クローズアップ現代

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No.31252011年11月24日(木)放送
想像力が未来を拓(ひら)く ~小松左京からのメッセージ~

想像力が未来を拓(ひら)く
~小松左京からのメッセージ~

想像力が未来を拓(ひら)く

東日本大震災、原発事故と想像を超える災害が立て続けに起きています。
私たちは、幾度となく想定外ということばを
聞かされてきました。
しかし、半世紀も前から小説の中で未来に警鐘を鳴らし続けていた人がいます。

ことし7月に80歳で亡くなった小松左京さんです。
長編、短編を含め生涯に500近い小説を書いた小松さん。

その作品のいくつかを集めてみました。
代表作「日本沈没」をはじめ、皆さんが読んだ本もあるのではないでしょうか。

こちら、「復活の日」。
私が生まれる前に発表された作品です。
中学生のころ映画化されたものを見てその後、小説を読んだのを覚えています。
ウイルスが世界中に広がるという恐ろしさを初めて感じましたが、どこかで、実際には起こるはずはないだろうという気持ちも持っていました。
しかし、小松さんが多くのSF小説の中で描いてきた問題が、今、いろいろなところで、現実のこととなっています。

小松さんが小説を書くうえで最も大切にしたのが、想像力です。
未来は、一体どうなるのか。
あらゆることを想定し、想像力を働かせ、命を懸けて書き続けた小説。
小松さんが残したメッセージから未来を生きるヒントを探ります。

 

【VTR】未来を“想像”する力 SF作家 小松左京

「太陽系の天体の中で地球以外に噴火をやっているというのが分かった初めての天体。」
宇宙を舞台にした作品について語る小松左京さんです。

「宇宙って考えていいんですか。」

「太陽系って考えていいです。」

「これ、太陽としましょう。
これが金星、ここが地球なんです。」

21世紀の今、私たちが直面する問題を予見するかのような作品を生み出し続けました。
今から、およそ50年前に発表された「復活の日」。
世界中に広がるウイルスとの死闘を描いた、この作品では地球規模で起こる感染症の流行を予言していました。

東京のライフラインや通信が遮断されてしまったらどうなるか。
「首都消失」では都市生活のもろさと東京への一極集中に警鐘を鳴らしていました。

「ああ、見てみぃ。
何もかも東京中心に動いとるから。」

そして、合計430万部の大ベストセラーとなった「日本沈没」。

「最悪の場合には…日本列島の大部分は海に沈んでしまう。」

科学の常識を上回る大地震や地殻変動に見舞われたら日本は、どうなるか。
そして未曾有の災害に襲われた日本人は何を考え、どう生きていくのかを問いかけました。

SF作家・小松左京さんの原点には少年時代に受けた一つの衝撃があります。
一発の原子爆弾が都市を壊滅させる。
その強烈な出来事が小松少年の胸に深く刻まれました。

これは、小松さんがSF作家の仲間と共に東海村の原子力研究所を訪れたときの映像です。
科学の進歩は、時にとてつもない災いを引き起こす。だからこそ、想像力を持って備えなければならない。
小松さんは、その信念を胸に作品を書き続けたのです。
(小松左京さんのインタビュー)
「技術文明、あるいは機械というもの。
我々はそういう機械の発達に対して今までイマジネーションが足りなさすぎた。
これから将来に向かって、いったいぜんたい何を求めていったらいいのか。」

まだ見ぬ未来を思い描き作品を生み出し続ける。
それは私たちの想像をはるかに超える壮絶な戦いでした。

「日本沈没」執筆の際小松さんは、そのころまだ珍しかった電子計算機を使い書斎に、こもりきりで計算を続けたといいます。
最先端の地球物理学に触発された小松さん。
日本列島が沈む可能性はあるのか。
海溝の深さや列島が沈み込むスピードなどさまざまなデータと格闘し実際に起きうる事態を想像し続けました。

(インタビュー・小松左京事務所・乙部順子代表取締役)
「小説はある意味、一種のシミュレーションですよね。頭の中のシミュレーションです。
日本列島をとにかく沈没させなくちゃいけいないから、総エネルギー量はどのくらいかかるか、そのためには質量を計算して、どれくらいの力がかからなくちゃいけないという」

さらに、もし、国土を失った場合日本人は、どこでどう生きていくのかも徹底的に考え尽くしました。

有史以来、人類はどう移動し生き抜いてきたのかなど歴史を検証することで物語を作り上げていきました。想像し、検証し、また想像する。気の遠くなるような作業の連続。小松さんは「日本沈没」の執筆に実に、9年を費やしたのです。

