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「ひきこもり」に関するみなさんの体験やご意見など、お待ちしています!


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3901〜40004001〜4104
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400:引きこもりはだれにでも起こるのか?
名前:モリ   日時: 2003/04/01 01:51:35

引きこもりは子育てだけの問題とは言い切れませんが、親が深く関わっているケースは多いと思います。
悩んでいる子供はさまざまなサインを出していると言います。しかし親にはそのサインに気付く親とそうでない親がいます。気付いてもらえる子供は良いのですが、気付いてもらえない親を持った子供はそのままストレスを溜め込んでいくことになります。
悩みを子供の方から親に相談できれば良いのですが、そんな親は子供がなんでも相談できる関係を創ってやることなどできません。その子はやがて限界に達し崩れていってしまいます。
サインに気付けない親は子供の本当の姿が見えていませんから、そこで「いままでなんの問題もなかったのに…」と言って驚くことになります。
「子供のことが分からない」これはどの親にも共通した言葉です。引きこもっているいないにかかわらずみな同じことを言います。ひとくちに「子供のことが分からない」と言ってもその意味する所は親によってかなり違うと思うのです。
引きこもりを出す家庭とそうでない家庭とには親子の基本的な関係のあり方に違いがあるのです。そしてそれは外からはなかなか見えにくいです。



399:ミントさんへ
名前:パグ   日時: 2003/04/01 01:49:18

僕も24歳、ひきこもり始めて5年経ちます。自助グループに参加できずにいました。人と関わることが怖かったのかもしれません。しかし今日、始めて参加(見学)してきたんです。僕が訪れた自助グループは、プログラムグループと談話室が分かれていて、とても自由な印象でした。談話室でコミュニケーションをとって、人間関係に少しでも自信を持てたら、プログラムに参加してみようと思っています。
プログラムには参加したことがないので詳しいことは分かりませんが、談話室はいつ帰宅してもいいのです。まだ僕は制限されたりすることが嫌なので、気楽に通えそうです。そして参加してみて一つ気づいたことがあります。同じような悩みを抱えている方とのほうが、気楽に話し合えるということ。もっと緊張するかと思っていたのですが、意外と気楽に会話ができました。
人との接触が途絶えていると、対象を拡大してとらえてしまう部分があると思うんです。勇気を出して1歩踏み込んでみたら「あれ?そんなにたいしたことじゃないぞ」と思うかも知れません。あとはミントさんのタイミングで、焦らずに、ゆっくりと行動できればいいですよね。行動できなくても自分を責める必要はないし、大抵のことは時間が解決してくれると思います。
僕も24歳になりましたが、びっくりするほど子供です(笑)。虚勢を張って大人ぶるより、子供のままで体当たりしていきたいと思っています。そうしていたら、気ずかぬうちに、成長しているかもしれません。頑張りましょう。



398:引きこもらない「ひきこもり」
名前:アネムちゃん   日時: 2003/04/01 01:47:21

現在、4児の母です。自分自身、転勤族家庭で育ち、転校生として出来上がった集団の中や地域に受け入れてもらえて、また、転校で…。ありのままの自分を受け入れてもらえない不安があった。心の「ひきこもり」とも呼べるだろう対人不安が人間関係の壁となった。家庭でも学校、社会でも自分の居場所を求めた。
音羽の幼稚園ママの事件など男女関係なく学業競争で育ち、育児で家庭に引きこもる状態の女性もある。孤独は一番の不幸。人との間ではじめて人間となると思う。あせらないことだ。



397:お願いしたいテーマ
名前:子泣きじじぃ   日時: 2003/03/30 23:55:10

つぎのテーマとしてお願いしたいものがあります。
それは、「ひきこもりから脱出するってどういうことだろう」というのものです。
どうしてこんなことを考えたかというと、ひきこもり脱出の経緯とか定義とかがわからなくなってしまったからです。
先日あるカウンセリングクリニック主催のセミナーに行ってきました。その会は「ひきこもり経験者の講演」でした。
ひきこもり経験者ということで今は普通に暮らしている人なのです。
現在どのような状態かというと、大学に合格したが、大学を受けなおすということでした。今の年齢は25歳くらいの方でした。
僕が連想してしまったのは、2時間の番組で出演されていた人のことです。あの人は大学卒業後ひきこもりになってしまいました。
この人も今は外に出られるようになったけれど、大学受験に失敗したり、大学を卒業したときにどうなるのでしょうか?再びひきこもってしまう危険性は無いのでしょうか?
ひきこもりから脱出するということはどういうことか、について、取り上げていただければ幸いです。



396:悲しみは人の中をまわってくる。
名前:DARK   日時: 2003/03/30 23:55:10

前にも何度か来てました、DARKです。
この前、18になりました。
バイトの面接を受け、薬でごまかしながら2日の研修を終えました。
最近、軽い拒食症になってしまい、ちょっとやせました(笑)
暗くのしかかってくるものと、私たちは戦っているんでしょうね・・・。いや、突然思っただけなんですけど。
なんか、こうやって家の中にいる私たちってすごいですよね・・いろんな意味で。
死が常に周りを取り巻いて・・・暗い気持ちがのしかかり・・発作の苦しみもまっていたり・・・。
でも私たち、逃げてなんていませんよ。むしろ戦ってると思います。だれかとだれかとの間をぬけて大きくなった怒り、悲しみ、それらを私たちは誰に回すわけでもなく、自分のなかに焼却場のようなものをつくってこれ以上大きくならないように。
個性的だとよく言われますが、私はそれを一番大事にしようと思います。個性的だったからと自分を責めず、押しつぶさず、死のうとせずにいきたいと思います。
「死」に、ついこの間会ってきました。それはあまりにもリアルで、あっけなく、そしてあまりにも悲しいものでした。自分が死んだって、だれも悲しまないっていうのはうそです。もし、そう思っている人がいるのならそれは買いかぶりです。人はそんなに安いものじゃないんです。そして、そんなに絶望的なものでもないんです。
最近思ったのは、奇跡って案外近くにあるものだということと、「好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだ」ということ。何かに気づくのにはある程度時間がいるというのも。
カウンセラーとか病院とかって、やっぱり当たり外れは大きいですよ。私もはずれに何回も当たりました。でも当たるんですよね。ちゃんといるんです、考えてくれる人って。
自分を好きに・・・とかいうけど、人を見て自分が見つかるときがあります。たとえそれが、家の中のパソコンの向こうにいる人でも。それってすごくいいことなんじゃないかって最近思ってます。誰がなんと言おうと好きは好き、嫌いは嫌い。せっかく家にいるんです。やりたいことをのんびりやりましょう。そしたら「好き」が簡単に見つかるかもしれない。私たちが気をつけなくちゃいけないのは、やっぱり「あせり」だと思いますよ。



395:言葉が出来て
名前:カー助   日時: 2003/03/30 14:54:07

これで、2回目の発言になります。前に社会的、扶養?とタイトルでのせたカー助です。
今回は、思い出してしまったことを書きます。
それは、私の時代にはひきこもりという言葉が無く、そうした専門のセンターや病院もなく、たいていは情けない奴として見られていたのです。
私は、義務教育の頃にいじめにあっていました。
小学生の頃は本当にお腹が痛くなったりして、それでも、親が無理矢理に学校に。学校行ったとしてもしゃべる人はいなくて、いじめられても先生にちくることは出来なかった。
今でもはっきりおぼえている。中3の休み時間、私の席はベランダの方で、自分の左の袖を上にあげ、右手にはカッター(今で言うリストカット)をするところでした。
そうすることで、もういじめにあわずにすむ、楽になれると思って。でも、出来なかった。
母には、その頃のことを言ったり言わなかったり。でも私は、「お願い、お父さんには言わないで。会社で大変だから。」と、母にだけは言っていました。
その母も、2001年の5月にガンでなくなりました。
私が高校卒業し、20代でバイトし始めた頃、母が1回目のガン発病し入院。私は、家事とバイトとの繰り返しでしたが、母も無事に退院したのです。その後ガンが再発し、別の病院に入院しました。そのころ私はバイトをしてませんでしたので、家事と病院の往復でした。
母が退院した頃に、私は別のバイトをし始めましたが、母は3回目のガンで入院してしまったのです。同じころ、私もバイト先でいろいろあって辞めていたので、再度家事と病院往復が続きました。
無事に退院をしたのですが、その1ヶ月後ぐらいに容態が悪化し緊急入院。父と面会に行った頃、母はまだ元気でした。しかし既に腹水がたまっていたらしく、急にトイレに行きたいというので看護婦さんを呼んで、父と看護婦さんに抱きかかえられたのですが、その時に母のすべての力が抜け、亡くなりました。
そして、母の1周忌を終えた頃に、あの頃のいじめにあっていた私の事を、父は母から聴かされていなかったことがわかりました。本当に、死ぬまで父には、黙っていてくれたのです。
社会人として、20代前半にいろいろとバイトした。
20代後半の今は、家事をしながらハローワークに行ったり、なるべく外に出るようにしている。
中途半端。今でもひきこもりになれないし、なりづらい。でも、いまでもいじめられた頃の事で苦しんでいるって事は、多分PTSD(心的外傷後ストレス障害)になっているのではないかと。この言葉が出来た頃に、私自身あてはまるのではと思った。
20代後半で、フリーで、父の扶養として生きているのは、私だけなのでろうか??
以上、これにて。



394:正しい知識
名前:風(ふう)   日時: 2003/03/29 22:38:54

発言番号390の子泣きじじぃさんへ。
このことについては、もしかしたら私も入ってしまうかもしれません。しかしどこまでが正しく、どこからが間違っているのか境界線を引くことはできないようにも思います。
善意を持たず遊び半分で書き込みする人は論外ですが、本当に善意で書き込みしてくれている人がいることも事実です。
…ですからレスを読む人自身が、自分に合った意見を選択して読んだり、時には反対の意見を書き込んでみたりするなど、ちょっとした「上手く読むためのコツ」があるのかもしれません。



393:人生の色を幸せ色に塗るか、不幸色に塗るかは自分次第(しだい)
名前:大地緑   日時: 2003/03/29 22:38:22

「なぜ、ひきこもりから抜け出せないのだろう」のコ−ナ−の発言番号200、日々草さん、ありがとう。 とても嬉しいですよ☆☆

ところで、今、感じていることを書きます。
私の人生は、幸せな環境に恵まれて生まれた人たちのそれ(人生)とは、程遠い状態にありました。 そして、『・・・なんで、こんな人生になってしまったのだろう・・・・(+_+;)』と思いました。 予想とは、まったくはずれた人生になってしまっていました。
・・・・でも、ある時から、なんとかこの自分の人生を、なんとか意味あるもの(価値のあるもの)にしたい、と思い、ずっと生きてきました。ある時については、発言番号313で書きました。
・・・・実際にそれをやるのは、ひと言で言えるものではなく、かなりの長期戦になりましたが(戦い、という言葉は、好みませんが、長期戦は一般的な意味で書きました)。北極の極限状態にいるような状態というか。進んでいるのか、いないのか、と思えるような日々が長く続きました。・・・でも、進んでいました・・・・。
そして、このところようやく、少しづつ、芽が出て、明るい光のある所に来ています☆
私はいつも、今いる環境(自分の生まれて来た環境)が、自分には一番良かったんだ、と思うようにして来ました。 そういうには、情けないような状態に私はいましたが。
・・・この環境に生まれて来たからこそ、できる何かがある、に違いない。
・・・この環境でできる何かをするために私は、わざわざ、このような環境に生まれて来た、と、いつも考えるようにしました。
とても長い道のりでしたが・・・・。
たとえ、私の生まれて来た環境は変えられなくても、私の人生の色を不幸色にではなく、幸せ色にしたいと願って生きて来ました。
これまでの自分の歩んで来た人生を無駄にしたくない、たとえ、それが一見みじめなものに見えたとしても、そのようなことが過去にあったからこそ、結果的に価値のある人生を送ることができた、と思えるようにしたい、と思って生きて来ました。
しかし、これも誰にも知られない孤独な道のりでした。 そこに私の苦しさがありました。これが、ひきこもりの苦しさだと思います。長い間、愛を必要としているのに、愛をもらうことができませんでした。でも、今、ここにそのこと(孤独な道のりであったこと)を書けて、少し癒されたのを感じています。 ありがとう。 ここらへんのことは、省略して書いているので、わかりづらいかもしれませんね。 また、機会があったら、書くかもしれません。
今は、明るいところに、少しづつ来ています。

この文章の初めのほうに書いた“幸せな環境に恵まれて生まれて来た”という表現に、何か誤解を生むようなところがあったら、ごめんなさい。 この言葉は、いろいろに解釈できて、いろいろな取り方ができる、と思うので。 よろしくお願いします。

