クローズアップ現代

毎週月曜から木曜 総合 午後10:00

Menu
No.34492014年1月8日(水)放送
16歳 不屈の少女 ~マララ・ユスフザイさん~

16歳 不屈の少女
~マララ・ユスフザイさん~

不屈の少女 マララさん 独占インタビュー

ゲストマララ・ユスフザイさん

●バーミンガムでの新しい生活が始まり1年ちょっとになるが?

銃撃されたのは大変な経験でしたけど、お医者さんも驚くくらい早く回復しています。
ここバーミンガムでは、とても良い学校で勉強でき本当に幸せです。
学べて本も読めるのですから。

●少し寂しく感じることがある?

そうなんです。
友だちに会えなくて寂しいです。
イギリスで同級生が口にするジョークは、私にはそう思えなかったり、また私のジョークが通じないこともあり、とても難しいです。
パキスタンでは、誰が一番良い成績を取るか、いつも競い合っていたので、よく勉強し楽しかったです。
イギリスでも学校で一番になりたいです。

不屈の少女 マララさん 信念の源は

マララさんが生まれ育ったパキスタン北西部のスワート地区です。
男性優位の部族の慣習が根強い保守的な地域です。
女性は年頃になると、人前で肌を出したり、1人で外出したりすることも許されません。
多くの女性は学校に通えず、読み書きができません。

3人きょうだいの長女として育ったマララさん。
教育者の父親の下、女の子も自由に生きるべきだと育てられ、学校に進学。
将来の夢は、世界各地を冒険することでした。
しかし、成長するにつれ、弟たちが自由にできることも自分には許されない社会の在り方に疑問を抱くようになりました。
当時の思いが自伝につづられています。

自伝『わたしはマララ』より
“男は子どもでもおとなでも自由に外を出歩けるのに、母とわたしは、家族や親類の男が― 五歳の男の子でもいい― つきそっていないと、出かけることができない。
わたしは子どもの頃から、絶対、そんなふうにはなりたくなかった。”

5年前、マララさんの人生を大きく揺るがす出来事がありました。
イスラム過激派のパキスタン・タリバン運動が町を占拠。
イスラムの教えに反しているとして、女性が教育を受ける権利を否定します。
学校などを次々と爆破し、マララさんも学校に通えなくなりました。
さらに命令に従わなかった人たちに対して、むち打ちや処刑を行うなど恐怖で支配していったのです。
なんとかして学校に戻りたい。
当時11歳だったマララさんは、ブログで厳しい現状を訴えることにしました。

“タリバンのせいで27人いた同級生は11人になってしまった”

ブログは国内外のメディアで取り上げられ、大きな反響を呼んだのです。
大人でさえ声を上げられない中で、言葉を発したマララさんの勇気は社会を動かしました。

マララ・ユスフザイさん
「圧政や迫害に反対の声を上げましょう。
権利を奪おうとするものを恐れないで。」



マララさんは、ペンの持つ力に初めて気付かされたと言います。

自伝『わたしはマララ』より
“ペンが生みだす言葉は、マシンガンや戦車やヘリコプターなんかよりずっと強い力を持っている。
ファズルラー(過激派の幹部)のようなたったひとりの人間がすべてを破壊できるのなら、たったひとりの少女がそれを変えることもできるはずだ。”

しかし、一昨年10月マララさんをイスラム過激派が銃撃したのです。
頭を撃たれ、3日間にわたり生死の境をさまよい続けました。




「マララ、マララ!」

世界各地でマララさんの回復を願う人々の輪が広がりました。
何度も手術を受け、一命を取り留めたマララさん。
現在はイギリスで家族に支えられながら教育の普及に向け、再び歩み始めています。

不屈の16歳 マララさん 教育にかける思い

●どんな疑問から女の子を取り巻く状況がおかしいと考えるように?

