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2019年04月16日 (火)日本人の意識を変えろ!


”最大34万5000人余り”。
今後5年間で政府が見込んでいる外国人材の受け入れ人数です。4月から外国人材の受け入れ拡大が始まりました。ところが、技能実習生などとして日本で働いている外国人の中には、日本での仕事になじめず失踪したり、途中で帰国したりする人も少なくありません。そうした中、外国人材を受け入れる側の日本人の支援を始めようとしている男性が福岡県小郡市にいます。「外国人材よりも、むしろ日本人の意識を変える支援が大切だ」というこの男性。その真意を取材しました。

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3月中旬、私は、介護現場で働く外国人などが、日本語や日本の介護に関する勉強をしている教室にお邪魔しました。フィリピンやベトナムから来た人たちが学んでいました。

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福岡県小郡市の中村政弘さんです。14年前に会社を設立し、介護現場で働く外国人を支援してきました。4月からの外国人材の受け入れ拡大で、介護の事業所の変化を肌で感じると言います。「介護の事業所などから『日本語の教育などの面で助けてもらえないか、一緒にやってもらえないか』という要望は多くなっています」(中村政弘さん)。

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中村さんは、これまでにフィリピン人を中心として、300人近くの卒業生を送り出してきました。ところが、4月からの外国人材の受け入れ拡大は、昨今の人手不足を解消するという日本の事情ばかりが優先されていると感じるようになったといいます。同時に、外国人の視点に立つと、このままでは日本で働く外国人は増えないのではと懸念しています。「例えば、英語圏であるフィリピンの人たちの立場から考えると、ヨーロッパやアメリカ、カナダのほうが英語が使えるので、仕事がしやすいはずです。そうした中で、わざわざ漢字圏の日本をあえて選んで来ている人たちに『日本に来て良かった』と思ってもらえるようにするのは私たち日本人の責任ではないかと思います」(中村政弘さん)。

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外国人の目線にたって考えようという中村さんの原点。それは長男の謙一郎さんにありました。謙一郎さんは15年前、脳腫瘍のため、37歳の若さでこの世を去りました。学生時代、海外からの留学生を日本の企業に紹介する活動をしていた謙一郎さん。「アジアと日本の懸け橋になりたい」という思いを遂げるために大手企業を辞め、今の会社の前身を立ち上げました。その遺志を今、中村さんが継いでいます。

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これまで外国人の支援を中心に活動してきた中村さんは、新たな方針を打ち出しました。それは、外国人を受け入れる事業所の経営者や社員に、意識を変えてもらう取り組みを支援していくということでした。

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中村さんは、仕事場の雰囲気が暗かったり、日本人の対応が雑だったりしたため、失望して仕事を辞めてしまった外国人を数多く見てきました。だからこそ、受け入れる側の日本人に知ってもらいたいことがあると考えています。それは「働かせてやる」とか「教えてやる」といった上からの目線ではなく、同じ職場の仲間として、日本人の社員と同じように、互いに助け合い、技術を高め合いながら、楽しく仕事をすべきだということです。

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「日本に来る外国人は、希望に燃えて日本にやって来ています。失望させないためにも、受け入れ側の日本人が意識を変えて、外国人に何かを求めるのではなく、日本に来てくれた金の卵として大切に育てていくことが大切ではないかと思います」(中村政弘さん)。

【取材後記】
「謙虚な気持ちで外国人を受け入れること。『助けて下さい』という姿勢でないと、日本は立ちゆかなくなるとの認識を持たないとだめだ」。取材の最後に「これからどんな社会になってほしいですか」という私の質問に対する中村さんの答えです。中村さんは何度も「私たち日本人が変わらないといけない」と力説していました。これからさらに人口の減少や人手不足が加速する中、「上から目線」ではなく、外国人と共によりよい職場や社会を作っていくという意識改革、そして寛容な姿勢こそが、今の日本社会に求められているのではないかと強く感じました。

