2018年03月10日放送放送内容まるわかり!

出張深読みin福島 ゼロからの"ふるさと"づくり

去年4月から一部地域を除き避難指示が解除され、再び住めるようになった福島県富岡町。原発事故前には1万6000人が暮らしていましたが、現在、町に居住登録しているのはわずか458人、その多くが高齢者です。せっかくふるさとに戻ったのに、これでは暮らしが維持できないと、人々は不安を感じています。原発事故でふるさとを追われ7年、町をどう再生させていけばいいのか。福島の人々の声に耳を傾けながら深読みします。

今週の出演者

専門家

鈴木 浩さん(福島大学 名誉教授)
丹波 史紀さん(立命館大学 准教授)
柳澤 秀夫(NHK 解説委員)

ゲスト

マキタスポーツさん(ミュージシャン・俳優)
千秋さん(タレント)

今週のグラフィックレコーディング

グラフィックレコーダー
山田 夏子さん


首藤 アナウンサー
今日は福島県の富岡町文化交流センター・学びの森からお送りします。

あちら。「おかえり」と大きな文字で書かれています。
ここ富岡町は、去年4月に福島第1原発の事故による避難指示が、町の一部を除いてようやく解除されました。この文化交流センターも1年前に再開したんですが、準備が間に合わずに再開できていなかったのがこちらの図書館。 ようやく来月からオープンします。

現在は再開に向けて準備が進められています。段ボールの中にも新しい本が入っているということです。新しい匂いがします。本も1冊1冊、丁寧に拭いてきれいに並べられています。
きょうは図書館の一角をお借りして、富岡町のこれからをみんなで考えていきたいと思います。ゲストは千秋さんとマキタスポーツさんです。よろしくお願いします。富岡町にいらっしゃるのは初めてですか?

千秋 さん
はい、初めてです。

首藤 アナウンサー
印象どうでした? 町は。

千秋 さん
まだ地震の跡が残ってるのもあったり、何もなかったり、まだ途中の町みたいな感じでした。

首藤 アナウンサー
マキタさんは?

マキタスポーツ さん
私はだいたい日本全国、市町村、だいたいどこに行ってもなじむ顔なんです(笑)。
だから、だいたい現地の人に見えますけど、僕も初めてなので、ちょっと寂しい感じというかね、そういうのは第1印象では受けてしまいましたけどもね。

首藤 アナウンサー
ようやく富岡町の町づくり、動き始めたんですけれども、住民の皆さん、避難指示が解除されたことで、また悩みを抱えているということなんです。まずは田中アナウンサーのプレゼンからお願いします。


プレゼンテーション

田中 アナウンサー
首藤さん、本題に入る前に、まず富岡町、きょうは地元の方も来てますからね、町のいいところ紹介したいなと。

富岡町は人口が、震災前、1万6000人ほどいて、浜通りって海岸沿いですから、漁業が非常に盛んです。さらにサーフィンの名スポット。波が非常にいいんですって。サーファーに大人気っていう町だったんです。
気候も穏やかなので、農作物がよく取れる。

特産はねぎです。県外にも出荷してました。ねぎ。おいしいお米も取れます。そして、町のシンボルが桜。2.3キロの桜並木っていうのがあるんですよ。
春になるとこれ。

「桜まつり」っていうのがあって、桜の下でよさこい踊ってますけれども、こういうイベントや桜を見に、全国から10万人ぐらいの人が訪れるお祭り。ことしも開かれます。
そんな富岡町が7年前、地震と津波だけじゃなくて。

原発の事故。第1原発はここから10キロぐらいのところ。非常に近いですね。国は、ここ町じゅうに避難指示を出します。つまり、皆さん、町から出てくださいということになりました。町から人がいなくなった。避難した人たちはそれぞれの避難先で、仮設住宅などで暮らさざるを得なくなった。これが2011年。
そこから3年たって、2014年です。国は新たな方針を打ち出しました。

まだ住んではだめだけれども、出はいりは自由にしていいですよと、町の大部分でそういうふうになりました。
家の片づけなどで戻って、3年ぶりに見た富岡町。

あの時のまま。放置された家は傷んでしまって、ねぎなどを取っていた畑も草が伸び放題ということで、こういう家や畑にかっ歩していたのが。

これね、いのししです。 野生のいのししが本当に町なかに。人も車も通ってませんから。こういうのを目の当たりに。

マキタスポーツ さん
普通にこんなのいたんだ。

首藤 アナウンサー
これはショックですよね。

田中 アナウンサー
そこから3年たって、去年の4月です。

放射線量が基準よりも下がったということで、国は富岡町の大部分で避難指示を解除します。つまり、また住むことできますよというふうになったんです。
町もそれに合わせて急ピッチで整備をします。

地震などで家が壊れちゃって住めないよっていう人たちのためには、

災害公営住宅を作って、ここに住んでください。
そして、買い物困らないように、

大きなスーパーとかドラッグストアとか、あと近くには診療所、そういったものを1つにぎゅっとまとめて、ショッピングモールを作ります。
富岡町にまた戻ってくるための引っ越しのお金、補助しますよと。

最大で15万円。そして、家の掃除も25万円バックアップしますよというふうにして、町としては解除から3年で5000人が暮らせる町というのを目指してきたわけです。
町として、人がいないと、せっかく作ったお店とか、あとはバスとか電車、こういったものが維持できなくなっちゃうので、思いとしてはなんとか多くの人たちにまた住んでほしいなということがあった。
で、あれから1年です。「またふるさとで」と言って、戻ってくる人たちがいる。じゃあ、いま、何人の人たちが町で住んでいるのか。

