2018年08月08日 (水)中はとろっとろ!薩摩の白なす


なすなのに紫色ではなく緑色の果皮。中には真っ白のものも。決して失敗作ではありません。江戸時代から鹿児島に伝わる伝統野菜「白なす」です。病気に強く栽培も容易でかつては県下で広く栽培されてきましたが、収量が少なく形が不揃いで消費者からも敬遠されるため、市場に出回らず生産農家も減って、今ではほとんど作られなくなりました。
その白なすを栽培するのは、鹿児島市内で農園を経営する橋口孝久さん(67)。脱サラで農業を始め、薩摩伝統野菜の復興に取り組んでいます。中でも力を入れるのが白なすです。種を販売する業者もいないため、自家栽培で種も作ります。種作りに失敗すると将来の栽培継続も難しくなる中、栽培仲間たちと情報を交換しながら、より上質の白なす作りに取り組んでいます。
白なすは皮が厚いのが特徴。しかしぶ厚い皮に守られた中の実は柔らかく、料理すると別名「とろなす」と呼ばれるほどとろっとろで格別の味。6月下旬から8月いっぱいの収穫最盛期、見た目は少々悪くても味は絶品の薩摩野菜・白なす作りに奮闘する橋口さんの姿と、白なすの味の魅力を伝えます。

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■伝統野菜「白なす」

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■白なすを生産する橋口孝久さん

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■白なすを使った料理「白なすのそうめん」

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■白なすを生産している農園
▽橋口農園
〒892-0875 鹿児島市川上町3334-1
電話:099-243-7073

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■白なすを販売しているスーパー

▽タイヨー ONLY ONE 東郡元店
〒890-0068 鹿児島市東郡元町18番22号
電話:099-286-0558


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皆さん、「白なす」ってご存知ですか?
私は初めて出会いました!
なすといえば、皮が紫色で細長いイメージが強いですが、白なすは皮が緑色のものから真っ白なものまであり、色も形も様々。鹿児島では昔から食べられていた伝統野菜です。
この白なす、火を通すと、とっても美味しいんです。
今回は、郷土料理を研究している千葉しのぶ先生に「白なすのそうめん」を作って頂きました。口の中に入れると、甘くてとろっとろ!水分もたっぷりでとっても柔らかいんです。
しかし、このとろとろの白なす、生産者も消費者も今では少なくなってしまいました。
収量が少なく、不揃いで見た目も悪く消費者からも敬遠されてきたからです。
そのため、今では種も市販されておらず、生産者自身で種も取らなくてはなりません。
白なすを栽培する農園の橋口さんは、伝統あるこの白なすを絶やさないように、毎年種を残し、大切に育てています。
鹿児島の甘くてとろっとろの白なす。皆さんぜひ召し上がってみてくださいね!

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18:30 | カテゴリ:食いち! | 固定リンク


2018年08月06日 (月)黒木瞳さんにインタビュー


大女優を前に、ワタクシもいささか緊張しております・・・。

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黒木瞳さん。今月公開された映画『インクレディブルファミリー』で、
しっかり者の母親・ヘレン役の吹き替えを担当されています。
自分の姿をさらさず、声だけでキャラクターを演じる声優の仕事。
その魅力や、ふだんの女優としての表現とどう違うのかききました。

台本に書かれているうめき声ひとつとっても、
「うー」と「うーうーうー」では、心情が違う。
その違いは何か、とことんまでシミュレーションして臨まれたとか。
集中力が大事ですね?と問うと、
「それ以上に、体力です」と明るくにこやかに答えてくれました。

黒木さんといえば、八女市黒木町のご出身。
平成24年の九州北部豪雨の際には、地元を励ますために駆け付けました。
いつも絶やさない故郷への思いとは?
そして、今後挑戦したいこととは?
8月7日(火)のロクいち!福岡のなかで、じっくりお伝えします。

投稿者:中山庸介 | 投稿時間:13:53 | カテゴリ:中山庸介 | 固定リンク


2018年08月03日 (金)夏の全国高校野球 チーム紹介(福岡)