何か、いろいろ書いてしまいましたが、私もなまけもののところとか、いろいろあって、まだまだ・・・です。




392:初めて投稿します
名前:ミント   日時: 2003/03/29 11:15:54

初めて投稿してみました。24歳になる者です。
最近インターネットを始めて、私と同じ社会とのかかわりをもちたくてももてない状態にある人達が、たくさんいるんだってことが手に取るようにわかってきました。
私だけじゃないんだという思いの反面、このままの状態ではいけない、なんとかしなきゃという焦りの気持ちが、以前より強くなってきたのです。
私の住んでいる県内にも、自助グループがあるということを知り、予定表なんかを送って頂いたのですが、行くことができてません。
まだひきこもりという状態になる前、思い描いていた24歳の自分と、今現在の自分とのギャップがありすぎるのが正直、苦しいのが今の心境です。



391:>はるひさんへ
名前:LaLa   日時: 2003/03/28 22:10:10

確か、二度目ですね。
はるひさんが朝、起きられなかったのは、ただ「だらしない」とかそういう問題ではないように思えます。今、精神的に一杯一杯なのではないですか?
カウンセリングを受ける等で人に助けを求めて、少しでもラクになった方がいいと思います。
あと、実家からは出来るだけ早く出られた方がいいと思います。すぐ働くのが難しければ、お友達の所に厄介になるとか、場合によっては生活保護を受けて一人暮らしするという手もあります。
親とうまくいかなくて心に問題を抱えている人で、生活保護を受けて一人暮らししている人が実際に何人かいます。手続き等大変な部分もあるようですが、「生きるため」に必要なことだと思えば・・・。



390:善意で来てくれている一般の方々へのお願い
名前:子泣きじじぃ   日時: 2003/03/28 04:38:24

 ひきこもりについての関心が一般の人にも広まるのは良いことなのです。ひきこもりが一般化するにつれ、ひきこもりの当事者や家族や援助者(精神医療、カウンセリング、福祉等)以外の人もBBSや団体に関心を示してくれるようになりました。
 今までは、存在をみとめられなかったのです。医者とかカウンセラーでも「病気じゃない、本人が甘えている、家族が甘えさせているだけだ。」と門前払いされるだけのことが多かったのです。
 ただ、こまったことも出てきました。関心はあるけれど、正しい理解がない一般の人も来てしまうようになったことです。来てくれるのいいのですが、素人考えで意見を押し付けようとしたり、自助グループなどを引っ掻き回すことも出てきてしまったのです。
 関心を抱いていただいたのは非常にありがたいと思います。かかわっていただけるのも、善意からであるということもよくわかっています。
 ですが、かかわり方によってはひきこもりの治療などによくないこともすくなくないので、ぜひ勉強をしてから、来て下さい。
 最近はたとえば「うつ病は励ましてはいけない」ぐらいは常識になりました。それと同レベルぐらいまではひきこもりについて勉強してきてください。本やサイトもたくさんあります。
 よろしくお願いします。



389:自分を出せるっていいですね。
名前:トムフール   日時: 2003/03/28 02:05:43

はじめまして!
色々と調べているうちにこの掲示板を見つけて、少しだけ自分を出してみたくなったので書き込みしてみました。

皆さんの意見を読ませていただいていて感じた事は一部分だけかもしれないけれど、自分の心の核心をさらけ出すことができているんじゃないかな?って感じました。

私自身は自分を出せるという状態はとても心地いいと感じます。ひきこもりをする時って自分を出すことが困難な状態になっている気がするんです。
こういった場で自分が出せることはとても素敵なことだなって感じました。
つらいことがあるときはつらいって伝えればいいと思うので、これからもどんどん自分を出していきましょう!
もちろん私も自分を出していきますよ。
よろしく!




388:re>383:人に譲り続けてきたツラさが、私の人間関係を困難にしてきた。
名前:子泣きじじぃ   日時: 2003/03/27 22:12:30

 そういう風に考えられる、自分を分析できる、人間関係を捉えられるようになってきたということは成長だと思います。
 人間関係っていうのは、勝ったり負けたり、売ったり買ったり、という風に、ポジションが常にくるくる変わるものだと思うのです。
 それがうまく出来ないというのは、人間として成長がまだ幼いとかスキルが拙劣ということだ思うのです。
 これから、そういう部分を鍛えていけば大丈夫だと思いますよ。



387:最低な誕生日
名前:はるひ   日時: :2003/03/27 16:20:49

先週短期アルバイトの面接に行って今日から出勤のはずでした。が、朝起きれず気が付くと携帯には何度もバイト先の着信履歴がありました。そこのバイト先には友達がいて、出勤できなかった理由を言って採用を取り消してもらった方がいいと言われ、バイト先に電話をしました。そして、あっけなく「キャンセルですね」と言われ切られてしまいました。あたりまえですよね…。周りからは、「甘い」といわれました。自分でもそう思うし、もう自分はアルバイトさえも、まともにできず社会不適応者なんだと思うともう生きていてもしょうがないんじゃないかと思います。中学生時代は不登校だったし、学校で身に着けるべき集団生活や人間関係もすべて断ち切って、自分の好きなことばっかりやってたツケなのかも…。
高校は定時制に通っていました。昨日でハタチになりました。親とは相変わらず仲が悪いです。昨日も会社から帰ってきて何もしない私に、「出て行け」「俺とお前はそりが合わないからどっかの家の養女に出してやろう」とか「もうお前の好きなようにしろ」といわれ、あぁもう私なんて生きていてもしょうがないんだと泣きながらカーテンレールにタオルをかけて首を吊ろうとしました。それを見た親は、「母親も自殺で、お前もそんなことしたらみっともないからやめてくれ」と言ったのです。結局世間体を気にして私のことなんかどうでもいいと思ってるんです。私は泣いて叫びました。「もうこんな生活嫌だ!」「お母さんのところにいきたい!」久しぶりに泣きました。号泣です。そして今日家にいるとおかしくなりそうなので外にでてこのメール書いています。これからどうしたらいいんだろう…。家にも帰りたくないなぁ。



386:「医者」って、いったい…。(#2)
名前:織田みさお   日時: 2003/03/27 12:06:15

お医者サマに言われた言葉。
 「別に、だれかに迷惑をかけているわけでもないし、こちらとしても できることは何もないよ。それでもまだ来る?」
 …ここまで言われちゃあ、ね。でも、最後に聞いてみた。
 「…じゃあ、自殺をしたりすることもないんですね?」
 「…ん?う〜ん、ま、それはキミしだいだな。」
 ・・・。お医者サマに見放されるって、キツいです。
 だれにも めいわくをかけずに死んでくれ、と言われたような気がしました。
 死ぬのは あくまでキミの責任だ、と念押しされたような気がしました。
 ドカン!と落ち込みました。落ち込みすぎて、死ぬ気にもなれませんでした。
 「…これで死んだら、ホントにバカじゃん」と、手首のキズを見て 笑っちゃいました。
 あやうく お医者サマに「引導」を渡されかけたけど、でも、まだやり残していることがあったので、なんとか やりすごすことができました。
 今かかってる先生で4人目だけど、しっかりした、とてもいい先生です。 (歯医者と精神科医は「当たりハズレ」がものすごく大きいですよね。しょーもない医者にかかるくらいなら、となりの家のわんちゃんの頭をなでてるほうが、よっぽど気がやすらぎました。)
 薬も ちゃんと飲んでます。
 心理テストも受けました。
 定期的に診察にもかかってます。
 でもでも、今生きてる一番の「ささえ」は、『夢』をもっているからです。
 口に出したら笑われちゃうよーなことだけど、でも、これをやり残しているうちは、まだ…死ねません (笑)



385:日々草さんや他の方々へ
名前:ぷーさん   日時: 2003/03/27 09:59:32

なんか、落ち込みのレベルだとか、すごく傷ついたから自分はかわいそうなんだって言ってるように聞こえる。ずーっとそうやって落ち込んでいるつもりなんですか?
説教じみた、どこかで聞いたようなセリフってたしかに嫌だけど、全部がそうではないと思います。必ずどこかで自分は間違ってることしてると思うから、それに気付けるのって大事じゃないですか?
それがいやがらせなら当然誰でも嫌だけど、でもそんなのにいちいち反応してたらキリないです。こいつはダメなやつってバカにするやつらは、そうゆう思いをあまりしたことないんだと思う。放っておけばいいし。自分は劣ってなんかない、自分は大丈夫なんだからって常に思っていれば、つらいことも乗り越えられると思う。
ありふれた言葉でごめんなさい。一番最初の文でちょっときつい事いってしまいました。聞き流してもらって結構ですので・・・。でも前向きになるって自然と勇気が出てきますよ。もっと気楽に生きてみませんか?



384:続きです
名前:日々草   日時: 2003/03/27 06:38:21

ようやく自分のことを書くことができました。今まで書くことを恐れていました。それはいつでも私の言い分なんて、言い分として世の中に通じないと言われ、それで口をつぐんでしまうという習性が身についてしまったせいでもあるでしょう。しかし「心の声を聞かせてください」「The Voice Of Your Heart」というのにひかれ、いつ自分を出そうか、いつ自分をだそうかと機会をうかがってきました。そして徐々に書き込んでみました。ときどき名前を変えてみたりして、他人のフリをして書き込んだりもしました。
なかなか「自分のまま」が出なくて、申し訳ないとか思ったりもしました。そういう風に、「自分のまま」が出ても安全だという実感が分かってから書き込むつもりでした。しかし一度他の掲示板で袋叩きに会ったことがある関係上中々自分を出せませんでした。こういう人は私の言い分を、通じないみたいに扱うのではないかという嗅覚が、過敏になりすぎてしまったのだろうと思います。だからここで自分を出せている方たちがうらやましかったです。そういう自分になりたいとも思いました。
そして、読んでいるうちに今の私の苦しみも、意味あるんじゃないかとさえ思えるようになりました。

ただ、自分を出しやすい環境というのもあるのではないかとも思いました。
実は「自助グループ」というのにも通ったことがあります。そこでは自分のことを話し出しやすいように、細心の注意が払われていました。しかしなかなか私は話せなかったんです。そういうところでも。
ここのサイトは、スタッフの方がある程度書かれたことを読んだ上で表示されているのでしょう。しかしあらゆる意見を載せるということも民主主義では必要なので、たとえ私としては「こういう人はなんか言ってきそう」と思える人の言葉でも表示されていたので、なかなか警戒心がはずせませんでした。
「みなさんへ」さんの言葉は、私には「通りすがりの人」のように思えました。通りすがりに募金箱に「チャリン」と小銭を入れてゆくような、ごくごく一般的な「良心」だと思いました。しかし、その良心は有効だとも無効だとも言えないと思います。とくに人の心のことが絡むと、シンプルな良心だけで近づけないと思いますし、近づいてはならないとさえ感じてしまってます。自分の善意に疑いが感じられない人の「強さ」ほど、私は恐ろしいものは無いとさえ思ってしまっています。
こんなこという私を、皆さんはなんと悲しい人物かとお思いかも知れませんが、こういうのは心の綾だと言ってはいけないのでしょうか。一方的な正しさを強いられてきた私の、頼りなげなせいいっぱいの抵抗です。どうぞお許し下さい。また書き込む勇気を失いそうです。




383:人に譲り続けてきたツラさが、私の人間関係を困難にしてきた。
名前:日々草   日時: 2003/03/27 05:47:53

私はなかなか自分の気持ちを表現しにくいたちで、いつも置き去りにされているような感覚で生きてきました。
その原因を考えてみると、親の気持ちをまず先に考えて、彼らの苦しそうな顔を見ないですむような自分にならなくてはならないと思い、そういう心の持ち方でしか、自分という人間を作り上げる事ができなかったように思います。そうやることが親子関係(これが他の人間関係にも拡大されました)を失わない、唯一の生き方だと思ってこれまで生きてきたのです。
ですので、「みなさんへ」氏の言われる事に過剰に反応してしまったというわけです。そこで余程「みなさんへ」氏に対して謝ろうとも思ったのですが、そうすると私はまた「人に譲らなくてはならないのか」という気持ちがもたげてきてしまって、なかなかそうすることができなくてつらい所です。
今私は、自分の自尊心の「根っこ」とは何かについてカウンセラーの先生ともお話中なのですけれど、人に対して自分を曲げすぎたつらさを、ようやく話せる段階になってこれたような気がしてます。それまではなかなかそういう自分を認められてこなかったし、カウンセラーさんを傷つけちゃうのではないかとか、いろいろ心配しながら話さなくてはいけませんでした。しかしそういう風に手探りするように、不器用な道を歩きながら「関係」を築いていくものだ、みたいな方向に話が進んできているのも事実です。
どちらかと言うと私はすぐに「すいません」を連発してきましたし、逆に本当につらくされた時には謝ってもらえなかったことが多かったかもしれません。それを思うと損な役を神様にもらったのではないかと、毎日神様を呪うようなことばかり心の中でつぶやいています。