久留米支局記者・山崎啓

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:16時23分 | 固定リンク


2019年04月15日 (月)サクラ咲け!~被災地に再び桜並木を~


「天空の山桜」。地元の人たちがこう呼んでいるサクラが、九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市の東林田集落にあります。このサクラは高台にあったため被害に遭わず、ことしも満開の花を咲かせました。その一方で、川沿いに広がっていた桜並木は、あの豪雨で流されてしまいました。「ふるさとにあの桜並木を取り戻したい!」。動き始めた地元の若者たちを追いました。

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こちらが「天空の山桜」です。おととしの九州北部豪雨で大きな被害を受けた朝倉市の東林田集落にあります。高台にあるため被害を免れ、ことしも見事な花をつけました。

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集落の住民でつくる復興委員会の林隆信委員長です。ほかの住民たちと一緒に8年前から、この「天空の山桜」のライトアップをしています。「この天空の山桜は復興のシンボルで、住民たちのよりどころの一つになっています。ただ、豪雨の被害もあって、山桜までの道のりは危険です。復旧工事が終わるまでは山桜には近づかず、遠くから楽しんで欲しいです」(林隆信さん)。しかし、東林田集落では残った桜があった一方で、流されてしまった桜もあります。「豪雨の前は、もともと、集落の川沿いに桜並木があって、天空の山桜と一緒に、桜の里みたいな形で守っていこうという活動をしていたんです。でも、豪雨で完全に川沿いの桜並木はなくなってしまいました」(林隆信さん)。

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この写真がその桜並木です。以前は、地元を流れる赤谷川沿いに広がり、サクラの季節には住民たちの憩いの場となっていました。

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こちらは九州北部豪雨のあとの現在の様子です。川の水があふれ、
サクラの木は流されたり枯れたりして、すべて失われました。

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この集落で生まれ育った、塚原健児さんは、復興の役に立ちたいと、20代から40代までの13人からなる若者グループ、「東林田Lover’s」を作りました。
桜並木にも特別の思いがあるといいます。「サクラの時期になると、やっぱりここに来ることも多かったですし、夏になると蛍も飛んできていましたので、すごく思い出深い場所です。豪雨のあと、桜並木がなくなっているのを初めて見たときには、落胆しました」(塚原健児さん)。

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塚原さんたちは今、桜並木を復活させる取り組みに力を入れています。きっかけは九州大学の学生たちが行った聞き取り調査の結果を見たことでした。「アンケート結果の中に、桜並木を復活してほしいというものがありました。地元の人たちにとって、思い出深い桜並木だということがわかったので、復活に向けて、なにかできたらいいなと思いました」(塚原健児さん)。

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塚原さんたちは去年12月とことし2月、親の世代にも呼びかけて、「東林田未来会議」を開きました。この中で、川の改修工事が終わったあとの川沿いに、およそ1キロにわたって、桜並木を整備する計画を話し合いました。塚原さんは仮に時間がかかっても、桜並木を復活させてふるさとを復興したいと考えています。

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「今、集落に戻って来られていない人たちが、また集落に戻ってきたいと思えるように、地元に残っている人間の責任として頑張りたいと思っています。桜並木があっての東林田という人たちが多いと思うので」(塚原健児さん)。


【取材後記】
塚原さんは豪雨の前は、集落の行事などにあまり参加していなかったといいます。しかし、豪雨を経験して「これからは自分たちが集落を盛り上げ、作り上げていかないといけない」と感じたといいます。冒頭に紹介した復興委員会の委員長の林隆信さんは「豪雨を機に、塚原さんらと知り合いました。これまで地元の行事は、年配の人が中心で、若い人たちはあまりでてこなかったのですが、豪雨の後、彼らと知り合い、復興に向けて共に行動をすることができていて、うれしく感じています」と話していました。塚原さんたちは、自分たちのグループを「東林田Lover’s」と名付けています。集落への愛をこめて、この名前にしたということです。メンバーの名刺には、もう一度、桜並木を取り戻そうという決意を込めて、桜並木のイラストがプリントされています。住民の1人が「桜並木は当たり前のようにそこにあったから、今、思い出そうとしても、何本くらいあったか、思い出せない」と話していたことが強く印象に残っています。あらためて、おととしの九州北部豪雨がいかに、人々の日々の当たり前の生活を変えてしまったのかを考えさせられたからです。桜並木の周辺は、豪雨で川の流れが変わってしまい、二次災害を防ぐために今も大がかりな川の改修工事が続いています。工事が終わるまでには少なくともあと3年はかかる見通しで、桜並木をよみがえらせるにはまだまだ時間がかかります。それでも塚原さんたちはあきらめずに復活に向けて活動を続けたいと考えています。