夏の全国高校野球。100回記念のことしの大会には福岡県から2校が甲子園に出場します。このうち、北福岡からは創部15年目の折尾愛真高校が春夏通じて初めての甲子園出場のきっぷをつかみました。

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★リポート動画はこちら

南福岡からはノーシードから甲子園出場経験のある強豪を次々と破った沖学園高校が初出場をつかみとりました。強さの秘密は一風変わったトレーニングにありました。

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★リポート動画はこちら

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18:30 | カテゴリ:スポロク! | 固定リンク


2018年08月01日 (水)さわやかな酸っぱさ!日向のへべす


マンゴーに牛肉にピーマン…
数ある有名農産物を誇る宮崎県が、この時期、イチ推しする食材が「へべす」だ。
クセがなく、さわやかな酸味が特徴の香酸柑橘「へべす」。知名度は高くないものの、1度使ったらやめられないと飲食店を中心に、宮崎だけでなく、全国にファンを増やしている。
「へべす(平兵衛酢)」は江戸時代に長宗我部平兵衛が見つけたことから名付けられ、日向地方で代々育てられてきた。78人の平兵衛酢部会員を束ねる会長の黒木和之さんは30年前、この「へべす」の可能性を信じ、農家だった父親の後を継いだ。10年以上部会長を務め、品質の向上や「へべす」の普及に尽力している。
また、近年は若手生産者の活躍により、東京・吉祥寺周辺の飲食店で「へべす」が定番のメニューになったり、加工品がコンテストで賞をとったりするなど、「へべす」が全国に広がりつつある。
地域の宝「へべす」を広めようと奮闘する生産者たちを紹介する。

■黒木和之さん(へべす生産者)
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■黒木洋人さん(へべす生産者)
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■熊野敏行さん(へべす生産者)
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■へべすの購入に関しては
▽JA日向ひむか彩館
住所:宮崎県日向市大字高富299-1
電話:0120-52-3178

■へべすサワーを提供していた三鷹市の居酒屋について
▽大嶋屋
住所:東京都三鷹市下連雀3-37-41
電話:0422-48-4434

■熊野さんが作るへべすの調味料について
▽宮崎県門川町 熊野農園
電話:090―8058-5060

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「平兵衛酢」みなさんこの柑橘、ご存じでしたか?
へべすと読みます!江戸時代から日向に伝わる柑橘なんです!
九州・沖縄だとかぼすやシークワーサーなどが有名ですが、かぼすより少し小さく、さわやかでフレッシュな香りが特徴。
この香りで、暑い夏でも食が進みます!
先日、自宅でしょうゆにへべす果汁を加えた”へべすしょうゆ”をかけた冷ややっこを作ったのですが、おいしすぎて半丁食べてしまいました…!
さっぱりしているのに、なんだかクセになる味と香り!私もすでにやみつきです☆
へべすは、和・洋・中どんな料理にでも相性がいいということで、レシピは無限大!
今回ご紹介させていただいた熊野さんは、ご自身で開発したレシピをブログで発信しているんだそう!その数なんと40近く!
料理初心者の方でも簡単に作れるレシピばかりだそうですよ~
そして、若手生産者・黒木洋人さんは、へべすを多くの人に楽しんでもらおうと、へべす料理が楽しめるカフェを作っちゃいました。また、へべす風呂が楽しめる宿泊施設を年内にオープンする予定なんたそうです!
今回日向市に取材に伺って、平兵衛酢部会長の黒木さんを始め、若手からベテランまで、へべす愛をそれぞれの形で発信していることを知り、とても温かい気持ちになりました。
これからさらにへべすの生産量を上げるべく、いま県をあげて取り組んでいます!
へべすのこれからに、注目ですね!

