クローズアップ現代

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No.34232013年10月30日(水)放送
アンパンマンに託した夢 ~人間・やなせたかし~

アンパンマンに託した夢 ~人間・やなせたかし~

特異なヒーロー アンパンマン

小さな子ども向けのキャラクターとして、大人気のアンパンマン。
しかし、やなせさんみずから作詞したテーマソングには、子ども向けとは思えない、深く、哲学的なメッセージがちりばめられています。

「アンパンマンのマーチ」より
“そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
何のために 生まれて
何をして 生きるのか
答えられないなんて
そんなのはいやだ”

やなせさんは、アンパンマンを、大人にも通じる普遍的な物語として描いてきたのです。

やなせ たかしさん
「幼児の作品はですね、幼児用だというので、グレードをうんと落とそう、というふうに考えるんですね。
そうして、文章も非常に短くする。
僕もそれを要求されたんですけどね、違うんですよ。
全く違うんですよ。
非常に不思議なことにね、幼児というのはですね、お話の、この本当の部分がね、なぜか分かってしまうの。」


「はい、どうぞ。」

物語の中で、アンパンマンは、弱った人に自分の顔の一部を食べさせます。
この特異なヒーローが生まれた背景には、やなせさんの人生の歩みが色濃く投影されています。

「どんなに遠く離れていても、必ず飛んできます。」

34歳で漫画家としてデビューした、やなせさん。
しかし、同世代の手塚治虫たちが活躍する一方、ヒット作に恵まれませんでした。




やなせさんは求められるままに、舞台美術やラジオの脚本など、漫画以外のさまざまな仕事を引き受けるようになります。
ついたあだ名が、“困った時のやなせさん”。

やなせ たかしさん 「100年インタビュー」より
“寂しいって感じがしましたね
漫画っていうのはね 何かしら自分の代表作がないと 認められないんですよ
いろんな漫画を描いている というだけじゃだめなんです”

そんな不遇な時代、やなせさんが大人向けに、と描いた奇妙な作品が、最初に「アンパンマン」と題された物語です。





主人公は、おなかをすかせた子どもにアンパンを配って回る、小太りの男。
この不格好な姿には当時、流行し始めていた、正義のヒーローへの疑問と反発が込められていたとする専門家もいます。




京都国際マンガミュージアム 学芸室員 倉持佳代子さん
「(一般的なヒーローは)マント一つ汚さずに飛び去っていく。
壊した町も、どうなったのか分からない。
そういうヒーローって、本当の正義なんだろうか。
本当におなかがすいて困って、一人ぼっちで寂しくてって言う人のところには、そういうヒーローは、なぜか現れない。
誰をいったい助けているんだろう、そういう疑問があって、それでアンパンマンを思いつかれたんだろうと思います。」

飢えた子どもにアンパンを配る物語が生まれた原点は、やなせさん自身の戦争体験にあります。

何のために生きる アンパンマンの原点

24歳で中国に出征したやなせさんは、飢えに苦しみながらも、戦争の正義を信じて戦いました。
ところが、敗戦を境に、自分たちの信じた正義は一変。
悪魔の軍隊と呼ばれるようになったのです。



やなせ たかしさん 「アンパンマンの遺言」より
“正義のための闘いなんて どこにもないのだ
正義は ある日 突然反転する
逆転しない正義は 献身と愛だ
目の前で餓死しそうな人がいるとすれば
その人に 一片のパンをあたえること”

さらに戦争は、やなせさんに生きる意味を問いかけます。
自分より、器量も能力も格段に優れていると思っていた弟が特攻隊に志願し、戦死したのです。
なぜ、自分は生き残ったのか。
何のために生きるのか。
残された重い問いでした。
やなせさんが、その問いに答えようともがいていた姿が、もう1つのアンパンマンの中に残されています。

京都国際マンガミュージアム 学芸室員 倉持佳代子さん
「アンパンマンの神髄といいますか。」





全く売れず、その存在すら長らく忘れられていた、幻の作品です。





主人公は、やなせさん自身を投影した、ヤルセナカスという、売れない青年漫画家。
青年は、アンパンマンという漫画の企画を編集者に持ち込むものの、こんなみっともない主人公では受けませんよ、と却下され、さらに、エロも欲しいし、怪獣も出ないんじゃねえ、売れないのは悪です、とまで言われます。
それは、やなせさん自身の嘆きそのものでした。
そのアンパンマンとは、主人公が、おなかがすいて倒れそうになっている時に現れた、不格好なヒーロー。
アンパンでできた顔を、青年に差し出します。

“さあ、おれのほっぺたを すこしかじれよ
えんりょするな ガブリといけ”