(モノローグ・「未来からの声」小松左京より)
『「未来」というものをあつかいはじめると、たちまち「巨大な数値」というものにまきこまれおしながされる。
仕事をする意欲も失い、毎日外を眺めてぼんやりしている日が多くなる。
こんな時、ふと植えこみの外の道から、子供たちの声がきこえてくると、はっとさせられる。
自分の死後に茫漠とひろがっている「未来」というものと、はじめて生きたつながりを持ち始める』

「これ、小松左京と僕がやった。」

身を削るように未来を想像し続けた小松さん。
しかし、その思いは当時、十分には届かなかったと親友でありSF作家の石川喬司(たかし)さんは言います。
高度成長期で、バラ色の未来を信じる多くの日本人にはSFは、荒唐無稽な絵空事と受け止められることが多かったといいます。

(インタビュー・石川喬司さん)
「その作品が持っている本質的な問いかけをまったく読んでくれようとしなかった。
SFなんてあめ玉みたいなものだ。子どもが喜んで読むような、たわいもないジャンルだという偏見をもたれていて」

その後も小松さんは未来への警鐘を作品で描き続けました。
しかし一般に受け入れられたのは宇宙人やロボットを主人公にする設定はあっても小松さんが目指すSFとは違うものでした。

1986年、小松さんは想像力の限界に挑むべく壮大なテーマに取り組みます。
はるかなる未来に、どんな世界が人類を待ち受けているのか。
長編小説「虚無回廊」では小松さん自身を投影した老科学者が宇宙へ飛び出し果てしない旅を続けます。
しかし、小松さんは結局この小説を書き終えることができませんでした。

晩年、小松さんにインタビューした澤田芳郎さんはみずからの想像力の壁にぶつかり苦悩する小松さんの姿をかいま見たといいます。

(インタビュー・澤田芳郎さん)
「『僕は本当はいてもたってもいられないんだ』、『いてもたってもいられない』という言葉は明らかにおっしゃっていましたね。
問うても答えが得られない問題に取り組んでいる。もしくはとりつかれている。自分の自画像だったんじゃないでしょうか」


(モノローグ・「虚無回廊」小松左京より)
『私はもう、これまでの一切の絆をたって、完全な「孤独」になる。
体験をわかちあうべきものもいないし、新しい知見を伝えるべき相手もいない。
これから先、私の見るもの、出あうもの、体験する事柄の一切は、ただ私だけのものになる。
この孤独状態は、通常人にはどうかわからないが、私にはたえられる」

その後、小松さんは作品を発表することなく家に閉じこもりがちになります。

しかし、小松さんをもう一度原点に立ち返らせる出来事が起こります。
6000人以上の犠牲者を出した阪神・淡路大震災。
「日本沈没」を執筆し徹底的に地震のメカニズムを調べたはずの自分はなぜ、震災を予想することができなかったのか。

当時、64歳だった小松さんは被災地に足を運び新聞紙上で震災現場のルポを連載し始めます。
揺れは、どう伝わったのか。被害は、なぜ大きくなったのか。
自治体をはじめ消防署や研究者まで精力的に取材。
そこには、震災の全貌を記録し未来に役立てたいという思いがありました。

(インタビュー・小松左京事務所・乙部順子代表取締役)
「(小松さんは)『歴史を未来へ』と言っていた。
『未来』と言ったときに、未来はいきなりよそからくるものではなくて、(未来は)過去の積み重ねであり、こんにちの積み重ね。きょうの日々の積み重ねで未来が作られる。
ちゃんと記録しておいてあげなければ、未来の人たちがこの時の経験から学べない」

親友である石川さんはそのころ、小松さんからかかってきた一本の電話が忘れられないといいます。
理論上、倒れないといわれた高速道路がなぜ倒れてしまったのか。
小松さんは、ある高名な研究者に共同検証を申し入れました。しかし、その申し出は思いがけないひと言で断られたといいます。

(研究者の言葉)
「地震が私たちが考えるよりはるかに大きかっただけです。私たちに責任はない」

(インタビュー・石川喬司さん)
「学者が『俺の責任じゃない』という(発言は)小松左京という人格にとって信じられない答えだった。
おそらく彼の心がピシャッとつぶれたきっかけになったと思うのですよね。
彼が信じて生きてきた人間の基本を壊されたと思うんだ」

この連載の心労がたたり、その後、小松さんは精神のバランスを崩しがちになります。
亡くなる2か月前、東日本大震災後を生きる私たちに向けて小松さんはこんなことばを残しました。
「私は唯一の被爆国の国民であり、SF作家になった人間として言いたい。
事実の検証と想像力をフル稼働させて、次の世代の文明に新たなメッセージを与えるような、創造力を発揮してもらいたい」