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投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18:30 | カテゴリ:食いち! | 固定リンク


2018年07月27日 (金)vol.3「出会いが生んだ博多のキムチ」


博多区千代に、50年にわたって愛され続けているキムチ店がある。店に並ぶのは、白菜はもちろん、オクラにワカメ、セロリ、山芋からゴーヤまで、バリエーションに富んだキムチの数々だ。
店主の横尾満行さん(77)がキムチを売り始めたのは20代のころ。当時、漬け物屋を営んでいた大津町商店街の近所には、朝鮮半島出身の人が数多く暮らしていた。終戦後、祖国に戻れず福岡に残った人々が、御笠川の脇にバラック小屋を建て、身を寄せ合うように生活していた。在日コリアンの人々に「漬け物を売っているならキムチ作ってよ」と頼まれた横尾さん。当時キムチは日本人には馴染みがなかったが、作り方を教えてもらい、キムチ作りを始めた。やがて、キムチの奥深さに魅了された横尾さんは、韓国にも足を運んで研究を重ね、在日コリアンの人々にも納得してもらえるキムチが作れるようになった。いま、キムチ作りは、横尾さんの2人の娘に受け継がれようとしている。
戦後の復興期、在日コリアンとの出会いによって生まれたキムチ。横尾さんのキムチ作りの原点をひもとき、福岡の戦後史の一片を見つめる。

■キムチ店について
▽横尾商店(博多せんしょう内)
住所:福岡県福岡市博多区千代3丁目19番1-115号
電話:092-641-4510

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投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:17:00 | カテゴリ:九州・沖縄クロスポイント | 固定リンク


2018年07月27日 (金)夏まっさかり!


2週間ぶりのブログ、失礼いたします。
「山笠とともに、本格的な夏がやってくる」
そんな言葉を肌で感じるきょうこの頃です。

はじめの博多祇園山笠。
夜明け前から多くの人で埋め尽くされる街の様子に
圧倒されました。

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福岡出身、女優の奈緒さんとともに1枚。
博多織の浴衣がお似合いです。

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熱気あふれる山笠の模様は、
29日(日)午前11時から、BSプレミアムでダイジェスト版を放送します。

山笠の後は、続く猛暑に耐えかねて、
涼しいところに出かけることにしました。

大分県九重町にある九重“夢”大吊橋です。
歩行者専用橋としては日本一高い吊り橋。
吹き抜ける涼しい風に気分も最高!でしたが…。

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いざ渡ってみると、ちょっと怖い…。

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真下の川までおよそ170m。
足がすくみます。

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実は、高所が若干苦手でして、
冷や汗がにじむ瞬間でした。

吊り橋の次は、高原を満喫!
くじゅう連山の北側にあるタデ原湿原を散歩しました。

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清々しい空気を吸い込んで、発声練習!

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小さな花々にも癒されます。
手に何か違和感を感じて思わず見ると…。

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トンボが遊びに来てくれました。
カシャっと撮影すると、静かに飛び立っていきました。
自然の中で、ほてった体と心を大いにクールダウンできた
休日でした。

投稿者:中山庸介 | 投稿時間:16:09 | カテゴリ:中山庸介 | 固定リンク


2018年07月25日 (水)豪雨を乗り越えた「川茸(かわたけ)」


福岡県朝倉市の黄金川(こがねがわ)に自生する「川茸(かわたけ)」(スイゼンジノリの名前でも知られています)。約200年以上、地元の人々に愛されている珍味です。近年、温暖化による水温の上昇、水不足や生活排水による黄金川の水質変化により、2006年には環境省の定める「絶滅危惧種IA類」に指定されました。黄金川の「川茸」を生産・販売している、1793年創業の川茸を専門に扱う老舗では、17代目の遠藤淳(じゅん)さん(49)が、いまその伝統を受け継いでいます。収穫しゴミを取り除き、5時間塩に漬け込んだ後、再び選別するという作業は全て手作業。200年以上変わらない製法を守り続けています。
しかし去年、朝倉市を襲った九州北部豪雨。川茸のほとんどが豪雨で流されてしまい、去年は出荷することが出来ませんでした。それでも17代目は、従業員たちで川の整備を行い、何とかわずかに残っていた川茸を育て、今年4月に入りようやく収穫出来るようになりました。
ゼラチン質でツルツルした食感が魅力の川茸。生のまま三杯酢でいただくのが、17代目のオススメです。

