クローズアップ現代

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No.33082013年2月12日(火)放送
“体罰”なぜ繰り返されるのか

“体罰”なぜ繰り返されるのか

繰り返された体罰 生徒自殺の背景

試合を見守るバスケットボール部の顧問。
平成6年に体育科のある桜宮高校に赴任。
以来19年、転勤することなく指導に当たってきました。
桜宮高校男子バスケット部は、ここ10年で8回全国大会出場を果たしています。
公立高校のチームを全国レベルに育て上げた顧問の指導力は、関係者に広く知られていました。
亡くなった2年生の男子生徒は去年(2012年)9月からチームのキャプテンを務めていました。
亡くなる5日前、生徒は顧問からボールに飛びついていないと繰り返し注意を受けました。
「キャプテンは誰よりも体を張ってやれ。」
顧問はそう言いながら平手で、ほおを何度もたたいたといいます。

元バスケットボール部員
「部がきちんとしまっていないときは、、責任はキャプテンにある。
そういった考え。
きっちり練習でやったのに試合でできないとき、それがわかっていないときにはキャプテンが指導を受けることが多い。」

生徒が亡くなる前の日の練習試合。
顧問は試合中、生徒をコートの外に呼びます。
「なぜボールに飛びつかない」。
「なぜディフェンスを見ない」。
「なぜ相手を意識しない」。
ひと言問うごとに顧問は平手で、ほおをたたきました。
何も言い返せない生徒に対して、やるのかやらないのかと問い詰め、後輩や他校の選手もいる前で繰り返し、たたいたといいます。
この数日、前生徒は顧問に宛てて手紙を書いていました。

“なぜ僕だけがしばき回されなくてはならないのですか。
毎日のように言われ続け、本当にわけがわからない。”

しかし、この手紙を顧問に渡せないまま生徒は命を絶ちました。
「強いチームにするために体罰は必要だと思っていた」。
顧問は教育委員会の調査に対しそう答えたといいます。
部活動の現場で顧問の体罰を問題視する声はほとんどありませんでした。

元バスケットボール部員
「実際にたたかれて発奮して活躍する選手もいたし、自分もそうでした。
この人(顧問)についていけば、全国大会に出られるというのがあったので、その時たたかれても体罰だと思ったことはなかった。」

繰り返された体罰 告発は生かされず

現場の教師だけでなく、校長や教育委員会も体罰の問題を軽視していたと証言する人がいます。
2年前、桜宮高校のバレーボール部に所属していた元部員。
当時バレー部で行われていた体罰を告発したにもかかわらず、十分な改善策は取られなかったといいます。

元バレーボール部員
「同じことは起きてほしくないという願いで卒業したんですけど、(学校側が)軽いこととして受け取っていたから、僕たちよりさらにひどいこういう結果になってしまったんだと思います。」

当時の様子を仲間と共に書き留めたメモです。
顧問に逆らえない状況で体罰が繰り返されていました。

“ミスするごとに倉庫へ連れていかれてビンタ、蹴り。”

“機嫌が悪いと理由をこじつけてビンタ。”

理不尽な理由で続く体罰。
技術が上達するという実感もなく、試合の成績も振るわず苦しんでいました。

元バレーボール部員
「ビンタはされるは、結果は出ないは。
何のためにやっているのか自分たちではわからなくなってきた。」

同じ思いを後輩たちにはさせたくない。
部員たちは悩んだ末記録を当時の校長と教頭に見せ訴えました。
ところが。

元バレーボール部員
「『顧問の先生を代えて下さい』と言っても、僕たちがその言葉を出したその場で『可能な事じゃない』ときっぱり言われ、何も変わらなかった。」

学校の対応は納得できないとこの体罰の記録を教育委員会に提出。
その結果、顧問は停職3か月の処分を受けました。
しかし、処分のあと顧問が再び学校に戻ると知り、校長や教育委員会に説明を求めました。
当時のやり取りを保護者が記録したメモです。