私自身は本当に恵まれてると思うんです。
父は私に自由や、弟たちと対等な権利を与えてくれました。
でも近所には、対等な権利なんて与えられない女の子がたくさんいて、学校に通うことも許されていませんでした。
あるとき、オレンジを売る小さな少女に会いました。
その子は手に紙を持っていて、何かを書こうとしていたんです。
「勉強は好き?」と尋ねると「大好き」と答えました。
話を聞いてみると、学校には行きたいけれど、家族のためにお金を稼がなければいけないと言うんです。
まだ、とても小さな女の子でした。
そのとき、私は思いました。
この子はオレンジを売るのではなく、学校に行ってオレンジがどうやってできるのか、自然や生物について学ぶべきではないかと。

●暗黒の日々と表現される日々をどんな気持ちで過ごしたか?

毎晩、人が殺されるような社会で暮らすのは本当につらかったです。
テロや過激派の支配など21世紀なのにこんな野蛮なことが起きるのかと思っていました。
(とても怖かったでしょう?)
はい。
でも、たとえタリバンが学校の扉を閉ざしても、学びたいという私たちの心までは閉ざせないと思っていました。

●教育の価値に改めて気付かされた?

奪われて初めていかに重要なものであるかを思い知らされました。
学校に行くということは、知識を得るだけでなく、自分の未来を切り開くことだと思います。
だから、もう学校に行けないと言われたときは、まるで石器時代に引き戻されたかのようでした。
もし明日から学校に行かず、ずっと家にいなさい、唯一の仕事は、料理や皿洗いをし結婚して子どもを産み、子どもたちの世話をすることだけ。
それが、たった1つの生き方だと言われたら、そんな日々を想像できますか?
だから私はふるさと・スワートではこんなことが起きている、私たちの存在を無視しないでほしいと世界に訴えることにしたのです。

●自分の声が本当に届いているのかどうか心配では?

はい。
誰が耳を傾けてくれるのか、全く分かりませんでした。
私自身も、女性が声を上げることの重要性に気付いていませんでした。
政府や軍が行動を起こして初めて女性の声がこんなにも力を持っていたのかと気付かされたんです。
私は今、こう考えています。
女の子が学校に行くべきでないのは、長年の文化で決められているからと言う人がいるけれど、その文化を創ったのは私たち自身であり、変える権利も私たちにあるのだと思います。

世界を動かす マララさんのメッセージ

マララさんは銃撃事件から9か月後、国連の壇上に立ちました。

マララ・ユスフザイさん
「タリバンは銃弾で、私たちを黙らせることはできませんでした。
弱さや恐れ、絶望は消え、強さと勇気が生まれました。」

マララさんのメッセージは、世界中の女性たちに勇気を与えています。
アフリカのウガンダから国連に招待されたナキア・ジョイスさんもその1人です。

立ち上がった ウガンダの“マララ”

ウガンダ北部のパデール県。
住民の多くは自給自足で暮らしています。
この地域の人々の情報源となっているラジオ局です。
地元で唯一の女性ジャーナリストとして活動しているナキアさん。
マイクを通して、ウガンダの女性の権利向上を訴えています。
そこで繰り返し伝えているのが、マララさんの言葉です。

ナキア・ジョイスさん
「みんな学校へ行きましょう。
当然の権利なんだから。」

ナキアさん自身も女性だからというだけで差別される環境で育ちました。
13歳のときにはマララさんと同じような体験もしました。
友達と学校に向かっていたある日、武装した集団に銃撃されたのです。
とっさに草陰に隠れて助かりましたが、少女2人が殺されました。
理不尽な暴力に対し、無力感を感じていたナキアさん。
命を失いかけたマララさんが、それでも闘っている姿に心を揺り動かされたと言います。

ナキア・ジョイスさん
「マララさんが私に自信をくれたんです。
若いマララさんが、権利について声を上げられるのなら、私にもできると思いました。」


ナキアさんは女性蔑視が深刻な農村部を取材し、ラジオを通して現状を変えたいと強く思うようになりました。
ウガンダの農村部では、今も学校に行けるのは主に男の子。
女の子は家にいて家事をするべきだという慣習が根強く残っています。