久留米支局記者・山崎啓

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:10時57分 | 固定リンク


2019年03月15日 (金)記者はお母さん!


今、筑後地方を中心に”お母さんが書いた新聞”が話題になっています。もちろん記者は、現役のお母さんたち!。新聞にはお母さんならではの視点が盛りだくさんの記事であふれています。

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2月28日。「お母さん業界新聞 ちっご版」が読者に届けられました。「自分と同じような子育てをしているとか、いろんなエピソードがあるので、いつも楽しみにしています」(読者)。

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「お母さん業界新聞 ちっご版」では”紙おむつ卒業おめでとう”といった記事や、子育てのエピソード、それに子育て支援の動きなど、育児に役立つ記事が掲載されています。月1回、無料で発行しています。

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特徴は、何と言っても、すべての記事を、お母さんたちが書いている点です。

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編集長を務める久留米市の池田彩さんによりますと、「お母さん業界新聞」という名前には、”お母さんも大事な仕事だ”という思いが込められているといいます。「せっかくお母さんになったのに、楽しさやうまみを味あわないまま、子育てをしているお母さんも多いと思います。子どもを1人の大人に育てるというのは一大事業なんだと誇りを持ってもらいたいです」(池田彩編集長)。

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池田さんも3人の子どもを育てるお母さんです。長女が生まれてまもなく、久留米市に引っ越しました。初めての土地での初めての子育て。不安が募る中、「お母さん業界新聞」の全国版の代表が書いたコラムを読み、自分も筑後版を立ち上げようと考えました。「コラムに『日本の未来を育てるのは政治家の人だけじゃなくて、社長さんだけじゃなくて、お母さんなんだよ』ということが書いてあったんです。その記事を読んだときに、自分をすごく認めてもらえた気がしました。お母さんでいる時間を大事にしないといけないと思いました。そして、お母さんたちが抱えている大小さまざまな悩みを共有して、いろんなお母さんがいるんだと感じるだけでも、自分の子育てが楽になるのではないかと思い、ちっご版を始めました」。

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1人で新聞づくりをはじめた池田さん。最初はすべてが手書きで、育児の合間に書いていました。「午後9時に子どもと一緒に寝てしまうので、夜中の1時、2時くらいに起きて、そこから新聞づくりをやる感じでした。でも途中で子どもが起きたりして、『ママ、寝ようよ』などと声をかけられるんですよ」。

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徐々に新聞を読んだ人への共感が広がり、今では、読者からお母さん記者になった人は36人にまで増えました。読者だけでなく、記事を書く側にも子育てに変化があるといいます。

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「記事を書く、ペンを持つことで子どもへの見方が変わってきました。普通だったら子どもに怒ってしまうようなことも、なんで子どもがそういうことをやったのかというところまで考えるようになりました。自分の気持ちが変化してきたと思います」(お母さん記者)。

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発行から4年。今では福岡県を中心に佐賀県や鹿児島県などにあわせておよそ1万部を配布しています。池田さんには変わらない、この新聞に込めたメッセージがあります。「『お母さんであるだけで本当にすばらしいんだよ』ということが新聞を読んだ人に伝わるといいなと思います。お母さんとしての自分自身を大事にできるようになったらいいなと思いますし、子育てを楽しむ視点が少しづつ、出てくるといいなと思います」。

