クローズアップ現代

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No.22012006年2月2日(木)放送
拉致実行犯に迫る

拉致実行犯に迫る

“拉致実行犯” シン元工作員を追う

日本に帰国する2年前、ピョンヤンにいた地村保志さん夫妻は、テレビで思わぬ映像を目にしました。
韓国で死刑判決を受けていたシン元工作員。
恩赦によって北朝鮮に帰国し、英雄として迎えられていたのです。

この男こそ、地村さん夫妻を拉致した実行犯でした。
拉致の記憶がよみがえった2人は、帰国後警察にこう話していました。

“船に乗せられた後、日本語で飯を食えと言われ、目隠しを取られました。
その時、目の前にいたのがシン・グァンスでした。”

“監視役だったシンに、何度も日本に帰してと頼みましたが、相手にされませんでした。”

シン元工作員は地村さん夫妻を拉致した後も、監視役を務めていたため、2人はその顔をはっきりと覚えていたのです。
シン・グァンス元工作員とはどのような男なのか。
スパイ容疑で逮捕され、15年間拘留されていた韓国で取材を始めました。
まずシン元工作員の取り調べに当たった捜査官を訪ねました。

コ・スギル元捜査官です。
今回、初めて取材に応じました。
コ元捜査官は、大韓航空機爆破事件の実行犯、キム・ヒョンヒ元死刑囚など、数多くの工作員を取り調べてきました。
シン元工作員を逮捕した時の様子を鮮明に覚えていました。

コ・スギル元捜査官
「手錠をかけた時、シンは日本語で“何なんだ、私は日本人だぞ”と言うので、“笑わせるな、俺たちは全部調べてきたんだ”と言って連行しました。」

取り調べに対し、シン元工作員は原敕晁さんの拉致について少しずつ話し始めたと言います。

コ・スギル元捜査官
「シンは原さんが拉致され、船で連れていかれるのを見て、一瞬気の毒に思ったが、これぐらいはなんてことはない。
日本人は戦争中、朝鮮人にもっと残酷なことをしたのだから。
そう考えるとすぐ気分が晴れたと話していました。
目的達成のためにはあわれみなど全く感じることなく、感情を冷徹にコントロールできる男でした。」

日本で生まれ育ったシン元工作員は、終戦直後、今の韓国に戻り、ここポハン市で青年期を過ごしました。
なぜ北朝鮮の工作員になっていったのか、その手がかりを求めて当時通っていた中学校を訪ねました。

男性
「シン・グァンスですか。」

シン元工作員の成績表が残っていました。
テストの点数は物理や数学など理数系は満点に近く、成績は37人中2番。
性格は誠実でおとなしいと記されていました。
シン元工作員は戦後の貧困の中で、次第に共産主義思想にひかれていったと言います。
1948年2月7日、ポハンでは学生を中心に300人規模の反政府デモが起きました。
デモを指揮していた5人の学生のうちの1人が、当時18歳のシン元工作員でした。

当時の同級生 チョン・ヒヨンさん(75)
「シン・グァンスがデモを指揮しているのを見て、ああ、こいつは共産主義者のリーダーだったんだと初めて知りました。
それまでは活動家だなんて思いもしませんでした。」


1950年、朝鮮戦争が始まると、シン元工作員は自ら北朝鮮に渡ります。
朝鮮労働党に入党しました。
シン元工作員は、北朝鮮で何をしていたのか、同じ職場にいた人の家族がソウルに住んでいました。

この女性は5年前北朝鮮から脱出し、韓国に亡命しました。
当時、シン元工作員は化学関係の機関に勤めていました。
女性の夫はその時の同僚で、家族ぐるみの付き合いでした。
しかし、突然シン元工作員に裏切られます。
夫が亡命を図っていると密告されたのです。
逮捕された夫の安否は今もわかっていません。

女性
「今になって思えば、シンは夫をおとしめ、踏み台にするために付き合っていたんだと思います。
裏では刀を持っていながら無邪気な羊を装って近づき、親しくしていたのは芝居だったのです。
党に忠誠を示し、自分が出世するため無実の人間までおとしめるなんて、絶対に許せません。」

41歳の時、党の情報機関から工作員に選ばれます。
2年後の1973年、日本に潜入。
その後、原敕晁さんを拉致し、本人になりすましていたのです。
拉致は誰が指示したのか、取り調べに当たったコ元捜査官は、その真相を聞いていました。

コ・スギル元捜査官
「シンはキム・ジョンイル総書記に呼ばれ、“日本で活動するなら完璧な日本人になりすませ、
おまえに近い年齢の男を拉致すればいいじゃないか”。
そう直接指示を受けたと話していました。」