382:しぇるさんへ
名前:LaLa   日時: 2003/03/26 23:46:24

そんな、自分を責めなくていいですよ!!私も半年ぐらい前まではそうだったんですから。
自分の好きな音楽をテーマにしたサイトをやってるんですが、そこに来てくれる「ネッ友」には、ずっと自分の抱えてる問題のことは隠して来ましたし、今もそうです。世の中、「心の問題」に理解ある人ばかりではありませんからね。
「LaLa」というのは、そこで使ってるのとは別のハンドルで、ぶっちゃけ、初めて使ったのはこの掲示板です。去年の秋頃から、この名前で、自分と似たような悩みを持った人達が集まるサイトに出入りするようになり、「心の問題」がテーマのサイトも作りました。そして、「自分が今、抱えてる悩みはおかしくないんだ、他にも同じような目に遭って、同じように感じる人がいるんだ」ということを知って、すごくラクになりました。
しぇるさんも、ネットでどんどんそういう人達と交流されてはどうですか?「複数のハンドルを持つ」のも一つの手ですよ。



381:2回目のカキコです。
名前:アドリアーノ   日時: 2003/03/26 14:10:59

かなり前に1回だけここにカキコしました、アドリアーノです。
「ひきこもり」始めて1年半以上になる、20歳代の男です。
大学に入学はしましたが、在学中に精神的に傷を負い「ひきこもり」に。
現在は休学中。復学の意思も無く、働きもせず、現在に至ります。

先日親からこう言われました。
「**(※僕の名前)は立ち読みとかで結構出歩いたりもするし、こないだNHKの特番で出てた様な人たち程重症じゃないし、もうそろそろバイトとか真剣に考えてみたらどうか」と。

確かに僕は立ち読みとかで本屋やコンビニなどによく寄ったりしますし、自助グループの会合とかにも普通に通ってたりしています。
はたから見ると、「ひきこもり」でないとその目に映ってもおかしくないと、自分でも思います。
しかし、親は「深刻にならなくてもいい、ちょっと頑張れば何とかなる」なんて言いますが、自分にとっては“重症”だとか“軽症”だとか、そんな程度の問題じゃないのです。
親は「**が働き出せば、“ひきこもり”に終止符が打てる」とでも思ってるのかどうかは知りませんが、僕が働き出しても“ひきこもり”であった事とか記憶は勿論消えないし、“ひきこもり”の状態が仮に終ったとしてもそれで終りでなく、一生付き合ってく問題だと思います。
親と僕とのその辺りの考えのズレを、どうも感じずにはいられません。

先日、自分の好きそうな職種の求人があったので、実際に履歴書を書いて出しましたが、梨のつぶて。あえなく落選しました。
根拠は無いけど結構自信があっただけに、ショックを受けています。
それに、仮に上記の求人に採用されたとしても、僕の中の不安が消えた事にはならないでしょう。
「面接で何と言えばいいのか」「仕事場でうまく人付き合いしていけるだろうか」etc。
親とかから「働く」とか言われる度に、こういう不安がいっこうに拭えません。

皆さんの意見を聞きたいと思って、今回こういうカキコをしました。
何か思うところがありましたら、カキコして頂きたいと思います。




380:ごめん
名前:しぇる   日時: 2003/03/25 15:32:42

自分は痛い奴なんだろうなと思う。
まずうそつきです。ネットでしか友達はいないけど、ひきこもりのことはかくしています。
それで話をあわせるために、たくさんのうそをついています。
そのくせ、プライドに妙にこだわったり…さらにうそをかさねる。そんなことは、もう向こうも承知でわかった上でつきあっていてくれるのか!?
逃げ出したい…っていうか、ネットだから簡単に逃げ出せるので、都合のいいときだけ都合のいい関係でって…。あ、ネットのなかでも、またひきこもりですか。
ここの掲示板でのみなさんの長い文章に圧倒されて、読むのはしんどい。ごめん、なんか袋小路的な思索はいやだ。アホがむき出しでも、こんな風にしか文章かけないです。



379:日々草さん。
名前:前・「みなさんへ・・」   日時: 2003/03/25 01:02:13

「私の思ったこと」
と最初に書いたはずです。
どんなに偽善者的で、説教じみた言葉でも本当の気持ちです。それが「陳腐なもの」ですか。
あなたが言う「落ち込みのレベル」ってものが、どんなにひどいものか私には確かに理解できないかもしれないけど、あなたの言葉で私は落ち込まされました。



378:自己肯定感って何?
名前:不思議な人生になってしまった   日時: 2003/03/25 00:04:09

多分私は今、「自己肯定感がある」という状態になっているんだろうけど、正直なところ、「その状態ってなったことがない(恐らく)」ので、想像でしかなかった。
それまでは、どこか「こんな時にはこうなんだろう」という、その頃の自分が無意識的に反応してしまうこととは”違う”という側面から想像して解釈していたと思う。
でも、どうして「今は自己肯定感がある」と思え、変わったのかなあと感じられるようになった理由として、「自分の反応の仕方とか居心地が、悪い呪縛が取れたみたいに全然、楽」で、昨日の自分と今日の自分が確実に違うと実感出来る「居心地」になっていたから。
こんな変化なのかと、変化して初めて「あるんだな」と思えたのかなあ。それまでは、自分なりにそれらしいような文献や書物を集めて読み、『自己肯定感というものが無い』ということだけがカギだとは分かっていたけれど、そんな実態として形の無いものを一体どういう手段を使って獲得するのか、それとも自己否定感の方が無くなっていくということなのか。とにかく、その理屈というか根拠そのものが「そうである」という確信が完全には持てないから、人に対して堂々とできなかった。その中身が存在することも揺れている具合だったし。
よく「嫌いな自分も受け入れよう」とか「自分を好きになろう」とか言われるけど、どこかそんなこととは違うと感じていた。それでは常に意識を働かせていないといけなくなるし。ちょっと次元が違う。私はそうしようと思ったのではなく、「私自身がどう感じているのか、今どんな状態にあるのか、これまでどう思っていたのか」という、本当はあまり口に出したことのない、聞いて欲しかった気持ちや事実を、母親にちゃんと受け止めてもらえたんだなと、自分がジーンと感じる機会があって、それがどうも決め手だったらしく(私のキーが母親だったのかもしれないけど)、体の方がそれに的確に反応していたらしいというか。
居心地が違うと自覚出来るくらい変わる瞬間があって。頭の回転とか、自分の反応とか、動きとか。人が恐くないとか、勝手に自然に反応を返しているとか。それで変わったことを自分で知って。その状態にある自分がとても嬉しくて。私の場合は、それ以前にも2年半ぐらいカウンセリングも受けていたので、変な言い方ですけど「ドラブルを抱えていることに対してのお墨付き」みたいな現実を、それで少しずつ親に「現実の私の状態とセット」で直面させていったのはあるんですけど。
「何もしない状態でいること」がそもそも違うということが、一体どういうことなのかというのはやっぱり想像は難しくて、”変わる”ってあり得るのか?という世界だったので、不思議な気分でもありました。それで解ったことは、口では言いにくいような気持ちを、生身の人を目の前に面と向かって語ることそのものが、自己否定感というものを抱えていると信頼関係が出来なければ結構大変なんだなあということと、(体が拒否する所がある)感情は正直だから、人はこんなに涙が続くのかというくらいオエオエと泣き続けるということと、それでこんな風に「こう考えてみよう」とか「こう思ってみよう」という次元ではない何もしていない状態が、こんなに違っちゃうもんなんだなあという驚きと。
その感覚の違いを感じて、「今は何もしてないのに居心地がこんなに違うから多分、肯定感があるってことなんだろうなあ」と実感する具合です。それが、自己肯定感という奴の正体なのかなあと。



377:社会的、扶養って?
名前:カー助   日時: 2003/03/24 10:04:22

始めまして、カー助です。
私は、今20代後半で、独身でフリーで、私が27の頃に母が亡くなり、今は父と暮らしてます。
正社員経験は一度もなく、20代前半の時に、いろいろなバイトをしました。20代後半辺りからは、バイトを少しばかりやりましたが、母の事があったので、入院している母への面会と家事で、家と病院の往復でした。
バイトしていた頃に、パートのおばさんから、「自分の保険証はあるの?」って言われました。私は「父の扶養になっている」と言ったのです。
そうしたら、「20歳過ぎたのに、自分の保険証がないなんて」。
多分、そうなんでしょう。確かに、今は父に養ってもらっているのは、確かです。
母の3回忌がすんでから、今でもバイト探しはしているのですが。今は家事をしたり、ハローワークに行ったり、なるべく外には出るようにはしているのですが。
最近になって、昔のいじめられてた事が思い出されて苦しくなります。
そのためにも、自分を少しでも強くするために、バイトという形で生きていけたらいいです。



376:若者の悩みの原因
名前:床屋で働いてます   日時: 2003/03/23 06:43:05

日本社会で悩んで不登校になったり、ひきこもったりしている人は、その人の人生だから批判される理由は無いと思いますよ。
日本社会は、皆、何でも同じでなければならないという非常に変わった価値観を持っているけど、そりゃあ無いよ。人間が全部同じで、人生も似たようなものじゃなきゃ許されない社会は悲惨だよ。自分も仕事が昔、続かなくてふてくされて初めて、暴走族に走った子達の感覚がわかりましたよ。
学校行かなかったり、家でのんびりしたり、学校行かずに一日中本屋にいたりしてもいいと思いますよ。日本は、組織に従順になり過ぎるというかレールから外れた人にとっては、息苦しい社会だと思います。
ならば、悩んでる人は職人的な仕事をやればいいと思います。国や社会や会社や学校に、1回しかない自分の人生を投げ売りすることはないですよ。日本は誰も教えてくれないですよ。サラリーマン以外の人生を。
世間体を気にするのをやめて、職人みたいになれば人生は上向きますよ。必ず。



375:最近のこと
名前:眠平   日時: 2003/03/22 05:43:40

今年で23になる女です。
ちょこっとは外に出られるのですが、そのときは意識を飛ばして自分を失わせるので、いつも自信がありません。
人付き合いも頭が混乱するので今はできません。自分と他人の区別がいまだによくわからないのです。
かなしいです。

頭が混乱するようになって10年(?)くらいたつのですけど、その間「これはなんなんだ。どうしたらまともになれるんだ」と考えまくりました。
まともというのがどういうことかもわからないので、常に頭の中が霧にかかり、闇雲でしたが、なんとか上っ面というか頭の中の理屈だけでも、めちゃくちゃですが取り繕って他人にあたり、あちこちヒントを探りました。
そうこうするうちに、やっと最近「自分の実感を忘れてる」ことに気づきました。
他人の説教やいいこととか、いろいろなヒントは溢れてて、中には感動するのもあったのですが、どーもその感動と自分が離れてて素直に感動を受け止められないことにイライラしたりしていたのです。
自分のどこでその感覚をつなげればいいのかわからなくて。外から来た感動は私の「恐怖の現実」とつながってるわけだし、その感動を受け止めることは現実と私がつながってることを認識してしまうので息が苦しくなってしまう。一方で感動を得たということは、まだ私が現実に関心を抱いてる・関わりがあったという証拠なので、そのことに光を見出してしまうというジレンマ・・みたいな。
あと、他人の言うことをうのみにしすぎて、自分の感覚を無視する・塗り替えることを当然とする・・ていうか、自分を感じなければそのほうがラクだーと、やっぱり邪まな所があったんだろうなということもあります。
ラクなぶん、どんどん自分が無くなって息が苦しくなってったんですけど。
そのことも、なんとなくもうすこしで折り合いをつけれそうなところまで来ました。
わたしって「アスペルガー症候群」?だったのかもなあと今は思います。あと強迫性なんたらというのもあって、もとはそこからドツボにはまってったんですけど。
なんか本や物語とかって「終わり」みたいなのが絶対あるから、無意識に私も自分で勝手に「終わり」を待ってたんです。
自分でもわけわかりません。でもいつまでまっても「終わり」はこないし、現実で「終わり」っていったら「死」になってしまう。でも私は、「死」についてまったくリアル感がないし、死にたくない。
そういう筋でいく、なんか私にも先があるんだな〜ってやっと思えました。未来とか将来とか楽しみとか、そういう「可能性」が私にもあるんだなって。まだ頭がパンとなると、もうだめだみたいな感覚が襲ってくるけど、これもそのうち折り合いがつきそうな気がします。自分でリラックス法を覚えて、自分を大切に守る努力をすればできそうな気がする。
自分で勝手にブレーキ踏んでたことに気づきました。どんなにがんばってブレーキ踏んでても、車は動いてるんですね。
もう今年で23だし。
ブレーキ踏んでるのにアクセルふかしまくって、摩擦と無駄なエネルギー使いまくってました。
過食嘔吐もやってるんですが、リラックスとか安心とかいう感覚を覚えるたびに、飢餓感が減ってきてます。
自分の妄想に負けないように、先走りがちなとこを自覚してちゃんと今を見つめたいと思います。ていうか、自分を知らなさすぎる・・。行動してすこしずつ覚えていきたい。
先は長いけど、わたしも深呼吸して地道に日々を送りたい!未来があるとちゃんと信じたいです。
それではありがとうございました!




