クローズアップ現代

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No.32382012年8月29日(水)放送
天国からの“お迎え” ~穏やかな看取り(みとり)とは~

天国からの“お迎え” ~穏やかな看取り(みとり)とは~

天国からの“お迎え”初の大規模調査

今年7月肺がんで、この世を去った母親のお迎え体験に立ち会った女性です。
隣で寝ていた母親の鈴木靖子さんが突然話しかけてきたのは亡くなる5日前の夜でした。
 

鈴木章子さん
「『お友達がさっき来たでしょ』と言うの。
『えっ、来たの』って言ったら『うん、さっき来たんだよ』って。
そのお友達は7年前に病気でなくなっているんです。
ちょっとこっちはギョッとしてるんだけど、あまりにも幸せそうに話をするの。」

4年前にがんが見つかって以来まだ死にたくない、と言い続けていた靖子さん。
それが、お迎えを見たあとは心が落ち着き、穏やかに旅立っていったといいます。
 

鈴木章子さん
「死に対する恐怖も当然あったんだけども、それが何か薄れていったんだよね。」

鈴木万里さん
「そういう風に(恐怖があるように)感じなかったね。」

鈴木章子さん
「死に対する恐怖は、まったく感じなかったね。」

鈴木万里さん
「私はもう、自分自身が死ぬときは、母のように亡くなりたいなって。」

仙台を中心に在宅医療に取り組む医師の河原正典さんです。
在宅医療を続ける中でお迎え現象は珍しいものではないという意外な事実に気がついたといいます。

 

在宅緩和ケアグループ 医師 河原正典さん
「失礼します。こんにちは。」

「はい、どうも、こんにちは。」

河原正典さん
「今日は、お願いしますね。」

この日は3年前に肺がんが見つかった88歳の沼田いな臣さんを訪ねました。

河原正典さん
夏バテしてないかい?昨日の夜ちょっと涼しかったね。」

沼田さん
「うん。」
 

沼田さんは去年11月肺炎を起こし、一時危険な状態に陥りました。
そのとき、亡くなった両親が部屋の隅に現れたといいます。

沼田さん
「親と会ったんだなという感触だけなんだな。
お互いに離れ離れみたいになって会うんだから、うれしいような気がするんだな。」
 

河原正典さん
「人によっては先生が来るまでいたのにって言われて怒られたこともありましたし。
ちょこちょこ、ありますよ、そんな珍しくはないですね。」

あの世で懐かしい人に会える。
そう思うことで、死への恐怖が和らぐのではないか。
河原さんは、これまで現代医療が注目してこなかった効果が、このお迎え現象にあるのではないかと考えるようになりました。

河原さんのグループでは去年、社会学者と共同で本格的な調査を行いました。
対象は宮城や福島の在宅緩和ケアを利用した患者の遺族、500人以上。
すると、全体の4割でお迎え現象を体験したという回答が得られたのです。
最も多いお迎えは両親や友人などすでに亡くなった人たち。
猫や犬など飼っていたペットや動物が現れる場合もありました。
そして、懐かしいふるさとの山々など思い出の風景を見ることも。
こうしたお迎えを見た9割の人が穏やかな最期を迎えたことがうかがえるとしています。

お迎えという不思議な現象。
医学的に見ると一体何が起きているのか。
河原さんは、お迎えは穏やかな死のために準備された人間の生理現象なのではと考えています。

在宅緩和ケアグループ 医師 河原正典さん
「人が死んでいく中でのたぶん過程の一つなんだというふうに僕は捉えていて、食事がとれなくなる、飲めなくなるというときにやっぱり脳の活動がやっぱり弱くなるとか、もうろうとしてそういう幻覚を見せるんだろうと。」

天国からの“お迎え”穏やかな最期とは

このグループでは緩和ケアの現場で、お迎え現象を単なる幻覚と片づけず大切にしようと考えています。

在宅緩和ケアグループ 医師 佐藤隆裕さん
「体の調子、どう?」

「なんかね、ちょっとね。」

 

