9月23日(土)と24日(日)、
福島市のとうほう・みんなのスタジアムで開かれた「ジャパンパラ陸上競技大会」。
福島県出身の選手は9人。地元の声援を受けながら、レースに挑みました。
その中で私が注目したのは、庭瀬ひかり選手、23歳。
須賀川市に住み、地元の信用金庫で働きながら、夜や休日に練習をしています。
パラ陸上は、障害の種類や程度によって、レースが分けられますが、
庭瀬選手は、車いすを使う選手の中で、最も障害の重いクラス。
100mの日本記録保持者です。大会前の練習と本番に密着しました。
庭瀬選手は、いつも自ら運転して練習場にやってきます。
車いすが、車の屋根に収納できる、特別な車です。
生まれたときから、
全身の関節が脱臼し、背骨が湾曲するなど、骨が変形する「ラーセン症候群」の庭瀬さん。
自分の体について、こう話します。
「生まれたときから、この体なんで。この体しか、わからないんですよね。
だから、歩ける人をうらやましいと思わないし、なんでこの体なの?って言ったこともないし」
中学校時代は、車いすで走り回る活動的な女の子でした。
その姿を見た先生にすすめられ、地元の車いすマラソンに参加。
いきなり2位の成績を収めます。
そして、4年前。
競技用の車いす、レーサーを手に入れ、本格的に陸上競技を始めました。
レーサーは、オーダーメイド。
正座で乗る選手が多い中、膝が折りたためないため、足を下におろし、ベルトで固定します。
庭瀬選手は、車いすを使う選手の中で、最も障害の重いクラス。
日本の女子で唯一、世界でも数少ない選手です。
「お手本になる選手がいない。自分がやるしかない。
自分の記録を塗り替えることが一番のベストタイムになるので、それを目指してやってきています。
“こんな不自由な体をしていても、頑張れることはあるんだよ”ということを見せたいと思います。」
100mの自己ベストは、31秒台。
リオパラリンピックでは、決勝に出場した選手で、最も遅い記録が29秒台。
庭瀬選手は、今、30秒を切ることを目標にしています。
常に意識していること。それは、「今ある機能を、最大限使うこと」。
庭瀬選手は、肘の曲げ伸ばしができないため、車輪を、地面の近くまで押し出せません。
腹筋や背筋のトレーニングで、こぐ際、頭が左右にぶれなくなり、
ゴールへ、まっすぐ力が向かっていくようになりました。
ピッチを早め、スピードアップを図りますが、それには限界があります。
そこで意識しているのは、肩の後ろの骨、「肩甲骨」の動きです。
肩の可動域を広げて、ひじが伸びない分、肩でカバーしようとしているのです。
肩甲骨を後ろに引き上げることで、前に進む力が増すといいます。
しかし、庭瀬選手には、今、大きな課題があります。
体重は30キロ。軽い分、スタートからトップスピードに早く到達しますが、スタミナが切れ、残り30mで失速。
そこで、最近、シートの下に「おもり」を巻きつけることを始めました。
体重を、おもりで増やそうという試みです。
重くすることで、こいだときに惰性の力が生まれ、後半の失速を防げるのではないか。
しかし、スタートダッシュに、より大きな力が必要になり、
トップスピードまでに、時間がかかってしまう問題も生まれます。
おもりを4キロ、2キロ、0キロとそれぞれ走り、トップスピードも測りました。
そして、この日の練習で、今度のレースのおもりをどうするのか、結論を出しました。
「0でいきます。決めました。決まりました。よかった、まよいなく。」
「とりあえず何でもやってみて、ダメだったらダメでした。
じゃ、どうする?と次につなげていく。
ダメならできるようにやり方を変えればいい。
やれる可能性があることはすべてやります、それが私のモットーですから」
本番の日。
やや緊張した面持ちでウォーミングアップ。集合時刻ギリギリまで体を動かし、スタートラインへ。
※オレンジ色のユニフォームが庭瀬選手
スタートから勢いよく出たものの、
記録は、自己ベストに0秒08及ばず、31秒86。
地元で30秒を切ることを目標としていただけに、レース後、悔しい表情を見せました。
しかし、最後、来シーズンに向けて、「いろいろと試していきたい」と力強い声が。
“やれる可能性があることはすべてやる”というポリシーを貫き通したあとに、
どんな成長が待っているのか、楽しみにしたいと思います。
パラリンピックには、“残された機能を、最大限にいかせ”という精神があります。
まだまだ自分には、使っていない機能があるのではないか―――。
“自分”に挑み続ける庭瀬選手の姿を、これからも追っていきます。
投稿時間:16:43