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仲田茂司さん

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秋を彩るモミジの神様

10月。まだ緑の残る石川町の森の中で、一人木々の手入れをする男性がいる。

モミジ農家の仲田茂司さん、62歳。合計30ヘクタールの農園で、およそ3万本のモミジを育てている。

 

 

仲田さんのモミジは全国の秋を彩ってきた。

京都・常寂光寺、東京・六義園…さらには首相官邸の庭にも納品した経験を持っている。

仲田さんのモミジの真骨頂は「繊細な枝ぶり」だ。

「こだわっているのは自然のモミジに近い“柔らかさ”。枝が細いから風のそよぎが美しいんですよ」

 

 

 

柔らかいモミジをつくる秘訣。それは福島の自然を生かした農園づくりだ。

農園の近くを流れる川を生かして、モミジが好む湿度を確保。

背の高い木で、モミジが嫌う強い日ざしを和らげている。

 

さらに日々の手入れも欠かせない。

育ち始めた“柔らかい”枝を育てるために、上に覆いかぶさった太い枝を切り落とし、日光が当たるように剪定する。仲田さんの手にかかれば、わずか30分で見違えるほど光が差し込むようになる。

 

 

 

大手樹木卸業者のバイヤーも、仲田さんのモミジを絶賛。

「他のところと見比べたら違う。ここに来てモミジを見れば自信を持ってお客さんに薦められる」

 

 

モミジ農家の長男として育った仲田さん。幼い頃からモミジ農園が遊び場だった。

しかし仲田さんが第一の人生として選んだのは、実はモミジ農家ではない。

大の歴史好きだったということから、大学卒業後に就いた職業は考古学者。

三春町の歴史民俗資料館の学芸員として、各地の遺跡の発掘調査などを行っていた。

 

 

考古学に打ち込みながら、子供のころから慣れ親しんでいたモミジ農園のことがずっと気になっていた仲田さん。40歳になるのを前に、父の農園を継ぐ決断をした。

「まさにラストチャンスだと思った」

あとを継いだ仲田さんは海外にその目を向ける。

外国のバイヤーを農園に招き、欧米や中国に販路を拡げていった。

 

 

 

順風満帆だった第二の人生。

しかし、原発事故が仲田さんをどん底に落とす。

「福島のモミジ」というだけで海外の取引は全て中止。

国内の注文も激減した。

「父から継いだモミジが売れないのは、生産者としての生きがいをなくすということ。夜も寝られない日が続いた」

 

モミジづくりを守るために今、何ができるのか。

仲田さんは、上を向いて、立ち上がった。

 

始めたのは、造園や樹木生産の仕事を志す大学生たちを農園に招き、モミジづくりの技を伝えること。

たとえモミジが売れなくても、技術を伝えることならできる。

仲田さんは事故後、毎年受け入れを続けている。

「原発事故で全てがなくなってしまうというのは、絶対にしたくない」

 

 

 

さらに、自慢のモミジで福島の復興を後押しする取り組みも始めた。

三春町と共同でつくっているモミジ山。

事故後、規模を拡大して若いモミジ2000本を少しづつ植栽してきた。

 

 

「5年後には見事なモミジ山になる。その頃が本当の復興かもしれないですね」

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