首藤 アナウンサー
458人。

田中 アナウンサー
もともと1万6000人ほどいた人口の中の。

千秋 さん
すごい少ない。まだ。

田中 アナウンサー
少ないという印象があるかもしれませんね。
来月からは小学校と中学校も再び再開されるということになりまして、

学校も地震の影響などで壊れちゃったりしたので、それもこのようにきれいに直して、ここで子どもたちを迎え入れようと。小学生と中学生、4月から富岡町のここに通うよという人。

首藤 アナウンサー
16人。

田中 アナウンサー
小学生と中学生合わせてこの数です。富岡町、昔、1500人いたんです。震災前。小学校・中学校それぞれ2校ずつの4校あったんですけど、いまは1つだけ。中学校の校舎で小学生も学ぶと。
この町で暮らすこの方たち、私も取材をしました。ふるさとに戻れてよかったなと、そういう声は本当に皆さん言ってくれます。一方で、ショッピングモールはできたけれども、

商店街がない。行きつけだったあのお店がない。食べたかったあそこのお店、やってない。飲食店少ないんですという声、あります。
ご近所さんが戻ってきてくれないんですよ。なので、前とは違うんですという気持ちを言ってくださる方がいた。
じゃあ、このご近所さんだった人たちはというと、皆さんそれぞれの選択があります。

「帰ってこない」と。あとは、「考えてます」。これに対して町としては、

皆さんの選択を尊重しますと。
それぞれに事情があるんです。町は調査をしました。皆さんたちのお気持ち。まず、「帰らない」と言った人たち。調査では。

マキタスポーツ さん
そりゃあね。作らなくちゃいけないんだもん、基盤を。

田中 アナウンサー
7年っていいますけど、例えば小学校1年生がいま中学校2年生。この年月です。ということは、新しいところで家を建てたり、就職が決まった、学校が決まった。いまさら戻れないなっていうのが。

首藤 アナウンサー
もうそちらでできている。生活の基盤が。

田中 アナウンサー
じゃあ、すぐに答え出ない、この人たちの事情はこうです。

例えば子育て世代でいうと、小児科あるのかなとか、お年寄り、かかりつけのお医者さんが富岡町にあるのかなっていう不安がある。
そして、原発。まだ廃炉になってませんからね。また何かあるのではないか。あと、まだ町の一部では避難指示解除されてないところもありますからね。という不安があって、帰りたいという気持ちはあっても、すぐにという感じではないということがあるんです。
帰れるようになって1年。どの道を選んだ人たちにもそれぞれの悩み。これが7年目の富岡町ということですね。

首藤 アナウンサー
気持ちが分かりますよね、それぞれの人たちの。

マキタスポーツ さん
本当にね、一概には言えないですもんね、これはね。

千秋 さん
自分だったらどうしようって思いますもんね。

徳永 アナウンサー
おはようございます。

首藤 アナウンサー
徳永さんも来ていますよ。

徳永 アナウンサー
まさにいま一概には言えないということがありました。模型にするとすごくシンプルですが、住んでいる人の数だけ悩みや事情はあるということで、地元の方にもきょうは参加をしていただこうと、地元ゲストのお三方にご協力いただきました。
朝早くからありがとうございます。私から、甚だ簡単ではございますが、プロフィールを。
まず伊藤ヒデさんです。富岡生まれ・富岡育ちで、避難指示が解除されてすぐ富岡に戻って、災害公営住宅に入ってらっしゃいます。つまり、458人のうちのお一方ということです。ちなみに趣味は地域の人と30年続けてきたコーラス。きょうの午後もステージが入っております。
そして、おふたり目。遠藤裕也さん。20代です。大学生。震災当時は中学2年生。福島県の郡山市、ちょうど真ん中辺りなんですが、そこに家族で避難して、家を建てられました。いま大学生で、保育士の資格を取る勉強中で、現時点では帰らないという立場の方です。
そして、朝の強い、海の方。石井宏和さんです。おじいちゃんの代から3代続けて漁師さんで、いま釣り船の船長さんをされてらっしゃいます。いま、いわき市のマンションにお住まいで、春から娘さんが小学生になられます。帰りたいっていう気持ちはもちろんありますが、いまどうしようかなという立場でいらっしゃいます。
きょうはよろしくお願いいたします。

首藤 アナウンサー
まず、それぞれの道を選んだ理由を伺いたいんですけど、いま帰られていて、どうですか? 帰還されて、ふるさとでの暮らしというのは。

伊藤 さん
口は言い表せないほど、ほっとして。
やっぱりふるさとってこういうもんかと思って、いま、よさを実感してます。

千秋 さん
迷わず帰ってきたんですか?

伊藤 さん
そうですね。一時は、6年間のうちには、どうしようか。私も郡山に避難したもんですからね、郡山でずっといたほうがいいか。便利ですしね。でも、やっぱり私は、町がどんどん帰還に向けてこうしてる、ああしてるっていうのがあったんで、じゃあ帰ろうって決めて、去年の5月、帰ってきました。

首藤 アナウンサー
皆さんおっしゃる不便さとか、そういうのは。人が少ないとかっていう実感はどうですか?