復帰させて大丈夫なのか質問すると校長と教頭はこう答えました。
「自己反省は十分と見ている」。
再発防止のためにどのような指導をしたのか問うと、「校長が新聞で見つけた本を読ませた」という答えが返ってきました。

元バレーボール部員
「(体罰を)重く受け止めていない。
校長が指導しただけで、それで再発防止になると思っていること自体おかしな話。」

懸念は現実のものとなりました。
復帰した顧問は、その後も体罰を繰り返していたのです。
実はバレー部の体罰が発覚した当時、バスケット部でもひどい体罰が横行しているという匿名の情報が教育委員会に届いていました。
ところが調査を指示された校長は、顧問に聞き取りを行っただけで生徒に確認をしないまま体罰はないと報告。
教育委員会も、この報告をそのまま受け入れていました。

大阪市 教育委員会 永井哲郎教育長
「2年前の調べ方が十分だったのか、いささか疑問の感がある。」

結局、一人の生徒の命が失われるまで学校も教育委員会も体罰を重く受け止め、向き合おうとはしなかったのです。

ゲスト友添秀則さん(早稲田大学スポーツ科学学術院長)

●体罰はなぜ繰り返されるのか

ずいぶん痛ましくて、本当につらい事件だというふうに思ってます。
スポーツの場に体罰が入り込んできて、そして暴力的な行為が頻繁に行われていくということが日常的にあるところではこういうふうに顕在化してきた、それの一つの表れが、今回の事件だったというふうに思っていますし、学校の中でこれをうまく隠蔽する体質というのが、今回、如実に今回、示されたというふうに私は感じているところですね。

●教育現場に広がる体罰の“容認”

これはなかなか、根が深いっていうか、歴史的にもいろんな長い時間軸があるわけなんですね。
戦前から、実は学校の中で、特に戦時下は暴力というか、下士官がですね、学校現場に入ってきて、生徒たちを中等学校で、あるいは旧制の高等学校で殴って、暴力に対して非常に寛大な気風がまず作られていた。
これが戦後、特に学校の中にも、また運動部活の中にもこれが引き継がれていったというふうにも考えられるんじゃないかというふうに思います。

●女子柔道の選手たちからの体罰に対する抗議

これは私にとっても驚きでしたね。
普通、ナショナルチームの選手というと、もう最高位にいるトップですからそこにその体罰なんて介在するなんてことは普通はありえないというふうに思うんですけれども、でも日本のはしなくも学校体育、それから運動部活、中学校、高校、大学、そしてこういう社会人を含めたナショナルチームまで暴力があるということの一つの例になったと思うんです。
特にナショナルチームの中であったということは、たぶん彼女たちは国際大会に行って、自分の同僚や仲間、外国のですね、彼女たちの実際のコーチとの関係、あるいは練習を知ることによって、今回、逆に比較してみたら自分たちがあまりにも違うじゃないかということで異議申し立てをした、そういう意味では画期的なっていうか、非常に大きな出来事だというふうに思っています。

●なぜ指導者は体罰を行うのか

いくつかのデータを調べてみますと、体罰をした人たちにインタビューしてみると、やはり感情の吐露だって言うんですね。
かっと来て、口で説明ができないでつい手が出てしまうということを言う人たちが結構多いですね。
短期的にある時期だけ成果を上げようとすると、こういう体罰っていう手は有効だとはいわれているんですね。
ただし、そこでは指導者なり顧問、あるいは生徒、この間に権力関係が出来てきます。
その中では例えば、監督さんがレギュラーの選手決めたり、あるいはその練習メニューを決めたり、そういう中で大学にスポーツを利用しようとして入ってくるような一芸入試の時代ですから、そうなってくると監督さんがすべての権限を持っているので、子どもも親も監督さんに異議申し立てができないということで、また学校内では校長先生よりも長くいるものですから、学校の中では一番権限が強くなるっていうようなこともあって、誰からもクレームが入らないという現実が起こっているわけですね。

