11月28日(木) 放送
「家庭での介護」

角谷:
先週から「ニュースザウルスふくい」では家庭での介護についてご意見を募集しています。
太田:
これまでに、「幸福度日本一ふくいの謎」のコーナーのサイトへの投稿やお手紙など、多くのお便りをいただいています。
角谷:
介護の負担を一身に背負わざるを得ず、周囲の人の理解の無さに精神的にも追い詰められる当事者の方の悲痛な叫びのような投稿。
太田:
また、苦しい介護の末に介護のプロの方との出会いで負担が減って楽になり、介護している家族をより大事にできるようになった経験をつづられた方もいらっしゃいました。
角谷:
きょうは、寄せられたお便りをご紹介しながら、家庭での介護について考えていきたいと思います。

角谷:
ことし、県内では介護している家族を殺害したなどとして逮捕される事件が相次ぎました。お便りの中で目立つのは、こうした事件について「ひとごとではない」との思いを示すことばです。

「義父の介護期間はわずか数ヶ月でしたが、壮絶でした。だから今度の事件は他人事ではありません。」(福井市の50代女性)

「介護殺人事件の報道のたびに、 殺人犯にまでならざるを得なかったご家族に感情移入してしまいます。」(丹南地区の50代女性)


角谷:
いずれも介護中の当事者や経験者の方のことばです。「人を殺してはいけない」。そんなことは誰もがわかっていることなのに、「ひとごとではない」「感情移入してしまう」と思わざるをえないところまで追い詰められてしまう。非常に厳しい現実だと思います。
太田:
義理の母を介護している坂井市の50代の女性からのメッセージも、そのような内容です。朗読します。

「家には、要介護は1ですが認知症の影響か気質か暴言をはく義理の母がいます。日々、記憶があやふやになることもありますが、嫁の私には昔から暴言をはいたり、つらくあたるのは変わりません。嫁が面倒をみて当たり前という考えも変わりません。主人には県外にいる弟や近くにいる妹がいます。何度か家族会議をしましたが、今のところ家の中のことは主に嫁の私がしています。
ある日、あまりに理不尽な言葉を義母が私に言ったことから主人が義母に怒り、喧嘩が始まりました。怖くて身をひそめていましたが私の中でもう嫌だという気持ちが自分で抑えられなくなり、義母と主人が言い合っているところに義母に向かって「死ねー!」と言いながら飛び込んで行きました。今考えるとなぜそんなことを言ってしまったのだろうと思います。それがきっかけとなりショートステイを利用することになりました。
弟も妹も私によろしくお願いしますと言います。逆に私が弟たちにお願いしますと言いたいです。このまま私も歳をとっていくのは嫌です。殺人が起きるのも不思議ではありません。なんで私ばっかりと思います。つらいです。」

角谷:
坂井市の50代の女性からのメッセージでした。
「なぜそんなことを言ってしまったのだろう」とご本人のことばにもありましたが、兄弟姉妹の協力も得られず負担を背負い、追い詰められてしまった苦しさが伝わってきます。

この女性のように義理の母や父を介護している女性からのメッセージは多く寄せられています。一方で、自分の親の介護にあたる男性の介護者からも仕事とは違う介護生活の苦しさをつづるメッセージが届いています。
嶺南地区の60代男性の投稿です。

「60歳から6年以上母親の介助をしてきました。親の介助をする地獄から逃れる方法は

『親を殺す』
『自殺する』
『親を殺して自殺する』

この3つ以外はありません。
私は30,40代の頃、月100時間以上のサービス残業、4ヶ月以上1日も休みなしの日々を送っていました。介護はもっと過酷です。娘は介護する私の姿を見て『お父さんはどうしてこんなことが出来るの』と言いました。『お父さんは会社で血の小便を流してきたから大丈夫』と答えました。
大丈夫ですが、私の人生はなくなりました。毎日朝8時から深夜まで仕事をしていたころ、『ああ、本が読みたい』『ああ、音楽が聴きたい、ライブに行きたい』『甲子園ボウル観に行きたい』など、会社を辞めたらできると思っていたことが何一つできません。私は世界一不幸な人間と思っていましたが、同世代の人と話すと、世界一不幸な人は私だけではないとわかってきました。会社で血の小便を流したことのない人が何をするか。そんな心配をしている余裕は私にありません」。