伊藤 さん
人が少ないのは、そりゃあね。ここ、いま、日中はだいたい作業に携わってる方とか、だいぶ人はいっぱいなんですよ。作業員の方で。ただ、夜はひっそりですね。
私も災害公営住宅っていうとこに入ったんですけど、自分の家はねずみに荒らされて、入れない状態で、解体したんですけどね。

首藤 アナウンサー
遠藤さんは、いまは大学2年生で。

遠藤 さん
郡山に住んでるんですけど、これから先、家庭を持つことを考えると、子どもが生まれたとかってなると、考え中の人たちと同じで、原発の安全性が不安なので、いまのところはちょっと。おうちはもともとじいちゃんの代からずっと続いてるんで。富岡の家が。自分が家を継ぐ年相応になったら帰ってこようかなっていうのはありますけど。

首藤 アナウンサー
ちょっと揺れ動く気持ちがあるんですかね。

遠藤 さん
そうですね。

石井 さん
自分はまず、津波で家もないので、まず住むところがない。子どもが小さいっていうのもあって、7年っていう月日がたつと、いわきに7年もいると、いわきにもコミュニティーがある。富岡に戻ったから震災前のようなコミュニティーがあるかっていったら、それはないわけですよね。
うちの子はまだ6歳と4歳なので、震災後の子なんです。そうなってくると、子どもたちにもコミュニティーってあるじゃないですか。
そうなってくると、おやじの都合で、父親の都合で富岡に戻るぞっていう判断にはなかなかいかないっていうのが実情ですね。

千秋 さん
子どもたちにとってはそこが基盤になってるんですもんね。

マキタスポーツ さん
奥さんだってママ友とかありますよね。

石井 さん
そうなんです、そうなんです。

首藤 アナウンサー
全員の気持ちが分かるから、どうしたらいいのかっていうのがありますよね。

徳永 アナウンサー
実は、今回は私たちの取材と、きょうお越しの丹波先生の調査も参考にさせていただいて、皆さんの、富岡の地元の方の声というのを、われわれ紹介させていただきます。ひと言で言うと、どの選択をした方も、「けれど」っていう気持ちがよく伝わってきました。
まず、ヒデさんと一緒で、帰ってきた方の声です。「帰ってきたけれど」です。まず、この方です。60代女性の方。

「帰ってきている知り合いが少ないです。震災前はグラウンドゴルフやフラダンスのサークルがありましたが、いまはありません。孤独感を感じています」。伊藤さんはコーラスでしたけど。

首藤 アナウンサー
コーラスのお友だちも少なくなりましたか?

伊藤 さん
郡山に行って、また立ち上げたんですよ。ここでやってた方はみんなばらばら。方々、それぞれに避難してしまって、当時のグループはできないんで、また郡山に行って、先生をまた別な先生でもって立ち上げて。

徳永 アナウンサー
それから、さっきの伊藤さんの話とつながりますけど、80代女性の方でこんな声があります。

「診療所はありますが、歯科や眼科などの専門医療がまだない。何かあったら隣町に行くしかありませんが、タクシーもまだまだないんですよ」と。

マキタスポーツ さん
そうなんだ。交通、そのへんのあれは、インフラってどうなってるんですか?

伊藤 さん
町内のバスは走ってます。 それから、デマンドバスっていって、無料でどこにでも、町内ですけどね、行けるようなのはありますけど、タクシー会社がまだ始まってないんですよ。何十台ってタクシー会社あったんですけどね。

徳永 アナウンサー
そして、もう1人。30代女性の方はこんな声です。

「公園など子どもが遊べる場所がありません。町に1つしかないスナックを遊び場にさせてもらっている状況です」。有名なところがあるらしいです。人気の場所が。
皆さん、「けれど」なのかなと。

首藤 アナウンサー
そうですね。どうですか? 町の現状ってどんなふうに。いまは。

丹波 さん
生活のインフラの環境がまだまだ十分整備されてるとは言えないので、帰ってこられる方は本当にふるさとを愛して帰ってこられるんですけど、車が運転できて、ある程度自分で自立的な生活できる方が。自分が介護だとか医療だとか健康を害してしまったらどうしようっていう不安は結構大きいんじゃないかなっていうふうに思いますね。

首藤 アナウンサー
それは実感として。

伊藤 さん
そうですね。いまのところ私も高齢者でもまだ運転していますので、いわきとかなんかにも行けるんですけど、乗れなくなったらどうしよう、なんて考えますよね。

柳澤 解説委員
何となく皆さん、分類して、帰ってきた、帰ってこない、悩んでるってありますけど、あくまでもいまの段階だと思うんですよね。さっき遠藤さんもおっしゃってましたけど、このあと年を取ってきて、また変わってくる方もたくさんいらっしゃるんじゃないかなって思うんですよ。いま帰ってきてるけど、いろんな事情でまた離れていく方もいらっしゃるかもしれないし、帰ってこないっていう決断してても、いろいろな状況が変わって、また帰ってくるっていうことになると思うんで、そのへんは1つのカテゴリー分けをして、あなたはこういう人、あなたはこういう人っていうふうに分けないようにしておくことも大切だなって、僕、気がするんですけどね。