374:人生という迷宮をさまよう
名前:迷い猫   日時: 2003/03/22 02:02:59

つい先日放送を見て、皆さん色々な原因で壁を作ってしまったんだと感じました。かく言う私も、15歳から22歳までひきこもっていました。
誰かに必要とされたい、とか、親に理解して認めて欲しいとかという自己主張的なものではなくて、夢と現実の違いや、周囲の期待、母を亡くした長女の責任とかが苦しくて辛かった。生きる事に対して何故か悲観的で挫折感や劣等感、絶望や焦躁に苛立ちを表に出せないままひきこもってしまいました。
でも、何時までもくすぶってはいられない。本当に腐ってしまうと思って社会に飛び出して6年が過ぎました。それでも、自分の夢とかは何一つ叶えられていません。でも、その夢を絶対叶えます。そう考えないと今自分が生きていることの意味が無い。
ひきこもっても良いと思うよ。散々悩んで苦しんで、もがいて暴れて周囲隣人に迷惑を掛けてもね。自分が自分の人生に戸惑いを覚え、思い煩いながら考えるって自分自身への特権だと思うよ。こういう苦悩が無く、平穏無事に生きている人って私の周囲にはたくさんいるけど、一緒に話をしても全然その人に魅力を感じませんよ。
壁は壊れるよ。と言うより、その人生の壁は自分が強固にした扉だと思う。迷いを割り切ることで心の鍵が必要なだけだね。皆その鍵を持っているんだから、もう一度人生という迷宮に赴いて下さい。辛くなったら、鍵を閉めてまた立ち止まっても良い。私は今だに人生の迷宮を疑心暗鬼にさまよってるけどね。無理はしてるかもしれないけど、くすぶっていた時間を買い戻すのに必死なんだよね。



373:LaLaさん、ありがとうございます!
名前:KANAN   日時: 2003/03/21 13:56:51

実は先日、大学に設置されている相談所へ初めて行ってきました。ちょうど春休みなので、人目も気にせずに行けました。
カウンセラーの先生が親身になって話を聞いてくれたので、とても心強かったです。当面の目標は、自分がどれだけ悩んできたか親に打ち明けること。受け入れてもらえないかもしれないけれど、ありのままの自分を伝えたいと思います。
LaLaさんのおっしゃるように、これからが正念場です。でも、自分の人生を切り開くための戦いだと思えば、不思議と力がわいてくるような気がしています。あせりは禁物だと思うので、ゆっくりがんばっていきます!



372:無理に直さなくてもいい
名前:ひばり   日時: 2003/03/20 23:57:41

再び投稿させていただきます。
私たちは競争社会に順応するための手段を、子供のうちから刷り込まれていますね。例えば、「明るく積極的であること、どんな環境にも順応できるようにすること、テキパキと行動すること、臨機応変に対応する力をつけること、どんな人とでも上手くやっていくこと、協調性を身に付けること、人より遅れをとらないこと、身だしなみに気をつけること、時間を守ること、その場の空気を読めるようになること、苦手なことを克服すること」などなど。

また、個人の性格、価値観、趣味までもが社会の規格に合うように仕向けられ、それから外れる者はあまり歓迎されません。
そこで、利潤追求・競争・大量生産をモットーとする組織の都合に合わせるべく、「短所矯正」もしくは「性格を改め」させられるのです。そして、出来ないものはドロップアウトしていく。いろんな人がいて世の中が成り立っているのだから、真実も価値観も性格も人の数だけあるはず。それなのに組織のエゴのために矯正したり、もしくは直したりすることは、非人間的な行為であり、その結果、弱者の分離・差別が生まれるのではないでしょうか。

「悪いものは悪い」として無理に直そうとすれば状況が悪化するばかりで、根本的な解決になりません。ひきこもり問題についても同じことが言えるのではないでしょうか。つまり、ひきこもりを「悪いこと」として無理に「社会復帰」を促せば、当の本人は肉体的にも精神的にもダメージを受け、ますます塞ぎこんでしまうと思うのです。
ですから、やみくもに社会復帰をしようとするよりは、疲れたときはおもいっきり休み、元気が出てきたら自分の好きなこと、楽しいことをしながら、何らかの形で社会と少しずつ接点を持てるようにする方が得策と考えています。就労にこだわらず、小さなことでもいいから。そうやって私たちが変われば、社会も変わっていくと信じています。だから、私は社会に対しては失望していません。




371:少なくとも私には、意味があった
名前:LaLa   日時: 2003/03/20 14:54:21

最近、私と似たような心の悩みを抱える人達とコミュニケーションすることが多くなった。働きたいのに働けない人、親から虐待や過干渉を受けた人、etc,etc,・・・
彼らとやり取りすることで、自分の色んな部分が見えてきて、「こんな私もOKなんだ。私って生きてていいんだ」と思えるようになった。
これは本当に私の人生に必要なことだったのだとつくづく思う。
ひきこもりっぽい状態になっていなければ、ずっと普通に働いていれば、まずありえなかったこと。
だから、こうなることには意味があった。今はハッキリ言い切れる。今、経験していることは、絶対未来につながっていく。
私には未来がある!!!



370:「みなさんへ・・」さん、希望を持ちたいの皆やまやまなのよ
名前:日々草(深き穴よりの声)   日時: 2003/03/20 06:31:16

誰かが自分を待ってるかもしれない、みたいな希望で、とりあえず死なずにすんでるところありますよ、私。でも皮一枚でつながっているその皮が、ちぎれそうなくらい頼りないから苦しんでるんですよ。だからあなたの「自分を心配している人が一人もいないなんて思う方がいるのなら、それは間違いです。」なんて言い方、説教じみていて嫌な感じですね。甘えるな、と言われてるみたいで、ありきたりの教師ドラマのセリフですよ。そういう陳腐な言葉、今までどれだけ言われてきたことか、それでも私は這い上がれなかった。

だけどこのところ、自分という存在をこの世に浮かばせていた水面の水位が、徐々に上昇してきて、普通の人と同じ水面に自分が押し上げられてゆくようにも感じてます。これは自分なりに悩んだり、苦しみを解決したいがために、方々へ足を運んで、またダメだったりを繰り返した結果だと思います。結局この人に出会えたから・・・という風じゃなくて、なんか自分でも知らないうちにそうなってゆく感じ。だからかえって説教しそうな人を避けて、やってきたのは間違いじゃなかった。私のような人間の場合、人によって治るということが無いような気がしています。もしそれで治ることがあれば、その人のカリスマ性にやられてしまったことと同じじゃないでしょうか。オウムの信者さんの中にも、教祖にこころを奪われて自分の病気を忘れてしまった、という人がおられそうな気がします。有名な医師にかかったお陰で治ると思い込むことも同じ。有名なだけに、離れがたく感じたら意味無いじゃん。

だから、落ち込みにもレベルがあること是非知って欲しい。皆カリスマや「強い人」に手を引っ張ってもらおうということに誘惑を感じつつも、その手にすがることは、自分という存在をけっして強くしてゆかないということも知ってるから、一人でこもってもがいてるの。そういう深い穴に落ちているんだと、自分のことを考えてみても感じています。だから放っておいてください。




369:KANANさんの状況って・・・
名前:LaLa   日時: 2003/03/19 19:24:21

私の大学時代と似てますよー。
私の場合は親からですが、似たようなことを言われて大学に入り、ついに息切れして、一人暮らしだったので堂々とサボって、部屋でゴロゴロしたりもしていました。そして、在学4年目に入り、2度目の留年を迎える頃、カウンセラーと相談して、ついに親に打ち明けました。彼らはパニック状態になったようです。
そこから大変な時間とエネルギーを費やしましたが、ついに親は私の人生についてうるさく口出しするのをやめました。私もようやく、「自分にも未来がある」「生きていける」と思えるようになりました。
KANANさんもこれから、色々な闘いに直面されることになると思いますが、諦めないで下さいね。応援してますから。



368:危険な石
名前:ひろぽん   日時: 2003/03/19 12:15:36

読売新聞の編集手帳から抜粋したタイトルとなりました。

ひきこもりは危険な石でしょうか。
その予防のための対策であるのなら、僕はそんなものはいらないと思います。
強制的な改革は、必ず禍根を残します。
自分から変わりたいと思えない限り、正論攻めで、力で納得させたかのように形だけを作ったとしても、くすぶった憎悪は消えることはありません。変えたい側の自己満足で終わってしまえば、終わることのない反発と憎しみの連鎖が繰り返されるだけだと思います。

つまずくような危険な石を、道路の脇で目を楽しませるような彫刻に、安全に人が通れるような石段に変えることは不可能でしょうか。

僕は、彫刻や石段になりたいです。




367:心の傷の尺度
名前:比呂   日時: 2003/03/19 03:39:37

 心の傷の深さについて調べる機械があれば良いのにって思います。ひきこもりについて、甘えという人もいれば、ひきこもって当然だという人もいます。
 軽い擦り傷で休む人もいれば、軽い擦り傷位たいした事ないやって働く人もいます。
 逆に、骨折しているのに誰も気付いてくれない時もあります。気付かれなければ、ただの甘えと判定されます。テキパキ動けよ!!ってせかされます。
 ひきこもりは、ただの擦り傷でのズル休みなのか?それとも人には気付かれない重度の骨折なのか?
 世間全般としては、ひきこもりの人達はちょっとした傷ですぐに休む人って考え方があると思います。
 しかし、もし仮に、重度の骨折を甘えだと言っているのなら、これは大問題ですね。



366:何でかな・・
名前:みなさんへ・・   日時: 2003/03/19 02:32:13

時間があったのでこのサイトを読んでいましたが、軽い意見ととられても仕方ないです。
私なりに思ったこと。
私は人間大好き人です。周りにも精神的に悩んでいる人はいないです(と思います)。ここに発言されている方々は、痛い・辛い思いをたくさんして今に至ってるのだと思います。でも、周りで自分のこと心配している人の気持ちも、痛い・辛いものだと思います。
私、小・中学校と軽いイジメ受けたことがあります。今普通に生活している人の中にも、こういう経験してる人たくさんいると思います。その人たちは、その辛い時期に支えてくれる人がたまたま近くにいてくれました。人の暖かさをしって、自分を思って心を痛めている人の気持ちがわかる。
自分を心配している人が一人もいないなんて思う方がいるのなら、それは間違いです。それは、例え今この世に生きていない人でも、遠く離れている、まだ出会ったことのない人でも、自分のことを思って心を痛めてる人の存在にきづいて下さい。

読んでいて、なんだ、みんな自分の考えをちゃんと表現できてるじゃんって思いました。文章力に圧倒されたものもありました。
みんな人間として、必要最小限のことは備わっています。それに+「自分だけの才能」が絶対あると思う。それを表に出さないのはもったいないとおもいませんか?それ以前に外に出るのが怖いって方、自信持って。
自分のこと好きじゃなくても、理解できてなくても外に出てみて変わることって絶対ある!
だからって無理やり引っ張り出すつもりはないけど。
思うのは、本当にもったいないってことです・・・
なんか、書きたいことがたくさんたくさん出てきてまとまらなくなっちゃってごめんなさい。
あくまでも今までノホホンと生きてきた私の考えです。
今、私は自分の位置についてそれなりに悩んで社会を右往左往してますが、自分の+αを求めて、絶対自分の居場所見つけてみせます!!




365:祖母の口癖
名前:KANAN   日時: 2003/03/18 23:12:52

中学校に入学したら、「いい高校に入れば、人生の春だよ!だから勉強がんばって」と、祖母は私に言いました。

高校に入学したら、「いい大学に入れば、人生の春だよ!わき目も振らず勉強しなさい!」。

大学に入学したら、「就職すれば楽しいことなんかいっぱいできるんだから、今はとにかく勉強しなさい!」。

・・・そういう祖母の言葉をうのみにして勉強一筋で生きてきた私は、大学入学後半年で燃え尽きてしまいました。自分に自信がなくなってしまったのです。今は大学に行くふりをして朝自宅を出て、外で時間をつぶして夕方帰ってくる、という「カラ通学」の日々です。家族は、私が悩んでいることや授業に出ていないことを一切知りません。

こういう特殊な状況にいるのって私だけでしょうか?




