ふるカフェ系 ハルさんの休日

古民家や古建築のカフェを紹介するブログです。

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2017年08月02日 (水)

福岡・八女のふるカフェ

 

今回は、福岡県八女市にやって来ました。

白壁の古民家が軒を連ねる町並みは、うっとりするくらい美しい。

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八女は、静岡や京都と並ぶお茶の名産地。

きっと、おいしいお茶が僕を持っているはずだ!

ここが、「芸があるカフェ」!

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屋根の形は、昭和初期に役場などによく使われていた半切り妻屋根、

でも外壁は学校の校舎によくある下見板張りだ。

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鬼瓦には「福券」と書いてある。

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一体ここは、元々何だったんだろう?

「芸があるカフェ」の「芸」って何のことだ?

 店内は、ゆとりのある開放的な空間。

庭も見えて、超気持ちいぃぃぃ!

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床の間もあるし、古典的な日本家屋だと思うけど・・・

「芸」はどこに?

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 その答えは、2階にあった!それが下の写真だ。

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このステージは、昔、芸妓さんたちが稽古(けいこ)していた場所。

ここは芸妓さんたちの取り次ぎをする「券番」と言われた事務所で、

「芸」は芸妓さんたちの「芸」だったのだ。

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(オーナーの矢部 秀成さん)

 

ちなみに、屋根の鬼瓦に書いてあった「福券」は、

福島町(当時)にある「券番」という意味とのこと。

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(この界隈(かいわい)の歴史に詳しい松鵜 右さん)

 

男がパフェを注文するのは恥ずかしいことなのか?

いやいや、男だって甘いものが好きだ!抹茶パフェが大好きだ!

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八女茶を使った抹茶パフェには、紅茶のゼリーも。これも、清涼感があって絶品!

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昔、八女でも紅茶が作られていたが海外の安い紅茶が押し寄せてきて衰退。

それを復活させたのが、老舗製茶問屋の当主である許斐さんだ。

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(舗製茶問屋の6代目、許斐健一さん)

 

「昔の人の紅茶の忘れ形見というのがあって、

それを後世に残したいと思ったんです」と許斐さん。

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(許斐さんの家は150年前に建てられた、九州で最も古いお茶や問屋)

 

八女のお茶には、人々の熱い思いが受け継がれている。

そして、八女のお茶は、猫が運んでいる???

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これ、からくり人形アーティストの森音さんの作品。

古い文化が当たり前のように息づいている八女の魅力にひかれて

6年前に京都から移住して来たそうだ。

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オーナーの矢部さんご夫婦も柳川市から移住組。

8年前にこのカフェをオープンさせた。

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(オーナーの矢部さんと妻の千恵さん)

 

移住して来て、誰も知り合いがいなかった矢部さんご夫婦に

力を貸してくれたのが、八女の町並み保存活動に取り組んでいる

北島さんと中島さんだ。

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(北島力さん(左)・中島孝行さん(右))

 

「古民家はこの町の文化であり、歴史。だからしっかり残したい。

ホンモノは1度壊すともう2度と作ることができないから」と中島さん。

 

「芸」に対する心意気。「お茶」に対する熱い思い。「日本文化」への尊敬の念。

そして、先人たちが残してきたホンモノと、このカフェで出会えた。

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「八女にまた、おいで!」と言われている気がした。

 

 

 

こぼれ話

江戸の新吉原、京都の島原、大阪の新町等々。
遊郭とは何か、ここではあえて説明しないけれど、そこが憧れとともに想像される華やかな空間であることもまちがいない。
とはいえ日常の生活のなかに置くにはまあちょっと…となるというもの。そのため近世から都市の日常の少し外に置かれていた。
わかりやすいのは金沢で、この都市は南の犀川、北の浅野川を自然の境界としているが、現在のひがし茶屋街とにし茶屋街のふたつの遊郭が、「川向う」に置かれている。遊郭そのものが異界だったが、建物に入ってからも空間演出がこらされた。高度な建築技術や華やかな意匠が凝らされた建物がならび、大阪市・飛田遊郭の百番や、同じく大正期の名古屋市・中村遊郭の旧稲本楼のように、国指定の登録文化財となっているものも存在する。旅館や遊郭の建物は「楼」と呼ばれる。遠くを望む高い建物を望楼というが、遊郭も主たる空間は2階、場合によっては3階も設けられた。

そうした「楼」と違って、格式ある書院造の屋敷は、平屋を基本としているから、2階にあがるということはなかった。2階にあがるというのは、数寄屋造の茶屋など遊びの空間にみられる趣向であった。地面から離れて、高いところに上がるというのも、非日常の演出である。とくに玄関を入って登る大階段は、非日常への入り口だった。僕が子どもの頃、友達の家が2階建てだと、初めて2階にあがる時が最もワクワクしていた。2階は外から見ただけでは中がよくわからず、子どもの僕にあらゆる構造の可能性を想起させ、いったいどんな空間なのかと楽しみにしながら階段をあがっていたことを覚えている。もちろん友達と遊ぶことも楽しみだった…と思うけどね。

ところで、先の飛田遊郭の百番には屋内に太鼓橋がかかっていて、文字通り異界への架け橋となっているとのこと。僕は実際に見たことないけど。部屋の装飾も、非日常感の演出が意識されている。欄間飾り、円形の連子窓、花頭窓、床の間上部の落掛、数寄屋風意匠の自由さ、闊達さが存分に発揮されていて、たいへんキッチュで華やかだ。江戸時代は、公認の遊郭と非公認(あるいは黙認)の遊郭とが存在し、かつては外国人居留地にも、外国政府の要請によって遊郭が新設された。公認の遊女、非公認の陰売女、黙認の飯盛女・酌女など、近世にはいろいろな形態があった。遊郭というと、遊女と芸者はしばしば混同されるが、その役割はちがうもので、芸者は座敷の宴席の盛り上げ役で、主役は遊女であり遊郭における扱いも高い。

遊郭は、今の感覚でいうと良いイメージがあまりないのは否めない。でも遊女屋・旅籠屋と茶屋、料理屋、見番・芸者屋、そして出入りの商人・職人などがネットワークを形成して、社会的・空間的に高度に組織化された町を形成していたといわれる。当時の遊郭の建物を、存分にこの目で見てみたいと願うのは、ダメかな?ま、人に言うのはやめておこう。


永井義男『図説 吉原入門』2008
下川耿史・林宏樹『遊郭をみる』筑摩書房、2010