想像力が未来を拓く SF作家 小松左京

ゲスト瀬名秀明さん(SF作家・科学者)

●「SF作家 小松左京」のリアリティー

もともと、小松先生は雑誌の記者からキャリアを始めたりとかしておりましたんでかなり、いろいろな専門的な学術雑誌も当時から、たくさん読んでらっしゃったと思います。
だから、そういうデータをご自身の中でたくさん検証されて作品の中に使ったということはあると思いますが、ほかにも、例えばですね、多くの一流の研究者の人たちと当時から、会話をずっとなさっていたっていうことがきっとあると思います。

「日本沈没」を出される前に「地球を考える」という連載の対談を月1回、雑誌で小松先生やられてるんですけど、そのときに、それこそ地球物理学者の方であるとか、歴史学者の方、哲学者の方社会学の方々とかですね、いろんな専門家の本当に一流の方々を招いて自分の質問をぶつけながら一方で、その皆さん、彼らを専門家、研究者として本当に尊敬しながらお話を聞いてるんですね。

僕も、それを読んで書くことを持っている作家が研究者、科学者と話をすると強いなと思うんですけれども、そういう一流の研究者の人たちの洞察力というものを間近に感じながら書いていった。それが一つのリアリティーになってると思います。

それから、今、読み返すとすごく印象的なのは市井の人たちといいますか、すごく庶民的な感覚を大事にしていて、例えば、サラリーマンの人たちが震災に遭ったときに家族でどうするんだとかですね、そういう細かな人たち本当に、名前もなかなか付けられないような人たちの一人一人の生活を本当に細かく感情豊かに書いていて本当に一人一人の庶民的な感情とそれから専門的な総合的な知の力という両方をうまく書かれていたというのがリアリティーがあるところなんじゃないかなというふうに思ってます。

●科学者の前に人間であれ

僕も研究者の訓練を受けたのでなんとなく分かるんですが、学術の研究者、科学者として今、科学では、ここまで言える、それ以上のことは言えない、という部分があるわけですね。
だから、ここまでは責任を持って言えるけれどもここ以上は、責任を持って言えないんだということをたぶん、ご自身の中ではむしろ、科学者の誠実さとしておっしゃっていたんじゃないかなというふうに思います。

それが、自分たちの責任ではなかったとか、想定外だったということばになってしまった。
だけど小松先生が恐らく感じられたのは、あなたたち科学者かもしれないけどそれ以前に、人間だろう、ということだと思うんですね。
確かに科学は分からないところはある、限界があるのは当然だと。
でも今、こういう大変な時期になったときに科学者以前にあなたは人間だろうと。
人間として、どういうふうに考え行動していくんだと。
そのときに「責任はない」ということばってどういうことなんだ、ということをひょっとしたら考えられたのかもしれないなというふうに思います。

●未来を作っていくための行動 想像力と勇気

小松さんは小説家だったので多くの人に小説を楽しんでもらうことがすごく喜びだったと思います。
ですから、本当にそういう小説を読んで、一人一人の想像力、未来を考える力というのが底上げされるというか、力強くなっていくということが本当は、うれしかったんじゃないかなというふうに思ってます。

科学で語れないところって当然あるんですけれども、そのときにじゃあ諦めないで、人間としてどういうふうに行動していくんだということですね。
つまり考え続けていくといいますかそこに想像力と勇気ということがあるんだと思うんですけれども。
つまり、未来を作っていくための行動ですよね。
小松先生、やっぱり最後の阪神大震災のときにも総合的に考える力というのが必要なんだということをお話なさっていまして、それぞれの専門は当然、科学者の人たちがあると。
でも、隣の専門家たちとか別の専門家たちと一緒に手を結んで今、この大変なことをもっともっと総合的に考えることができるんじゃないかということを最後まで発信されていた。
それを、一歩踏み出していく勇気ということが大切なのかなというふうに、ちょっと思います。

相手の人たちの気持ちも考えながら自分たちと一緒に協同してやっていくという人間の知の力だと思いますね。
小松左京先生がずっと一貫して語ってきたのは人間って未来を考えることができる、これって、すごい能力なんだ人間ならではの力なんだということだと思うんですね。

本当に、未来のことや宇宙のことも、僕ら物語として例えば、感動できたり感じることができたり想像することができる。
そういう、人間ならではの未来を想像することの力強さ、そういうものをこれからも発信し続けたりとかあるいは、研究者の人たちとじゃあ、小松先生亡きあとですね、今度、新しい科学の力で僕たちとどういうふうに想像力を新しく作り直すことができるのかとか、そういうことを考えていくことができたらうれしいなというふうに今は思っているところです。

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