"せいしょこさん" の作った町
「熊本」を担当しました松田と申します。取材でお世話になったみなさま、そして放送をご覧いただいたみなさま、本当にありがとうございました。
実は私自身が熊本出身なので、感覚的に「熊本なら当たり前たい!」と思っていることも多く、自分の生まれ育った場所を客観的に見つめるのはちょっと難しかったです。
たとえば『肥後もっこす』。みなさんはどんなイメージをお持ちですか。
私がたずねられても正直なところ『肥後もっこすは肥後もっこすたい。』という感じなんです。『肥後もっこす』には熊本の人の中でも、頑固者、一本気、ひねくれ者…人によっていろいろな解釈があります。秀吉の時代には「肥後は難治の国なれば」という言葉がよく使われたそうです。それぞれに自分の考えや信念をもっていて、なかなか譲らない、簡単にまとまらない、熊本の人にはどこかそういう部分があります。自分も含めてですが、本当にめんどくさいんです。でも、だからこそ、取材でもそれぞれ違って面白い熊本人に出会うことができました。それが伝わっていれば幸いです。
ブログでは、熊本の街の魅力の一つでもある、路面電車で回ることのできる“せいしょこさん”ゆかりのスポットをご紹介します。みなさまよかったら、熊本に遊びに来てください。
熊本城は熊本地震で大きな被害を受け、現在は多くのエリアが立ち入り禁止になっています。復旧工事のため天守閣の周りはシートで覆われその姿を望むことはできません。すべての復旧復興には、20年かかると言われています。そんな中でも、熊本城の周辺ではその柵の外から城を見つめる人が多くみられます。熊本の人にとっては単なる観光スポットではなく、家族や大切な人との思い出のつまった特別な場所、心のよりどころなのだと思います。熊本城の天守閣は、明治10年に一度火災で焼失しています。現在の天守閣は、昭和35年に戦後復興の象徴として人々が寄付や募金をあつめて再建したものです。工事が進む城を見ていると、もしかしたら当時の熊本の人たちも、完成を待ちわびて同じように天守閣を眺めていたのかなと思ったりします。
もうすぐ春。熊本城は、熊本を代表するお花見スポットです。満開の桜とともに、今しか見られない熊本城を見にきませんか。
番組に登場する行商のキミさんが魚を売って回る、新町・古町とばれるエリア。熊本城の西側に広がる、城下町です。400年前、城下町が作られたときの町割りが残っています。
熊本城は強固な守りで有名ですが、この城下町もその仕組みの一つ。例えば古町に残る、「一町一寺」といわれる町割り。その名の通り一つの区画に必ず一つ、寺が配置されています。中には3つの寺が隣接している場所も。これは、寺を敵がせめてきたときの軍事拠点とする狙いで作られています。また新町には「行き違い」という変則の十字路が多く見られます。これも防衛のための仕組みで、簡単に先が見通せないようになっています。新町古町には、長年続く商家と並んで町屋を活かしたレストランやセレクトショップもあり、街歩きにぴったりなのでぜひ歩きながら町を観察してみてください。
また、運がよければキミさんにも会えるかもしれません。キミさんの売る魚は、新鮮さとお得な値段で大人気。軽妙な営業トークも相まってほぼ毎回売り切れです。初めてのお客様も大歓迎とのことなので、見かけたら是非声をかけてみてください。ただし、「あんたこれ買いなはれ」とメニューはキミさんに決められるかもしれませんが…。
番組でも紹介しましたが、熊本の人は加藤清正のことを親しみをこめて「せいしょこさん」と呼びます。そのせいしょこさんの菩提寺である本妙寺は、市内中心部の小高い丘の上にあります。加藤清正の遺言で熊本城の天守閣と同じ高さにあるこの地に建てられたといわれています。
胸突雁木(むねつきがんぎ)と呼ばれる176段の急勾配の階段を上ると加藤清正を祀る「浄池廟」があり、さらに300段の階段をのぼれば、槍を持って烏帽子をかぶった加藤清正の銅像が建っています。階段は息あがりますが、この場所は熊本市内を一望することができるようになっている気持ちのいい場所です。お天気がよければ阿蘇の山々を望むこともできます。
投稿時間:11:00