シン元工作員は、原さんだけでなく、地村さん夫妻や横田めぐみさんの拉致にも関わっていたと見られています。
しかし、原さん以外のことは一切語りませんでした。
工作活動の解明に当たってきた韓国の国家安全企画部の元幹部です。
当時はまだ日本の捜査当局との連携が弱く、真相解明には至らなかったと言います。

元国家安全企画部 幹部
「シンが横田めぐみさんやその他の日本人の拉致に関わっていたという話に、ソウルの捜査関係者は皆驚いています。
もし日本からもっと調べてほしいという具体的な要請が来ていれば、シンをさらに追究できたのではと、今となっては悔やまれます。」

明らかになった 拉致 新事実

ゲスト横田早紀江さん

●めぐみさんの拉致から28年 実行犯の実像が見えてきたが?

地村さんがシン・グァンスのことを話されて、アサバさんからも私もお聞きしてましたので、ああ、これは大変な、あの人がそうだったんだっていう思いで、前からシン・グァンスのこと知っていましたのでね。
ああ、あの人がやったのかってびっくりしましたけどね。
いよいよそういうことがはっきりしてきて、これからもう大事な時に来たなと思ってます。

●原さんの拉致は告白も解明には至らなかったが?

初めてです、これは。
だけど、シン・グァンスはいろいろ証拠がありまして、向こうの韓国に捕まえられた時にかなりのいろいろな証拠があってそろってたわけですから、かなり悪い者だっていうことはわかっていましたからね。
そういう原さんのことだけでももっと早くに日本が動いてくださってね、警察が何とかシン・グァンスをもっと取り調べてね、きちんとやっていてくだされば良かったなという思いはみんな持ってます。
(解明のチャンスを逃がした?)
そうですね。
どうしてできなかったのかなっていうのは、私たちはそこがわからないんですけども、何とかできたんじゃないかなっていう思いはあります。

●シン元工作員と向き合えるならどんなことを聞きたいか?

ああ、そうですね。
もうそういうことは、ちょっと想像ができませんね。
本当にわれわれが考えている以上に悪いことを平然とやってる人ですし、北朝鮮の司令部からもちろん出たことでしょうけれども、そういう中で育ちきってるような人ですからね。
だから、そういうこちらの思いを、いくらこちらの思いで言っても通じないと思いますので、そういうことを言葉に出して言うよりも、本当にきちんともっと裁きに合うような形に国が動いてほしいと思ってます。

蓮池さん拉致 実行犯に迫る

昭和60年、東京・足立区の貿易会社がスパイ事件で摘発されました。
押収されたラジオや乱数表。
暗号を使って北朝鮮とやり取りしながら、日本の機密情報を収集していました。

この会社を経営していたのがパク元工作員です。
すでにこの時、行方をくらましていました。

近所の人
「ちょっと朝鮮語のような感じのものが時折入っていましたね、ラジオにね。
ウヤウヤーンといった感じで10秒ぐらいですかね、言葉のような数字のような感じの、何とも言い難いものが入っていましたよ。」

去年(2005年)12月、蓮池さん夫妻は警察からこの事件の資料を見せられました。
その中にあった忘れることのできない顔。
自分たちを拉致した実行犯と同じ男だと、この時、初めて知ったのです。

パク元工作員は、どのように工作活動を行っていたのか、その足跡を追いました。
昭和45年に密入国した直後、東京・足立区のゴム工場で働いていたことがわかりました。
流ちょうな日本語を話し、工場では「松田忠雄」と名乗っていました。

ゴム工場の元上司
「まじめそうにおとなしく、よく働いてくれるなと思ってね。」

「彼の私生活とかは?」

ゴム工場の元上司
「わからないの、うん。
明かさなかったですね。」

日本で自由に活動するために、パク元工作員が必要としたのが日本人の身分でした。
昭和47年、まず小熊和也さんという男性をだまし戸籍を入手。
「小熊和也」として活動を始めます。
4年後、小熊さんが病気で亡くなると、今度は北海道出身の小住健蔵さんの戸籍を手に入れました。
東京の自分の住所に戸籍を移し、本人に成り代わったのです。
小住さんの家族は戸籍が東京に移されたことを知り、連絡を取ろうとしました。
しかし、いつも知らない男が電話に出たと言います。

小住健蔵さんの妹 本郷紀代子さん
「その男の人は、同じ部屋を借りている者だって言ってましたよね。
それで“元気でやってますか?”って言ったら、“うん、元気で働いているよ”って言ってくれたんで、電話をつけるくらいだから、まあまあ何とか仕事をしているんだなぐらいにしか思ってなかったんですよね。」