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△川茸が自生している黄金川

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△川底で育つ川茸

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△1793年(寛政5年)創業
川茸を専門に扱う老舗の 17代目、遠藤淳さん

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△綺麗な色合いになり製品となった「川茸」 

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■川茸を専門に取り扱っている老舗
▽遠藤金川堂
住所:〒838-0031 福岡県朝倉市屋永2949
電話:0946-22-2715


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福岡県朝倉市の「川茸(かわたけ)」。みなさん、ご存知でしたか。
プルプルとしていて、涼しげな緑色が印象的ですよね。
全国的に自生しているのは、朝倉市以外にはほとんどないと言われていています。絶滅危惧種にも指定されています。朝倉市に行かないとなかなか食べられない貴重な食材です。
そんな貴重な川茸が去年、九州北部豪雨の被害にあい、8割が流されてしまいます。その危機を乗り越えることができたのは、地元の人たちの協力があったからでした。豪雨により荒れてしまった川の清掃を行い、わずかに残った川茸を大事に育てたのです。地元の人たちの、川茸を大切にしたいという思いを感じました。
200年以上受け継がれてきた川茸。これからも大切に守り続けていってほしいですね。
川茸は初夏から夏が1番おすすめだそうです。皆さんもぜひ召し上がってみてください。

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:18:30 | カテゴリ:食いち! | 固定リンク


2018年07月23日 (月)きのうの敵はきょうの友


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7月の西日本を中心とした記録的な豪雨では、住宅だけでなく、工場なども被災して、途方に暮れている事業者の方がいるかもしれません。1年前の九州北部豪雨でも朝倉市では300余りの中小企業が被災し、1年がたった今も、売り上げが被災前の水準に戻っていない企業もあるといいます。こうした中、被災しながらも、いち早く操業を再開し、業績が豪雨前の水準を取り戻している会社があります。背景には、ライバル企業からの知られざる支援がありました。

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朝倉市にある建材メーカーのオークマでは、ハウスメーカー向けに住宅用のドアなどを作っています。

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工場もあるオークマの会社の裏には妙見川が流れています。

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「この川は普段は10,20センチくらいの水かさで非常に穏やかな川なんです」(オークマ 大隈賢一郎 副社長)

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九州北部豪雨では、この妙見川が氾濫。工場に大量の泥水が流れ込み続けました。

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商品のドアおよそ8000枚がだめになり、工場の機械も壊れました。被害は数億円にも及び、操業中止に追い込まれました。

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「仕事ができなくなってしまうので、売り上げもなくなる。いろんなもう不安要素が頭をかけめぐったような状況でしたね」(オークマ 大隈賢一郎 副社長)。先が見通せない中、オークマにあるところから支援の手がさしのべられ助けられたといいます。それは、意外な相手でした。

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オークマを支援してくれた先は、朝倉からおよそ700キロ離れた岐阜県下呂市にありました。建材メーカーのハウテックです。

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オークマと同じ、住宅用のドアを作っています。ハウテックとオークマは互いに、同じハウスメーカーに商品を販売するなど、30年来、しのぎを削ってきたライバル企業です。

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ハウテックの中川正之社長は、朝倉の豪雨のニュースを見て、オークマからの商品の供給が止まり、自分の客でもあるハウスメーカーが困るのではないかと即座に感じたといいます。

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「オークマさんのお客さんに対する納入が滞るだろうから、まず第一にお客様が困るだろうと思いました。すぐ役員にLINEを送り、オークマさんにとりあえず状況確認の電話をしてくれと伝えました」(ハウテック 中川正之社長)

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中川社長はすぐに商品の増産と輸送ルートなどの確保を社員に指示しました。社員たちは、残業や休日出勤で増産に対応。商品のこん包方法をオークマと同じ仕様のものに変えたり、九州や四国など配送したことのない遠い地域にまで商品を運び、利益もほとんど出ない中で商品を供給し続けました。

