ふるカフェ系 ハルさんの休日

古民家や古建築のカフェを紹介するブログです。

本放送:毎週水曜 午後11時00分~ NHK Eテレ

再放送:毎週日曜 午後6時30分~ NHK Eテレ

にて放送中。ドラマも合わせてお楽しみください!

2017年4月

2017年04月26日 (水)

東京・中野のふるカフェ

やって来たのは、東京・中野
ちょっと高い建物に上ると、もうすぐそこに新宿副都心が見渡せる。
だって、新宿から電車でたった4分ですから。

 

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しかし、こんなにぎやかな場所に、
築およそ70年!二軒長屋を改築したカフェなんて・・・

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ありました!

二軒分の長いスペースをうまく利用して、

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いい感じのテラスになっている。
出迎えてくれたのは、店主の嘉山隆司さん。

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店内は、二軒を仕切る壁が取っ払われて1つの空間に。

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長屋にもともとあった障子は、なんと天井に!

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老朽化を逆手にとったアイデアがいっぱいだ。

そして、ラッキーなことに、長屋を改築した中西さんを
店主の嘉山さんが紹介してくれた。

cafe_nakano_007.jpg(中西道也さん)

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空き家だった二軒の長屋を2010年に中西さんがカフェに改築したのだ。

「古い建物の古さを残すのは、自然を残すのと似ているところがある」

と中西さん。名言だな。

 

オススメのカレーは店主の嘉山さんが半日かけて作ったもの。
スパイシーだけど玉ねぎのほのかな甘みもあって絶妙なおいしさだ!

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テラスで何かを眺めている人がいたので、話しかけてみると、

「見ているのではなく、感じている」と意味不明な答えが・・・。

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 (高山英男さん)

よくよく話を聞いてみると、カフェの前の通りは暗渠(あんきょ)で、
通りの下には桃園川という用水路が流れているとのこと。その流れを感じていたのだ!
ちなみに暗渠とは、上からフタをして覆い隠された川や水路のこと。

 

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だから、通りがクネクネしていたのだ!
そして僕が入ってきた入り口は、かつて川沿いの縁側だったところだった。

もう1つ、忘れられない出会いがあった。
それは、児童文学者の森ひさしさん、御年99歳!
戦後から中野に住む、このカフェの常連客だ。

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森さんからは、戦後の中野がどんなところだったのか?
貴重な話をたくさん聞かせてもらえました。

店主の嘉山さんと妻・明美さんには、もう1つの顔が・・・。
区役所でケースワーカーとして実績を積んだ嘉山さんは
今でもお客さんの様々な相談に乗っているそうだ。
そして、明美さんは・・・

cafe_nakano_013.jpg(沖縄芸術大学研究員の肩書きを持つ明美さん(中央))

琉球音楽の専門家なのだ。
この日は、お仲間と沖縄の歌と踊りを披露してくれました!


ユニークで人情あふれる人たちが集い、絆を深める場所。
ひょっとすると、昔の長屋もこんな感じだったのかも。

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 東京から電車で30分。ここは、神奈川県大和市の中心地、中央林間

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で、今回向かったのは、築50年のアメリカ人向けに作られた一軒家カフェ!

お目当てのカフェに向かう途中には、

「ランチハウス様式」と簡素なたたずまいに素朴な色合いの

米軍ハウスが目に飛び込んできた。

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で、目的のカフェ・・・あれ?外観は、思いっきりジャパンではないか!


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でも店内は、奥まで真っ白のホワイトハウス。


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きっとここは、かつてのリビング。うん、間取りもアメリカっぽい。

しかも、店に置かれた、古い小物や家具がいい味を出している。

 

cafe_rinnkann_006.jpgcafe_rinnkann_007.jpgcafe_rinnkann_008.jpg

 

まさに、古き良きアメリカって感じだ!

キッチンには、アメリカ料理には欠かせない、立派なガスオーブンが鎮座。


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オーダーしたのは、アメリカ伝統の家庭料理、ミートローフ。

かわいらしい盛り付けは、もはやメルヘン!


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オーブンで焼いた肉のうまみが、口の中でジュワーと広がって、もう最高!

ところで、この建物。
トイレとお風呂が一緒だったり、アメリカの住宅らしさが
随所にあるけど、米軍ハウスとしては狭い気がする。それは、なぜか?

cafe_rinnkann_011.jpg(床のタイルがレトロでしょ)

 

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(奥の小部屋は、もともとクローゼットだったのだ)

もともとは米軍の人たちのために建てられたけど、
その後には日本人も使うと考えた大家さんが
アメリカ的であり、日本的でもある建物にしたのではないか?