●本当はコミュニケーションも大事なのではないか

本来ならなんでこの練習を今やるのか、あるいはこの練習をやることによってどういう成果があるのか、そして今、例えば試合に向けてどういう練習が必要なのか、どんな練習を組むのか、そういうことが説明されて選手あるいは高校生あるいは中学生とちゃんと合意ができてやっていかなければいけないんですけれども、日本の場合はことばがないっていうか、スポーツの指導の場にはことばがなくて、おい、やれ、走れ!飛べ!っていうような形でですね、頻繁に命令が起こっている。
そこでうまく伝わらないと、つい手が出てしまうっていうような現実ですね。

体罰はなくせるか 戸惑う指導者

先月(1月)、三重県で中学や高校の運動部を指導している教師などを対象に研修会が開かれました。
教育委員会は改めて体罰禁止を徹底。
しかし、集まった教師たちの間には戸惑いも広がっていました。


陸上部顧問
「自分としては(体罰を)やっていないつもりでも、子どもたちにとってみればやっぱり嫌に思うことがあったりとか。」

バスケットボール部 外部指導者
「ちょっと触っただけで体罰だとか、ちょっとなんか言っただけで言葉の暴力だっていう風になってくると思うんで。」

体罰をなくすのは難しいという教師もいました。

ソフトテニス部顧問
「時間が限られた中で生徒たちが3年間の中で成果を出さないといけないので、体罰が必要なんだという声がまだ根強く残っていると思うんです。」

体操部顧問
「士気の高揚といいますかね、そういう面でもやっぱりどんどん部活動が低下していくことにもならないかなと。」

“体罰に頼らない”カリスマ監督の模索

選手を育てるために本当に体罰は必要なのでしょうか。
甲子園で3回の優勝を誇る智辯和歌山高校です。
監督の高嶋仁さんは甲子園で通算63勝。
最多勝記録を更新中です。
いかに選手のやる気を引き出すか。
高嶋さんは、その課題に40年向き合ってきました。
高嶋さんは練習を強いるのではなくなぜ、その練習が必要なのかを徹底的に説明します。

高嶋仁さん
「ゆっくり当ててみ。
しっかり、そう。
そこやで、先ちゃうで。
そう、自分のへその前やで。
ここやで、そうそう、そうそう。
その練習や。
はい、そうそう、そうそう。」

一人一人に向き合えるよう野球部員の人数を1学年10人に絞っています。

高嶋仁さん
「なぜこれをしないといけないのか先に話をすれば、分かったとどんどんやってくれる。
やっぱり理解をさせるっていうのはどうしても必要なことだと思うんですよね。」

強制ではなく理解が大切。
高嶋さんがその考えに至ったのは、監督になって4年目のある出来事がきっかけでした。
練習試合で圧勝。
しかし、1点の取られ方がなっていないと感じた高嶋さんは、チームに活を入れようと厳しい練習を命じました。
すると選手たちはとてもついていけないと練習を放棄して帰ってしまったのです。

高嶋仁さん
「今までの指導はなんだったんだろうなということだったんです。
つまり、一方通行ですね。
これやれ、あれやれ、ほれやれってそればっかりだったわけですよ。」

その後指導法を変えた高嶋さん。
ところが5年前大きな挫折を経験します。
甲子園で、ある選手が個人プレーに走り、負けました。
チーム全員で泣いて悔しがったといいます。
にもかかわらず直後の練習試合で、その選手がまた同じプレーをして負けました。
反省する様子のない選手に高嶋さんは、仲間の気持ちを考えろと叱り思わず蹴ってしまったのです。

謹慎3か月。
選手の保護者からは悪いのは監督ではないと言われましたが、高嶋さんはこう振り返ります。

高嶋仁さん
「愛情をもって手を出すってそんなことありえないですよ、と思います。
自分の経験からいうと『この野郎』と思ってやっぱりやってしまうんですよね。
自分が一生懸命教えたのに出来へんのかという、そういう自分の指導力の無さっていうのをそこへやっぱりぶつけてるわけです。」