日本人になりすましたパク元工作員。
手に入れたのはパスポートでした。
貿易会社を設立し、頻繁に海外に出かけるようになりました。
ヨーロッパや東南アジア・韓国などに行っていたことが警察の調べでわかっています。
こうした国を経由して、自由に北朝鮮に渡り、活動の指示を受けていたと見られています。
パク元工作員の貿易会社で、一時働いていた男性です。
パク元工作員は社員にも告げずに海外に行っていたと言います。

パク元工作員の会社にいた男性
「あれっ、社長はと聞いたら、実は香港へ行っていると。
ただ、どこの会社とこういう話をしてきたとか、報告はなかったですね。」


蓮池さん夫妻を拉致する数年前から、パク元工作員は日本国内での準備を始めていました。
会社の近くにある公営住宅。
父親を亡くした家庭に入り込み、ここで家族同然の暮らしをしていました。
その家族を連れて旅行を繰り返すようになったのです。

近所の人
「感じのいい人だったよ。」

「お子さんがよく旅行に行った話とか。」

近所の人
「そんなこと言ってましたけど。
“どこか行ってきたよ”とか言ってましたから。」

出かけた先は日本海沿岸でした。
テントを張って1週間滞在したこともありました。
海岸線を写真やビデオで撮影していたと言います。
家族旅行を装い、上陸や脱出をする場所を探していたと警察は見ています。
そして、拉致は決行されました。
昭和53年7月、蓮池さん夫妻は海岸で突然襲われ、船に乗せられました。
2人は北朝鮮に向かう船の上で、パク元工作員の顔を見ていました。
蓮池さん夫妻のけがの手当をしながら、こう話したと言います。

“こんなことをして申し訳なかったが、しかたがないことだ。
おとなしくしていれば、危害は加えない。”

蓮池さん夫妻を拉致したパク元工作員。
その後、数か月にわたって監視役を務めていました。

明らかになった 拉致 新事実

ゲスト渡邊和明記者(社会部)

●パク元工作員とシン元工作員 拉致詳細のカギを握る人物か?

渡邊記者:そうですね。
地村夫妻と蓮池さん夫妻は、いずれも4人組の男に襲われたんですけども、それぞれ現場を指揮していたのが、この2人の元工作員と見られているんです。
2人は拉致の実行だけではなくて、北朝鮮に連れていく役、そして4人の被害者の監視役を務めていたことも今回、新たにわかりました。
日本で生まれ育って、その後、北朝鮮に渡り工作員としての訓練を積んだ、いわば選ばれた幹部工作員が日本人の拉致を繰り返していた疑いがあるということが今回、明らかになったわけなんです。

●これまでの北朝鮮の説明と食い違いが出ているが?

渡邊記者:そうですね。
大きく言いますと2つの矛盾が浮かび上がっています。
まず1つ目ですが、日本人の拉致が組織的に行われていた疑いが強まったということなんです。
2人の元工作員は、いずれも朝鮮労働党の工作機関の1つで、対外情報調査部という組織のメンバーだったと見られています。
一部の者の勝手な行動ではなくて、この組織が中心となって組織的に拉致を繰り返していた疑いが持たれているんです。
もう1つの矛盾点ですが、北朝鮮が事件に関わった責任者を処罰したとしている点です。
ところが、シン元工作員は北朝鮮では英雄として扱われています。
北朝鮮側の説明は矛盾していて、信憑性が大きく揺らいでいると言えます。

●政府協議の前に実行犯の実像見えてきた どんな思いで見守る?

横田さん:本当になかなかね、真実が見えてこない北朝鮮の実態というのは、本当にもう闇の中で何もわからないんですけども、ようやくこんな形でですね、もともとわかっていたシン・グァンスっていう元工作員のことが、このように自分の子どもも連れていったというようなことまでが明らかにされて、本当にいよいよそういうふうになってきたんだなっていう思いでいっぱいです。

●これまでの日朝交渉 悔しい思いの連続だったのでは?

横田さん:そうですね。
もう本当に骨の鑑定のあの日まではですね、本当にやりきれない思いでしたけれども、ああいうふうなことまでがなされ続けていてね、そして、いい加減なことばかりしているわけですよね、本当に嘘ばかりついてるわけですから。
誰が見てもわかっているのに、なかなかそれを乗り越えられないっていうのがなぜなんだろうって、みんなそれをイライラして、いつもいつも本当に焦っていらだたしい思いで見てまいりました。

●こうした情報がカードに 前進に結び付くという期待も?

横田さん:それはもうどんなことでも、ちょっとでも前進してもらいたいっていう思いは、いつもいつも思い続けて、家族会はみんな、かたずをのんで見守ってきましたので、今回ははっきりとした証言もありますので、もう本当にたじろがないで日本政府がしっかりと日朝交渉の中できちっと言い続けていただければと思っています。

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