首藤 アナウンサー
鈴木さん、その点は。

鈴木 さん
先ほど3人の方が言われましたけど、私たちが注目しないといけないのは、柳澤さん言われたように、それぞれいま決断したものが固定的で確信を持てるっていうことではなくて、その中で揺れ動いてるということなんです。
もうちょっと言うと、それぞれ決断したけども、それぞれの場面で新たな困難とか問題を新しく抱え込んでるわけですね。要は、原発災害というのはものすごい長期間、それから、広域的。先ほど言われましたけど、受け入れ先のコミュニティーもある。ふるさとに戻りたいっていう気持ちもある。
この2つの気持ちを揺れ動いていますので、これをつなぎ合わせるような仕掛けを考えていかないといけないにもかかわらず、あえて言ってしまうと、昨年の3月から4月にかけて、避難指示のうち、2つの地域については解除されました。解除されたら、それは帰ってこいよっていう方向に一直線に向かえというようなことを迫ってるような気がしますけども、その結果がいまのように揺れ動いてるっていうことなので、本当に生活を支える、あるいは生活を支援する、この施策がこれから重要じゃないでしょうか。そのへんがちょっと手薄だというふうに思います。

柳澤 解説委員
鈴木さんおっしゃるように、われわれもニュースの中とか解説の中でこの問題を取り上げる時に、「順調に帰還が進んでいる」とか、そういう表現を使うんですよね。だけど、そんな順調にいくはずないでしょう。問題考えると。 それから、震災前に比べて3%未満。いまこちらに住んでる方、3%未満っていう表記も、われわれつい書いちゃうんですよ。「足らず」とか。だけど、考えてみると、それぐらい、そんなにっていうふうに、受け止め方、いろいろあると思うんですよ。「400人も帰ってきてるんだ」っていう受け止め方あるかもしれないし、「400人しか」かもしれないけれども、そのへんをわれわれ、一概に、まさにレッテル貼りしてしまってるところが日常的に、われわれ、反省を込めてですけどね、感じるんですよね。

丹波 さん
本当に悩んでらっしゃる方、たくさんいらっしゃると思うんですよね。何回も何回も避難先を変えて、一生懸命頑張ってきたんだけど、町に戻ると、町が劣化していって、家が傷んでしまう。そういうのを見ると、自分が帰りたいと思ったけども、その気持ちが、ためらってしまう気持ちが強くなってしまうなんていう。
だから、そういう、さっき言われましたけど、揺れ動いてる気持ちをきちんと尊重していくっていうことがすごく大事で、さっき言われた、3つのカテゴリーにあるから、その人たちがこうだっていうふうなことだけではとどめないっていうか、それぞれの気持ちを尊重するっていうのがすごくいま大事なような気がしますね。

鈴木 さん
いまのようなことを工夫しようとすると、例えば避難してる方、決めかねてる方、戻ってる方、その人たちが、例えば富岡を絆にした会える場所とか、そういうところが必要だなと僕は思っていて、常々、ほかの町で復興計画を作った時に、

「ふるさと住宅」っていうのを考えたんです。木造仮設をたくさん作りましたので、それをふるさとに作って、例えば避難してる人たちも時折はそこに来て、滞在をして、お墓参りをする。それから、いまの復興の状況を自分の目で確かめる。旧知の友だちとお酒を酌み交わすということで、徐々に自分のいまの気持ちをさらに前に向けるために仕掛けとして、短期間でもいいから滞在できるよな、こういうところを作ってはどうか。
いま、いくつかの町でこれが実現しつつあります。木造仮設を移転して、そこをこの4月ぐらいから利用ができるようになるというような話も聞いてますし、そういう仕掛けを、避難してる人と戻った人の気持ちをつなぎ合わせる。現地で気持ちをつなぎ合わせるような場面が必要かな、なんていうふうに思っています。

首藤 アナウンサー
視聴者の方からたくさん届いているようです。


グラフィックレコーディング

田中 アナウンサー
いつもの山田夏子さんもきょうは富岡町に出張しています。

グラフィックレコーダーです。まず

「住民どうしのつながりはあるんでしょうか? 帰ってきても知ってる人いないと孤独を感じてしまわないでしょうか?」という声と、あと、少し気になるのがこれですね。県外の人からいただいた。

「県外の人にとってはもう7年。でも、県内の人にとってはまだ7年」。この差。

首藤 アナウンサー
どうですか? 実感として、もう7年、まだ7年というのはありますか?

遠藤 さん
もう7年ですね。

伊藤 さん
そうね。私も、もう7年って感じですね。

石井 さん
もう7年って感じる立ち位置の時と、まだ7年しかたってないのかっていう、自分の立ち位置で変わりますけど。

首藤 アナウンサー
さっきあった、「住民どうしのつながりはありますか? 帰還しても知ってる人いないと孤独感じませんか?」っていうのはどうですか? いまは。

伊藤 さん
ふるさとに戻ってくると、富岡町の方ばっかりですからね、帰ってきた方ね。もちろん。だから、孤独なんて私は感じませんね。かえって郡山に避難していた時には、周り、小さなアパートにいたんですけども、若い方のアパートでしたから、全然つながりがなかったです。本当にコミュニケーションが全然なかったですね。郡山なんか、出はいりの多い町ですからね、あそこね。それにしたら、本当に富岡へ帰ってきたら、全然孤独なんて感じませんね。

千秋 さん
友だちが全員戻ってなくても。

伊藤 さん
でなくても。あの人、富岡で、どっかで見たことある顔だな。だから、気楽に話かけられるし。

鈴木 さん
自分のふるさと以外のところで、長期間になったので、自分の持ち家を建設された方もたくさんおられますよね。郡山だとか。ところが、その人たちは半分以上が住民票を移していないんです。持ち家を作って、避難先で生活再建してるという、100%決意ではないんです。