364:世の光
名前:大地緑   日時: 2003/03/18 16:49:11

LaLaさん、ありがとう。
このNHKのHPは、たくさんの方たちが見ていて下さると思うので、自分の感じていることをそのまま書くだけで、今の日本の人たちが、今の日本について考え直す貴重な材料になっているように感じます。

ひきこもっている最中というのは、人には言えない辛い気持ちとは思いますが、でも、そのことをここに書くだけで、世の中のなんらかの役に立てるのではないでしょうか。

そういう意味で、たとえ、ひきこもっていても“世の光”(生かされている、ということ)になることができると思います。

私のひきこもりは、今はだいぶ楽になりました。でも、ここに来るまでには、長い間、前へ進んでいるのかも、まったくわからないような状態で、ひたすら真っ暗なトンネルの中を堀り続けていました。そして、今は、ようやく明るいところに出て来始めています。

苦しかった頃の私は、自分に価値が無いように感じながらも(ひきこもりのつらさは、こういうところにあるように思います)、こんな私が、世の中の方たちに何らかの形で役に立てる日が来ることを、ずっと願い続けて来ました。

おそらく、ひきこもり当事者でない方は、ここに書いてあるひきこもりの方たちの書かれている文章の中身を、どのくらい理解することができるのか(ごめんなさい、しかし、誰でもがそうであるように、他の人の経験はなかなか理解するのはむずかしいものですよね)。

また、私自身もほかの方たちがここに書かれていることを、どこまで理解できているかはむずかしいところだと思いますが。

でも、そのように(一番、最初に書いたように)感じています。

「なぜ、ひきこもりから抜け出せないのだろう」の187.かおるさんの言われていること、とても良く伝わって来ました(私なりの受け取り方ですが)。

私は、長い間、定職に就いていましたが、その時、私は生きていませんでした。今は、仕事は、ずっと減らしましたが、今の自分は生きていると思います。死んだ魚と生きている魚の違いでしょうか(例えで、前者は、死んだ魚で後者は生きている魚ということです)。

生きている、という意味は“自分が感じられる”ということです。

理由はどうであれ、厳しい現実の中で働かなくてはいけない方たちもいると思います。また、そういう中で、自分ができる努力を(努力という言葉は、ぴたっと来るかはわかりませんが)地道に一生懸命やりながら堂々と現実を生きている友人も私にはいます。

ですから、上記のこと(魚の話し)は、とてもひと言では言えるものではないのでしょうけど。




363:参考資料
名前:風(ふう)   日時: 2003/03/18 00:36:27

人の心、想い、感情などは五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)ではとらえられない。だから、直接自分の全身で感じるしかない。そこに、いわゆる常識や理屈は通用しない。他人は常識や理屈でとらえようとするが、分かったつもりで話をしている人はすぐに見抜けてしまう。私が求めるのは常識、理屈ではない…。私は…。
色々考えた。いろんな本を読んだり、話を聞いたり…私なりの答えを探した。
けれど、答えは一つじゃないらしいことが分かってきた。答えには迷路のように行き止まりや、分かれ道がたくさんある。その中から自分で選択し、進まなければならない。自分の中に存在する矛盾、葛藤、死。そういったものを抱えながら。それでも私は生きたい。望んでもいないのに突きつけられた死よりひどい現実。そして、その時に失った人間としての何かを取り戻すために。
愛情も失った。私はどうしてもあきらめられない。だから生きている。想い続けることの大変さを、さらに自分が背負うことになっても。それは常識や理屈ではない。心の底からの叫びであり、素直な自分の想いだ。



362:2時間スペシャル感想。
名前:   日時: 2003/03/14 16:29:49

こんにちは。当方コモリン現役です。
すっごく遅い反応ではありますが、2/22の放送を拝見しました。

私はいい番組だったと思います。
経験者と専門家だけ(聞き手として江川さんもおられましたが.)というシンプルさが、まず、良かったです。
「コモリ行為が善か悪か」論になったりしないので。

社会への復帰中の男性らのVTR も私には、希望、もしくはひとつの選択肢であるとうつりました。
(まあ、実際はなかなか難しいのだけど‥‥)
制作スタッフの方々、ありがとうございました。

他に印象に残ったものに、
「自分の存在がOKである自己肯定感といったものがないのが実は問題ではないか」
「稼ぎに出かけるのか,自分の心身を守るのか、その二者択一になってしまうのが苦しい」(上山氏)
の意の発言がありました。

両発言ともホントに同感です。
しかし、どうすればいいんだろー?と考える日々です。




361:「医者」って、いったい…。
名前:織田みさお   日時: 2003/03/14 15:26:36

 お医者サマに言われた言葉。
 「キミは病気じゃないよ。病気じゃない人を元気にする薬はない。それでも元気になりたいのなら、麻薬を使うしかないんだよ。」
 ・・・。お医者サマにかかって、クスリをススめられるとは思わなかったです。このセリフを聞いて、必死の思いでお医者サマにかかりにきた自分がおかしくて、笑っちゃいました。
 こころが「いなばの白うさぎ」です。
 何気ない言葉にも、ときにはあたたかい言葉をかけてくれたりした場合でも、こころがヒリヒリして、過剰に、敏感に反応してしまいます。
 ひどいときには、かみついてしまったり(あしザマに言い返す)、自虐的な行動に出て「こんなにキズついてんだッ!!」と訴えようとしてみたり…。
 でもホントはホントに『だれかに必要とされたい症候群』なのです…。
 けれども、きちんとバリアが張れないせいで、自分もだけど、周囲の人をキズつけてしまい、ドカン!と落ちこんでしまいます。
 人と親しく接したいとは思うけど、でも…適度な距離感が、やっぱり必要です。
 (さびしいナ…。)



360:ムーブメント、いいねえ!!起こしちゃいましょう!!
名前:LaLa   日時: 2003/03/13 22:24:18


大地緑さんの書き込みを読んで、村上龍さんの「希望の国のエクソダス」を思い出しました。あれは不登校の人達がムーブメントを起こしちゃう話だけど、ひきこもらーが起こしちゃったっていいわけだし。
ただ、「具体的に自分に何ができるか」はイマイチ見えてきてなかったりしますが・・・。
でも、とにかく「今、できるちょっとしたこと」をどんどんやっていくつもりですが(こうして、似た問題を抱える人達とコミュニケーションを取ったり)。
それがもっと大きな何かにつながって行けばいいと思ってます。
みんなもそれでいいんじゃない?



359:題なし
名前:入江 志   日時: 2003/03/14 00:38:17


これでは真似みたいになってしまうが、僕もここを私信に使う事と、使った事をまずは詫びます。
椿さんがここを私信に使うことをお詫びすることになったのも、まあ、これはどう考えても僕が悪いんです。

で、僕はみなさんが何をしにここにいるのか、これで少しぐらい理解したつもりになったので、僕の方は自己弁解をします。
少なくとも、解きたい分の誤解だけは解いておきたいのでね。

とりあえず、僕は攻撃はしてません。
そんな無意味な事をするつもりはない。
攻撃ととられたのは、きっと、言葉遣いが汚いからだと思います。

鏡の話は、僕の誤解が原因なんで、僕が悪い。失礼でした。

それと、「一刀両断するのが〜」とありましたが、このあたりはちょいとムカつきます。
(こういう書き方は良くないですが、僕の思想を正しく伝える手段として、あえてこう書きます)
僕は人と人が誤解無く、正しく理解する事が最も必要であると考えていますので、その為には、互いの思想を知る事が必要と考えますから、思想をちょいと語ってみたに過ぎません。
一刀両断するのが好きな性格ではいし、主観を押し付けるつもりもない。

他人の主観を聞く事で自分の主観は広がる。
ならば、他人の主観は聞き入れる必要がある。
そして、互いの主観を広げる方法として、自分の主観は他人に語る必要がある。
とも考えていますから、ただ、自分の考えに従っただけ。
それが間違っていると言うのなら、考えを改めてみるぐらいの知性もあります。
威圧的で怒っているような文章になるのは僕の性格で、別に良いこととも悪いこととも思いませんので、気にしないで下さい。
実際の僕は(極端に言えば)笑いながら文章を書いています。

まあ、こんな事であまりスペースをとるのも滑稽ですので、これで少しぐらい理解したつもりになって下されば、それで結構ですから、これには返信しなくても構いませんよ。

あぁ、最後に、しょうもない事でスペースをとったことを、もう一度皆さんに詫びさせていただきます。




358:お姉ちゃんこだった私
名前:ミミ   日時: 2003/03/13 11:01:30


私は、小さい頃からお姉ちゃんに甘えたり、頼ったり、悩みを相談したりして、自分というものが成り立っていたと思います。
親に甘えられるような家庭環境ではなかったと思います。
そして、4歳上のお姉ちゃんが大学進学で家をでて離れて暮らすようになってから、私のうつ病の症状がではじめました。頼る人が近くにいなくなってから、私の心は不安定になっていったのでした。他にも理由はありますが。
おねえちゃんが結婚して遠くに住んでいる今、本当は淋しくてたまりません。本当はもっと甘えたいし、頼りたい。でも、遠い存在に思えて、距離をおくようになってしまいました。
どんな距離感で付き合っていったらよいのでしょうか?もっと甘えたり、頼ったりしてもよいのでしょうか?私には、どうしたらよいのか分かりません。
お姉ちゃんが遠くに行ってから、自分はおいていかれたんだという思いが強くて、裏切られたような気分なのです。甘えても、突き放されるような気がして不安なのです。



357:うーん・・・
名前:LaLa   日時: 2003/03/12 20:33:03


>ひばりさん
私は10代の頃、アメリカに憧れていて、向こうでは子供は18歳ぐらい?になると独立するのが当たり前ということで、「なんて大人な国なんだろう、日本の家庭は子供を甘やかしていてダメだな」なんて思っていたのですが・・・。その分のしわ寄せが別の所に来てるんですか・・・。「ひきこもりを生み出す日本の方が問題がある」とも言い切れないんですね。

>椿さん
「今、現在に生きたいのに、過去に引き戻されてしまう」って、トラウマがあったりすると、よく起こってしまいますよね。私にも経験があります。
最近は減ってきましたが、高校はもうとっくに卒業してるのに、「単位が足りなくて、高校を卒業できるかどうか危うくなっていて慌てている」という夢を何度か見たこともあります。
そんな夢を見るのは多分、高校生活に色々と悔いを残しているからでしょうね・・・。親に言われるまま「ガリ勉」になり、本当に親しい友達もできず、自分の本当にやりたいことを追求することもなく、不完全燃焼のまま終わってしまったという感じなので。
その当時のことは、今の私に、未だに影を落としているのかもしれません。
せめて今からでも、「過去はもう終わったこと。今、現在に生きよう」と、自己暗示でもいいから、クセをつけていくしかないかもしれませんね。




356:偏り
名前:風(ふう)   日時: 2003/03/12 19:04:06


自分の気持ちを話すのは難しいけれど、文章にするのはもっと難しい。どうしても何らかの偏りが出てしまう。
私が投稿した文章で、不快な気分になってしまった方には本当に申し訳なく…。
限られた範囲内で、いかに自分の心を表現するか。そう思って書いていましたが、あとで見直すと文章が冷たいなと思いました…。
努力はしてますが…、私が文章を書くとどうしても偏りが出てしまいます。だから、その時は指摘していただけるとうれしいです。



355:それでも・・・
名前:まな2   日時: 2003/03/12 17:32:05


私は心がひきこもって、もう5年近くたちます。
何かを始めたりやめたりのくりかえしで、うまくいかなくなると心を固くとざしてしまい、一番たすけをもとめているときに、一番自分を傷つけていたように思います。
自分がまったく分からなくなって、苦しくて、周りの人が憎かった。他人を見ては、ああなりたい、こうなりたいと思ってばかりいて、自分で自分を苦しめていた。今もそれは変わらない。もしかしたら、一生ひきこもりかもしれない。
でも、私は人とつながりたい。どれだけ傷ついても、どんなに憎んでも、人への希望は捨てない、捨てられない。それは、私自身にとって生きる苦しみでもあるけど、生きる希望だから。
ここにいる人で、私の気持ちをわかってくれる人はきっといると思う。人と出会って、心を開きたい。



354:ひきこもりは日本を変える力になるかもしれません
名前:大地緑(だいち みどり)   日時: 2003/03/12 16:34:30


少し前、313で発言させていただいた緑です。 今は、以前よりも心のひきこもりがゆるんで、楽になって来ています。
前回の文章は、ゆっくりと書く時間がなかったので、少しわかりづらかったかもしれません。
私は、ひきこもっていた時、誰からも愛情を受け取れない(そのように感じていた、ということです)、孤独な、ただの灰色の時間と空間にいました。 これは、誰にもわかってもらえない状態でした。
ただ、その状態がかなり緩和された(良くなった、と言ってもいいと思います)今思うのは、ひきこもりは 今の混迷の日本社会を変える力になる、ということです。
(もう、日本全体でひきこもりもかなりの数になっている、ということを聞いていて、これは、社会現象であると同時に、今の日本を象徴的にあらわしている出来事のように思います。)