顔が欠けてしまったアンパンマンは、弱って、よたよたと飛び去ります。
自分を犠牲にしてまで、誰かを救おうとするヒーロー。
やなせさんの考える本当の正義が、初めて作品となって描かれました。



京都国際マンガミュージアム 学芸室員 倉持佳代子さん
「おなかがすいた人にパンを、自分が食べたいけど、それをあげる。
これは誰にでもできることだけど、自分が、本当におなかがすいて死にそうになっている時に、果たして、それができるか。
傷つかずして人を助けることはできない、そういうことを言いたかった。」

大人向けの暗い物語は、話題にもなりませんでした。
しかし、作品は、想像もしなかった方向へと歩み始めます。

出版社から、アンパンマンを、子ども向けの絵本にする企画が持ち込まれたのです。
やなせさんは迷いながらも、要素をそぎ落とし、作品をシンプルに生まれ変わらせました。
こうして、ストーリーの基本的な骨格が完成しました。



当初、大人たちからはグロテスクだと評判の悪かった絵本「あんぱんまん」。
しかし、子どもたちの反応は違いました。




フレーベル館 専務 鈴木晴夫さん
「こんな風に爆発的に売れるなんて、全然思ってませんけど、子どもの幼稚園に行ってみたら、アンパンマンの絵本があって、本がボロボロになっているのを見て、それでテレビ化の企画を立てた。」

絵本の出版から、15年後。
やなせさん、69歳の時スタートしたアニメは、大ヒットとなりました。

かわいらしく姿を変えた、アンパンマン。
正義とは、生きるとは。
やなせさんの大切な思いが込められています。



やなせ たかしさん
「僕は死んじゃいますしね。
でもね、アンパンマンそのものは、どうも生きるんじゃないかと思いますよ。
自分が晩年になって、このヒーローに巡り会ったわけなんで、もう夕日なんですね。
その中で、だから、でも君に会えてよかった、と思ってます。」

「アンパンマンのマーチ」より
“愛と勇気だけがともだちさ
ああアンパンマンやさしい君は
いけ!
みんなの夢まもるため”

最晩年のやなせたかし 「まだやることがある」

やなせさんは晩年、がんや糖尿病など、さまざまな病と闘いながら、創作活動を続けていました。
中でも、意欲的に取り組んでいたのが、詩の創作。

亡くなる直前に書いた詩が掲載された雑誌です。
「天命」という詩では、重い病と闘い、みずからの命に終わりが近づいていることを悟っています。




「天命」より
“生きとしいけるものには 天命がある
拙者覚悟は できているから
あせらず しばらく お待ちくだされ”

やなせさんの晩年の詩集を担当してきた、伊藤玄二郎さんです。
老いと葛藤しながら、それでも創作を続けようとする、やなせさんを目の当たりにしていました。

かまくら春秋社 代表 伊藤玄二郎さん
「老いるということは、経験を積むことなんだと。
こういうことを、確かおっしゃっていた。
決して、老いは悪いことではない。
生きている限りは、とにかくやれることはやろうと。」

やなせさんが体力の限界を感じながらも、現役を続けたのは、言葉の力を再確認する出来事に背中を押されたからです。
東日本大震災です。

12日放送 TOKYO FM 「東日本大震災緊急特別番組」より
「友人の娘がまだ4歳なので、少しでも安心できるように、アンパンマンの歌をリクエストします。
よろしくお願いします。」

震災直後から、ラジオ局には、やなせさんが作詞した「アンパンマンのマーチ」へのリクエストが殺到し始めました。

「アンパンマンのマーチ」より
“何のために生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのはいやだ”

困難に直面した多くの人たちが、生きることをたたえた詩の、ひと言ひと言に励ましを求めたのです。

「アンパンマンのマーチ」より
“そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸のキズがいたんでも”

ラジオ局には、やなせさんの詩に対する反響が、大人からも寄せられました。

“アンパンマンマーチ泣ける。
歌詞がヤバイ。”

“こんな歌詞だったんだ。
元気が出る ありがとう!”