徳永 アナウンサー
鈴木先生がいまおっしゃった、まさにそのとおりで、番組や丹波先生のアンケート、帰らないという選択をしたと言った方も「けれど」なんですね。これをご紹介します。 まず、

「あえて前を向き振り返らないことにした」という60代男性は、やっぱりおっしゃってる。「しかし、まだ住民票は富岡に置いてあるんです。町とつながっていたいもう1人の自分がいます」と。

マキタスポーツ さん
それは正直な気持ちなんだろうなあ。

徳永 アナウンサー
それから、80代男性の方で、

「避難先のマンションをついの住みかとして過ごしたいんですけども、安定した生活にあっても、なぜか地元に戻らない悔しさというのはなくならないんですよ」とおっしゃってます。
それから、暮らしていて実際こういうこともあったっていうのが20代の女性の方で、

「仙台に住みましたが、就職の面接で福島の出身だと分かると、『賠償金もらっているから働かなくていいでしょ』と言われ、つらかったです」と。
帰らないという立場の、決めたというのも「けれど」なんだっていうのが読むとよく分かります。

首藤 アナウンサー
賠償金についてって、そんな、あれですよね?

丹波 さん

見ていただくと分かるんですけど、これ、先ほど言った双葉郡の住民実態調査、昨年行ったものですけども、仕事の、営業だとか就労の損害、それから、精神的損害賠償。一括賠償ということもありますけども、「いまはもうない」っていうのが4割だったり、6割以上だったりということなんですよね。

首藤 アナウンサー
初めからない人も、ねえ。

丹波 さん
もちろんあります。仕事を続けられてる方もいらっしゃいますし、そういった方はもともと就労損害はないという方もいらっしゃいますので、賠償があるからいいでしょ、なんていうことをよく言われることがあるんですけど、実態としては、これから生活再建どうしていこうかって悩んでらっしゃる方、非常に多いんじゃないかなと。

柳澤 解説委員
避難指示が解除されると、向こう1年間はこういったものが出てても、打ち切られてしまう。ずっと出っぱなしじゃない。その期間のうちに帰るか帰らないかっていうことで、またいろいろと精神的に選択を迫られて苦しくなっちゃうということですね。

丹波 さん
あと、悩んでらっしゃる方、非常にいて、

職業について聞いたんですけども、震災前、正社員だった人、パート・アルバイト、自営業だった人、無職だった人。いま仕事を再建できない方が非常にたくさんいらっしゃって、5割以上の方々がまだ仕事に就くことができない。年齢が高い人だからっていうふうに思うかもしれないんですけど、

これ見ていただくと分かりますけど、20代でも3割近く、30代でも2割以上が、まだ仕事の再建ができてないという。賠償はもらってないんだけど、仕事の再建ができてるかというと、まだまだそうとはいってない。

徳永 アナウンサー
ちょうど、きょうお越しの遠藤さんは郡山に住んで、これから就職活動ですよね。

遠藤 さん
はい。

首藤 アナウンサー
どうですか? 遠藤さん。不安な気持ちがありますか?

遠藤 さん
はい。賠償金をもらってるからって言われたのを聞くと、自分も言われるんじゃないかなっていう不安はどこかにありますし、車が、あっちに行くとナンバーが違うんですよね、郡山って。こっちで走ってるのと。それで、町なかでこっちのナンバーが走ってると、ああ避難民かって思われてるんじゃないかなっていう、思ってないかもしれないけど、自分に対する負い目があるかな。

首藤 アナウンサー
負い目もね、なんで負い目を感じないといけないのか。

柳澤 解説委員
それってね、僕も実は福島の生まれなんで、皆さんときょうは同じ、福島っていう、一緒なんですけども、よく地元で聞くのも、駐車場に例えばいわきの車のナンバーが止まってると嫌がらせされちゃって傷つけられるとかっていうことが実際にあるっていうことが、ときどきニュースになることあるんですよ。

丹波 さん
自由記述の中で、女性の方がどこから来たんですかっていうふうに言われたら、仮設から来たんですって言ったら、私は避難民とはしゃべらないんだっていうふうに言われてしまったなんていう自由記述もあって、決して自分が希望して、別に避難したわけではなくて、原発事故があったからそういうふうにならざるを得なかった。一生懸命頑張ってきたのにその気持ちが理解されてないというのが自由記述の中に非常にたくさんありましたね。

首藤 アナウンサー
石井さん、どうですか? 避難先で何かちょっと嫌な思いがあったりとか。

石井 さん
いまは正直ほとんどないです。当時、避難してすぐのころはそういうことを言われた経験はありますけど、いまは正直にいわきの人たちと仲よくやっているので、全然不便も感じないし、嫌な思いは全然してないです。

首藤 アナウンサー
ありますか? 伊藤さんは。

伊藤 さん
そういう話、いっぱい聞きましたね。それから、いま、避難先に新しいうちを作った方いるんですね。その方、福島に作ったんですけど、普通だったら「あら、おめでとう。立派な家建てて」とかって言うでしょ。普通、周り。それが、「どうせ賠償金で作ったんでしょ」って言われたって。

