代の隊員を亡くした母
「(息子が)『ジープの上で銃をかまえて、どこから何が飛んでくるかおっかなかった、恐かった、神経をつかった』って。
夜は交代で警備をしていたようで、『交代しても寝れない状態だ』と言っていた。」

息子は帰国後自衛隊でカウンセリングを受けましたが、精神状態は安定しませんでした。
母親は、息子の言動の異変を心配していました。

20代の隊員を亡くした母
「(息子は)『おかしいんじゃ、カウンセリング』って。
『命を大事にしろというよりも逆に聞こえる、自死しろ』と、『(自死)しろと言われているのと同じだ、そういう風に聞こえてきた』と言ってた。」

この数日後、息子は死を選びました。

自衛隊はイラク派遣の任務が隊員の精神面に与える影響を、当初から危惧していました。
これは現地に派遣された医師が、隊員の精神状態を分析した内部資料です。
宿営地にロケット弾が撃ち込まれた際の隊員の心境を、聞き取っていました。

20代 警備担当
“発射したと思われる場所はずいぶん近くに見えた。
恐怖感を覚えた。”



30代 警備担当
“そこに誰かいるようだと言われ、緊張と恐怖が走った。”




中には、睡眠障害を訴える隊員もいました。

20代 警備担当
“比較的近い所に発射光が見えたので、敵がそばにいる気がして弾を込めようか悩んだ。
今でもその光景が思い起こされて、寝つけない。”

この隊員は生死に関わる経験のあと精神が不安定になる、急性ストレス障害を発症していると診断されていました。

さらに内部資料には、派遣されたおよそ4,000人を対象に行った心理調査の記録もありました。
睡眠障害や不安など心の不調を訴えた隊員は、どの部隊も1割以上。
中には、3割を超える部隊もあったことが分かりました。
隊員の心に深刻な影響を与えたイラク派遣。
自衛隊に求められる役割が広がる中で、防衛省はさらなる対策を迫られています。

防衛省 メンタルヘルス企画官 藤井真さん
「これまでも任務がいろいろ拡大するにつれ、メンタルヘルスケアに力を入れてきたが、どうしても心の傷を受けるような活動もあるので、今後とも力をいれて対策を講じていきたい。」

イラク派遣後みずから命を絶った28人の隊員たち。
帰国後、精神の不調を訴え自殺した40代の隊員の妻が、取材に応じてくれました。
夫を支えられなかったことを今も悔やんでいました。

40代の隊員を亡くした妻
「どうしたらいいかわからない。
孤立した感じで、かなりつらかった。
私は主人のことをサポートして、生きていてもらいたいと思って。」

妻は自衛隊の活動が広がろうとしている今、隊員が直面する現実をもっと知ってほしいと語っていました。

40代の隊員を亡くした妻
「(自殺した隊員は)1人、2人ではないです。
亡くなった人数ではないですけど、亡くなった人数の何十倍の人が苦しんでいるわけで、マイナス面も含めて表に出していかないと、苦しいですね。」

イラク派遣 隊員たちに何が…

ゲスト五百旗頭真さん(前防衛大学校校長)

●イラク派遣後28人の隊員が自殺 重い事実だが?

宮下記者:はい、重たい事実だと思います。
ただ防衛省は、亡くなった28人の方がイラク派遣と直接因果関係があるかどうかについては、分からないとしています。
また派遣された多くの隊員は、現地での任務にやりがいを感じていたといいます。
ただVTRにもありましたように、派遣された隊員の1割から3割ほどの人たちが、精神に不調を訴えていたという事実は、今後の自衛隊の任務を考えるうえで、忘れてはいけないことだと思います。
また防衛省は派遣当初から、現地でカウンセリングを実施したり、帰国後も必要に応じて対応を取ってきましたが、こうした取り組みは今後も重要性を増しています。

●イラク派遣 校長として一番大変だったと思う点は?

