2018年9月18日

集落に希望の灯火


九州北部豪雨で3人が亡くなり、30棟以上の住宅が全半壊する被害を受けた朝倉市の東林田集落。
去年7月の豪雨で氾濫した赤谷川の下流に位置しています。川の応急工事がほぼ終わり、避難先から少しづつ住民たちが戻ってきています。

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「1年間お世話になったから、きれいにしておかないとね」

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朝倉市の仮設住宅で1年間暮らしてきた林恵子さん(56)と中学3年生の娘・紗季さん(15)です。

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2人が暮らしていた東林田集落の自宅は、去年の九州北部豪雨で全壊しました。このため、仮設住宅に移り住み、2人で生活してきましたが、自宅の修復が終わり、1年あまりたって、集落に戻ることになりました。

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「ここで暮らすよりは、前の家で暮らしたほうがいいと思うし、ことしが受験なので自宅で勉強にも集中したいと思う」(娘の紗季さん)

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当初は金銭的なこともあり、修復してまで、自宅に戻るかどうか迷っていた林さん。戻ることを決断したのは、慣れない仮設住宅での生活にストレスを感じ、口数が少なくなっていた紗季さんの「家に戻りたい」という言葉を聞いたからでした。

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「帰るって決めた時点で、2人ともすごく前向きになったかなと思います。光が見えた感じがしました。最初は、仮設暮らしが長くなったなと思っていたけど、自宅に帰れると思ったらほんとに時間があっという間に過ぎました」(母・恵子さん)

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8月26日、仮設住宅をあとにした恵子さんと紗季さんは、修復を終えた自宅に戻りました。

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私は2人を取材中、自宅の中であるものを見つけました。それは年季が入った柱でした。自宅を修復するにあたって、林さんがどうしても残しておきたかったものでした。「これは”娘の柱”です。娘の身長を記録してきました。写真やビデオとかは、豪雨でほとんど全部なくなったんですけど、これだけは残ったんです。別の場所にあったものですが、修復した家ではリビングの中心に置いてもらいました。唯一の宝ですね」(母・恵子さん)

今も多くの人が避難先での生活を続けている中、東林田集落に戻って、新たな一歩を踏み出した2人に思いを聞きました。

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「全然違うところに行ったら、すごい緊張感とか、いろんな不安とかがありますが、やっぱり住み慣れた場所で生活するって、なんとなくほっとしますね。やっぱりふるさとが一番、ほっとする場所です」(母・恵子さん)

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「ずっとここで暮らしてきたから、ここじゃないといつも通りじゃない。いっぱい大きな声で笑って、テレビも大きな音で見たい。豪雨の前と同じようには戻らないと思うけど、母と2人で明るくこれから生きていこうと思います」(娘・紗季さん)

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引越を終えて、2人は表札を玄関に飾りました。この日のために紗季さんが手作りしたものです。「”きょうからここに泊まります”っていったらおかしいですけどね、ここでの新たな生活がいよいよ始まる感じがしています。楽しく暮らしたいですね」(母・恵子さん)

【取材後記】
朝倉市の東林田集落の人たちは、豪雨でおよそ30世帯が避難生活を送っています。自宅を完全に解体することを余儀なくされ、なかなか新たに建て直すことができないでいる人たちも多くいます。このため、これまでに避難先から戻ってきたのは林さん親子を含めて、まだ3世帯にとどまっています。林さん親子は「近所の人たちが帰ってきて、地域に以前のようなにぎわいが戻ってきてほしい」と話していました。東林田集落に戻りたいと希望しながらも、経済的な問題や安全面への不安などから、ふんぎりがつかない被災者もいらっしゃいます。そのことは理解しつつも、林さん親子が火種となって、東林田集落に明かりが少しずつ増えていって欲しい。取材を通してそう感じずにはいられませんでした。

福岡放送局記者 山崎啓

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:12時21分 | カテゴリ:WEBいち! | 固定リンク

どうなる? 被災地の農地


朝倉市では去年の九州北部豪雨で農地にも甚大な被害が出ました。
田畑の中には、流されて跡形も残っていないところすらあります。
朝倉市は、元の形に戻すことが難しい農地は、区画整理をすることで再生しようと考えています。しかし、山あいの地域では、農地再生の道筋が見えないままの集落があります。

