2018年08月15日 (水)責任はみずからにあり ~部下を守った元陸軍司令官~


終戦後、捕虜虐待などの罪に問われたBC級戦犯をめぐる裁判。中には責任逃れともとれる態度を示した上官もいました。そのなかで「責任はみずからにある」と主張し続け、大岡昇平の小説「ながい旅」の主人公にもなった陸軍の司令官がいます。ことしになって見つかった別の元死刑囚の手記に、この司令官の獄中での様子がつづられていました。

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旧日本陸軍の岡田資・中将です。戦後、BC級戦犯として死刑判決を受けました。

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岡田中将が罪に問われたのは昭和20年6月から7月にかけて東海軍が起こした事件です。アメリカのB29爆撃機の搭乗員を処刑したもので、岡田中将は、東海軍を率いる司令官でした。

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BC級戦犯が裁かれたいわゆる横浜裁判では、多くの死刑判決が言い渡されました。なかには死刑を免れようと、責任逃れともとれる態度を示した上官もいました。こうしたなか、岡田中将は「司令官である自分にのみ最終的な責任がある」と主張し続けました。

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東京・町田市に岡田中将の遺族がいると聞いて訪ねました。
(左:長男の妻・純子さん 右:孫・洋介さん)

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純子さんは、岡田中将の裁判を傍聴し続け、死刑判決を受けた日もその場にいました。「死刑判決を聞いたときは本当に辛かったです。みんな覚悟はしていたんですけど、ショックで・・・」(長男の妻・純子さん)

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獄中の中将の様子を記した手記です。ことし5月、福岡市で見つかりました。別の事件でBC級戦犯として同じ巣鴨プリズンに収監されていた福岡市出身の冬至堅太郎陸軍主計大尉が書いたものです。自らの責任にこだわった岡田中将について多くのページを割いてつづられていました。「東海軍を我々が羨ましいと思ふのは、司令官が命じてやらせたことになって、下級者の罪が軽くなると云ふ功利的な考へではない。『部下が可哀そうだ、何とかして救ってやろう』と云ふ司令官の心意気そのものが嬉しいのだ」(手記より)

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岡田中将の姿勢は、獄中でも変わりませんでした。若い戦犯たちに対しては「必ず減刑になるはずだ」と励ましたといいます。また、巣鴨プリズンのアメリカ人将校からも信頼を勝ち取っていった様子が読み取れます。「閣下は死刑囚の正に大黒柱であった。このことは拘置所の米人将校もよく知っていて、何かことがあると閣下に相談に来るし、また閣下の要求されることはよく受け入れてくれるのであった。どこまでも積極的で、米軍に対して要求すべきことは遠慮なく要求された」(手記より)

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純子さんは岡田中将の獄中の姿を初めて知ったといいます。「実際の細かいことは知らされていませんでしたけど、よく書き留めておいてくださいました」

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手記には、処刑の際に岡田中将が残した若い死刑囚への言葉も書き留められていました。「私は東海軍事件の唯一の責任者として当然処刑されるべきものである。然し諸君たちは立場がちがふのであるから必らず吉報があると思ふ、大いに楽観されたし」。

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最後まで若い人たちを気遣い続けた祖父の姿について、孫の洋介さんは「他の道、いわゆる『逃げ方』はあったかもしれないけれども、今やらなきゃいけないことを最後までやりなさい、その責任から逃れない、逃げないようにしなさいということだと思います」と話していました。

【取材後記】
「父のことは子や孫に、話していきたいと思います」。長男の妻の純子さんははっきりとした口調でおっしゃいました。戦争が引き起こした事柄について、誰がどのような責任を負うべきかという問いに私は答えを見つけられていません。ただ、戦争が引き起こした事実と向き合い、伝えていくことで、私たちが学ぶべきことは今なお多い。このことを疑う余地がないことは取材を通して確信できました。

福岡放送局記者 陶山美絵

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:12時13分


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