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ハウテックの中川社長は、単に、自分の客のハウスメーカーを助けたいという気持ちだけではなかったといいます。「長年よきライバルとして頑張っておられるオークマさんですよね。お客さんも困っているし、オークマさんも困っている。だったら我々がなんとかしなければという気持ちがありました」

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「ハウテックさんの話を伺ったときは心からありがたいと思いました。感謝の気持ちしかないのが正直なところです」(オークマ 大隈賢一郎 副社長)

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オークマはその後、被災から1か月あまりで操業を再開しました。ライバルのハウテックは、商品を納めたあと、オークマの顧客を囲い込むことなく返してくれました。このため、オークマは操業再開後も顧客を失うことなく、売り上げはすぐに被災前の水準に戻ったと言います。ライバルがこけたら、助けるより、客を奪うチャンスと考える企業もあると思います。これまでの災害現場での企業取材を通して、操業を止めている間、顧客を奪われて、操業再開後も客を取り戻せず、経営が厳しくなる企業も多いと聞きました。
そういう事態を避けるためにも、まさに「きのうの敵はきょうの友」ではありませんが、今回のような企業どうしの助け合いが専門家も効果的だと指摘しています。

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「自助には必ず限界があります。今回のケースは機転が利いてうまくいったケースですが、たまたまにしないためには仕組みとして、自治体や商工会議所などが、どうすればこうした取り組みを推進できるか、どうしたらマッチングできるかを考えていただきたいと思います」(名古屋工業大学大学院 渡辺研司 教授)

【取材後記】
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日本海側の新潟と太平洋側の神奈川のメッキ組合は、災害時に生産を代行するため、人や工場を融通し合う協定を結んでいるといいます。事前に相手の工場を視察して、同じ仕様で製品を作れるようにするなどの対策も進めているということです。これは、中越地震や東日本大震災を教訓に結んだもので、距離が離れた地域どうしだと、同時に被災する可能性も低いため、違う地域同士の連携も重要だと感じました。

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ことしも西日本を中心とした豪雨など、各地で災害が頻発しています。BCP=事業継続計画など、災害に自ら備える“自助”はもちろんのこと、他の企業と連携する“共助”を模索するなど、いま一度、企業の備えは十分か、見直す必要があると感じました。

福岡放送局記者 仲沢啓

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:10:48 | カテゴリ:WEBいち! | 固定リンク


2018年07月23日 (月)進化が伝統!~博多織の挑戦~


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絹糸の光沢や独特の質感で多くの人をひきつける博多伝統の「博多織」。その技法が鎌倉時代に今の中国から福岡に伝わってことしで777年の節目の年を迎えているのをご存じでしょうか?長い歴史があり、博多の誇りでもある「博多織」ですが、着物がふだん着でなくなった今、地元でも「特別なもの」、「遠い存在」というイメージが広まっているのが実情です。そこで、博多織をもっと身近に感じてもらおうと、博多織の織り元たちが新しい商品づくりに挑み、博多織の可能性を切り開こうとしています。ヒントにしたのは博多織の777年の「進化」の歴史でした。

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博多を代表する国の伝統的工芸品・博多織。上質な絹糸で紡がれる帯などに多くの人が魅了されます。何といってもその特徴は縦糸の多さです。ほかの産地の織物に比べ3倍近い量で織ります。

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糸を隙間なく密集させるため、生地に厚みやハリが出て、丈夫で傷みにくいのが特徴です。さらに横糸の量とのバランスをはかり、織物の表面にわずかな凸凹のようなものを生み出すことで、結んでもずれにくく、ゆるみにくい作りに仕上がります。特に男帯は「朝締めても夕方までゆるまない」と評されてきました。