柳澤 解説委員
そういうことがあると、1日も早く忘れたいんですよね。そんなこと言われたこと。だから、本当に前向いていくとすると、言われたことをずっと思っててもしょうがないっていうふうに自分の中に言い聞かせなきゃいけないつらさっていうものもあるっていう気がしますけどね。

田中 アナウンサー
ツイッターもそのあたりは来ていまして、

「『福島出身です』と言うと、一瞬周りの方がひるんでしまいます。そういう気遣い要りません」っていうのと、

「福島を特別視してませんか? それが福島の人はいちばん嫌だと思います」。こういう声も来ていますね。

鈴木 さん
皆さんの中には、ふるさとに対する絆を求めようという、だから、ふるさとの絆を求めるためのコミュニティー戦略みたいのが必要だと思います。それは、先ほど僕は1つの作戦として、ふるさと住宅みたいなもの。
ただ、もう1つ重要なのは、避難を受け入れている地域社会。そこの地域社会にわれわれ避難してるけども、自然に溶け込める、そちらのコミュニティー戦略も必要なんですね。だから、壮大な団地を作ったりなんかするんではなくて、向こうにあるコミュニティーになじめるようなコミュニティー戦略を本気で考えないと、いまのような話はずっと続くような気がします。いわきでさえ、当初は双葉郡の車、嫌がらせをしていた時期があるわけで、同じ福島県内の中でも。
あと、病院の入り口に「双葉郡民は帰れ」なんていうような、されたりしたことあるので。

伊藤 さん
ゴミ捨てるのでもっていろいろ嫌がらせがあったっていうの、聞きますね。
ゴミを捨てないでくださいって。そしたら、ゴミを捨てるのは、国のほうから各市町村に、自治体のほうにお金は行ってるんですってね。その費用っていうか、片づける費用っていうかね。

丹波 さん
なかなか理解されてないっていう気持ちがあるんですよね。

石井 さん
こういう場でこういう話をしてしまうと、避難先の人たちが本当にひどいことをしてるんだっていうふうに思われがちだと思うんですけど、それって本当にごく一部のことなんです。自分なんかはいわきの人たちによくしていただいてもらってるので、そういう話聞くと、自分には全然ないなって、みんないい人たち多いなって感じてるので、そこばっかりが取り上げられることのほうが自分は怖い。

柳澤 解説委員
それはね、われわれ、反省あるんですよ。こうやって話に出したり、ニュースにするでしょ。ニュースに出すことによってそういう話がわーって広がっちゃって、また次の悪いことにつながりかねないっていう、そこは考えなきゃいけない。

マキタスポーツ さん
それをまた聞いて、外部というかな、輪っかから外れたところにいる人たちがますます腫れ物に触るような感じになっちゃうから、問題の本質が分かんなくなってきちゃいますよね。

千秋 さん
実際には優しい人のほうがもちろん多い?

石井 さん
自分の周りは多いです。

鈴木 さん
石井さんが言われたように、受け入れた地域社会がいろいろ、なじんだり、そういういい例もたくさんあるので、それを発信していく。

首藤 アナウンサー
そうですね。そっちはニュースにならなくて。

柳澤 解説委員
悪い話ばっかり。いい話は広がらないですよね。

丹波 さん
結構地元の方と一緒になって、例えば会津に避難された方々が会津木綿でいろんな創作を作ったりとか、新たな文化を自分たちで作っていこうという動きも一方であるんです。先ほどコーラスってありましたし、あと、ひょっとこ踊りなんてやったりとかっていうのもありますし。

伊藤 さん
コーラスもね、郡山市民の方が結構入ってくれて、一緒にやってます。

丹波 さん
おっしゃるように、そういうふうにしていろんな形で住民どうしが交流し合いながらですね。

鈴木 さん
両方の戦略が必要なんですね。悩んでる人に対するあれと、いい例があったらそれを助長していくような、そういうことが意図的ではなくて自然発生的なので、取り残される人はいつまでも取り残されてしまう。そこのところに手当てをするというのが福島の復興過程の難しいとこのような気がします。

徳永 アナウンサー
首藤さん、皆さん、それでいくと、まだ帰る・帰らない、決められるわけないじゃないですかっていう方も相当数いらっしゃって、その方の声も一部紹介させてください。「帰りたいけれど」ですよという声もあるんですね。50代男性の方。

「家の周囲の細かい放射線量が不透明なので、体に影響がないか不安な気持ちになっている」という声。 それから、同じ50代の方。

「私は仕事でいわきにいたい。母は富岡に戻りたい。妻は子どもと一緒に東京で過ごしたい。家族がバラバラになって困っている」と。意見はそりゃあ割れますよね。
60代女性の方。

「自営業を営んでいましたが、富岡に戻っても、人が戻らなければ仕事にならないんですよね」と。本当にさまざまな声があります。

柳澤 解説委員
確かに、このあとどのぐらいの方が戻ってくる可能性があるのかっていうのは、

富岡町と国が住民の意向調査っていうのをやった結果が去年の12月に出ているんですけど、ご覧になって気付くと思うんですけど、「戻りたい」という方が11.1%、「まだ判断がつかない」、これは戻る可能性がある方ですね。17.7%。足すとだいたい30%弱という感じなんですね。