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朝倉市の山あいにある黒川地区でおよそ40年にわたり農業を営んできた町田実さん(65)です。町田さんの田んぼや畑は去年の豪雨で流され、今も土砂や岩が堆積したままです。

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自分の土地で耕作ができなくなった町田さん。仮設住宅で避難生活を強いられ、年金に頼る毎日です。「この状態だと何も作れないから生活できない。生活するにはお金が必要。どげんか確保せんといかん」(町田実さん)

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「豪雨からの復興に、失われた農地の再生は欠かせない」。朝倉市はこの方針のもと、国の制度を活用して農地を区画整理して再生させようと考えています。

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激甚災害に指定されたため、区画整理にかかる費用の98点2%は国が負担します。残りは市が1点26%を負担。農家の負担はわずか0点54%となっています。農家の負担を軽くすることでもう一度、耕作をしてもらおうと市は考えています。

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しかし、今、大きな壁にぶつかっています。法律では、区画整理事業の開始にはその地区の農家の3分の2の同意が必要なのです。

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市は区画整理事業を始めるにあたり、ことし6月、任意のアンケート調査を行いました。しかし、町田さんの田畑がある地区でアンケートに回答した農家や地権者は半数あまりにとどまりました。同意取り付けの前の段階で、意見の集約すらできていないのです。

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「今、仮設住宅にお住まいの方も結構いっぱいいらっしゃったり、ここにも住んでいない方も結構いらっしゃるので、意見集約は大変」(朝倉市職員)

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豪雨のあとの避難が長期化して、仮設住宅に暮らしている人も多く農家はバラバラです。いつになったら同意が得られるのか、見通しは立っていません。

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農地の復旧を望む町田さんは、そもそも高齢化が進むこの地区に、みんなが戻ってくるのかという不安も抱いています。

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「僕がこの地域で1番若いくらい。高齢化で、区画整理をして立派な田んぼができたとしても、再び作ろうという人がいないかも。僕1人になっても何もできない」
(町田実さん)

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9月3日、朝倉市は、町田さんの地区の役員を対象に、区画整理に関する説明会を開きました。町田さんも、不安を抱えたまま参加しました。

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市は、同意の取り付けに、市も積極的に関わることや、仮に担い手が限られる場合には農業の法人化も検討すると説明しました。

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豪雨から1年2か月。町田さんは、やっと行政も動きだしたと希望を見いだす反面、将来への不安は消えていません。「市は、区画整理に向けてやる気まんまんだから、それをだめだとは言えないが、自分自身、どうしたいのか、まだわからない。ここで農業を再開できるのが最善だけど、あとは待つ年数がどのくらいになるか。また、それまでの間、どうするかね・・・」(町田実さん)

区画整理をするか、しないか、農家や地権者は選択を迫られています。同意を得るだけでも時間がかかりそうな中、仮に区画整理が決定しても、その後、農地が復活するまでにあと何年かかるのか。また、過疎化が進み、そもそも地元を離れて暮らす住民が多い地域もあり、復旧したあと、新しい農地をどう生かしていくのかも考えていかなくてはなりません。高齢者も多い朝倉の被災農地は、厳しい現実に直面しています。

福岡放送局記者 金知英

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:11時35分 | カテゴリ:WEBいち! | 固定リンク

全盲でも希望は見える ~ある男性と盲導犬の半世紀~


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「かけがえのないパートナー」。視覚障害者から、こう表現されることもある盲導犬。とても賢く、盲導犬の利用者を安全に誘導する姿に思わず感心する人も多いと思います。盲導犬は以前に比べると、よく街でみかけるようになりましたが、実はここ九州では唯一、福岡県糸島市に盲導犬の育成機関=九州盲導犬協会があります。ことしで創立35周年を迎えたこの協会の設立のきっかけとなったある1人の男性がいると聞き、取材に向かいました。

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福岡市の藤井健児さん(86)です。目が全く見えない藤井さんにとって欠かせないパートナーが盲導犬の「ラスク」です。電車に乗るにも外で食事をするにも、いつもラスクと一緒です。