二度と手を上げてはいけないと決意した高嶋さんは、忍耐力をつけるために週に2回、午前2時に起きて高野山までの20キロの山道を歩いています。
このときに考えるのもやはり選手のこと。
グラウンドでは選手の課題ばかりに目が行きがちですが、ここでは選手のよい面や頑張っている姿に改めて気付けるといいます。

高嶋仁さん
「いろんな面から選手を見られるようになったというのはあると思うんですよね。
片面じゃなしに、裏面、側面っていろいろありますからね。
じっくりじっくり見てやる、そういう指導者になっていかないと選手もなかなかついてこないと思うんでね。
そういう意味では、まだ未熟ですね。」

●体罰に頼らない指導とは

高嶋先生のことばっていうのは、ひと言ひと言が非常に重いですね。
これは40年間、本当に、この中で努力を重ねられてきた至言というか格言だというふうに私は受け取って聞いておったんですけれども、ただこれからの時代を考えてみると、誰もが高嶋先生のようにこうすべての生活をかけながらっていうのは、なかなか現実では難しいですね。
そういう意味でいうと、監督がすべてを引き受けないっていうことが必要なんじゃないかなと感じたところがあります。
権限を子どもたちに委譲させながら、そして子どもたちと共に練習メニューを作っていく。
これ、何を弱いチームになるじゃないかと思うかもしれないんですけれども今、一度体罰を使わないっていう指導法を実践してみると、自分の指導力というものがまた一段と高まってくるというふうに思っています。
対話をしながら、子どもに権限をある程度委譲させながら子どもの自主性や主体性を育みながら、例えば今日の練習はペアで組んでやっていくのか、あるいはフォーメーションを使おうか、あるいはトリオ練習やっていこうか、こういう練習、どれを使うかというのも子どもたちに投げ出して、実際に検討しながら作り上げていったり、あるいはもう何よりも研究レベルでいえば、肯定的な相互作用を「何やってんだ!だめだ!」って言う前に、ここをこうしたらもっとよくなるよねというようなことばかけ、そして長時間、長い長い練習が本当に必要かっていうことも、そういう常識すら考え直して見る必要があるんですね。
かつては水を飲んではいけないとか、泳いではいけないというふうに言われたんですが、これも間違ってた。
今まで私たちが、部活のやり方だって思ってきたこういう常識をもう一度疑ってみる今、絶好の機会じゃないか、その中では例えば体罰っていうのはやっぱり続かないっていうふうに思いますね。
スポーツって明るくて楽しくて、そして創造的な活動で自分たちがどうやったら勝てるのか、あるいはどんな戦術や戦略で使えばいいのか、こういうのはまさにインテリジェンスが求められてくるし、スポーツっていうのは実は知的な活動なんですね。
そこで命令と服従によって調教していくような練習の中では本当のスポーツパーソン、こういう人たちは育ってこない。
日本のスポーツ文化を担っていくのは、若い世代っていうのはこういう体罰が介在するような練習の中からは育っていかないというふうに思っています。

●国際的に通用する人材を育成するためにも必要なのか

いつまでもナショナルスタンダードでやってる、ただ、それは今までは確かにそういう時期はあったと思うんですね。
ただ、次の時代を見据えたときに、もうこういうやり方ではなかなか限界があるし、そして、例えば女子の柔道もそれに対してノーだっていうことを私は突きつけた例だというふうに思っているわけですね。
それでは指導者は今、やっぱり大きく変わらなければいけない。
ましてこういう事件を私たちは真摯に受け止めなければいけないというふうに思います。

●部活の先生にどういう支えが必要なのか

まずは、こういう先生たちに対する理解と、そして資格制度なんかをこれから検討されていってもいいんじゃないかなと思います。

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