丹波 さん

戻らないという方もいろんな事情があって、先ほど避難先で生活基盤ができたという人もたくさんいらっしゃって、われわれの調査でも、これは富岡町だけ抜きましたけども、避難先で新たに住宅を購入した方が半分近くいらっしゃるっていうことなんですよね。そうすると、先ほどの話がありましたけど、ふるさとの思いはあるけども、新たに生活の基盤がそこでできたという人もたくさんいらっしゃるっていうことなんですよね。

柳澤 解説委員
返す返すも、「いまは」なんですよね。いまは。そこはずっと忘れちゃいけないなと僕は思うんです。このあと変わる可能性というのは十分にあるわけだと。

首藤 アナウンサー
戻らないと決めても、富岡町への思いっていうのはもちろん皆さん変わらないわけですよね。

柳澤 解説委員
それが全部、「けれど、けれど」につながってきてるんですね。

鈴木 さん
私、原発災害がいわゆる自然災害と違うところを、国の政策を展開する時にきちんと理解してほしいなと思うことが常々あります。

こんな絵柄を用意したんですけども、普通の自然災害は、ふるさとの復興と避難生活を支援する。この2つの帯で成り立っていきます。ふるさとの復興がある程度成り立つと、避難生活はこちらに収れんしていくので、避難者もふるさとの復興の期待になっていけます。これが、2段が自然災害の場合です。
今度の原発災害は、実は原発そのものの事故があって、除染だとかいろんな課題も実はこちらにも引きずるようになる。原発そのものがいつまで続くか分からない。そうすると、それに沿って、実は自然災害と違って、ふるさとの復興もものすごい延々と続く。もう1つの避難者の、被災者の生活も延々と続く。
これが7年たってみると分かってきたことは、これについては一生懸命取り組んでるように見えてきた。それから、現地でインフラの整備も分かってきたけども、実は被災者の生活再建、生活支援というのが、目に届くような、痛いところに届くような支援が十分ではないっていうことがだんだんだんだんはっきりしてくる。

徳永 アナウンサー
実は、さっき話していた、なるほど、じかに話してと思ったのは、帰ってきた伊藤さん、おっしゃってるのは、食べるお店とパーマ当てる店が本当は欲しいんだよねっていう話が、暮らすってそういうことなんだなと、来て話して、思いました。

伊藤 さん
私が帰ってくる時は商業施設がちゃんとできたんで、大丈夫だなと思うけど、だんだん人間ぜいたくになってきて、ランチしたいな、夜はスナックないかなとか、そういうのも出てくるんですよね。

首藤 アナウンサー
それもあります。町としては、人が戻らないといい住民サービスもできないわけですよね。そのへんはどういうふうに、このあとっていう。

丹波 さん
そういう何気ない日常が崩されたのが原発事故だったっていうことだと思うんです。それを取り戻す苦労ってすごく大変なんですよね。
病院があっても、例えば薬局がないとだめだとか、さっき言ったパーマとか床屋さんがあったとか、そういうのって本当に町の地元の人たちが支えてきたんですよね。そういう人たちがなかなかまだ帰りきれてないっていうことが、にぎわいを失わせてる1つの要因になっていて。
でも、事業者の方々からすると、住民の方々がまだ戻りきれてない状況の中で自分が商売再開していいのかっていう不安も同時にあるので、私は事業者の方々が地域の中でやってきた役割をもう1回再評価してサポートしていくってことがすごく大事じゃないかなっていう気がします。

柳澤 解説委員
一方で行政の場合で考えてみると、行政の側も住民が増えてこないと、町としてなくなってしまうんじゃないか。実際に周辺の地域の中では、住民がこのまま少なくなってしまったら、自治体としての独立したカテゴリーに入りきれないので、合併を考えなきゃいけないかっていうふうなところも出てくるっていう話も聞くんですよ。だから、なんとかして帰ってきてほしい。
でも、いまおっしゃったように、人帰ってくるためには生活のインフラが整わないといけない。でも、整えるためには誰かがリスクを冒して商売を始めなきゃいけないっていう、そのへんが痛しかゆしで難しい。

マキタスポーツ さん
Uターンを基本的に考えてますけど、Iターンというか、これから、人口が少ないかもしれないけど、夢があるというか、みたいなこととかの想像はないんですか?

丹波 さん
いくつかの自治体でも、若い人たちが福島の浜通りの町の魅力を感じて、お店屋さんを作ったりとか、いろんな事業を展開したりとかっていう形で町に入ったりしてる人たちも、少しずつではありますけど、できてるので、元いた方々の生活基盤を改善するっていうことと同時に、新しい住民の方々が魅力を感じてそこに来るっていう環境を整えていくっていうことも同時に大事かなというふうに思います。

田中 アナウンサー
ツイッターでも、これから富岡町どうしましょうっていう、いろんな提言も来ていますね。戻ってくる人っていうことじゃなくて、

「新たに生活したい人を集めてもいいんじゃないでしょうか。安く家借りられるなどのメリットがあれば、来られる人もいるんじゃないでしょうか」とか、「帰ってくる人を待つより、新しく移住する人を作り出す取り組みはないかな。あえて高齢者福祉に特化して、富岡に縁のない人の移住に力を入れてはどうでしょうか」とか、「住むっていうことだけではなくて、観光地にして、日本国内および外国の方も呼んで、一考を講じる場所にしてはいかがでしょうか」「帰るだけじゃなくて、もっといろんな形で人を集められる仕組みってないでしょうか」っていう意見も来てます。

鈴木 さん
たぶん復興ビジョンだとか復興計画の中では、市町村ではなかなか戻れないというのは先ほどのようにずっと分かってますので、新しい住民を受け入れたい。いまいちばん分かりやすいのは、原発災害のための作業の方々がたくさんいるので、その人たちを受け入れて、ニュータウンを作るという計画もあるんです。
ただ、いまのような積極的な話を前向きにやろうとすると、もともとの、例えば双葉町にしても、もともとの伝統だとか、文化だとか、自然環境だとか、コミュニティーがあるでしょう。そのコミュニティーをもう一度きちっと自分たちで守り育てて、受け入れる時に富岡っていうのはこういう町だったんだっていうことが新しい人たちにも魅力として映るような、そういう仕掛けを富岡町で考えてほしいなっていう気がします。

首藤 アナウンサー
遠藤さんはどういうことがあれば戻りたいですか?

