クローズアップ現代

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No.31992012年5月17日(木)放送
人生の最期 どう迎える? ~岐路に立つ延命医療~

人生の最期 どう迎える? ~岐路に立つ延命医療~

長引く延命治療 家族の苦悩

広島県福山市に住む中島基晴さん44歳。

93歳の祖母、文江さんです。
胃ろうで栄養をとりながら寝たきりの生活を7年間続けています。
文江さんの夫も息子も亡くなり、孫の基晴さんが介護を支えています。

 

中島基晴さん
「やはり 声が届いてないというか、あまり反応してくれないですね。」

文江さんは夫と砂糖の販売店を経営。
長年、店に立ち続けてきました。
パーキンソン病となり、80歳を超えたころから飲み込む機能が徐々に衰えてきました。
口からの食事は難しくなったため86歳のとき、主治医の勧めで胃ろうをつけたのです。
しかし、その間に認知症が進行。
5年ほど前からは孫の基晴さんさえ認識できなくなりました。
状態が改善する見込みがないまま延命医療を続けていくことが文江さんのためになるのか悩んでいます。

中島基晴さん
「おばあちゃんが生きたい、もしくは生かされているという、そのものすらも いま判断がつかない。
本当にこの状態で、ちょっと彼女の魂が本当にここにあるのかななんて、非常に心配というか悲しくなるというか…。」

長期にわたる延命医療を家族はどう受け止めているのか。

胃ろうなどで栄養をとっている患者がおよそ7割を占める病院です。
NHKはこの病院で患者の家族にアンケートを行いました。
胃ろうなどをつけたことについてどう考えているか、という質問に「わからない」「つけなければよかった」と答えた人が半数に上りました。
さらに、もし医師から胃ろうなどをやめる選択肢が示された場合はどうするかと尋ねると、3人に1人が「やめる」と答えました。
中には、長期にわたる延命医療に追い込まれる家族もいました。

アンケートで「やめる」という選択肢を選んだ77歳の女性です。
夫は脳梗塞で倒れ食べ物を飲み込めなくなり胃ろうをつけました。
ことしで12年になります。

「お父さん わかりますか。ばあばですよ。
お父さん 目を開けてみて」

胃ろうをつけた当初、女性は自宅で夫の介護をしていました。
最期まで自分がみる。
24時間の介護を6年間続けました。
しかし、過労で倒れ、自宅での介護を諦めざるをえなくなりました。
女性は今、夫の入院費を稼ぐため週に4日朝7時から働いています。
夫の病状は次第に悪化。

「両手も曲がったまんま」

手足の硬直も進みました。
回復を願って始めた胃ろうが夫を苦しめているのではないか。

「『お母さん(胃ろうを)もうやめてくれ』と言ってるのかなと思ったりもね、聞こえるような気もします。」

「ごめんください。」

「こんにちは。」

女性は、病院の担当者に相談しました。

「栄養流すのを止めてあげたいと思ったりもするけれどね。
私もう 心がくずれちゃった。私なんでこんな気持ちになっちゃうんだろう。
人間は変わっちゃうのね。」

「それだけ奥さんがつらかったんですよね。」

胃ろうをやめたいという女性の思い。
しかし、病院では家族の思いだけで中止することは難しいと考えています。

湘南長寿園病院 フレディ松川院長
「胃ろうの場合ですね、順調に行きますと、病状が安定して延命につながっているわけですね。
ですから、順調にいっているものをわざわざやめるとなると、非常に人道上、人権上というか、そちらにも影響してくる。大事な問題だと思います。」

岐路に立つ 延命治療

ゲスト米原記者(生活情報部)

今のVTRの最後の女性、ご主人は10日ほど前、容体が急変し、亡くなられました。

私たちのアンケートでは、特に延命の期間が長期間にわたっている人たちから、苦しい胸の内が聞かれました。
初めは命につながるということで、延命医療を選択したけれども、回復の見込みがない中で、医療を続けることに罪悪感を感じるとか、もう楽になってもらいたいという声もありました。
その一方で、胃ろうをつけて回復して飲み込む訓練も行って、再び口から食べられるようになったケースもありました。
また延命によって、そこに存在しているだけでいいという家族もいましたし、学会のガイドラインもそれを否定していません。
延命医療を望む家族も、望まない家族も、それぞれの思いは尊重されるべきだと思います。