【取材後記】
「お母さん業界新聞」の制作費用は主に、子育てを支援している企業などが新聞に載せる広告代でまかなわれています。池田さんたちは、企業に営業をかけて広告も集めています。お母さん記者になるには6000円の年会費を負担する必要がありますが、お母さん記者たちは「お金を払うことで覚悟ができ、記事を書くことで、子育ての悩みを乗り越えることができる」と話していました。紹介した手書きの新聞ですが、実は今も各地域のお母さん記者たちが、手書きで新聞を書いたものを一緒に配ったりしています。お母さん記者たちは「子どもが大きくなったときに、見せてあげたい」とか「子どもの成長記録になる」と話していました。私も様々な地域の手書きの新聞を見させて頂きましたが、どれも、お母さんたちの日々の子育ての思いが詰まっていました。取材の最後に池田さんに、「4周年目の新聞が出来て今の気持ちはどうですか」と聞きました。すると池田さんは「やっと、ここまできたなということと、私だけでやっていることではないので、本当にみんなに助けられて、みんなの力でやってこれたんだなと思っています」と答えてくれました。
さまざまな苦労がありながら、4周年を迎えた「お母さん業界新聞 ちっご版」。私自身、改めて、母親のすごさを感じるとともに、自分を育ててくれた母親への感謝の思いがこみ上げてきました。

久留米支局記者・山崎啓



「お母さん業界新聞 ちっご版」の4年間の歩みを紹介する「子どもへのまなざし展」が3月28日から31日まで(午前10時~午後4時)やまかし村のギャラリー(久留米市津福本町834-4)で開かれます。入場は無料です。

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:15時38分 | 固定リンク


2019年03月06日 (水)なぜ消える?電動工具の謎


今、建設現場で、「知られざる盗みの被害」が相次いでいるのを知っていますか?狙われるのは、電動のこぎりや電動ドライバーといった「電動工具」。このところ高額の被害が相次いでいます。これまで表面化してこなかった建設現場ならではの被害の現状や背景を取材しました。

【被害相次ぐ工具窃盗】

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「床の溶接機、10万円くらいするやつですね」「タイルカーペット貼るときに使うんですけど、2万5千円くらいですね」「床を抑えたり、金物を付けたりするものですね。8万円です」。マンションやホテルなどの新築ラッシュが続く福岡県内の建設現場で、電動工具を盗まれる被害が今、相次いでいます。

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福岡市中心部の新築ホテルの現場では、電動ノコギリやドライバーなど4点、あわせて10万円ほどの工具が盗まれました。

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こちらの新築マンションの現場では、20点あまり、109万円相当の工具が被害に遭いました。

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昨年1年間の被害は、警察が把握しているだけでも福岡県内で104件に上ります。

【なぜ工具が狙われる?】

なぜ、電動工具が狙われるのでしょうか?

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内装業者の岩崎憲一さんは、過去に5回ほど盗みの被害に遭いました。「被害額は、20万円、30万円ぐらいはありますね。廊下などに出してたんですよ。部屋の前に置いていたらなくなって、その間たった2分3分ぐらいですかね」

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病院やマンションなど、規模の大きな建物の建設現場では、複数の業者が作業していて、見知らぬ人がいても不審に感じることは少なく、被害に遭いやすいといいます。

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また、盗まれた物のほとんどが質屋やネットオークションなどで売られていて、電動工具が高値で売れることも被害につながっています。

一方、被害届を出さない人が多いのも、工具窃盗の特徴です。福岡市内で大工として働く米倉善明さんも、過去10回あまり被害に遭いながら、ほとんど被害届を出したことがありません。「被害届は1回提出しただけで、あとは出していません。どうせ戻ってこないだろうというのがあるので、すぐに新しい工具を買いに行きますよね」

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被害を届け出ない理由の1つに、工具の所有者の確認が難しいことが挙げられます。電動工具には、メーカーの保証など、工具と所有者を結びつけるものがありません。その理由は、壊れた原因が、初期不良などメーカー側にあるのか、大工が使ったことによるものか、判断するのが難しいためです。米倉さんは、盗まれた工具を警察署から返されたことがありますが、受け取るときに自分のものだと証明することが難しかったといいます。「警察署で『これは自分の工具です』と言うと、警察からは『なぜ分かるんだ』と。そういう言い方をされました。これだと、正直なところ、盗まれても諦めますよね」