遠藤 さん
お祭り。ことしに「麓山の火祭り」っていう祭りがやられるってことで、始まるってことで、地元の人たちだけじゃなくて、もっとツイッターとかにも拡散して、いろんなとこから来てもらえるようにすれば、少しずつ、住むではないけれど、町に来る人は増えるんじゃないかなと思っています。

マキタスポーツ さん
ただ、お祭りとかイベントとか企画をして、1回は催し物が例えばできて、それに関しては周りの人たちも協力したいって、どんどんそこにお金を落としに来るっていうことはあるかもしれない。継続が結構大変だと思うんですよ。
僕、そういうのがあったら、本当お祭り大好きなんで営業とか駆けつけますけど。どんどん呼んでいただけたら。

伊藤 さん
実は去年、夏祭りをやったんですよ。初めて。小学校の校庭でやったんですけど。
私は盆踊り踊ったり、すごい人が集まったんですよ。

マキタスポーツ さん
僕、だから、そういう企画とかを考えられる人とか、クリエーター、パソコン1つで仕事できるような人たちって、働くところを選ばないというか、Wi−Fiさえつながれば、みたいな世界あるじゃないですか。そういう人たち、あるいはアート系の人たちとか、デザイナー系の人たちとか、そういう人たちとかを招致して、復興のお役に立てる。いきなりはあれなんですけど、実の部分とかではなくて、実と虚の間ぐらいのところとかを狙えるような人たち、本当パソコン1つで仕事ができるような人たちを、どんどんどんどん。

柳澤 解説委員
しかも、富岡は夜ノ森桜っていうとんでもない美しい並木がありますからね。ああいうものを1つ、柱にしてっていうこともね。

伊藤 さん
毎年、4〜5年、やってますね。「桜の集い」って。それこそ方々から皆帰ってきてね、すごいにぎやか。

田中 アナウンサー
ツイッターでも来てますね。「ああ、その桜のきれいな夜ノ森公園って行ったな。すごいきれいだった」。あと、「桜だけじゃなくて、つつじもきれいなんですよ」っていう声だったりとか、あと、応援系が結構来てます。「実家が福島です。半導体などの会社どんどんできて、人集まってくれればいいな」。このような応援のメッセージも来てます。

丹波 さん
さっき、458人で3%。「3%も」か「3%しか」なのか、いろいろ評価はあるという、ありましたけども、そこに住む人たちだけを想定した町づくりではなくて、関わる人たちをどんどんどんどん増やしていくっていうのが大事だと思うんですよね。さっき言ったクリエーターの方がそこに移住されるっていう方もあるかもしれません。
でも、さっき、お祭りだとか、お墓参りだとか、そういう定期的に町と行き来する人、あるいはもしかしたら、さっきツイッターでありましたけど、応援するよっていう人たち、たくさんいるので、場合によってはふるさと納税みたいなのを使って、町のにぎわいをそういったところから再開する。
そこに住むわけじゃないけども、富岡が好き、双葉町が好き、双葉郡が好きだからこういうふうにして応援したいんだっていう人たちをどんどん増やしていく。そこに住む人たちだけを想定した町づくりじゃなくて、関係する人たちをどんどんどんどん増やして、関与する人を増やすっていうこともこれから大事じゃないかなっていうふうに思いますけどね。

徳永 アナウンサー
ちなみに石井さんは釣り船も富岡から再開されて。

石井 さん
先ほど皆さん話してるの、ごもっともだなと思ってて、結局、そもそも論だと思うんですよ。原発事故があって、みんな避難されて、じゃあ原発前どうだったのかっていうと、やっぱり過疎化が進んでた。これ、全国でも言われてることじゃないですか。それが原発事故で顕著に出たっていうのが現実なわけですよね。
だから、何を考えなきゃいけないっていうのは、もちろん帰す・帰さないっていうことも考えなきゃいけないけれども、先ほど皆さん言ったとおり、ほかの人が住みやすい町、住んでもいいなって感じる町じゃないと、結果的には町の人も帰ってこないし、ほかの人は住まないわけですよね。そこを根本から考えていかないと、続かないなと思います。

徳永 アナウンサー
ちなみにサーフィン好きな方はいっぱい富岡通ってきてるんですよ。

柳澤 解説委員
実は先週、僕も来てたんですよ。海のところで10人ぐらいのサーファーが、波、楽しんでました。

石井 さん
穴場なんですよね。人がいないから(笑)。

鈴木 さん
ある程度、被災地なんだけども、ここで仕事をやって飯が食えるっていう環境を作らないと。

首藤 アナウンサー
すいません。時間になってしまいました。

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