医師の佐藤隆裕さんです。
20人ほどの、がん患者のケアに当たっています。

木村富美子さん
「いつもなら、2ぐらいなんだけど、3か4の痛みが、ずっと続いてた。」

4年前、大腸がんが見つかった木村富美子さん。
病院で手術や抗がん剤の投与を受けましたが、転移を抑えきれず治療方法はないと告げられています。
佐藤医師に、延命治療に頼らず自然な最期を迎えたいと伝えている木村さん。
佐藤医師は、幻覚などを見ることがあったとしてもそれは穏やかな死のプロセスの一つだと伝えました。

木村富美子さん
「両親来てないし、うちの兄さんたち2人亡くなったけど来てない。
来い来い来いって言われてないし、お花畑も見えないし。」

佐藤隆裕さん
「来たら教えてください。」

木村富美子さん
「はい。」

家事だけは自分の手で続けていきたいと考えている木村さん。
この日は夫の衣類の洗濯です。
もし、お迎えがあるのなら末っ子の自分を甘えさせてくれた母親に来てほしいと考えています。
 

木村富美子さん
「いずれ死ぬんでしょうけども、なんて言うんだろう、楽な気持ちで受け入れてるっていうか、いつ来てもいいなって。」

天国からの“お迎え”穏やかな看取りとは

ゲスト大井玄さん(東京大学名誉教授)

●患者さんの中にお迎えを体験をされた方はいたのか

おりますね。
私の場合には、80歳代の女性でしたけれど、介護に当たっている娘さんが、このごろ母が、お母さんが来てるっていうことを言うもんですから、患者さんに尋ねましたらね「ええ、先生、そこに来てます」というふうに示してくれたんです。
それは非常に印象的でした。
非常に穏やかに亡くなっていきました、やっぱり。

●現象を体験した4割、どう受け止められるのか

不思議ではないと思うんですね。
実は、私たちの国では8割が病院で死んでますが、病院はやっぱりそういう現象が起こりにくい所だと思います。
安らいで、そして安心できるような所で、初めてよく起こるようなものだと思います。

●病院の場合は治療という雰囲気が強いからか

急性期病院というのは、言うならば、終末期の人にとっては、ある種の異界みたいな所です。
自然な所というのは、自宅や、あるいはついの住みかというような老人ホーム、まあそういうような所だったら、安心できますから、そういう所で起こって4割っていうのは、おかしくはないと思いますけれども。

●なぜ終末に近づいた方々に起こるのか

それは恐らく、人間に備わった、自衛というか、心理的な自衛作用であって、親しい人とつながったという、そういう感覚があるときにはみんな、安心するわけなんですね。
基本的には、われわれの脳というのは、記憶と経験に基づいて世界を再構成してますから、そういうような記憶、経験から、すっとそこで世界を見て、つながる、お迎えを経験する、これはおかしくはないと思います。

●苦痛を和らげる精神面でのお迎えというのは

そうですね、苦痛というのは、これは身体的な苦痛もありますし、精神的な苦痛がある、しかしながら、精神的な苦痛っていうのは、非常に、もしそれをなくすることができれば、効果的なんですね。
私たちは子どものときに、お母さんに大丈夫だからって言われて、ひざ小僧をさすってくれたときに痛みがなくなったように、非常に自然なことだと思います。
だから、そういう親しい人が来てくれたっていうのは、これは安心できますね、苦痛がなくなる。

“お迎え”が変えた終末期医療

お迎えの学術調査を発案した在宅ケアグループの理事長岡部健さんです。
岡部さん自身も胃と肝臓に、がんを抱え余命は僅かだと告げられています。
 

「お迎えのほうはいかがですか?」

在宅緩和ケアグループ 理事長 岡部健さん
「まだ来ねえなあ。
お迎えってこのくらいじゃ来ねえよ。
おやじが来んでねえの?そのへんから。」

かつて岡部さんは大学の付属病院などで肺がん専門の外科医として活躍していました。
しかし、治療に苦しむ多くの末期がん患者と出会い現代医療への疑問が芽生えました。

岡部健さん
「私にとって寿命を1分1秒でも延ばすということは絶対、いいことなんだと思ってたのに、患者さん受け取る、受け取った側の患者さん側は、ちっともそう考えてなかったんだね。
これで、ちょっと、がく然としましてね。」

