コペルニクス的、幸福
奥会津・檜枝岐篇を担当した、福島局の金井です。
私が、福島の山奥にある人口600弱の村の存在を知ったのは、一昨年。
今回、番組を共に制作した寺島ディレクターから聞いた、“日本一人口密度の低い村=檜枝岐村”だという情報でした。
“日本一人口密度が低い”と聞いてイメージしたのは、寒風吹きすさぶ、ものすごく寂しい村。しかも山の中。歯の抜けたおばあちゃんが夜な夜な包丁を研いでは振り向いてニヤリ、みたいな?という勝手な妄想だけが一人歩きしていました。
さらに、驚いたのが“米が実らない”という事実。米がとれないと言うことは、餅も酒もつくれない。稲わらも無いから、わらじもしめ縄も、納豆だって作れない。遙か2000年の日本稲作文化に真っ向勝負しているような村だというのです。
それなのに、昭和19年に現地調査をした民俗学者の本には“桃源郷じゃ!”なぞと書いてある。
なんだか良くわからん!という気持ちと共に、パスポートのいらない海外を取材するような心持ちで、ちょうど1年前から、コソコソと取材が始まりました。
福島市から車で片道3時間半。まあ遠いわけです。運転に自信のない私には、日帰りなんてできません。しかし、遠くても行く価値があります。おいしい空気と源泉掛け流しの温泉。とれたての山の幸をいただけば、これは確かに桃源郷だな、とすぐにイメージは上書き保存なのです。
しかも、村人が面白い。600人弱しかいないのに、どうしてこうタレント揃いなのか、ふしぎでした。
中でも、大好きになったひとりが、曲げわっぱ職人の星寛さん(ゆたか)でした。
米寿を迎えても現役で働く寛さんは、口癖のように「今はセカセカして、面白くねえ。昔の方が良かったダ」といいます。どこでも、昔を懐かしむ老人はいるものです。しかし米が実らず、昭和50年頃まで隣の集落まで舗装した道路もつながっていなく、「おしん」の放送と同時期まで大根飯を喰っていた人たちが、それでも昔が良かったと思えることのすごさに、驚きました。人はどんな時に、幸せを感じるのか?不便で、貧しくても、幸せはある。当たり前のことなのですが、寛さんの言葉を何度も反芻する自分がいました。
寛さんの言葉と出会ってから、村の見え方が次第に変わってきました。
山の恵みが沢山とれたら、みんなで分かち合って笑顔になる。モノが無ければ、手作りする。そこには、創意工夫の楽しみがある。人口が少ないことだって不利なことではなく、全員に果たすべき役割が与えられるから、みんなが生きがいを持って毎日を溌剌とできる。タレント揃いの村は、それぞれが、自分の能力を最大限に発揮できる環境だったのです。目から鱗。コペルニクス的転回でした。
寛さんのいう“昔”がどんなものだったか、少し判ったような気がしました。
今回取材中に、ひとつの文章と出会うことができました。それは、小さな村がいかにして生きてきたのか、村の精神を表したものでした。残念ながら番組には入らなかったのですが、寛さんの叔父さんにあたる、4代目村長の星数三郎さんが書いた文章です。
『在郷青年としての覚悟』
――団体の中から落伍者が出来落第者が出来るということはその団体の恥辱であります。
若し互いに相知る者にありては、其劣れるものを鞭撻して落伍せざる様に連れて行くべきであります。
落伍者を出すことは、自分たちの恥であると言い切る姿勢。
今どきの、勝ち組や負け組なんて矮小な考えとは異なる、小さな村の幸福を生む精神。
檜枝岐村が“桃源郷”と呼ばれた理由の一端に触れられた気がしました。
厳しさ、貧しさ、不便さ、は幸福の源でもある。
コソコソと1年間取材させてもらった、私の結論です。
投稿時間:11:00 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク