九州・沖縄クロスポイント

2018年10月04日 (木)vol.5 ゴミへの挑戦~世界に広がる「福岡方式」~


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九州・沖縄ゆかりの人々のその後を「決定づけた」場所と時間を探り、その人の人生をたどるミニ人間ドキュメント「九州クロスポイント」。5回目は、福岡大学の名誉教授、松藤康司さん(70)に迫る。51年前、福岡大学薬学部に入学した松藤さん。卒業にあたり、長崎県五島列島の福江島にある総合病院で現場実習を行った。そこで出会ったのが、今からちょうど50年前に問題となった「カネミ油症」の患者たちだった。福江島では、原因となる食用油が多く流通し、被害が集中していたのだ。油症患者との出会いをきっかけに、公害に関心を持つようになった松藤さん。このまま薬の勉強を続けていくのか疑問を持っていたとき、教授から、当時確立されていなかったゴミの処分技術の開発プロジェクトに参加しないか誘われた。ひとり海辺で自分と向き合い、悩んだ松藤さんは、ゴミ問題に取り組むことを決意した。
それから半世紀。松藤さんが開発に携わったゴミの処分技術「福岡方式」は、自然の力を生かし、ゴミから出る水をきれいにするだけでなく、メタンガスの発生も抑制することから、世界中から評価されるようになった。松藤さんは、今では世界中を駆け回り、ゴミ処分場の開発の支援を行っている。リポートでは、松藤さんの半世紀を振り返り、その原点と公害、公衆衛生への思いを伝える。

■問い合わせ
▽福岡大学工学部 社会デザイン工学科 水理衛生工学実験室
電話:092-863-8238
▽NPO SWAN-Fukuoka 松藤康司
電話:092-862-3166

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 【取材者のひとこと】
「たまたまそこに生まれただけで」。松藤さんがインタビューで口にしていた言葉です。カネミ油症も、水俣病などの公害もたまたま食べてしまった、そこに住んでいただけで、何の罪もない人たちが被害にあっていた。松藤さんは、もし、自分がそこにいたら、自分もそうなっていたかも知れないと、他人事ではなく、自分事として考えていたのです。そして、それが、今、世界中を駆け回りながら出会うゴミ山で暮らす人々とも重なっているのではないかと思いました。ゴミの処分場の開発は、ただ、環境をよくするためではなく、そこに暮らす人々を苦しませる貧困問題にもつながり、まさにその地域に住む人々の生活を改善するための糸口ともなっているのです。だから、松藤さんは、70歳になり、福岡大学を退職した後も、止まることなく、世界各地に足を延ばしています。松藤さんの取材を通じて、私自身、自分にできることを改めて考えさせられました。このリポートが皆さんにとっても、別の地域、国で起きていることを自分事として考える一つのきっかけになれればと願っています。

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18時30分 | 固定リンク


2018年09月06日 (木)ボタ山のかげで ~画家の見た筑豊~


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日本を代表する洋画家・野見山暁治さん、97歳。目に見える現象ではなく、物の背後に横たわる力をキャンバスに収めようとしてきました。今もなお、創作に対するエネルギーは衰えることを知りません。
そんな野見山さんが画家としての原点と語るのが、故郷の炭鉱町・筑豊の風景です。野見山さんは、福岡県嘉穂郡穂波村(現飯塚市)に炭鉱主の長男として生まれました。17歳の時、東京美術学校に進学。しかし、戦争が青春時代に大きく影を落とします。中国東北部旧満州で従軍した後、病に倒れ、生死の境をさまよいます。九死に一生を得て、福岡市内に送還され終戦を迎えます。焼け跡の中で描くべきものを見失っていた野見山さんの脳裏に浮かび上がったのは、故郷のボタ山の姿でした。野見山さんはその後、表面的な美しさではなく、景色や物の裏に潜む力強さに興味を抱いていくようになります。
この夏、巨匠画伯は、自身の原点・故郷筑豊へと向かいました。終戦直後、炭鉱と出会ったことが、画家の世界をどのように決定づけたのか。番組では、野見山さんに密着、インタビューを通して明らかにします。

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■番組で紹介した絵画

「ある証言」(1992年)「岳」(1966年)
「自画像」(1947年)「廃坑(A)」(1951年)

■県内で野見山さんの絵が見れる場所
▽JR博多駅 新幹線コンコース 福岡空港 国際線ターミナル

■今月行われる野見山さん関連展示会
▽久留米市立美術館 9日(日)まで
▽佐賀市天神 画廊憩ひ 18日から30日まで

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投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18時30分 | 固定リンク


2018年07月27日 (金)vol.3「出会いが生んだ博多のキムチ」


博多区千代に、50年にわたって愛され続けているキムチ店がある。店に並ぶのは、白菜はもちろん、オクラにワカメ、セロリ、山芋からゴーヤまで、バリエーションに富んだキムチの数々だ。
店主の横尾満行さん(77)がキムチを売り始めたのは20代のころ。当時、漬け物屋を営んでいた大津町商店街の近所には、朝鮮半島出身の人が数多く暮らしていた。終戦後、祖国に戻れず福岡に残った人々が、御笠川の脇にバラック小屋を建て、身を寄せ合うように生活していた。在日コリアンの人々に「漬け物を売っているならキムチ作ってよ」と頼まれた横尾さん。当時キムチは日本人には馴染みがなかったが、作り方を教えてもらい、キムチ作りを始めた。やがて、キムチの奥深さに魅了された横尾さんは、韓国にも足を運んで研究を重ね、在日コリアンの人々にも納得してもらえるキムチが作れるようになった。いま、キムチ作りは、横尾さんの2人の娘に受け継がれようとしている。
戦後の復興期、在日コリアンとの出会いによって生まれたキムチ。横尾さんのキムチ作りの原点をひもとき、福岡の戦後史の一片を見つめる。