と、僕に教えてくださったのは、神奈川大学教授の内田青蔵さん。


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先生、ご教授ありがとうございました!

 

1967年に建てられたこの米軍ハウスは

2010年に空き家になり、取り壊しの危機を迎えたそうだ。そのとき、


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(右:眞鍋三保さん 左:畠山有香さん)

眞鍋さんは友人の三ツ本さん、畠山さん、

そして長岡さんらの助けを借りて、カフェとして再生することを決意。

cafe_rinnkann_015.jpg(三ツ本ひとみさん)

 

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(長岡進さん)

 

資金も少なかったので、地域のペンキ屋さんや大工さんに
手伝ってもらいながら、ほとんど自分たちの手で半年間かけて改修したそうだ。

日米の文化がこの地で出会い、和洋折衷の米軍ハウスが生まれた。
それを見ながら育ってきた地元の人たちの歴史や憧れが
いっぱい詰まった、ふるカフェでした。


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シーユーレイター!アイルビーバック!

 

 

 

2017年04月12日 (水)

東京・錦糸町のふるカフェ

スカイツリーを望む、ここは、東京・錦糸町。

cafe_kinnshicho_001.jpg今回は、ビルの谷間にある「見つけにくい」カフェを探しちゃいます。

 

僕が学生のころに知っていた錦糸町とは様変わりして
大きなショッピングモールもできて、まさに大都会って感じ。

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でも、1本裏路地に入ると、昔ながらの町工場も残っているんだよな。


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軽く迷ったけど、見つけました!見事にビルに挟まれている(笑)。

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引き戸にはガラスの装飾。この意味は、のちほどってことで。


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店内は、狭いけど木のぬくもりが感じられる空間。


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そして、いたるところにガラス細工が・・・。


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   店主の廣田英朗さんに聞いたところによると、
昭和31年に建てられたこの建物は、もともと靴やわらじの町工場だったそうだ。


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ここで、廣田さん情報を2つ。
廣田さんの実家は、120年続くガラス製造店。だから、店先のガラスの装飾をはじめ、
店内にたくさんのガラス工芸が置かれているのだ。
そして、もう1つ。廣田さんは、カリスマブロガーのハル、
つまり僕の大ファンらしい(でも、僕がハルだってなかなか気づいてくれない・・・)。

 

cafe_kinnshicho_010.jpg(およそ200年前から続いている伝統のガラス工芸、江戸切子(えどきりこ)。)

 

熱いコーヒーが飲めるように開発した江戸切子のカップで飲むコーヒーは最高でした!

そして、そして、伝統の和菓子を特別にいただいた。
人生ではじめて食べる「野菜の砂糖漬け」だ。


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甘いだけでなく、野菜のうま味や食感がしっかりあって、絶品でした!

ものづくりが盛んな墨田区だけあって、お客さんには職人さんも多い。
隣のテーブルには、ブラシづくりの職人さん母娘が。


cafe_kinnshicho_012.jpg(宇野千榮子さん(左) 宇野三千代さん(右))

 江戸切子に手作りブラシ!下町の職人技に感動!

 

和柄のステキなTシャツを着ているお客さんを発見。


cafe_kinnshicho_013.jpgcafe_kinnshicho_014.jpg(繊維工場の会長 久米信行さん)

 なんとこの方、日本でいち早くTシャツを作った繊維工場の会長さん。

当時は、Tシャツのことを「色丸首(いろまるくび)」と呼んでいたそうだ。

 

特別にカフェの屋上に上がらせてもらったら、そこには戦後の日本があった。


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この屋根瓦は、戦後の物資不足のときに生産された厚型スレートだ!

たくさんの体験をさせてもらって、そろそろ退散しようかと思っていたとき、
また職人さんとその娘さんが入って来た。


cafe_kinnshicho_016.jpg(娘の七虹(ななこ)ちゃんと、はさみ製造職人の石田明雄さん)


石田さんははさみ職人。子どもにも安全な刃のないはさみを見せてくれた。


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そして、娘の七虹ちゃんは僕がハルだって見抜いてくれた。
七虹ちゃん、ありがとおおおお!

 

新しさは、いつも古さの中に眠っている。


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僕のなかで、常に新しいことにチャレンジする職人さんの姿と、
ビルのはざまに残っているカフェの姿が重なった。

2017年04月05日 (水)

京都・西陣のふるカフェ

 

念願叶って、やって来ました。千年の都、京都!