【対策始まる】

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対策に乗り出したところもあります。神戸市にある情報通信会社では、工具の製造番号と所有者の情報を結びつけて管理するシステムを開発しました。さらに、警察と連携し、情報を共有する取り組みを試験的に始めています。

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連携の仕組みです。所有者は購入した時に工具の情報を登録します。警察は、所有者の分からない工具があった場合、会社のデータにアクセスして製造番号を検索します。これにより、工具の所有者の情報を知ることが出来ます。この取り組み、兵庫や愛知など4県の警察で、試験運用されているということです。

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また、転売を防止するためのQRコードも考案しました。携帯電話で読み取ると、「防犯登録されている」というメッセージが表示されます。このシステムを開発した会社では今後、工具を販売する店舗などに呼びかけ、登録の普及を進めるほか、警察とも連携して、被害に遭った所有者に速やかに返却される仕組みを作っていきたいとしています。「自転車のように、買ったら必ず登録してもらい、警察に届けを出せば、盗まれても出てくる可能性があるということを、しっかり広めていける形にしたい」(神戸市の情報通信会社)

【取材後記】
私たちが日常生活の中で物を盗まれた場合、警察に届け出ることが多いと思います。しかし電動工具の場合、「警察署に足を運ぶことで、作業仲間に迷惑がかかる」といった声や、建設現場に警察官が入ることで、工期が遅れることを懸念する声など、盗まれたことの届け出よりも、現場を心配することを優先する声が多く聞かれました。また、「その日の仕事ができなくなるので、『工具を忘れた』と言って、その足で買いに行く」と話す大工もいました。さらに、やむにやまれず、ついつい現場に工具を置きっ放しにしているケースも多いというのです。現場から数百メートルも離れた場所にしか駐車場がない建設現場も多く、毎日のように重い工具を持って現場と駐車場を往復するのは、それだけで重労働だというのです。とはいえ、電動工具は仕事をする上で必要不可欠です。その認識が強いだけに、被害届を出さないことにもつながっているようにも思いますが、逆に、その認識の強さを、仕事に欠かせない電動工具を絶対に盗まれないよう、しっかり管理していこうという思いにつなげて
みてはどうかと取材を通して感じました。

福岡放送局記者 福原健

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:10時51分 | 固定リンク


2019年03月05日 (火)産後うつから母親たちを守れ


「産後ぽろぽろ涙が出てきた」
「死んでしまいたいという気持ちが頭をよぎった」。いま、出産した母親の10人に1人が「産後うつ」にかかると言われています。症状が重くなると自ら命を絶つ母親もいる「産後うつ」。赤ちゃんの世話をしながら、つらい症状に悩むお母さんたちを救おうと、自らも「産後うつ」を経験し、久留米市を中心に活動を始めた女性を取材しました。

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産後うつの当事者などが集まる座談への参加を呼びかけるSNSです。

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座談会の運営メンバーで佐賀県鳥栖市の大坪香織さんは、11歳の長女と6歳の長男の2児の母親です。大坪さんも産後うつの経験者です。11年前に長女を出産したあと、気持ちが落ち込むようになったと言います。「娘のおっぱいの吸いが悪くて、夜中に30分おきとか1時間もつかなという状況の中で、だんだん気持ちが落ち込んでいくようになり、気がついたら涙がぽろぽろ出るような状況になっていました」(大坪香織さん)

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その後、娘の泣き声が幻聴となって聞こえるほど追い詰められていったといいます。妻の異変に気づき、病院に行こうと勧めたのは夫の暢人さんでした。出産から2か月がたっていました。

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「自分も大変なこともあり、きつかったこともあり、言い合いをすることも結構あったので、今のままではだめだろうなというのははっきりわかっていました。病院に行くことを含め、負担が減る方法などを一緒に考えました」(夫の暢人さん)

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そして、夫婦で精神科を訪れたところ、香織さんについて、医師から自殺の一歩手前だったと告げられました。