太田:
「会社を辞めたらできると思っていたことが、何一つできない」。
自己を犠牲にしながら介護と向き合う苦しさが伝わります。
角谷:
日々寄せられるこうしたメッセージ。私たちはどう受け止め、どう伝えていくべきなのか。介護や福井の家庭のあり方に詳しい専門家の方の意見を伺うことにしました。

-放送大学福井学習センター客員教員の高田洋子さんです。
寄せられた手紙やメッセージをお読みいただきました。
高田さん:
「介護っていうのは、土曜もなく日曜もなく、朝もなく場合によってはトイレで何回も起きてそのままつとめに行ったり、あるいはまた朝からの介護が始まったりしていきます。土曜も1週間も全然休みがないまま、多くはだんだん見ている人のほうもどんどん高齢化していくので、それを何年も何年もつないでいくことになるわけですよね。」
「家族の介護もできるだけ広くいろんなところに広げていったほうが、自分だけで担わないで、そのことがすごく重要だと思います。」

角谷:
一方で高田さんは、みずから助けを求められない状態の人もいるとして、地域や社会が気づくことの大切さも指摘しています。

高田さん:
「助けてといってくださいと言いますけど、難しいですよね。すごく難しいと思います。どうやってそれができるのか、しやすいのかっていう方法を考えていかないとなかなかキャッチできないのかなと思います。」


角谷:
最後に、ことし、5年間の介護生活を終えた若狭町の50代女性のお手紙をご紹介します。

「51才の時、祖母ががんになり、仕事をやめて介護に。要介護2となりましたが、3年間、自宅で3食、3食後の薬を欠かさず続けていましたが、その間、身内に愚痴をこぼし、近所の方に聞いてもらい、を続けました。
が、主治医の先生方が『社会福祉やケアマネージャーに助けてもらわないと、私や家族が倒れる』とおっしゃり、役場を通じ助けてもらいました。週3日の入浴、昼食つきでなんとかのりこえ、合計5年間の介護を終え、平成31年1月、祖母は84才で亡くなりました。皆に助けてもらい、愚痴も言いましたが、私も大変でした。が、もっと大変なのは本人でした。
『いつまで薬を飲まんなん?』『いつまで世話にならんなん?』と。友達や、近所の方、親せき、ケアマネージャー、どれだけ多くの方の力を借りて、5年が終わりました。どうか、今介護をなさっている方、お疲れだと思います。が、必ず懐かしい日が来ます。頑張りましょう。
別れの日、『お母さん、世話になったなー、ありがとうー』の言葉で腹が立つ事も、いつまでかなーと思った事も、すべて水に流れました。本人が一番苦しかったんだと。

一般に愚痴が言えるのは、
○主治医
○家の主人(夫)
○同じ介護をしている方
○田舎ですから、近所の同じ年の人。

私も何度か「死」を思いました。本人を殺す、ではなく、私自身、自殺を。しかし忙しく、思っている場合ではありませんでした。春もあり、夏の暑い日もあり、又、大雪もある福井県です。頑張りましょう。懐かしい日が必ず来ます」

角谷:
愚痴も言いながら、介護の専門職の力も借りながら5年間の介護を終えた若狭町の 50代女性のお手紙でした。
私自身、30代の若輩者なのですが、将来介護する側、される側どちらになるのか、あるいは両方になるのかもわかりませんが、けっしてひとごとではなく自分自身の問題、社会全体の問題なのだという思いをあらためて感じました。

トップページに戻る