そして、この頃、ひきこもりの親の会に伺わせていただく機会もありました。
私はそこで、ひきこもりの子供を持ったお父さんが、自分の子供のひきこもりに直面した時に、御自身を変えざるを得なくなってしまい、大きく変化、成長されている姿に出会ったことがあります。これまで、社会にどっぷり汚され(この言い方は適当かわかりませんが)大手を振るっていたお父さんたち(偉そうな言い方でごめんなさい)が、そのように変わられる姿に、わずかながら出会う体験もあり、その体験は、私にとって驚きであると同時に、また、うれしくも思いました。

このことは、ひきこもりの子供が、お父さんを変えたことになり、ひいては、ひきこもりが、現在の日本社会を動かしている男性であるお父さんを変えた、つまり、(イコ−ル)日本を変えた、ということになるのでしょうか。

また、私の父は、今だに私がひきこもりであったことすら、認めていない(そのことに気がつく能力すらない、と言ったほうがいいと思いますが)状態ですが、そういう私でも、ひきこもりだった時の自分の気持ちや、ひきこもり当事者でしかわからない視点を、ひきこもりの子供を持ったお父さんやお母さんに話すことで、ささやかながら、喜んでいただくこともあります。
たとえ、自分の子供からは直接、話しを聞くことができなくても、間接的にひきこもり当事者や体験者からの話を聞く(自分の子供ではないが、ひきこもっている人やひきこもっていた人から話しを聞くということ)ことで、参考にしていただけることもあるようです。
そして、そのことが御自身のお子さんと接する時の貴重な参考になることもある、と、実際に お父様の口から伺ったこともあります。
それだけ、前向きに勉強されているお父様には、本当に頭が下がります。 今の世の中を動かしているエリ−トのお父様、がです。
私は、ひきこもりの存在は、方向性を見失った今の世の中を再生する、貴重な資源(泉)であるかのようにすら感じることがあります。
この間、あるひきこもりの親の会に参加させていただいた時、その時のお母様やお父様の姿を拝見しながら、夜明け前の日本(やがて日本人の心の復興が、静かにやって来るかもしれません)を見た思いがしました。
これから先、自分の貴重な体験を生かして生きて行きたいと感じています。




353:296のLaLaさんへ
名前:はるひ   日時: 2003/03/12 16:24:06


お返事ありがとうございます!
今も相変わらずな毎日です。求人広告でいいなと思っても、やっぱり電話をかけられない状態が続いてます。
私は古着屋さんによく行くのですが、働いてないからお金もなく、この前はついに親が私のために貯金してくれた定額預金を、無断でおろしてしまいました…。あぁ最低な娘です…。
3月中には、バイトでもいいから仕事見つけたいです。LaLaさんゆっくりでいいんですよね?それではまたね^−^



352:マイナスをおそれるな
名前:マスター・ジャパン   日時: 2003/03/12 15:36:50


 できればマイナスを恐れないで欲しい。と言うても、今苦しんでるのなら、この言葉はさぞかし無神経にも思われるかもしれない。
 しかし苦しみは抱える意味はある。なぜなら諸君の人格の「根っこ」、あるいは、いずれ君たちにも訪れる「光」に対する「影」が、今の苦しみの本体なのじゃ。
 この「影」という名の「根っこ」を持つものこそ、真の人間なんじゃとワシはあえて言おう。見よ「根無し草」の「カオナシ」どもを。風が吹けば流されるくせに、弱いものには威張り散らす、そんな者などにあこがれず、ひたすらおのれを中心とせよ。
 これまで自分を「ゼロ」扱いしてきた「師匠」などは、真の師匠では無い。「師匠」は君たちの心の中にいるのだ。



351:日本的師弟関係の悪徳
名前:マスター・ジャパン   日時: 2003/03/12 15:22:50


 プラス思考とマイナス思考について書いている人がいたね。人間はプラス面でばかりで生きてない、マイナス面も持ち合わせてこそ人間らしいんじゃ、と。そうそう、ワシもそう思う。
 光は影を生む。しかし影を失ったら、この世の物理現象は、すべてまぶしくなくてはいけなくなってしまって、なんだか具合が悪くなってしまうでのう。
 やはり、正と負はお互い支えあっとるのじゃよ。ならばなぜ、日本人はプラスにばかり進みたがるか、戦後日本は闇じゃった。そこから抜け出そうと必死じゃった。その甲斐あって今の時代があるワケじゃが、どうも戦後からのテンションの高さ、すべてが光に包まれておらニャならんという狂気じみたエネルギーが、我々から心の落ち着きを奪ってしまったのじゃな。まったく情け無い事じゃ。
 それで、いったんこの「光」の側についたものとしては、世の中に「闇」があったらいかんというから、少しでもその要素がある者を排除しようとするわな。そこで盲点となるのが、「ゼロ」ということじゃ。「光」の側にいるうち「師匠」格に当たる連中は、もちろん「マイナス」は嫌いじゃが、どういうことか「ゼロ」は好きのようじゃ。
 よく「無心になってガンバレ」とか、「ゼロから出発」とか、「死んだ気になって」とか言われた者もおるじゃろうて。真っ白な紙なら師匠が好きに書き込めるから、すべては師匠のご都合主義なんじゃよ。かわいそうに「マイナス」はまたまた排除されるわけだ。なんたる真っ白の好きな世の中だことよのう。



350:不登校・引きこもりの原因は必ずある
名前:自然体   日時: 2003/03/12 12:07:40


私は、今から60年前の小学校時代に、私が受けた忘れられない経験を思い出します。
当時の男便所は、コンクリートの踏み台の上から、傾斜のついた排尿溝に向かって直接小用をする形でした。当然足元が汚れてる便所が多かった。
たまたま普段行かない便所に行ったとき、そこが大変きれいだったので、「ここはきれいだなー」と何気なく言ったら、一緒に小用をしていた子が、「これからお前がきれいにしろよ」と顔を会わせる度に言うようになり、あまりにしつっこいので、学校に行くのが嫌になってしまった。
思いあまって母親にそのことを言ったら、学校に一緒に来てくれ、その子に「先生に言いつけるよ」と言ってくれました。当時はまだ先生は怖い存在でしたから、それ以来その子の私に対する嫌がらせは無くなりました。
人間社会、嫌がらせやいじめは今に始まった事ではない。ただ、今の時代、それが集団化して一人の子を目標にする。それは何時自分が次の目標にされるかわからないので、自己防衛のために、まずいとは知りながら、いじめ集団に加わっている子も多い。
本当に他人をいじめることに快感を感じている子を、先生がアンテナを張って見つけ出す事が、不登校やひきこもりになりかかっている子の芽を摘む事につながると思うのですが、いかがなものか。



349:異色の人は群れず
名前:ぜにだいこ   日時: 2003/03/12 11:41:40


「異色の人は群れず」、評論家佐高信さんの言葉です。
何でもかんでも仲間仲間。そんな風潮はおかしいと思います。人付き合いの苦手な人は、それなりに別の得難い長所を持っていることを自覚し、自信を持ちましょう。
特に、有能な男性は一般的に人付き合いが苦手な人が多いようです。うちの社長もその典型でした。



348:引きこもりは肯定しないけど否定しきれない
名前:ひばり   日時: 2003/03/12 01:10:27


引きこもりは日本特有の現象で、一種の甘えであるという見方をする人が中にはいるが、欧米のように、子供がある年齢に達したら、無理やりにでも親から独立させればいいのか?
違うと思う。それが100%正しいとは思えません。なぜなら、引きこもり問題は解決されても別の問題が生じるだろうから。引きこもれない分、ホームレス、犯罪、ドラッグ、自殺をしてしまい、その結果、家族や親戚の心に深い傷を残してしまうほうがよっぽど深刻ではないでしょうか。
私自身海外に住んでいたことがあり、「競争の激しいビジネス社会で生き抜くために、違法薬物を服用しながら、夜遅くまで仕事している人も少なくない」という話をよく聞きました。
また、「私は今まで歯を食いしばって働いてきたけど、結局ストレスでボロボロになってしまった。本当は実家でゆっくりしたいけど、今更帰れない。」といって、薬漬け(違法薬物も含めて)の生活をしている人に実際に会ったりもしました。
それよりもまだ家に引きこもっているほうが、ある意味健全ではないかと思うのです。
私は引きこもりに近い生活をしているけど、少なくとも自分の身の回りのこと(炊事洗濯掃除など)は極力自分ですること、親とは心理的に少し距離をおくように努めています。
引きこもりから完全に卒業するまでは、もう少し時間がかかるかもしれませんが、あまり背伸びをせずに、身の丈にあった所が見つかることを信じて、少しずつ出来ることから始めようと思っています。



347:難しくしてしまいました。
名前:風(ふう)   日時: 2003/03/12 00:46:25


確かに…わかりづらいですね。簡単に言うと、自分という存在に完璧はありえない、ということでしょうか。
人には弱いところ、強いところがありますが、どちらにも努力しても報われない部分というのがあると思います。
もちろん人に助けてもらったり、時間が経つことで解決することもありますが、それでも報われないものがどんな人にも存在する、ということ。そしてその存在を否定したり、あるいは向かい合おうとせず、自分の心から切り離してしまうことはできない。その部分も自分自身だから…言うのは簡単なんですけど…。
どうすれば認められるようになるか、それは人それぞれで自分なりの答えを自分で見つけるしかない。そのための努力は、自分を責めることより辛いものだけれど、ほんの一握りでも支えてくれる人がいたらとても心強い。
(私なりの答えは「どうして〜」の掲示板161あたりに載せてもらっています)
その仲間に、私を含め、掲示板に投稿してくれてる人達を入れてくれたら嬉しいです。



346:ことば
名前:gao   日時: 2003/03/11 22:16:20


最近、他人のことばが理解できない。
ときどき発音そのものが聞き取れないことがあるが、そうではなくて、言っている人の心がさっぱり理解できない、というものだ。全く違う心を持っているようで、話すことばも、書いたことばも、受け付けなくなってしまった。
自分の経験を基準にしてしか、誰しも物事は判断できないが、自分の場合、多くの人々と、心がちがったものになってしまったようだ。だから、ことばがわからない。なんで、そんなことが言えるのかわからない。この絶望感、生きることの無意味さ、なにもかも何の価値もないような感覚、世界の希薄さ、普通の人に対する恨み、理解されることの諦め、厭世観。あなたに、この感覚を伝えたい。



345:自分を好きになる、肯定すること
名前:   日時: 2003/03/11 22:14:46


自分を好きになること、肯定すること・・・、できない。
もし、ほかの誰かの魂が私の中に入ってきたら、その誰かからみても肯定できるはずもない。
やっぱり、努力が足りないのかな。
…でも、好きになる努力って、どうやるの?

私はひきこもりの人が、うらやましいっておもう時がある。失礼だけど、たまに。ごめんなさい。
辛い、、、ってシグナルを発信することができていて。
家にいることができて。
私は生きること自体が恥ずかしい。
地球の水が合わないのかな…。




344:色んな考え
名前:椿   日時: 2003/03/11 18:49:10


>すみれさんへ
すみれさんが苦しんで、悩んで出した答えは、とっても大事な答えですよね。その事を、他の人の答えにも当てはめて欲しかったのです。人間の数だけ、その答えがあるのだから、それを大事にしてあげたいと、思っています。

>LaLaさんへ
そうですね。「ネガティブ」については、頑なになっていると自分でも思います。ここの所、精神的にボロボロで、久し振りにリスカ(リストカット)してしまったり。生まれてこのかた、ポジティブ思考が出来てないようです。私は20歳なのですが、もう行く必要は無いのに、「明日、小学校(中学校)に行きたくないなぁ・・・・・」と思ってしまったり。病気の事は、書きたくないけれど。「いい気分」が、すぐに消えてしまうのです・・・・・。




343:入江 志さんへ
名前:椿   日時: 2003/03/11 18:28:14


この掲示板を私信に使うのは非常に心苦しいのですが、この際仕方ありませんので、前もってお詫びいたします。

入江さん、私はあなたの事をよく知りません。入江さんも、この掲示板に書いた端々の情報でしか、私の事を知らないと思います。
この掲示板には精神科に通院されている方も、大勢いらっしゃいますね。そういう意味でも、私は慎重に言葉を選んでいるつもりですが、やはり、私の文章で不快になる方もいらっしゃるようです。その点については、何も言いません。それと同じく、私も入江さんから攻撃されるのは不快です。

鏡の前で笑っていたのは、ひきこもりがひどかった時で、笑いかける相手が居なかったし、笑顔の感想も期待出来ないので、自分で判断しようとしただけです。今、某CMで「無意味無意味」と言ってますね?おっしゃりたい事はよく分かるのですが。そういう事情も知らないのに、知った風な口を聞かれるのも嫌です。