●全国に40万人 増え続ける胃ろう患者

前提として医療者の側は命を長くするという考えが強いですし、これまでは家族もそれを求めてきました。
また簡単に栄養がとれるので、食事の手間がかからない、介護の手間がかからない、このため退院後に施設への受け入れがされやすいという、社会的な事情で増えてきた側面もあります。
結局最初につけるかどうかの判断のときに、治療のあと、患者がどういう状態で生きていくのかという考慮をする点が薄かったということが、こうした問題につながっていると思います。

患者にとって“最善の医療”とは

高齢者医療が専門の国立長寿医療研究センターです。
去年10月、全国でも珍しい終末期ケアの専門チームを作りました。
主治医のほか、緩和ケアが専門の医師と看護師も加わり、患者本人にとっての最善の医療を家族と共に探るのです。

チーム専属の看護師、横江由理子さんです。
この日、相談を受けたのは90代の女性の家族です。
女性には認知症の症状があり、周りの呼びかけに答えることはほとんどありません。
女性にとっての最善の医療とは何か。
横江看護師は家族の気持ちを確認しました。

患者の家族
「あえて苦しんでいるのをわざわざ延ばす必要はないと思います。
長寿っていうのじゃなくて、自然でいい。」


家族の希望は、延命よりも生活の質を大事にすることでした。
医師たちは患者と家族の気持ちに寄り添い方針を話し合います。

緩和ケア専門医
「やっぱり胃ろうをつくったとしても、唾液を誤えん(誤って気管内に入る)したりとか、そういうのも結構多いのかなという感じもあるし」

呼吸器科医師
「難しいけれども、このまま(胃ろう)なしで帰るという選択肢は、ありだなと思いますね。」

女性は胃ろうをつけずに退院。
家族に見守られ息を引き取りました。

●人生の最期 どう迎える

本人にとっての最善の医療を巡り迷い続けた家族がいます。
畠中千代子さんです。
去年11月、夫の市雄さんを亡くしました。
市雄さんは元気なころ延命医療は希望しない、と千代子さんと話し合っていました。

7年前、市雄さんが記した文書です。
延命措置を辞退するという内容に同意し、サインしていました。
去年10月市雄さんは肺炎にかかって入院。
事前の意思を尊重するか延命のため胃ろうをつけるか。
元気なころの夫の意思と命の重さの間で千代子さんは悩み始めました。

「私が決めて、結局 主人の命が決まるわけですから、いいのかなと本当に悩みましたけど。」

専門チームの横江さんは今の市雄さんの気持ちを確認したいと考えました。
脳梗塞が進む市雄さんにペンを握ってもらい筆談を試みました。
その中に、連れて帰って、ということばがありました。

 

横江由理子看護師
「(千代子さんは)そこではっと気づかれたような感じを受けました。
患者さんにとってどうすることがいいのか。命の長さだけではなくてどう生きるのか、どう生活するのか。」


畠中千代子さん
「もう連れて帰ろうと思いました。
少し長くなっても、つらいだけですもんね。胃ろうして長くなってもね。」

人生の最期に夫が望んでいることは何か。
千代子さんは、市雄さんが公園で花の写真を撮るのが好きだったことを思い出していました。

畠中千代子さん
「一番楽しい時間でしたよね。きれいなお花見て撮影できること自体が。」

市雄さんは胃ろうをつけずに自宅に戻り、壁一面の花の写真に迎えられました。
そして、程なく亡くなりました。

「写真を一枚一枚、目で追っていました。だから帰ってきたのがわかったんです。穏やかな表情でしたしね。
だから私はこれでよかったと思っています。」

岐路に立つ 延命医療

ゲスト新田國夫さん(医師)

家族が今現在、判断をつけるかどうか迫られる、ただ家族にしてみれば、そのときは救命という問題がありますね。
もちろん救命があって、そしてその目的を持って胃ろうをつける。
だからこそ、それをやめると、死亡がある。
死がある。
そういう意味で、家族はどちらにしたらいいのかというのは大きな悩みになるわけですね。