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江戸時代に編さんされた筑前国続風土記

博多織が一躍知られるようになったのは、江戸時代です。武士の間で評判が広がりました。重い刀を腰に差しても帯がゆるまず、生地が丈夫なので、長もちもすると重宝されました。古文書にも博多織の特徴が書き記されていました。
『唐織の絹帯 強くて久敷きに堪ふ』(訳 唐織=博多織の絹の帯は強くて長持ちする)

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今も「博多祇園山笠」の男たちにとって、博多織は欠かすことのできない1品だといいます。丈夫でゆるみにくいからです。

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「1回締めたら、もうゆるみにくい。小物袋を帯にぶらさげとっても、全然ゆるまんけんですね」

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博多織の織り元の人たちが集まって新商品の開発を進めていると聞いて、私は取材に出向きました。この集まり、その名も「博多テックス」。織物を意味する「テキスタイル」からとったそうです。なぜ新商品を開発するのか?そこには織り元たちの危機感がありました。実は、博多織の織り元は昭和50年には170社近くありましたが、今では47社に減っています。着物を着る機会が減り、根強い人気を集めてきた帯の需要が落ちているからです。

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背もたれや座面など、生地はすべて博多織。「博多テックス」が手がけようとしているのは、博多織とコラボレーションした家具です。全国有数の家具産地、大川の家具店やデザイナーと協力して商品化を目指しています。耐久性が求められる家具は、丈夫さが特徴の博多織との親和性が高いと考えたからです。日々の暮らしに欠かせない家具に使われれば、博多織をよりみじかに感じてもらえるのではと考えています。

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「いままでの技術を生かしたものをつくるためには、いろんなものに挑戦する。それが博多織の今後の将来の生きる道ではないかなと思います」(博多テックス呼びかけ人 原田織物 原田昌行社長)

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ところが課題が見つかりました。生地は、強い力で引っ張った上で家具に貼り付けます。博多織は縦や横の方向に加わる力に対しては強く作られていますが、斜め方向に加わる力に対しては、比較的弱いのです。このため、家具に貼り付けた生地は何度も座るうちによれてしまう上、せっかくの柄も変形してしまいます。家具に求められる丈夫さは帯以上のものだったのです。

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「生地を下に引っ張ってとめるので、角の部分はどうしても斜めに引っ張らないといけないところが出てくる。その結果、柄がどうしてもいびつな形になる」。(大川家具 丸仙工業 設計デザイナー飯田真生さん)

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「『博多織は強い』というのは、和装・帯の世界の話なんです。日本の工業製品の中での耐久テストをすると、そんなに強いものでもないんですよね。伝統的工芸品として生産を続けるのか、工業製品として新しいものをつくるのかという岐路に立っていると思います」。(生地の開発を担当 サヌイ織物 讃井勝彦社長)

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岐路に立つ博多織。しかし博多織には、これまで幾度となくピンチをチャンスに変えてきた歴史がありました。江戸時代の人気歌舞伎役者、七代目市川團十郎が使った博多織の帯や衣装を再現したレプリカです。粗悪な模造品が出回ったりして博多織の帯が伸び悩んだ際、当時の織り元らは、帯だけでなく着物や羽織まで作りました。そして武士のためだけでなく、それまで関わりがなかった歌舞伎の世界に博多織の売り込みを図ったのです。

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「“この博多の帯は唐織で強くてゆるまねー”って言って口上してくれるんです。一躍、江戸の町に博多織の名声が広まったって逸話があります」(原田織物 原田昌行社長)

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(博多織工業組合所蔵『博多織史』 明治期の博多織ネクタイ)

その後も、洋服が広まり始めた明治期には、ネクタイなどの小物をつくり始めました。

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昭和の戦時中には軍事用のパラシュートのベルトの生産を命じられるなど、苦しい時期こそ、特徴をいかした工夫と改良を繰り返し、新商品に活路を見いだしてきました。歴史をひもとくと、社会の変化に対応した「進化」こそ、博多織の伝統をつないできたといえるのです。

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「博多織も時代とともに変わってきていると思います。でもその中には、先輩たちの技術がのこっていく。日本の伝統文化というか日本の伝統工芸の技術がこれからも生かされていくべきじゃないかと思います」(原田織物 原田昌行社長)