「全否定」の件についてもそうです。私は今まで2回程自殺しようとして、家族から阻まれたのですが、小学校3年生の時から自殺を考え、孤独感を独りっきりで抱えてきた想いは、ここには書いていないので、分かる方はいらっしゃらないと思います。一刀両断するのがお好きなようですが、その対象が人の心でも構わないのですか?私が育ってきた環境は、入江さんが育ってこられた環境とは違うので、入江さんの主観を押し付けられても困ります。

私は普段は、すごく明るくて、話しやすいそうです。「病院に行ってるんだよ」と打ち明けると、ほとんどの方が驚かれます。 この前も書いた通り、仮面を被って生きていくのは疲れました。それだけです。




342:続「わからない」
名前:tetu   日時: 2003/03/11 18:23:42


再放送見ました。前回の放送後にも発言したものです。
やっぱり、何故「ひきこもり」が問題になるのかがわからない。ひきこもっても、いいじゃないか!なんで現在「ひきこもっている」方たちの中に、「今んとこ、おいら一生ひきこもるつもり」ぐらいの意見を持っている人がいないのかと思うわけでして、「他人事だと思って」と言われそうですが、それぐらいの気持ちでいいじゃないかと思うわけでして。
今現在、それを選択せざるを得ない状況であるならば、親が面倒見てくれるうちはずっと食わせてもらえばいいじゃないかと思うわけでして、「自立」する事にどれぐらいの意味があるのか?と疑問に思っているわけでして。
親がいなくなってどうしようもなくなった時は、どうしようもないんだから、その時の状況に応じて何かを選択していくでしょう。多分。

「一生ひきこもっていても大丈夫なようなテクニック」を身につけているといいなぁ。要は経済的な不安から解消されれば、一生ひきこもっていても大丈夫だと思うんだけどなぁ。まぁそれが難しいんだろうけど。つまり「私がひきこもったからといって、誰にも迷惑かけないでしょ」って視点で見ると、「ひきこもり」全然O.K.です。
世の中には、役に立たない人間なんてごまんと居るわけで(多分)、生きることの意味や生きている価値を見出そうなんて一部のインテリに任せときゃぁいいのであって、テレビ見ながら「わかってねぇなぁ」なんて、お酒でも飲みながら一人で愚痴ってるのもありでしょ。

人の気持ちのわからない発言だと思われるかも知れませんが・・・。




341:339の補足
名前:風(ふう)   日時: 2003/03/11 11:42:43


…気持ちを率直に文にしてしまいました。自分の、自分に対する気持ちなので、読み返してみるとやさしさも感じられません。
もしこの文がそっけないと思われた方には、本当に申訳なく思っています。
自分自身の意見を、全て文にすることはできないので、文にするとどうしても偏ってしまいます。それによって、私以外の人を傷つけていなければいいのですが…。
けれど私の意見の中で、どれか一つでも参考になるものがあればうれしいです。
(文の中で、「私」と「自分」という言葉が出てきますが、これは私なりの観点の違いです。「自分」というのは、自分とそれ以外の人という観点から見ている時の自称で、「私」はひとりの人間としての観点から見ている時の自称です。)



340:イヤよ、イヤよも「すき」のうち…?(←イヤなもんはイヤにきまってる!)
名前:織田みさお (Lv1)   日時: 2003/03/10 11:23:11


 自分で自分のいいところを見つけるのって、むずかしいです。
 自分で自分のだめなところを見つけるのは、かんたんだけど…。
 それとも、「だめな自分なんだから、今の状態でもしかたないじゃん?」とかって、自分にとって都合のいい言い訳にしてるのかなぁ?
 (→ …あう、これじゃホントにだめですね…。)
 自分で自分を好きになるのって、むずかしいです。
 自分で自分をきらうのは、かんたんだけど…。
 すき、だったひとをキライになってしまうときって、熱がさめて、それと小さなきっかけがあれば…だけど、でも逆に、キライだったひとを好きになろうとしても、「努力」だけでなんとかなるもんなの…かナ?
 きらいな自分を好きになる…むずかしいです、とっても。



339:泉のように湧き出る不安
名前:風(ふう)   日時: 2003/03/09 22:58:44


私はやっとの思いで、ある程度自分の心を受け入れられるようになりました。「ある程度」というのは、そうでない部分も多く存在しているからです。もちろんそれも受け入れてはいるものの、苦しさは消えていません。
過去に起きた様々な出来事は、現在の自分を形づくっていますが、自分の都合の悪いものだけ消す、ということはできないんですね。消したら自分でなくなってしまうから。
あるきっかけで、スイッチが入ったように自分の思い出したくない死のイメージが、自分の心に滑り込んでくる。生き地獄です。何回かそんな経験をすると、そのスイッチが入るのが怖くなってなかなか前に進めない。そして回数は減ったものの、それ自体は今でも消えることはない。そのことに対する不安。不安は一人歩きして、さらに大きくなる。
人は誰でもそうらしい。その度合いが大きいか小さいか。けれどそう簡単に割り切れない。でも、もしかしたらこれが「人間らしさ」なのかなあ。割り切っているように見える人は、あくまで見えるだけなのかもしれない。割り切ったつもりでいる人の方が、人間としてもろいのかもしれない。そんなふうに思う今日この頃。



338:(神サマのいじわるな)試練です。
名前:織 み お   日時: 2003/03/09 18:42:10

プラスのエネルギーだけほしい。
マイナスのエネルギーはいらない。
自分を肯定するのはむずかしい。
自分を否定することで、やっと心のバランスがとれる。
自分とシンクロできない。
自分を「自分」として受け入れられない。認めない。
自分がない。「自分」って何だかわからない。存在意義もない。自分がキライ。
自分…いらない。

ドカン!と落ち込むと、このパターンが一番あぶないんですよね。
井戸の底より深い奈落の底で、ひとりでおぼれてる感じです。
自分以外の、できれば親以外の、だれかが…。
でもムリですよね…。(こもってる人って みんな一人ぼっちですもん、ね。)
たったひとり、声もあげずに沈んでいく…それが運命なのでしょーか?
それとも神サマは、浮上するきっかけをちゃんと用意しておいてくれてるのでしょーか?
どっちにしても、神サマなんているんだか、いないんだか、いたとしてもなに考えてるんだかワケわかんないから、できることは「今」を耐えることだけです。
こもってる人たちは、こころのバリアを十分に張れないので、かわりに家、または部屋の壁で「自分」を守っているんだと思います。
しつこく言えば、家や部屋のかべがあっても十分なバリアにならない人は、自分の『命』の外側に付属する「人格」の部分をあえて否定することで、「自分」から「人格」を切りはなし、自分の『命』を守るための外壁、「たて」として使用しているんじゃないのかナ?(いのちギリギリのバリアです…。)
なんにしても、ひとり一人のプラスのエネルギーが少なくてあぶないなら、みんなのエネルギーをかき集めて、特にあぶないひとにドカン!と注入!!
みんなでフォローしあえるシステムを、今以上に充実させてほしいです。
デイケア・フリースペースの活動をまじめにしてる団体に、厚生労働省は補助金(税金だ!!)をドカン!と注入してほしいです(笑)



337:三月はつらい
名前:落ち武者   日時: 2003/03/09 16:40:31

毎年のことだけど、三月は大嫌い。
周りは、いろいろな変化があるのに、ちっとも変化のない毎日を暮らしている自分を、嫌というほど感じるからだ。
私は、ひきこもりというか一応は、外に出て行動しているが、人と関わりのない毎日だから広い意味でのひきこもり。

毎日、テレビとインターネットと図書館通い。
もう自分でも飽き飽きしているのに、そこから抜け出す手段がわからない。

仕事をしようと思っても、まず「希望の職種は?」って聞かれて、「別にありません」と答えてしまう。

「ありません」という前に、自分になにができるかということがまったくわからない。

三十六歳にもなって、こんな生活なんて、腹の底では、忌み嫌っているのに。



336:拙い文章で、うまく表現できませんが
名前:美しいものに多く触れるのも方法のひとつ   日時: 2003/03/09 11:50:28


私は20歳の大学生です。
ひきこもりにはかろうじて陥ってはいませんが、この掲示板を読んで非常に共感する部分がたくさんありました。
摂食障害(過食症)になって2年半になります。こんな自分を受け入れられず、必死で大学に通う傍ら、ひとたび休暇が始まれば、一歩も外に出られず、生命力がどんどん弱って、自分が何も発信せず、誰の記憶にも残らず消滅するんじゃないか…とか思います。
対人関係が全く築けず、特に男性には目を合わせて話すことさえできません。
ここの御意見をたくさん読んで、涙が出ました。私はここに集まってこられる方々より、比較的傷は小さいかもしれない。
でも自分が自発的に何かを変えてみなければ、新しい自分は始まらないってわかっているのに、折合いをつけられず苦しむ気持ちがすごくわかります。
親って、何なんでしょうね。確かに、親自身が「私が不甲斐なかった」と認めてしまうことくらいコタえることってないですよね。
にげんじゃねーよ!って言いたくなりますよね。私の親はよく泣いています。当事者1人の力で解決する問題ではないと強く感じます。



335:遠回りしていいんです
名前:ひな 日時: 2003/03/09 05:46:09


このページを見て、悩んで苦しんでいる人がたくさんいることがわかりました。その辛かった人生をバネにして、時間かかってもいい、焦らず、ゆっくり取り戻して…。



334:私は・・・
名前:柚月 日時: 2003/03/09 04:10:11

私は今年21歳になったばかりですが、20歳の春から秋ぐちまでは看護師として病院で働いていました。
仕事を辞めるきっかけとなったのが、感情の不安定さで人間関係にストレスを感じるようになったのと、精神科に通い始めて自分に境界性人格障害という病名がついたことでした。
現在は病院に行く日など、家から出るのは週に1〜2度程度。
家にいても、毎日が不安や恐怖、自己嫌悪の日々です。
自分が何なのかわからず、手首を切ることもあります。
今日、再放送で番組を見たのです、が見てよかったと思います。
わたしの場合は、もっと境界例と向き合わなければなりませんが、どこかに糸口があればいいなぁと思っています。
毎日の日々、空が青いなぁ・・・と思えるようになるのが今の夢です。




333:続きです
名前:入江 志   日時: 2003/03/09 04:02:47

ここからがやっと本題なんですが(本当に、長くて回りくどくてごめんなさい。上手く伝える方法が無い私の責任です)、「全否定」という言葉については、前発言で申した通り僕にはよく判りません。
他にも自分を騙してきたとか、諦めの極地というのも具体的な例でもないと判りません。判らない僕が無能なのですが、その辺は少し細かくないと判らないんです。ごめんなさい。
それと、虐待の方についても僕には判りません(悪徳だとは思いますが)。
とても不便ですね。
けど、少なくとも僕には椿さんの文が最初に目に入ったのは事実で、それが何かの縁だと感じた衝動も事実というのはご理解戴きたい。
そして、僕が読んだ文章で一つだけ読み取れたのが、笑わない子供だったってのは判ります。具体的な例が書いてあれば、言いたいことの断片ぐらいはなんとか判ります。
鏡の前で笑えないってのは、別に問題ではないと思います。だって、鏡ってただのガラスと銀紙でしょう。そんな物に笑いかけてなんになるってんです。僕は鏡を見て笑ってる奴を見たら不気味だと思います。鏡に向って笑いかけたからって、自分に笑いかけることになるでしょうか。むしろ自分に笑いかける必要があるのかと問いたい。元々、笑顔ってのは人に向ける物でしょう。
赤ん坊ってのはよく笑いますね。あれは他人に向けて笑ってるらしいです。何故かって言うと、そうすると人が「かわいい」と思って守ってくれるからと聞きます(まあ、思わない人もいるそうですが)。つまり、赤ん坊は他人に向って笑いかけるんです。それが結果的に自分の為になると、本能的に理解してるからです。
少しでも信頼できる人間がいるならば、他人に笑ってみて下さい。
無理ならどうにか、人間以外の生物に笑いかけるか、酒を飲んででもやってみるんです。笑顔が引きつっているかどうかなんて、鏡で確かめても判るもんじゃないです。
笑顔は人に向ける物で、笑いかける人がいないのに笑う必要がありますか。相手がいるんだから笑わなくちゃならない。笑うしかない。
ちなみにこれは人に教えてもらった事で、その人は毎日、鏡を見て笑う練習をしてるらしいですが、やはり鏡に向かう時より人に向かっている方が笑いやすいそうです。
笑う練習をしたいなら、相手がいると思って、相手も笑いかけてくれていると思って練習する事だそうです。

じゃあ、また来ます。



332:板を汚させていただきます
名前:入江 志   日時: 2003/03/09 03:58:29

僕が今ここに来たら、たまたま椿さんのコメントが目に入ったんで、これは何かの縁だと思い僕の卑見を述べさせていただきます。暇なら読んでください。とても読みにくいし、言葉使いもきれいではないので申し訳ないです。
それと、これは前置きですので、本題はこの次ですから読み流して戴いても結構です。