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「『何で、もっと早く来んかったとね』と言われました。『あんたの奥さんは昔で言うなら赤ちゃんば抱えて、肥だめに身を投ぐうこた状態ですたい』と言われました」
長女を暢人さんの実家に預け、香織さんは入院しながら投薬治療を続けました。ひと月半ほどで症状は治りました。その後、普通に子育てをしていた大坪さんですが、5年後、再びうつの症状に襲われます。2人目の長男を妊娠したのがきっかけでした。
「望んでいたのに、もう妊娠が分かった瞬間にワーっと気持ちが引き戻されるというか、娘の時のように、あっという間にうつ状態に戻ってしまいました。『どうなるんだろう・・・』というえたいの知れない不安でした」

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出産前に始まったうつの症状は、産後1か月ほど続きました。死んでしまいたいという気持ちも頭をよぎったと言います。

その気持ちを思いとどまらせたのはまわりのサポートでした。夫の暢人さんは、長男の授乳や幼稚園に通う長女の世話などを積極的に行いました。また、治療にあたった精神科や産婦人科の医師と母乳マッサージの助産師の3人が連携して、ささいなことであっても相談に応じ、不安を取り除いていきました。

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「今、産後うつで苦しんでいる人がまわりにいる方は、産後うつのことがよく分からないから関わることをやめるのではなくて、できれば当事者の方のもとに飛び込んでいって、話をきいてもらえればと思います。そうすれば、産後うつで悩んでいる方の大変な気持ちは、少しずつかもしれませんが、なくなっていくのではないかと思います」(夫の暢人さん)

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「私の命と子どもの命の2つの命が助けられ救われ、私は今こうして生きています」

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産後うつを経験した大坪さん。つらい症状に悩むお母さんたちを救おうと、みずからの体験を外に向けて語るようになりました。そのうちの1つがほぼ毎月開かれている「うつうつお母ちゃんの座談会」です。

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悩みを1人で抱え込まず、まわりが支えて母と子の命をつないでいく。大坪さんの願いです。
「私をサポートしてくれた方々は、私の次の一歩がどうなるかをすごく心配してくれていました。今こうやって話をしているのは、当時サポートしてもらったことを、身にしみてありがたく感じているからなんです。そんな中で『あなたは1人じゃないよ』と伝えられることは意味があると考えています。また、実際に産後うつを経験した人間として、できる限り伝えられたらいいかなと思っています」

【取材後記】
取材中、大坪さんが宝物にしているという、長女が書いた絵を見せてもらいました。一つはうつ状態だったときの大坪さんの顔が描いてありました。目は閉じていて、暗い表情でした。そしてもう一つは、うつ状態から回復したあとに書かれた絵で、笑顔で明るい大坪さんの顔が描かれていました。大坪さんは「回復したときには必ず子どもも笑顔に戻ることができます。だから暗い気分の時、目の前にいる子どもへの影響を心配しすぎないでほしいです」と話していました。大坪さんは現在、うつうつお母ちゃんの座談会の他にも、産前産後メンタルヘルスサポーター「とき紡」という名前で個別にサポートする活動なども行っています。この「とき紡」という名前には、「1日1日の命をつないでいく」という思いが込められています。私は「今、産後うつで苦しんでいる方に向けて、メッセージをお願いします」とお願いしてみました。すると大坪さんは「今、本当につらい思いをされているとは思いますし、明日が来るんだろうかって思っていると思います。それは私も経験したことなのでわかります。でも、とにかく1分1秒、1日1日、その日、1日だけ
から過ごして欲しいと思います。その1日を過ごすことが生きることであって、命をつなぐことだとおもっています。必ず、回復の道は開かれていくので、余力のあるうちに助けてと声をあげてほしいです」と答えてくれました。産後うつの問題はだれにでも突然起こりうる問題です。周囲の人が身近な問題としてとらえ、母親と子どもの2つの命を守るために、サポートしていくことが必要だと強く感じました。

