今月2日(木)、福島市の国体記念体育館で、
東京2020オリンピックパラリンピック競技大会 2年前イベント
「オリンピアン・パラリンピアンと語る夢×未来」が行われ、
イベントのコーディネーターなどを務めさせていただきました。
会場は、200人ほどの子どもたちと保護者で、熱気にあふれました。
まずは、オリンピアンやパラリンピアンとのパネルディスカッション。
福島市出身で、アトランタオリンピックに出場した、女子バスケットボールの萩原美樹子さん。
シドニーオリンピック野球日本代表の元・千葉ロッテマリーンズ投手、黒木知宏さん。
さらに、車いすバスケットボールで、パラリンピックに出場した増子恵美さんと佐藤聡さん。
福島市の木幡浩市長も登壇。
クロストークもあり、さまざまな話を伺うことができました。
日の丸を背負って大舞台に立つ思い、さらには、夢を叶えるためのアプローチ・・・。
すべてをここに書きたいのですが、印象に残ったメッセージを。
萩原さんは、競技を始めた小学4年生のときから、
「オリンピックに出る」という夢を持っていたそうです。
バスケットボールが好きだから、どんな練習でも取り組むことができた、とも。
“好きこそ、ものの上手なれ”という言葉があります。
それをまさに体現されたのではないでしょうか。
“好き”という中での成功体験の積み重ねが、萩原さんを成長させたのだと思います。
黒木さんは、負けない!という気持ちの面を強調されていました。
さすが「魂のエース」!打てるものなら打ってみろ!という気持ち。
でも、それは、練習に裏付けられた自信から培われるものだと話します。
黒木さんは、練習一つ一つに、“目的意識“を持ったそうです。
なぜ、その練習をするのか?
それは“こういうプレーをしたいからだ”と。
この先の自分を具体的に思い描くことを、若いころから染み込ませていった結果が、
夢をつかみ取ることにつながるのではないか。
真剣に話を聞いた子どもたちからは、質問が相次ぎ、
この子たちの将来が、非常に楽しみになりました。
増子さんと佐藤さんは、10代後半で交通事故に遭い、
その後、車いすバスケットボールに出会ったことが、人生の大きな転機となりました。
子どもたちにとって、車いすで生活している人、
さらには、パラリンピックの選手に会うことは、ほとんどなかったと思います。
麻痺している足は「触っても感じない」という言葉に、
子どもたちからは「えっ」という言葉が。
なかなか想像できないですよね。
だからこそ上半身を鍛え上げた、という考え方も、あわせて聞きました。
“失われたものは数えるな、残された能力を最大限に生かせ”、
というパラリンピックの精神を感じた瞬間だったと思います。
さらに、パラリンピックに出場したことが
「親孝行だったと思う」という佐藤さんの言葉もありました。
子どもたちにどう響いたのか。
短い時間ながらも、子どもたちは、多くのことを感じたと確信しています。
他にも、パラリンピック競技のボッチャの体験。
みんなが初めてのプレーなのに、盛り上がったこと盛り上がったこと!
自分も楽しみ、友だちも応援!
障害のある人だけではない、
誰でもが楽しめるユニバーサルスポーツであることを実感したでしょう。
ことし12月1日、2日は、同じ場所でボッチャの日本選手権が行われます。
ぜひ、みんなで観戦を!!
私も1投!緊張しました!
さらに、1972年札幌オリンピックの聖火リレーで使われたトーチを、全員でリレー。
そのトーチを福島市に寄贈され、
実際にランナーとして走った片倉義則さんに、“かっこいい”走り方を聞き、
子どもたちも“自分が聖火ランナー”とイメージして体育館を走りました。
片倉義則さんによる説明
ゆっくり!かっこよく!短い時間を味わいながらのリレー
記憶というのは、感動と結びついて残ることが多くあります。
この日、話を聞いて、体を動かし、きっと心も動いたことでしょう。
笑顔で、時には真剣に取り組む子どもたちの姿を見て、私も大いに心が動きました。
忘れられない一日となりました。
子どもたちに、2年後でも、大人になったときでもいい、この日を思い出してくれたら。。。
この上なくうれしく思います。
投稿時間:16:56