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糸の種類や織り方の技術にもさらなる「進化」が必要だと考えた「博多テックス」。糸は肌触りのよい伝統の絹糸を使ってきましたが、今回は肌触りが絹により近くて強度も高いポリエステルに変えました。

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さらに織り方は、帯の丈夫さを生み出してきた縦糸の多さに加え、家具向けに強度を増すため横糸の本数も増やしています。


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「今考えられる一番ふさわしい織り方を見つけ出していく。それが続いてきたから、777年の伝統があると思います」(サヌイ織物 讃井勝彦社長)。

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「博多テックス」の目標は、博多織独特の光沢、そして上質な風合いが感じられる、耐久性も兼ね備えた家具です。職人たちが知恵を出し合い、新しい商品の研究が連日、続けられています。

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「やはり、われわれの業界だけでやると、なかなか飛躍したもののつくり方って難しい。いろんな異業種の方との交流をして、新しいものをつくるということが、これからは大事だと思うんで、そういうのを私はこれからやっていきたいと思います」(原田織物 原田昌行社長)


博多織の技術は、家具以外にもこれまで、大相撲の力士の締め込みや、室内装飾の壁紙などにも使われてきました。衣服以外のもの作りに挑戦する時、欠かせないのがさまざまな業種の人との連携です。家具づくりの場合、家具の形や博多織の柄を決めるデザイナーと、家具を組み立てて製造する大川家具のメーカーとの連携で商品により1層磨きをかけています。

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例えば生地のデザイン。北欧風にも見えるモダンな印象ですが、よく見ると、実は博多織を代表する「献上柄」の“花”や“しま模様”の要素が組み込まれています。
また、家具には品質のよい福岡産のヒノキが採用されました。くぎやネジを使わない技法で組み立て、博多織の美しさを際立たせているのです。さまざまな職人たちが集まる博多テックスの打合せの場は、「いいものを作りたい」という熱意と志で満ちていて、さらなる博多織の進化に期待したいと思いました。


【取材後記】
博多織といえば絹糸。そこを変えてしまっては博多織ではなくなると感じる人も少なくないと思います。しかし、織り元の人たちが、思案を巡らせた結果の大きな決断だったのだと思います。博多テックスの皆さんは、「大切なことは、博多の地で織物業を続けていくことだ」と話していました。家具に対しては、柔軟に素材を変えつつも、織りの技術は伝統にこだわり、さらに改良も進めていました。たとえば家具に使われる一般的な生地は強度を増すため生地の裏にのりをはったりします。ところが博多テックスの皆さんは、のりだけに頼らず、織り方にもこだわって改良を加え、家具向けに強度を高めようと取り組んでいました。伝統をつなぐということは、先人の技術を守りながらも、工夫や改良を繰り返し、進化させていくことも欠かせないということを、博多織の777年の歴史と、今を担う職人さんたちが示していると感じました。


福岡放送局リポーター 水越理恵

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:10:10 | カテゴリ:WEBいち! | 固定リンク


2018年07月20日 (金)戻りたいけど戻れない


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九州北部豪雨から1年。多くの被災者がふるさとから離れて暮らしていることがわかりました。朝倉市は九州北部豪雨で今も避難生活を続けている被災者の状況を「被災者台帳」にまとめています。今回、NHKが市の協力のもと台帳のデータを独自に分析した結果、4割が地元に残らず市外に移り住んでいる状況が明らかになりました。

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去年の豪雨で大きな被害を受けた朝倉市の東林田集落では、被災当時のままの住宅や、鉄筋がむき出しになった橋の欄干などが今もそのままになっています。氾濫した川の両岸には二次災害を防ぐため、大量の土のうも積まれています。赤谷川が氾濫したため、東林田集落では3人が亡くなり、30棟以上の住宅が全半壊しました。およそ350人の住民のうち64人が今も避難しています。