■キムチ店について
▽横尾商店(博多せんしょう内)
住所:福岡県福岡市博多区千代3丁目19番1-115号
電話:092-641-4510

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投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:17時00分 | 固定リンク


2018年06月14日 (木)vol.2「地雷撤去支援・大谷賢二~好奇心が支えた国際貢献」


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九州・沖縄ゆかりの人々のその後を「決定づけた」場所と時間を探り、その人の人生をたどるミニ人間ドキュメント「九州クロスポイント」。その2回目は、福岡市博多区出身の大谷賢二さん(67)を取り上げる。反ベトナム戦争などの学生運動が盛んに行われていた1971年に九州大学に入学した大谷さん。大谷さんは、時には暴力を辞さない学生たちの姿に違和感を覚え、学生運動に距離を置いていた。「自分の目で見て感じたい」。大学時代、大谷さんは、本土に復帰する前の沖縄や、国交樹立前の中国に自ら足を運び、様々な価値観の国際社会の中で自分が何をできるのかを深く考えるようになった。そして、卒業後、世界97か国を歩き渡り、22年前、カンボジアとの出会いがあった。カンボジアの地雷原の地域では、内戦が終わったあとも地雷が埋められたままになっていて、今でも被害者が出ている。大谷さんは、地雷被害者をゼロにしたいという思いで、国際NGO「カンボジア地雷撤去キャンペーン」を立ち上げ、地雷の撤去活動や被害者の生活の支援などを始めた。さらに、こうしたカンボジアの現状を日本の子どもたちにも知ってもらおうと、全国で1000を超える小中学校を訪ね、講演活動を続けてきた。ことしで20年を迎えたこの活動。大谷さんの活動の原点となった大学時代を振り返り、大谷さんの活動にかける思いに迫る。

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【取材者のひとこと】
先月、20周年を迎えた「カンボジア地雷撤去キャンペーン」。活動を続けている大谷さんを突き動かした、その原点に何があるのだろうと、取材を始めました。1951年に生まれた大谷さん。子どものころ、近くに板付基地があったため、米軍機が頭上を飛んでいることが当たり前だったといいます。そのせいか、大谷さんは、ベトナム戦争について興味を持ち、日本と離れた国で起きている戦争を、自分事として考えていました。だからこそ、大学時代、平和のために自分に何ができるのかを考えていたのではないかと取材を通して感じました。大谷さんのこうした経験が、後のカンボジアでの活動につながっていると聞き、世界で起きていることにしっかりと目を向け、自分に何ができるのかを考えることの大切さを学ばせていただきました。

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18時30分 | 固定リンク


2018年04月20日 (金)vol.1「写真家・鋤田正義~母への思いをシャッターに込めて」


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九州・沖縄ゆかりの人々のその後を「決定づけた」場所と時間を探り、その人の人生をたどるミニ人間ドキュメント「九州・沖縄クロスポイント」。新年度から始まる新コーナーの1回目は、福岡県直方市出身の写真家・鋤田正義さん(79)を取り上げる。イギリスのロックシンガー、デビッド・ボウイやテクノ音楽で世界を席けんした「YMO」など、国内外のスターたちのポートレートで世界的に知られる鋤田さんだが、「今も超えられない1枚」と話すのが、昭和31年、高校時代に実家の縁側で初めて撮影した母親の写真だ。父親を戦争で亡くし、戦後の貧しい時代を女手ひとつで子どもたちを育て上げ、苦労を重ねた母親への思いをシャッターに込められた1枚。この1枚が鋤田さんの写真家への道を切り開いた。昭和40年代、日本や世界が大きく揺れ動くなか、鋤田さんは社会を変えようという若者たちの熱気にレンズを向け、さらには、ロックスターに行き着く。半世紀以上にわたって、世界中の人々の心に刻む数々の作品を生み出してきた鋤田さん。母親、そして故郷の直方への思いに迫る。

■鋤田正義写真展
4/3~5/20
場所:直方谷尾美術館 直方市殿町10-35
電話:0949-22-0038

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【取材者のひとこと】
多くの人々にとって、おそらく見覚えのある海外の名だたるアーティストたちの写真が、日本人、さらには福岡・直方出身の写真家の手によるものだという驚きから取材を始めました。
そして、80歳を迎えることし、福岡に戻ってこられると聞き、鋤田さんの故郷への強い思いを感じ、原点となった場所や時代背景を伝えたいと思いました。インタビューを通じて、鋤田さんから感じたのは、常に時代の渦のなかに身を置いていたいという鋤田さんの強いバイタリティーです。九州に戻ったあとは「美しい自然を撮りたい」とおっしゃっていましたが、今後、どのような作品を出されるのかとても楽しみです。

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:10時20分 | 固定リンク


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