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藤井さんが盲導犬と暮らし始めたのは昭和46年。当時の日本には、まだ盲導犬が少なく、九州では藤井さんが第一号でした。「外国では盲導犬が重要な働きをしている。何はともあれ、盲導犬とあちこち出歩いて、可能性を広げていきたいと願っていました」(藤井健児さん)

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6歳で自転車事故にあい、左目の視力を失った藤井さん。その後遺症で、20歳のときに右目も見えなくなりました。「急に真っ暗闇になって1歩も歩けないような大きなショックを感じました。年齢も20歳。『いまからだ、人生は!』と思っていた時でしたからね・・・」(藤井健児さん)

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藤井さんは、同じような境遇の人たちを励まそうと牧師になりました。しかし、家の中で点字の本を読むことが多く、あまり外には出かけませんでした。そんなときに知ったのが「希望者に盲導犬を譲る」という新聞記事でした。

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藤井さんは、何の迷いもなく、すぐさま手を挙げました。当時40歳になっていましたが「盲導犬と一緒なら自分1人で自由に出かけられる」と希望を抱いたといいます。

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東京で1か月にわたって必要な訓練を受けたあと、藤井さんは福岡で盲導犬と生活を共にし始めました。当初は、盲導犬を知る人が少なく、バスや電車に乗るには事前の申請が必要でした。また、飲食店への入店を拒否されることも多くあったと言います。それでも藤井さんは、1人で出かけられることがうれしかったといいます。「初めのうちは制約がだいぶありました。それでもね、一人歩きができる喜び、自由に歩ける痛快さは、なかなか簡単には、ことばで言い表せないようなものでしたよ!」(藤井健児さん)

『盲導犬と暮らしたい』。そんな声が福岡でも高まり始めました。藤井さんが盲導犬と暮らすようになったことがきっかけでした。藤井さんが盲導犬と暮らし始めてからおよそ10年後の昭和58年、盲導犬を育成して無料で貸し出す、九州盲導犬協会が福岡県糸島市に設立されました。

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協会では、これまでに240頭の盲導犬を育成しています。さらに、盲導犬への理解を呼びかける取り組みも行っています。

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「藤井さんが本当に困難な中を切り開いていただいたのではないかと思っております。そのことを思いながら私どもも努力がこれからも必要だと考えています」(九州盲導犬協会 常務理事 中村博文さん)

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協会も設立されるなど、以前に比べ、盲導犬への理解は広がってきました。しかし、盲導犬と一緒に歩いていても、視覚障害者が駅のホームから転落するなど、事故が無くならないことに、藤井さんは懸念を抱いています。盲導犬を利用している視覚障害者と周りの人たちが、もっとコミュニケーションをとれていれば、事故は防げたのではないかと藤井さんは考えています。

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このため藤井さんは、学校や企業に出向き、コミュニケーションを深めるための活動を積極的に行っています。私が取材した日は、小学校で子どもたちに話をしていました。
「ホームから落ちて亡くなったなんて残念なこともありました。危険な時は『危ないよ』って教えたり、急にでもいいから、手を引っ張るなどしてすぐ声をかけてください」(藤井健児さん)
「困っている人に『大丈夫ですか?』と話しかけてみたりしようと思った」(小4女児)
「目が見えない人のほかにも不自由な人がいたら助けていきたいと思った」(小4男児)

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「ちょっとしたことでも声をかけてもらえることが、障害者の大きな力になる。そのことを子どもたちに知ってもらえるとうれしい」(藤井健児さん)

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取材中、絶えずにこやかな表情を浮かべる藤井さん。しかし、両目を失明した当時は絶望とたたかう日々が続きました。そんな苦しい中で出会ったのが、アメリカの社会福祉活動家、ヘレン・ケラーだったと言います。