TOKYO FM 編成制作部 平岡俊一さん
「みんなが予想していなかった、待ち構えていないところに降ってきた言葉だと思うので。
よけいに大人の人たちには、何かの作用をもたらしたんだろう。」




やなせさんの詩は、被災者の心に、どう届いたのか。
福島県白河市に住む、網藤智子さんです。
震災直後、網藤さんと3人の娘たちは、原発事故と余震の恐怖に震えながら、自宅退避を余儀なくされました。

網藤智子さん
「子どもたちは地震の恐怖で、とにかくお母さんからは離れられない。
自分自身が、どうしていいか分からなかったんですけど…。」

そんな時、偶然つけたラジオから聞こえてきたのが、「アンパンマンのマーチ」でした。
喜んで歌い出す娘たちの姿を見ながら、あるフレーズが心に突き刺さったといいます。




網藤智子さん
「忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君はとぶんだ どこまでも
その言葉で、そうだよ、子どもたちは、これから未来があるんだよ。
だから、やっぱり自分はがんばらなきゃいけないんだ。
子どもを守っていかなきゃならないんだ、という励ましの言葉に聞こえました。」

歌 網藤智子さん親子
「忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君はとぶんだ どこまでも…」





その後、やなせさんは病に冒された体を押して、被災者の支援に乗り出します。





直筆の色紙やポスターの傍らには、“きっと君をたすけるから”と詩を必ず書き添えていました。





やなせ たかしさん
「今度の震災の時にですね、いちばん多く歌われたのがアンパンマンのテーマソングであったというのを聞いた時はね、本当にうれしかった。
役に立ったと思いましたね。
僕も長い間ね、自分は、いったい何のために生まれたのか、何をして生きるのか、ずいぶん悩んだんですけど、やはり、だから自分は子どものためにお話を書いたり、絵本を描いたりするのが自分の天職だなあと、このごろになって思うようになった。」

遅咲きの漫画家 やなせたかしの生涯

ゲスト中村圭子さん(弥生美術館学芸員)

●アンパンマン 最後まで貫き通したヒーロー像

やっぱり、みんなが求めているヒーローっていうのはね、決して、悪をやっつけて、町を破壊し尽くしてね、そのまま立ち去っていくようなヒーローではなくて、本当にみんなが必要としているのは、食べ物を届けてくれる人、飢えて困っている時に、食べ物をみんなが、それがなくちゃ、もう生きていけないという時にね、やって来てくれる人。
それこそがヒーローなんだという信念が、おありだったんだと思いますね。
(それほどつらい戦争体験というのも、おありになったんでしょうね)
そういう、ご自分の体験の中から生み出されたヒーローだと思います。
(本当に人を救おうとすれば、自分が傷つかずにはできないんだという、自己犠牲のメッセージは、本当に深くて、重いものがありますね)
そうですね。
そして、とっても難しいことだと思いますね。
いざ、そういう立場に立たされた時に、みんなできない、私もできないし、なかなかできる人はいないと思いますね。
それで、それをね、本当にしみじみ感じたのは、今度の震災のあとですね。
被災地が復興するためには、いちばんの障害になったのは、がれきですけれども、これが撤去されないうちは復興できないっていうふうになった時に、受け入れてくれるところがなかなか見つからなかったですよね。
その時に、私は本当に、それをニュースとかで見ていて、今こそ、やなせ先生のメッセージを、みんな思い出す時じゃないか。
アンパンマンの言ってることをね、思い出す時じゃないか。
アンパンマンに、なんか試されてるなって感じがしましたね。

●やなせさんの基本的な心象風景とは?

ちょうど、この詩にあるように、何ていうのか、闇、心の闇というのがあるんですが、薄暗いところを1人で歩いてらっしゃるというような。
イラストレーションなんかは、非常に、そういうシチュエーションで多く描かれていらっしゃいましたよね。
ただ、なんだか、明け方なんだか、夕方なんだか分からない薄闇なんですけれども、どこかに光はある。
必ず、どこかに光はあるので、それを求めて歩いていくというような、それが先生の心象風景だったと思いますね。
だから、どこかに救いはあるというような、楽天的な明るさっていうのも含んだ闇だったと思います。

●やなせさんの創作の原動力はどこに?

それはやっぱり、人を喜ばせたいっていうお気持ち、みんなを幸せにしてあげたいというお気持ちが、やっぱり大きいと思いますけれども、その根幹には、共感力というものがあると思いますね。
みんなと分かりあいたい、分かちあいたい、みんなと同じ気持ちを持ちたいっていう、そういうお気持ちが、すごく先生の創作の原動力になっていらしたと思いますよ。
詩でも何でも、読んだ方がね、晩年なんか、特に老いの苦しみを書いたものが、死への恐怖を書いたものが多かったんですが、読んだ方が、ああ、そうだよ、自分もそうなんだよ、っていうふうに思う。
そういう詩を多く書いていらっしゃって、それを読んだ人たちが、皆さん、喜んでいらっしゃいましたよね。
(人を観察することにも熱心だった?)
そうですね。
そこから、多くの魅力的なキャラクターが、どんどん生まれていったんだと思います。

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