ふるカフェ系 ハルさんの休日

古民家や古建築のカフェを紹介するブログです。

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2017年07月05日 (水)

長野・奈良井のふるカフェ

ここは、中山道の宿場町として栄えた長野県塩尻市奈良井

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古民家好きの僕としては、ここは、まさにパラダイス。

「奈良井千軒」と謳われるだけあって、行けども、行けども

古民家!古民家!古民家!

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(間口が狭く、奥に長い。町家に多い「うなぎの寝床」。)

 

こんな夢のようなまち並みが1キロに渡って続いているのだ。

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今回、訪れたのは、築180年!凹(ぼこ)っとしているカフェ。

うん、確かに屋根の位置が周りの建物と比べて凹(へこ)んでいる。

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しかもこの古民家は、1階の天井の梁が外まで突き出ていて、

2階が少しせり出している「出梁(だしばり)造り」だ。

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店内は、歴史が感じられる古民具がいっぱいで、いい雰囲気。

はじめて来たのに、落ち着くなあ・・・。

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マスターの今井さんによると、これらの古民具は家の蔵にあったものだとか。

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(マスターの今井昭憲さん)

 

その中でも、最も古いのが、これらの塗り櫛(くし)。

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 今井さんの家は、江戸時代から続く塗り櫛問屋だったのだ。

 

この建物が建てられたのは江戸時代。

当時は、木曽の山々で濫伐(らんばつ)が進み、

尾張藩は伐採を制限。

そのため長い木材が手に入りにくくなり、仕方なく低い家が建てられた。

これが、この家が低く、周りと比べて凹(ぼこ)っとしている理由だ。

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さて、今回いただいたのは、ぜんざい。

しかも、お椀も小皿も江戸時代のもの。

おいしさだけでなく、器でももてなしてくれた。

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こちらは、この古民家をカフェに改修した翁像(おきなぞう)さん。

cafe_narai013.jpg(大工の翁像明さん)

 

じつは、東京から実家に戻って来た今井さんは老朽化した家を新築しようとした。

でも、この地区は重要伝統的建造物群保存地区に選定されていたので、

通りに面した部分を残して後ろだけを新築。そして、残した部分をカフェに。

そのときに力になってくれたのが大工の翁像さんってわけだ。

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元々この箱階段は、蔵にあったもの。

それをカフェのメインにしようと今のように設計したそうだ。

 

この元気いっぱいの女性は、ご近所の主婦・瀧澤さん。

奈良井のこれからの名物にしたいと試作した

「トウブキの砂糖菓子」を持って来てくれた。

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(店主の今井洋子さん(左)・地元の主婦の瀧澤孝子さん)

 

「トウブキ」とは、このあたりにある大きなフキで、

それを煮て砂糖でコーティングしたそうだ。

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独特の苦味と砂糖の食感がマッチして、うん!おいしい。

 

生まれ育った古民家、蔵にあった古民具、畑に生えているトウブキ。

みなさんが当たり前のように近くにあるものを大切にしながら暮らしている。

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 本当に大切なものって、案外近くにあるんだな。

そして、「家は育っている。その育っている家が家族を育ててくれている」

という翁像さんの言葉も胸にしみたなあ。

 

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最後は、みなさんが見送ってくれた。ありがとうございます!

今度来るときは、「トウブキの砂糖菓子」が奈良井の名物になっているかも?

 

 

 

 

こぼれ話

町歩きをしたあとも記憶に残っている風景ってあるよね。あれはたぶん、道路に立ち並ぶ町家の正面、建築でいうところのファサード(顔)が鍵を握っているように思う。だから町家は、まさに町の“顔と”いってもいいかな。奈良井は、飛騨高山などに続いて1970年代前半に本格的な調査が行われた。この70年代という時期は、時代の空気のようなものから考えると、必然だったともいえるかもしれない。その少し前、60年代の日本は、高度経済成長期による国土開発で、風景が激変した。東京オリンピックにあわせて、東名高速道路や東海道新幹線も急ピッチで開通していった。さらに、当時の国鉄は、1970年の大阪万博が終わったあと、旅行客が減ると考えた。そこを狙って、万博が終わったあとに「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを展開した。それまで遠方への旅行といえば団体旅行がメインだったけど、個人旅行に重心が移されていったということかな。それは・・・たえず工事の槌音が響き空気も汚れた都会から逃れたい、という気持ちのあらわれでもあったんだ。

そのような時代の空気のなかで、全国の伝統的な町並みが「再発見」された。そのさきがけは福島県会津地方の大内宿。60年代から専門家のあいだで調査がはじまり、69年に新聞に掲載されるや注目を集めた。中心となったのは、武蔵野美術大学の相沢韶男さんとその学生たちによるもので、これも学生運動で荒廃した大学からの脱出だったのかもしれないね。

奈良国立文化財研究所『木曽奈良井 町並調査報告』1976