●判断に苦悩する家族

恐らくそこをやめるということは、即、死につながるわけですね。
そうすると、どんなに本人が意思を持ったとしても私がそのようなことをしていいのかという、その思いは誰しもあって、私が決定をしていいのかどうかということも家族の問題で、それはあると思いますね。

胃ろうをつける経緯は、さまざまな場合があるんですが、最初は例えば脳卒中等で急性期に入院しますよね。
いわゆるそのときに救命救急が、医療が行われる。
ところが実際は、そこで即、じゃあ食べることができるかというと、そういうわけにはいかない。
すると1週間もすると、あるいは10日ぐらいするとですね、そこから、病院から出なければいけない。
それは現在、医療システムがありますね。
一方では、社会学的な問題として、それをつけないと、次の施設へ行けないということがありまして、それで胃ろうをつけようかという話で、病院の医師は家族に言うわけですね。

救命と延命というのは、裏腹の関係ですよね。
救命はしたんだけども、それが長く、長く生きる。
そうするといわゆる延命行為だといわれるわけですね。
そうすると家族にとってみれば、本人の意思、あるいは尊厳を、それでいいのかっていう思いに絶えず悩むわけですね。
さらにいうと、家族自身がそのことで例えば在宅の場合は、例えば娘さんとか、私が経験してる例では、めいっ子さん2人がおばあちゃんを面倒みるというようなことがあって、そして自分の結婚とか就職とか、そういったことにも妨げになるといったことで、こういった状態でいいのかと、本人の命を尊重すると同時に、さらに自分たちの生活を含めて、ずっと悩むわけですよね。

●胃ろうの中止 医療現場では

胃ろうの中止の条件というのは、最初3つあるわけですが、1つは本人の意思が明確であること。
それで家族が代行判断ってあるんですが、その代行判断は、本人の意思を尊重した判断であること。
そして最後に最善の医療という、2つがない場合、最善の医療があるかということですよね。
その最善の医療っていうのはこれまた難しいんですが、医学的な知識と手段だけではなくて、それ以外に今のその人が持ってきた文化的な問題、文化的な資産、あるいは社会的な状況、家族関係、トータルを含めて最善の医療判断をするという、その中で決めてくというそこがまた難しい、誰が決めるのかという難しさがあります。

(一人一人の生存権と尊厳の両立、あるいはぶつかりあいは)もちろんあると思います。
そして先ほどのビデオの例がそうですよね。
ご本人が連れて帰ってと言うんですね。
ご本人を連れて帰るというのは、病院にいると、やっぱり気管切開、あるいは胃ろうをつくられる。
そうした状況よりも、私は家に帰りたいという意思決定をしたわけですね。
そこに僕は生存権と尊厳という2つあると思うんですね。
自分の意思を表したという、その意味で私は例のように、これからならなければいけないだろうと、本人の意思決定をやらなければいけないと思うんですが、そこに生存権と尊厳、生きようとする人に対しては、私は医療はあるべきだと思いますね。
ところがそういった判断もあってもいいだろうなというふうに思いますね。

●患者にとって“最善の医療”とは

これは一番難しいのは、先ほどの運ばれる、救命救急で運ばれる、その医療者が最善の医療を判断できるかというと、最善の医療というのは、医療手段と知識のみで判断されるものでない以上はそれは難しいだろうなと。
そうすると、それにまつわる、それに近くにいる、例えば地域の掛かりつけの医師とか、そういった人たちがそこに一緒になって家族と考えるということがまず必要になるだろうと思いますし、もう一つ、現実に行われているのは、そこでいわゆる急変する、それで病院に運ばれる、そして救命されてそして延命する、さらにまた戻ってくる、それを繰り返す。

そういう中で、ご本人の意思、いわゆる尊厳というのは、置き去りになってきてるわけですよね。
そのことの中でだんだん本人は、いわゆる僕は意思のなくなった終末期に、終末期って非常に定義が難しいんですが、そこにみとりの医療があるべきだろうなというふうに思うわけですね。
そこが本人の意思を尊重したものであって、そこのところがこれから求められるんではないかなと思います。

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