15年前、岡部さんは患者に穏やかな最期を迎えてもらうために在宅ケアのグループを立ち上げました。
今ではスタッフ90人以上。
年間350人余りの患者をみとる国内有数の拠点です。
岡部さんが、お迎えの調査などを通じて痛感したのは今後、急増すると見られる自宅でのみとりの不安をどう解消していくかという課題でした。

在宅緩和ケアグループ 理事長 岡部健さん
「これから介護施設とか在宅で亡くなる人の数が圧倒的に増えてきますよ。
そのときに、みとりの不安感をどうやってカバーしていくつもりなんだね。
一人一人が家族を見送れる、みとれるそういう関係性っていうか、場を作っていかないとまずいんじゃないですかね。」

最期の時を支える人材育成

かつて岡部さんが医師として勤めていた東北大学では新たな取り組みが始まっています。
今年4月からスタートした死との向き合い方を研究する臨床死生学講座。
授業では死を前にしたときの気持ちや自分が死んだら、どうなるかなど患者との向き合い方を学びます。

生徒
「やっぱり直面してみないと分からないなっていうのは、あんまり親戚でもそんなに今まで立ち会ったこととかもなかったので。」

ゆくゆくはお迎えなどの体験についても患者と語り合うために宗教者の視点も取り入れていきたいとしています。

東北大学 文学研究科 准教授 谷山洋三さん
「宗教者という役割を一つの社会資源と捉えて、もう少し社会で利用できる、活用できるようにしていくことがあってもいいんじゃないかと思うんですよね。」

みとりが伝える生と死

岡部さんのグループがケアを続ける澁谷テルさんです。

「おっぴ、飲む?」

今後全国で急増すると見られる自宅での、みとり。
岡部さんは、家族の死を正面から受け止める心はその死をみとることでしか養えないと考えています。

息子 澁谷澄人さん
「もう余命余りないってことをちゃんと説明して子どもたちも納得してますね、説明も理解してくれたからね。」

 

8月15日、テルさんは家族に見守られ、亡くなりました。
家族の死を懸命に受け止める子どもたち。

優しく、ほほえむ遺影は子どもたちが選びました。

「テルさんに伝えたい言葉は?」

「ありがとう。
でもまだ、心の中にいるから。」

穏やかな最期を支える“看取りの文化”

●お子さんも受け止め学ぶ

生老病死というのは、これは自然のプロセスですから、実際にそれを体験する、経験することにしか学べないんですね。
子どもは本当に学べます。
私が知っている例でも、ひ孫がおばあさんの死に化粧をしたって、そんなこともありますから。

●みとることの経験で死への不安

それは薄れていくんですね。
つまり、私たちは、死を遠ざけていることによって、むしろ死に対する恐怖というものを、それを強くしている。
それはいろんな事情がありますし、戦争であるとか、そういうような不幸な経験がありますけれど、今、一番に求められているのは、死というものを身近な自然なものだと、そういうふうに見直していく、そういう作業だと思います。

●みとりへの今後の取り組み

一番やはり効果的なものは、東北大学でも出てきました死生学なんかも、それはいいことだと思います。
それから子どもたちを老人ホームに連れて行く、病院に連れて行くというようにして、実際の場というものを経験させる、これはとてもいいと思います。
それから、私が見てるかぎりでは、子どもたちは本当に学習能力がありますから、どんどんそういうのを見せてあげる。

●最善の手を尽くし病院に搬送したくなるのではないか

それは非常に自然なことなんですよ。
したがって、みとりの医師というもの、非常に大切な仕事というのは、そういう不安を取り除いてあげるんです。
熱が出たときにはどういうふうにしていったらいいのか、呼吸が苦しそうに見えるときに、そんなに苦しいものではないということを説明してあげる、そういうようなことですね。

●最もいいみとりとは

子どもたちのにぎやかな笑い声ですね。
インディアンの詩にもありますように、
 「私の家は笑い声に満ちている。
 子どもたちは家に戻ってきた。
 さあ、今日は死ぬのにはもってこいの日だ。」
そうだと思います。

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