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 いざ向かうは、築90年!国の登録有形文化財カフェ。

どんなカフェか分からないけど、有形文化財よ、かかってきなさい!

で、向かったのは市街地の喧騒から離れた西陣地区。

cafe_nishijinn_003.jpgここで聞こえるのは機織りの音。そう、西陣といえば西陣織だ! 

ジャン!ジャジャーン!
築90年、昭和初期に建てられた、これが国の登録有形文化財カフェだ!

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エッ、ヘン、ここでちょっとご説明を。
張り出した玄関の屋根、これ、唐破風(からはふ)と言って、日本独自の屋根飾り。

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優美な曲線といい、手の込んだ装飾といい、
ここは、一流の宮大工が作ったかつての高級旅館に違いない!

登録有形文化財とは、いかがなるものか、いざ参る!

店内は、表の雰囲気とはガラリと変わり、華やかなタイル壁が・・・。
確かこれは・・・マ・・・マ・・・そう、マジョリカタイル。

cafe_nishijinn_006.jpgcafe_nishijinn_007.jpgそして見上げると、すごい吹き抜けが・・・

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でも、旅館の明りとりにしては大き過ぎる・・・ということは旅館じゃないのか?

このカフェの人気メニューは、フルーツ牛乳らしい。しかも、腰に手を当てて・・・。

cafe_nishijinn_009.jpgそうか!謎が解けた!

番号が書かれた板はロッカー、

吹き抜けは湯気を逃がすため、

そしてフルーツ牛乳とくれば、

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ここは、かつての銭湯だ!

平安時代にはすでに湯屋と呼ばれる銭湯があった京都。
戦後の最盛期には350軒もあったそうだ。
このカフェは平成11に廃業した銭湯を改装したのだ。
と教えてくれたのは、店長の尾崎友哉さん。

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しかし、銭湯になくてはならない湯船が見当たらない。
と思ったら、床下に!

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この小さくて丸い湯船は、「おまる」と呼ばれていたそうだ。
かつては、この「おまる」をはじめ3つの湯船があったとか。

 

そして偶然にも隣の席に西陣織の職人さんたちが何やら打ち合わせを・・・。

話しかけてみると、この店のランチョンマットも作っているとのこと。

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(岡本祝郎さん(左)・中島一治さん(右))

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(湯浅孝重さん)

岡本さんが染料を配合して染める。

それを湯浅さんが糸の本数や長さをそろえて、中島さんの工場で織っているそうだ。

職人さんたちにとって大切なのはコミュニケーション。

かつては、銭湯でお互いの悩みを聞いたり、

仕事の相談をしたり・・・見事な西陣織は裸の付き合いから生まれていたのだ。

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西陣織の街を支えていた銭湯。その姿がカフェに変わっても、

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そこでは、この街の魅力を紡ぐ人たちの絆がしっかりと結ばれていた。

 

 

 

2017年04月01日 (土)

長野・軽井沢のふるカフェ

東京から、新幹線で1時間。憧れの避暑地・軽井沢

お目当ては築90年、別荘カフェで味わえる、贅沢モーニング!
セレブな別荘地を抜け細い森陰の小道を行くと、かなり質素な山小屋ふうの建物が見えてくる。アルファベットの表札が、以前は外国の人が住んでいたことをしのばせる。

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そもそも軽井沢は、江戸時代、旧中山道の宿場町。避暑地に生まれ変わったのは、明治21年、カナダ人のアレキサンダー・クロフト・ショーが別荘を建ててからのこと。
宣教師だったショーは、お金のかからない質素な作りを心がけ、空き家になっていた旅籠を移築して再利用するという工夫をした。その後ショーが仲間を呼び寄せたこともあり、明治の終わりには滞在者の7割近くが外国人に!彼らが住む別荘が次々と建てられていった。この建物も旅籠を再利用。煙突は下水用の素焼きの土管で、質素な精神がうかがえる。お目当てのスペシャルモーニングはでソーセージにびっくり。実はソーセージ作りも外国人たちがこの地に持ち込んだもの。日本らしいサクラの木のチップを使って燻製にしたものだ。日本の風土と外国人が出会って生まれたのが軽井沢文化なのだ。

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2階には書斎があって、万年筆に原稿用紙が残る。実はここ、作家・森瑤子さんがイギリス人の夫、それに3人の子供達と夏を過ごした別荘だった。子ども達にはイギリスでポピュラーな野菜ルバーブのパイをよく作ってあげていたという。森さんが52歳の若さで亡くなったあと、娘のヘザーさんたちがここを訪れることもなくなり、一時は空き家になっていたが、軽井沢を愛する有志が保存活動を進め、国の登録有形文化財に指定。2012年、カフェとして生まれ変わった。ご遺族も再びこの思い出の場所に足を運ぶようになった。

