"最先端"の街・秋葉原に今も息づく、江戸っ子の気概
「秋葉原」の回を担当した、ディレクターの三梨です。
取材中には、秋葉原の沢山の方々に本当にお世話になりました。
皆さんの温かいご協力無しには、番組は決して完成しませんでした。
深く感謝申しあげます。有難うございました。
約三ヶ月間の取材を通して、秋葉原という街には、時代の最先端のポップカルチャーのように新しい文化だけではなく、江戸時代にまでつながる古き良き伝統や人々の暮らしの息吹が残っていて、新しい物と共存している事に驚かされました。
それが、秋葉原という街の奥深い魅力を生み出しているのだと思います。
秋葉原の地元の方々の「納涼大会」にまつわるエピソードを二つ、ご紹介したいと思います。
まずはこちら。納涼大会の会場となった「芳林公園」についてです。
実はここは、秋葉原の地元の子ども達が通う、電気街の真ん中にある「昌平小学校」(旧芳林小学校)の目の前にある公園なのです。
地元の方にお聞きすると、誰もが「芳林公園?あそこは小学校の校庭だよ。よく体育の授業をやったわよ」なんて言われるのですが、それもそのはず。
元々この「芳林公園」は、隣接する小学校の校庭としての役割と、地域の防災・避難場所としての役割と、二つの役割を担ってつくられた公園だからです。1923年におきた関東大震災で、地震の後に発生した大火災で、地域に多数の死者を出した教訓が、この公園がつくられるきっかけになったと言われています。
今では、住民の方々が子どもを遊ばせながら世間話に花を咲かせる、秋葉原という歓楽街の中の隠れたオアシスのような場所になっている「芳林公園」。秋葉原観光に疲れたら、ほっと一息リラックスされ行ってみてはいかがでしょうか?
そしてもう一つご紹介したいのが、「納涼大会」を主催されている外神田文化体育会の皆さんのこと。万世橋、旅籠町、宮本町、神臺町、同朋町、金沢町、末広町、田代町、松富町、栄町、元佐久間町、五軒町、山本町、松住町、亀住町という、地元15町会からなる連合組織です。
実は、これらの町名の殆どが、現在は「外神田」と呼ばれている地域の旧町名なのです。
正式な住所が「外神田」に変わった後も、地元の方々は、自分が住む場所を、「外神田○丁目」と言わずに、古くは江戸時代から使われてきた旧町名で、未だに呼んで暮らしています。
このこと一つをとっても、地元の方々の中には、今でも江戸の息吹が息づいているのがはっきりと感じられます。
そんな江戸っ子の気概をもつ秋葉原の地元の方々に、取材中に何度も何度も教えていただいたのが、「神田一本締め」という手打ちの仕方です。
「いよ~、ポン!」。サラリーマンの飲み会でよく聞く一本締めですが…
「それは、ちょん締め、これでは何も締められないよ」と、秋葉原の皆さんの誰もが、声を大きくしておっしゃいます。
なぜなら、秋葉原で一本締めと言えば「パパパン、パパパン、パパパン、パン」の神田一本締めが、当たり前だからなのです。
「神田一本締めでは、三、三、三とたたいて九回。そして最後にもう一回たたく。だから九+一で「丸」。これはすべてを丸く収めようっていう意味があるんだ。どんな時にも必ず最後に一本締めをするよ。一度締めたら、後は何も言いっこなしなんだ」と、ある地元の重鎮が教えてくれました。
さて今回の番組も、めでたく放映となりました。
このブログも秋葉原流に、一本締めで終わりにさせていただきます。
それでは、お手を拝借。
「いよー、パパパン、パパパン、パパパン、パン!」
有難うございました!
投稿時間:11:00 | カテゴリ:ディレクターおすすめスポット | 固定リンク