久留米支局記者・山崎啓

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:11時28分 | 固定リンク


2019年01月16日 (水)"帰りたいけど帰れない"~長期避難世帯集落は今~


平成29年7月の九州北部豪雨から1年半あまり。避難生活を続けている人は福岡県と大分県で今も1000人を超えています。このうち、福岡県朝倉市では、杷木松末地区と黒川地区の6つの集落の91世帯が、二次災害のおそれがあるとして「長期避難世帯」に認定されています。日中は出入りできますが、もとの自宅に住むことができない状態が続いています。再建への希望を持ち続けながらも、不安を募らせる集落の人たちの今を取材しました。

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朝倉市の山あいに位置する杷木松末地区の石詰集落。この集落に暮らしていた人たちは長期避難世帯に認定されています。豪雨から1年半がたっても、崩れた斜面の山肌はむき出しになったままです。

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「とにかく、これから上が全部流れてですね・・・」。石詰集落の区長、小嶋喜治さんも自宅に住むことができなくなり、毎日のように仮設住宅から集落に通い、復旧工事の進捗状況を確認しています。

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今後、長期避難世帯の認定が解除され、再び住めるようになるには「危険性が低くなった」と判断される必要があります。しかし、その判断ができる本格的な復旧工事の完了まで、あと何年かかるのかは見通せていません。

「今は、河川や道路復旧の本格工事が始まるまでのブロックをずっとつくっている。100個、200個じゃ足りない。何万個といりますけんね。1、2年で終わる工事じゃない」(小嶋喜治区長)。

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そうした状況の中、小嶋さんは集落に暮らしていた住民たちの不安をひしひしと感じています。

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小嶋さんとともに石詰集落で生まれ育った、小ノ上喜三さんです。
自宅は全壊。営んでいた柿農園も一部が流されましたが、川のすぐそばでかろうじて残った選果場で作業を続けています。ふるさとを捨てられないと思っているからです。

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「ここは一生かけて整備して、自分の一生が詰まっていますからね。これを捨てるというのは自分を捨てるような風に感じますからね」(小ノ上喜三さん)
しかし、もとの暮らしを取り戻したいと思っても、先はまったく見通せません。

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「今ある家でも残れるのは4~5軒じゃないですか。4~5軒の家でこの集落を維持していけるのか心配しています」(小ノ上喜三さん)将来が見通せない中でも、区長の小嶋さんは、集落の絆だけは失いたくないと考えています。

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そこで、年末には集落の入り口に、高さおよそ2点7メートル、土台の幅もおよそ80センチある大きな門松をつくりました。復興への願いを込めてです。

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年明けには、去年豪雨で行うことができなかった、「鬼火たき」も行いました。住民など40人以上があつまり、勢いよく燃え上がる炎を見ながら、1日も早い復興を願いました。そして、久しぶりに顔を合わせた集落の住民たちと一緒に、お餅を食べたり、お酒を飲んだりして、以前のような楽しいひとときを過ごしました。

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門松づくりも鬼火たきも、住民がひとときでも笑顔になってほしいと小嶋さんが企画しました。「長期避難世帯に認定された集落であっても、再建への希望は持ち続けたい」。小嶋さんの願いです。

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「やっぱり生まれ育ったところが一番大事ですけんね。とにかく、1日も早く、普通の生活に戻ってもらいたいです」


【取材後記】
「きょうのように住民のみなさんと顔を合わせるのが何よりも楽しみです」年明けの鬼火たきを取材した際に小嶋さんは私にそう話してくれました。住民たちと笑顔で話す小嶋さんが印象的で、ほんとうにこの集落のことが大好きなのだなと改めて感じました。小嶋さんは「集落のために」と、2年が任期の区長を1年延長しています。長期避難世帯がいつ解除されるかわからず、先が見えない中で、さまざまな悩みや不安を抱えながら、それでも集落のことを考え、絆を大切にしている姿が深く心に残りました。私自身、今後も継続して、石詰集落を、そして九州北部豪雨の被災地を取材していきたい。そう強く思いました。

久留米支局記者 山崎啓

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18時25分 | 固定リンク


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