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ヘレン・ケラーは生まれてすぐに病気に見まわれ、目が見えず、耳も聞こえず、それによって話すこともできないという3つの障害を抱えながら、世界中の身体障害者を救済する活動に生涯を捧げた女性です。昭和23年に来日した際、藤井さんはヘレン・ケラーに直接会って握手をする機会に恵まれたそうです。この時、彼女の手のひらからみなぎる精神力を感じ取り、自分も強く生きようと心が震えたと言います。境遇や立場、民族や国の違いを越えて、あらゆる人々に希望を与え、前向きな気持ちにさせる力があったというヘレン・ケラーの演説。これに勇気づけられた藤井さんは、その後、牧師になる夢や、盲導犬を持ちたいという希望を実現しました。そして今、藤井さんが語る言葉の一つ一つは、多くの人たちを励ましています。藤井さんにとってのヘレン・ケラーと同じくらい、私も取材を通して、藤井さんの言葉に力をもらいました。そして藤井さんのように自分の人生をあきらめない生き方を見習いたいと強く思いました。

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盲導犬とともにどんな困難にも立ち向かってきた藤井さん。その姿は多くの人に勇気を与えるだけでなく、優しい社会に続く道しるべとなっています。


【取材後記】
私が藤井さんから伺った盲導犬のエピソードをもう1つ。ある日、藤井さんは盲導犬を連れて歩いていました。段差でも、曲がり角でもない平坦ないつもの散歩道で盲導犬がいきなり止まって動かなくなったというのです。藤井さんは、不思議に思って耳を澄ませました。「助けて・・・」。小さくて、か細い女性の声が聞こえたそうです。実はこの時、近くに女性が倒れていたのです。盲導犬が足を止めたおかげで藤井さんは女性に気づき、救急隊を呼ぶことが出来ました。本来、盲導犬は訓練で様々な障害物を避けて歩くよう教え込まれています。人が倒れていても、避けて歩いてもおかしくないのです。しかし、藤井さんの盲導犬は止まって動きませんでした。なぜ、盲導犬は足を止めたのか?藤井さんは牧師として様々な人たちを励ます活動に力を注いでいました。「困っている人を救いたい」という気持ちが、いつも行動を共にしていた盲導犬に伝わったのではないかと藤井さんは言います。「人と犬でさえも、互いに信頼し合い、しっかり向き合っていれば、心の絆で固く結ばれ、実にすばらしい協同作業をつくり上げることができます。まして人間どうしでそれができないはずがありません。争いごとのない、平和で幸せな世界が実現すると確信しています」。藤井さんは私にこう語りかけてくれました。私は、藤井さんが語るからこそ深みを増す言葉の一つ一つに、ただただ圧倒されました。

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”全盲でも希望は見える”。九州初の盲導犬協会設立のきっかけを知りたくて始めた今回の取材でしたが、藤井さんが紡ぐ重みのある言葉のすべてから、人としての生き方、人として忘れてはいけないことなど本当に多くのことを、学ばせてもらった取材となりました。

福岡放送局リポーター 水越理恵

【追伸:街で盲導犬を見かけたら】
(1) ハーネスは仕事中の証
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盲導犬の背中に取り付けられている金具のことを「ハーネス」と言います。視覚障害者がハーネスをつかんで歩いている時、盲導犬はご主人を安全に誘導しようと集中しています。盲導犬に話しかけたり触れたりしてはいけません。

(2) 遠慮せずに声かけを
盲導犬を利用している視覚障害者の方にはいつ声をかけても大丈夫です。信号などで止まっている時、盲導犬は信号の色を識別して止まっているわけではありません。盲導犬はわずかでも段差があると止まるように訓練されています。このため、交差点では歩道と車道のわずかな段差を確認して止まっているのです。青信号なのか赤信号なのか判断するのは視覚障害者です。車が風を切る音など耳を澄ませて横断歩道を渡るか判断しています。これは非常に不安が大きいため、特に横断歩道では「いま、青信号になりましたよ」などと、なるべく声をかけてあげてください。

(3)危ない時は
横断歩道や駅のホームなどで視覚障害者が危険な時は・・・。
×「あぶない!」
○「そこの盲導犬の人!あぶない」
単に「あぶない」では、誰があぶないのかわからないということです。失礼にはあたらないので、「そこの盲導犬の人!あぶない」というように、誰が危険なのか分かるように声をかけてください。

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:10時53分 | カテゴリ:WEBいち! | 固定リンク

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