男性
「息子は学校に行き家族を養ってくれますが、娘はどうせ嫁に行ってしまう。
女は家事をやっていればいいんです。」



この日の取材では、村の男性を集め、なぜ女性を蔑視するのか意見をぶつけました。

ナキア・ジョイスさん
「男性のみなさん、女性に暴力を振るうなんてひどいと思いませんか?」

農村部では女性が人前で発言することは、慣習として許されていません。
それに反して声を上げるナキアさんに、男性からは厳しい言葉が向けられます。

男性
「女を男と対等に扱うなんて、オレは反対だ。
女のせいで、いろいろなもめ事が起きるんだ。」



男性
「女が男と同じように振る舞おうなんて、あんたどうかしているよ。」



以前は、言い返すこともできなかったナキアさん。
しかし、マララさんと出会ったことで自信をつけ強く訴えられるようになりました。

ナキア・ジョイスさん
「私は暴力を決して認めません。
私は女性のために声を上げているんです。」



これからもラジオを通して女性の権利のために闘い続けたい。
現状を少しでも変えていくことが、自らの役割だとナキアさんは考えています。

ナキア・ジョイスさん
「少女であっても機会さえあれば、国全体を変えることができると知りました。
1日ではできませんが、変化は必ず起きると思います。
私もマララさんのような象徴になりたい。
特に女の子の権利のために闘い続けたい。」

16歳でリーダーに その思いは

●16歳でリーダーに 重荷だと感じないか?

私の「責任」だと考えています。
以前は教育のために発言することは、私の「権利」だと思っていましたが、今は「やるべきこと」だと考えています。
応援してくれる人々の気持ちを思うと、「1人じゃない」と希望が湧いてくるんです。

●祖国パキスタンでの名声のための活動という声を聞いて

名声のためにやっていると言われてもそれはそれで、かまいません。
でも、教育という大きな目的だけは支持してほしいと思います。

●女性たちをどのように勇気づけるか?

女性が男性に頼らなければ権利を主張できない時代もありました。
でも、すべての女性に伝えたいのは今は自分たちで、権利を主張すべきだということです。
私たちには自由があるのだから自由を与えてほしいと誰かに頼む必要はありません。
(女性は声を上げるのをためらいがちだが?)
そうですね。
きっと、それは私たち女性が自分たちには力や能力がないと思っているからです。
でも私たちは女性や男性である前に同じ人間なのです。
だから自分たちを1人の人間として対等に考えるべきだし、もともと持っている可能性を信じるべきだと思うんです。

●10年後、20年後 何をしていると思うか?

すべての子どもたちが学校に通っている姿を見ていたいです。
(あなた自身は?)
それが私の望むことです。
多くの学校を建て、この目で見てみたいのです。
学校に行くというのは、単に教室で本を読むことではなく、学ぶことを通じて、新しい世界と出会うことだと思います。
大切なのは、友達と机や、いすを並べることで、みんな平等なのだと学ぶことなのです。
黒人でも白人でも、イスラム教徒でもヒンズー教徒でも、お金持ちでも貧しくても、そんなことは重要ではなく、私たちは平等なのだと教えてくれるのです。
私は、それを実現するためにも政治家になりたいんです。

●政治家に対する不信感と同時に政治家になりたい 矛盾では?

すべての政治家が堕落しているわけではないと思います。
私が政治家になりたいのは、それが国全体を発展させるのに最善の方法だと思うからです。
医師になれば、地域の人たちを助けることができると思います。
教師になれば、多くの人を育てられるでしょうが、国全体を変えることはできません。
だから私は政治家になりたいのです。
そしてパキスタンで、オレンジを売っていたあの女の子が学校に行く姿を見たいんです。
できるだけ早くパキスタンに戻って、ふるさとの人たちの力になりたいと思っています。

あわせて読みたい

PVランキング

注目のトピックス