2017年04月01日 (土)

茨城・結城のふるカフェ

東京から列車を乗り継ぎ1時間、茨城県結城市へ。築90年!贅を尽くした巨大ふるカフェへ。

カフェの窓の外側にあるのは「濡れ縁」。法隆寺など古い建物でも見られる歴史ある様式。さらに「回り縁」になっていて、景色を見渡せるエリアがふんだんに。濡れ縁を支えている「持送り」も凝ったデザイン。ガラス表面の波打ちは、かつて一枚一枚手造りで作られた超レアな「大正ガラス」。

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何かとゴージャスなこの建物の正体は、地元の造り酒屋の邸宅。ここ結城は結城紬で知られる着物の町として隆盛を極め、全国から様々な商人が集まる一大商業都市だった。
近江から移住してきた小西家が財を築き、昭和元年、別邸として建てたのがこの建物だったのだ。

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それがカフェとしてよみがえったきっかけは、商工会議所と市内の若者が協力して地域活性化の取り組みを行う「結いプロジェクト」。古民家を再活用し、店舗の開業を応援する事業がその一つだった。改修の際には、プロジェクトメンバーの建築家も手伝い、2013年の開業以来、全国から人々が訪れる新名所に。古い蔵や神社を利用してイベントも頻繁に開催。

出店やコンサートなどを行い、去年は2万人が集まった。
堪能したのは地元野菜のサラダ。関東平野に位置する茨城県は、野菜の生産額が、北海道に次いで全国第2位!結城も市内の半分が耕地になっている。全国一の生産量を誇る白菜をはじめ、野菜を首都圏に出荷している結城は、「東京近郊の台所」と言われている。

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横浜駅から電車で20分の郊外の街、緑区中山。ここに築60年、庭付き一戸建てのカフェがある。

屋根は青の光沢が美しく、昭和30年代の民家でよく使われていた青緑瓦。内部には天井板を剥がして空間の広がりを見せている。棚の板を剥がして窓から光が入る工夫も。

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ここ中山は、かつては徳川家の旗本に年貢を納める大農村地帯。昭和に入っても横浜におろす農産物の供給地だった。今でも緑区は面積の10%が経営農作地で、春はキャベツ・冬は大根の生産が盛んだ。自家菜園をする人も多く、このカフェの野菜も全てシェフが育てた有機野菜。というわけで地元で撮れた野菜を生かした水キムチを堪能!

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なぜ戸建ての一軒家が空き家になっていたのか? そもそも中山周辺に一軒家が多く建てられたのは、高度経済成長期に起こったマイホームブームのため。都心や横浜へのアクセスがよく自然も多いため人気の街だったが、1990年代からマンション志向が高まり、一戸建てに空き家目立ち始めた。
だがここ最近、中古物件が見直されるようになって移住者が再び増えるようになり、店主たちは空き家だったここを中山や古民家の魅力の発信基地にしようとカフェとしてオープンしたのだった。

2017年04月01日 (土)

静岡・沼津のふるカフェ

東京から1時間強、やってきたのは静岡県沼津市。築100年、見どころ満載の港町カフェがあるという。路地に残る古い蔵がそのカフェ。

漆喰で覆われた壁の上の方は、ノミのあとが残る石がむき出しに。耐火性にすぐれ、かつて江戸城の石垣にも使われていた地元産の伊豆石だ。天井は板が外され、梁がむき出しに。丸太の反りを利用して、より重さに耐えられるようにしている、日本伝統の和小屋組だ。

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その正体は、大正時代に作られた船道具屋の蔵。沼津は、静岡有数の港町として明治、大正、昭和と繁栄を極めていた。狩野川沿いの港には、魚や資材を積んだ船が集結し、川岸には蔵がずらりと立ち並んでいた。戦後は、関東に近い交通の便のよさから、企業の進出が活発化。この蔵も一時はダンスホールに改装!連日多くの若者が列をなした。

しかし、高度経済成長期が終わる頃になると、近隣の三島や富士市に新幹線の駅ができて人の流れが変わる。街から商業施設が次々撤退、かつての賑わいを失っていく。この蔵も20年近く借り手が見つからず、空家になっていた。しかし「富士山のふもとに住みたい」と東京から移住してきた店主を地元の人々が物心両面で応援、カフェとして再生したのだ。堪能するグルメは、アジの干物の生産量が日本一の沼津らしく、沼津産豆アジのフライ!

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