2018年10月25日 (木)福井市上文殊地区でみつけ隊!【羽生 ちひろ】

10月25日(木)放送の「ほやほやみつけ隊」は、
福井市の上文殊(かみもんじゅ)地区に行ってきました♪

文殊山を背に田園が広がる農村地帯です。

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今回紹介した内容はこちら↓↓↓

☆地区の自慢☆
■稲っ子クラブ 
上文殊小学校の5年生が、毎年、稲の生育調査に挑戦しています。地域のボランティアが指導を行い、田植えや稲刈りをするだけでなく、それぞれ自分専用の稲株を作り、2週間に1度は田んぼに出向いて稲の成長を記録するなど、責任を持って育てています。
子ども達が育てた米は、「お米送り事業」として、東大寺に献上しています。

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■「まぼろしのさといも」 
およそ60年前に地区で偶然見つかった品種。一般的な里芋に比べると、茎は赤黒く、実は大粒で柔らかいのが特徴です。新北山生産組合が「まぼろしのさといも」と銘打って、800株ほど育てています。
毎年地元小学生を対象にした収穫体験を開いたり、収穫した里芋を地区のイベントでシチューにして振る舞ったり、広くPRしています。

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☆イチオシ☆
■明智光秀との関わり 
「本能寺の変」で知られる、戦国武将・明智光秀。

20181026h06.jpg(明智光秀のつもり)


織田信長の家臣となる前は朝倉家に仕え、越前の国に住んでいました。
上文殊地区内の東大味(ひがしおおみ)集落に妻と共に暮らしていたとされ、ここで生まれた子どもが、あの細川ガラシャなんです。

20181026h0708.jpg(細川ガラシャのつもり)


そんな東大味集落には、明智光秀のある逸話が残されています。
織田信長が、越前一向一揆を平定しようとした際、明智光秀が、世話になったこの地は攻め入らないよう、織田方の柴田勝家に頼んだと伝わっているんです。
地区にある「西蓮寺(さいれんじ)」には、それを約束する、柴田勝家の書状と、勝家の家臣・柴田勝定から出された安堵状が残されています。

20181026h0910.jpg(※書状は非公開です。)


「本能寺の変」で、逆臣・天下の謀反人と呼ばれた明智光秀。
しかしこの地では、光秀からの恩義を語り継ぎ、光秀の木像を作って密かにまつってきました。
武家社会が終わりを告げた明治になってようやく、「明智神社」と名付けたほこらが建てられ、それ以降、毎年、命日法要を欠かさず営み、今も住民たちで大切に守られています。

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波瀾万丈の生涯を過ごした明智光秀が、心穏やかな暮らしをおくった上文殊地区。
この地では、今も優しく静かな時が流れていました。

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※今回、かっちゅう姿や、お姫様、町人の衣装を、朝倉氏遺跡保存協会からお借りしました。
誠にありがとうございました。

 

■上文殊地区への問い合わせ■
上文殊公民館
住所:福井市北山町34-1
電話:0776(41)0516

投稿者:羽生 ちひろ | 投稿時間:18:30

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