五百旗頭さん:防大校長を5年8か月している間に、イラク派遣の陸自の隊長10人、代わる代わる出られた中で、そのうちの2人の人が、東大で防衛学の教官を務めてくれて、親しく、そういう人たちは、学生たちにとって、実際にそういうのを経てきたということを教えられる、尊敬のまなざしで見られる人たちですね。
あの中での非常に難しかったところというのは、今、見せられたように危険度の非常に高い、戦闘がいつでも起こりかねない、そういう事態の中で、日本の自衛隊が独自に人道復興支援、平和構築の仕事をやろうと、誰かを撃つんじゃなくて、社会の再建をやろうという、そういう仕事をやり抜いたということだと思うんですね。

●敵か味方か分からない状況の中、身の安全を守り地域の人の反感も避ける 難しいことだが?

五百旗頭さん:それは一つには、例えば訓練不十分な国の兵士ですとね、住民の中に変なやつがいる、銃を持ってる、それだけで撃ちかねないから、間違ってもそういうことをしないように、自衛隊の場合には、平時の10倍、100倍の射撃訓練をやったんですね。
本当のエキスパートになって、振り向いたらもう撃ち抜けるというほどね、熟達させて、その上で隊長がなんて言ったかというと、分かったなと、君たちはこれほどの腕なんだ、軽挙妄動しなくていい、慌てて撃つんじゃないと、しっかりと見極めたうえでね、任務を達成するんだというふうに言って、自信を持たせて、そしてやたら撃たないようにという指導教育をしてるんですね。
(むしろ名手になることによって、恐怖を乗り越えられる心の余裕が生まれる?)
そうなんですね。
ちょっと変な銃を持っている人がいるぐらいでね、撃つ必要はないと。
よく見て、撃ったからって、当たるもんでもないというかどうかは知らないですが、そういう心の余裕を持って、そして、本当に最後の最後にならなければ発動しないというふうな訓練を十分していったということが大きいと思いますね。

●異文化の中、しかも社会に受け入れられながら活動するのは困難だったのでは?

五百旗頭さん:それが一番大事なところなんですね。
戦闘して相手を撃ち殺すというのではなくて、住民に支持される、受け入れられると、それができるかどうか、それを軍隊がやるというのは、普通と逆でしょ。
それをあえてしようとした。
しかし、日本の自衛隊はそれがわりとできるんですね。
東日本大震災で住民のために一生懸命やった自衛隊、それが外国へ行っても、同じような精神を持ってやるんですね。
それは防衛大学で幹部育成をやってますけれども、初めは理工系専攻しかなかったのが、3代の猪木正道校長のときに、国際関係論とか、人間文化とか、異質な社会への理解、複雑な国際関係への理解を指導、幹部自衛官を持たなきゃいけないというので、そういう専攻を入れたんですね。
その3代目の人が、初代の隊長になった番匠さんなんですね。
そういう教育がありますので、イラク社会というのは、どんなに違うのかということに関心を持って、その勉強していくんですね。
例えば600人行く中の100人は士官なんですが、その人たちは、たくさんある部族のいちいちにね、御用聞きに入るっていうんですかね、懇談して友達になる。
そして、宗教グループもいろいろある。
社会にいろんな層がある。
そのすべての所に入っていってね、了解を得る、一部だけをひいきにして、たくさん採用したら、反感が出る、できたらまちづくり協議会のような合意を皆さんで作ってほしいというようなことを自衛隊のほうから促すというふうなことをし、そして。
(根回しのようなことも?)
そうですね、日本社会の中でやる。
そして異文化社会、理解ということを非常に重視しますので、例えば調べてみたら、イラクはああいう戦乱の中にあっても、子どもの健やかな成育っていうのを非常に大事にしている。
日本と一緒じゃないか、子ども第一。
それならば、こいのぼりを持っていって、ユーフラテス川で一緒にやろうというふうなね、そういう異文化社会、内在的理解に基づいて、住民との共感を作る。
この努力をしたもんですから、イラク派遣のたくさんの軍隊の中で、日本はどうして住民の人たちから、こんなふうに支持されてやれるのかというので注目されるようになったんですね。
そういう苦労、努力ということを見落とさないというのが非常に大事で、成功、結果だけを見ないで、こういうビデオを見て教訓を得てね、検証していくということが、非常に大事だと思います。

あわせて読みたい

PVランキング

注目のトピックス