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朝倉市は、こうした避難生活を続けている1300人余りの状況を「被災者台帳」にまとめています。NHKは今回、市の協力を得て、個人が特定できないよう情報を加工したうえで、独自に傾向を分析しました。

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地図上の赤い丸の部分は、被災者がもともと住んでいた場所です。

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放射状に伸びる線は、豪雨のあとの移動の状況を示しています。

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住民たちは緑の部分で示された福岡市や久留米市、それにうきは市などに移り住んでいました。その数は、ことし4月25日時点で、500人余り。被災者のおよそ40%が、朝倉市以外の20以上の市町村に分散していました。このうち、東林田集落では、避難した64人のうち、半数以上の34人が福岡市や大分県など市外の5つの自治体に分かれて移り住んでいました。

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ことしになって集落に戻った時川幸子さん(67)は、水につかった自宅を改修して夫と2人で暮らしています。自宅に面した道路の周辺には15軒の住宅がありますが、今、住んでいるのは時川さんともう1軒のあわせて2軒だけです。「知人の家に避難していましたが、気を遣うので自宅に帰ってきました。でも、2軒しかないので夜は寂しいし、雨が降ると不安になります。川の流れが変わったため集落が分断され、近所の人と話す機会が減りました」(時川幸子さん)

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豪雨当時、集落の区長を務めていた林隆信さん(68)も「以前は人が道を行き来して、いろいろなつながりや会話が生まれていましたが、それが完全になくなって、かろうじて住んでいるだけの状態です。人が暮らす地域としては不自然な集落になってしまった」と話していました。

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防災行政に詳しい専門家は、今の状態が長く続けば、地域の再生は難しくなると指摘しています。「これが2年、3年、4年といつまでもだらだらと続いていると、いつまでも待てないと、元の地域に戻らずにそれぞれの場所で生活再建する形になってしまいます。このため、復興に関する的確な情報を一刻も早く住民の方に示して、2年、3年は大変だけど頑張ってくださいということを行政としてどの段階で言えるかが重要だと思います」

さらに今回の分析から、若い世代ほど地元に残らず、市外に移り住む傾向があることもわかりました。世代別にみてみますと、市外に移り住んだ人の割合は、65歳以上では30%余り、20歳から64歳までの働き盛りの世代ではおよそ40%なのに対し、20歳未満の若い世代では50%を超えていたのです。これについて塚原教授は「子どもがいる世帯など若い世代を中心に、仮設住宅の完成を待てずに市外のみなし仮設住宅に入居せざるを得なかったのではないか」と分析しています。”ふるさとに戻りたいけれども、やむをえず戻れない”という人も多いと見られます。

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こうした状況ついて朝倉市の田中美由紀保健福祉部長は「若い人がよその所に行くというのは、市としても危機感を感じています。もとの所にまた戻ってもらって、若い人も戻ってもらって、コミュニティーがもとのように再生できるように、それを目標に頑張っていかないといけない」と話していました。

【取材後記】
朝倉市の東林田集落で、豪雨当時、集落の区長を務めていた林隆信さん(68)たちは、住民みずから復興委員会を独自に立ち上げています。「一刻も早く集落が再生する姿を示さなければ、住民は戻ってこないのではないか」との危機感からです。豪雨で氾濫する前の赤谷川はせせらぎに沿って桜並木があり、住民の憩いの場となってきました。豪雨で桜のほぼすべてが流されましたが、集落の復興委員会では、川の大規模な改修のあと新たに遊歩道や子どもが遊べる公園を整備し、そこに桜を植えて、かつての憩いの場を再生したいと考えています。林さんは「豪雨前よりも減った住民が100%に戻ることはないと思うが、それでも元の生活のリズムが戻ればいいと思う。地域として豪雨前の日常を取り戻したい」と話していました。復興への道筋が避難した人たちに示されることで、1人でも多くの人たちが集落に戻る日が来ることを私たちも強く願っています。


福岡放送局記者 小田真 森将太

投稿者:ロクいちスタッフ | 投稿時間:11:14 | カテゴリ:WEBいち! | 固定リンク


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