とりあえず僕は、プラス思考の人間はとても嫌いです。
自分に自信を持ってる奴も嫌いです。
まあ、嫌いなだけで、いなくなったらいいなんて思いませんが。
彼等は偏見を持つ事が多い。マイナス思考だって人間には必要だ。プラス思考は大局観を取り払うことがあります。プラス思考の振りってのも、僕にはとても情けなく聞こえます。
大体、人間の思考が全てプラスとマイナスに分けられる訳じゃないでしょう。思うに、プラス思考なんてのは自分を安心させるための道具という気がします。
明日死ぬ確率だって0%ではないんです。しかし、誰だって明日死ぬ事なんか考えません。そうやって自分を安心させながら人は生きてるんです。
僕だってポジティブじゃないです。仕方ないから生きてます。
いやもう、この際ポジティブとかネガティブなんて、実体の見えないものはナシとして話しましょう。
「全否定」って言葉も、実際にあってみないとどんなものなのか判らないですね。言葉ほど不明瞭で信用できないものは無い。しかし、私は今、言葉で伝えようとしている。そうしないと仕方が無いからだ。
私の考えていることが何も言わずに伝われば、誤解だってなくなるし、どんなに便利な事か。
それだけでこの世というものはどれほど不便利で、生きる事が厳しいということを思い知らされる。

ちょっと長くなりすぎました。これ以降が本題です。やたら長い前置きで申し訳ありません。



331:滝本御大について
名前:超人   日時: 2003/03/09 03:11:40


今、再放送を見終えて思ったのだが、
滝本先生だけがひきこもりの本質というか
生の声を語ってくれた気がする。
他の2人は、元ひきこもりということだったが、
先生は現役のひきこもりだ。
ただ、番組中にあからさまに先生に話題を
振らなかったのはいかがなものかとも思った。
最後に・・・「やっぱり愛ですよ」




330:結局は・・・
名前:ななこ   日時: 2003/03/09 01:48:04

私は、小学校・中学校・高校とずっとひきこもってた。 親は、はじめは怒って、次は泣いて、そのうち諦めだした。 ひきこもってた当時は、もっと親に愛して欲しいとか、心を理解して欲しいとか、そんなことを思っていたけど、今思えば、当時はすっごく周りに甘えていたんだなって思う。

その当時、ひきこもっていた部屋も、食事も、病院代だって、全部親が出してたんだよね。 食事も部屋もお金も心配しなくて良い場所で、親や周りが自分を理解してくれないからしょうがないんだ、なんて思ってた。

今思うのは、もうちょっと早く気づけばよかったなってこと。 社会ってところは、高校・大学も出ていなければ就職もままならなくて、ひきこもってた事実は決してプラスにはならないのよね。 悲しいけれど、社会は私にすっごく厳しかった。 カウンセラーなんかは、「無理しなくていい」って優しい言葉ばっかりかけてくれていたけれど、結局いつかはひとりで生きなければいけないのよ。 最近、ひきこもりに対して社会で「理解してあげよう」という風潮ではあるけれども、それでも、出てみれば厳しいっていうのは変わらないのよ〜!! 甘えてるのも、ずるずると現状をつづけているのも、自分なのよね。

もうちょっと早く、それに自分で気づければよかったのに・・・って思う。



329:番組を見ました
名前:床屋で働いています   日時: 2003/03/08 22:18:52

「普通の人のほうが怠けてる」というご意見はおそらく、人間の精神的な弱さをおっしゃっているのではないでしょうか。
確かに私が運送会社で働いてるときは、手に職もつけないで、言われたことをやってるいるだけでした。人が見てないところではつい、休んだりしてました。
10代に学校サボって暴走族をやってた子達は、学校に何の迷いも無く通学してる子をどんな目で見ていたか、サラリーマンを辞めた今ではよくわかります。職人になるか、就職して会社勤めするかは、人の性格によって違うと思いますが。暴走族やってる人間が悪いとは決め付けられませんなあ。学校に苦も無く通学し、さらに会社勤めできることが、日本の絶対的な価値になってることはハナハダ疑問です。これを押し付けるほうがおかしいですわ!!!



328:こんなで、がんばる意味ってあるのかナ?
名前:織×み×お(^ ^;   日時: 2003/03/08 19:04:54

プラスのエネルギーが減っていく…。
マイナスのエネルギーはどんどんたまる。
バリアが弱くて、ストレスをうまく防げない。
毎日、現状維持がやっとの状態です。
リセット(仕切り直し)のやりかたは人それぞれだけど、「…だいじょうぶ、1年後の今ごろはこんな気持ちも消えてるよ」と自分に言いきかせながら、リセット、リセット、リセット!
ひたすらリセットのくりかえしです。
でないと、電源自体を切ってしまいそうなので…。



327:苦情を言いたい気持ちだけど・・・
名前:   日時: 2003/03/08 14:04:02

本日3月8日、「007」の新作を観にいきました。今回出てくるボンドカーはなんと透明になれる車。そんな?ついに出ました、という感じだったのです。
この車を秘密兵器の開発係である「Q」がボンドに紹介するとき、驚かそうと思って最初から透明にして「ここにあるよ」みたいな感じで振舞うのですが、ボンドが隠されてると思い、どこにあるのか尋ねるために言うセリフ、それが「ひきこもりは悪いよ」という風に字幕が付いてました。
「隠すのは悪いよ」というのならまだしも、いくらはやっているからといって、ジョークのつもりでも悪趣味だと思いました。この言葉が独り歩きすると、こういうことがこれからも頻繁に起こると思います。たとえばひきこもり当人や家族の方なんかが見た時、このひとことで「グサッ」とくるんじゃないかと思います。
第一、シーンにピッタリの言葉ではないのだし、それさえなければ、エンターテイメントとしては上々の出来だったのに残念です。



326:有難う。
名前:すみれ   日時: 2003/03/08 04:09:37

>椿さん 心遣い有難うです。大丈夫ですよ、何も嫌な事なんて書いてないですよ。 私も出来るだけ広い視野で、この自分の境遇や、この生きている世界を見れたらいいな、と本当に思います。 うん、頑張ります。

ただ私なりに、生きていく為の手段として見つけたのは、自分を騙すという方法だったのです。 もちろん誰かに強制したり、勧めたり、そういう訳ではありません。ただ、そうしないと現実に私は生きていけないのです。 自分を騙すのが限界に来て、人として、多分してはいけない事も何度も繰り返して来ました。 でもね、私は私に負けたくないんですよ。諦めるのは嫌なんですよ。例え100連敗でもいい、1つだけでも勝ちたいんですよ。

ねぇ椿さん、私にも分からないんですよ。自分なりにその時信じた道を、間違っているかもしれなくても、走るしかないと、そう思うんですよ。
何度も言うようですが、これは私が考えて、私が出した現時点での自分への答えですので。自分で責任持って、生きていくだけだと思ってます。



325:疲れています。
名前:渡り鳥   日時: 2003/03/08 01:22:48

私はこうしたもののビギナーたる故、疲労困憊の心境で居ります。2月22日に放送された番組は、目を通した限り、率直に申し上げていささか残念の思いを感じています。取り組み、インフラ整備の面では、思いのほか慎重にならざるを得ないことが私には感じられてなりません。
私は地元のあらゆる受け皿施設に足を運んでおり、ある意味恵まれた立場に思います。それでもどの施設においても取り組みに疑問、遅れを感じざるを得ません。立場上、精神障害の方にも触れる機会が多いのですが、以下同文の心境です。疲れています。そして、受け皿の立場の方々にもそれを感じています。それを脱却できるなにか英知の宿るものはないものでしょうか。勿論私も頭をひねっておりますが、疲れてしまっています。
私は平成6年5月から数年後、気がつくと「ひきこもり」という言葉がメディアから独り歩きして、それを認めないと、おおむね受け皿施設を円滑に利用出来ず、やむなく認めざる得ない立場に置かれている者です。



324:ちょっとショックを受けました
名前:LaLa   日時: 2003/03/07 21:21:36

椿さん、「ポジティブな気持はない」って言い切っちゃいますか・・・
でも、私も、四六時中ではないにしろ、「もう、自分を全否定するしかない」っていう、ルツボにはまり込んでしまうこと、ありますよ。(ちなみに、私も親に虐待され、いじめも受けました)
私には、椿さんが「私はネガティブ!!」って、ちょっとかたくなになってるように見えますが・・・(って、椿さんのことよく知ってるわけでもないのにごめんなさい)。
「ポジティブに考えること」に馴染みがないと、「自分にはネガティブな世界しかない」みたいに思ったりすることって、確かにありますよね・・・。
前に書き込んだことの繰り返しになっちゃいますが、とりあえず、おいしいものを食べたりして、少しでもいい気分になることから始めませんか?一日のうち、「いい気分」になる瞬間が全くないわけじゃないでしょうから。



323:超楽観主義ですが…(笑)
名前:織田みさお   日時: 2003/03/07 21:21:36


ずいぶん何度もおジャマしちゃって恐縮です(笑)
自分がキライで、自身にキツくあたってしまうのは、やっぱりつらいけど、でもまだなんとか大丈夫みたいです。
自分のコトを書くのって、ちょっと勇気いるけど。
駅のホームの端に立ってて思う。まだ生死のさかい目まで30センチ。
手首のキズを見て思う。まだ数ミリすき間は残ってる。
ホントにキツくなった時は、砂時計とにらめっこ。5分だけやりすごす。そして、また5分。そのくりかえし…。
いつか終わりが来るのはわかっているけど、でもまだ大丈夫。
急ぐことはやめているから…。
もう少しだけ待ってみます。
自分だけでなんとかできるとは思っていないけど、でも、だからこそ運命に身をまかせます。
今できることは、もう少し待つことだけ…。それだけです。
「何かがあるかも」…そう思って、急がず自分の運命を見極めてみるつもりです。



322:騙し、騙し
名前:KEN   日時: 2003/03/07 10:50:55

自分を騙しながら。
ちょうどそのことに気分がいってる時に、「すみれ」さんの書き込みを見ました。
以前、私は「空元気も元気だ」、そんな気持ちで落ち込んだ時を乗り越えてきました。
ですが今は、人間が怖くてしようがありません。
以前していた販売の仕事で職場の人間が信じれなくなり(お店なのでチームワークが大切なのに)、お客さんまで信じれなくなり、接客販売業なのにもうどうしようもなくなって退職しました。
今は日常での生活に支障をきたす程の酷いものではないのですが、時々移動中の電車で人の視線が怖くなり途中で一旦降りたり、小さなお店の中で人が多いときなどは、怖くて外に逃げ出したりもします。
今は自分を騙しながらでも、人間を「好き」になろうと思っています(モチロン本当に好きな人はいますが)。そして、そんな自分で良いと思える自分でいたいと最近は考えています。人によれば、それは本当の自分では無いとか相手に失礼だとか言われるかもしれませんが、本当に好きな人は好きになれるし、苦手な人は苦手だと思う。でも「人間を嫌い」な今の状況よりは、まだましじゃないかと考えられるようになってきました。
要は、自分のなかで「好き」「嫌い」を分ける中間に、「苦手」を入れようと思った訳です。で、その「苦手」のある自分を自分が許してやれるようになったら、ということです。
それでもそんな自分に実際なるためには、まだまだ時間がかかりそうです。
現に、面接と次の職場での人間関係が怖くて、就職活動もままならない状態ですから。
書いていて自分でもよくわからない文章になってしまいました。ゴメンナサイ。



321:私は自分を騙せません
名前:椿   日時: 2003/03/06 23:56:38

今日は通院日でした。

ここは「ひきこもり」の掲示板なので、私の病気の事は書きません。

このあいだも書いた通り、私は虐待されて育ってきました。病因も、それによるものです。

人間が育っていく上で、自然に芽生えていく「自己肯定感」の芽。それを親に、兄弟に、友達に、先生に、ご近所の人に摘み取ってこられ、何よりも自分自身で摘み取ってきた私です。

>LaLaさんへ
私にはポジティブな気持ちはありません。
自分を「全否定」してしまいます。

>不思議な人生になってしまったさんへ
私も笑わない子どもでした。中学生の時、ひきこもりがひどかった時に、姉の笑っている顔を見て、「私、ちゃんと笑えてる?」と、不安になって、鏡の前で笑ってみた事があります。結果は・・・・。笑えてませんでした。「表情筋が発達してないのでは?」と疑うほどに。
カウンセラーと話す事で、改善されたようですね。私も覚えがあります。友達の中には、あまり自分の話をしたがらない子もいますが・・・。色々な患者さんがいますが、皆さん元気になられると良いですね。

>すみれさんへ
私だけの意見なので、嫌ならば読み流して下さって結構です。
私は、自分を騙せません。騙しながら無理して生きてきたけど、もう限界。
諦めの極地に立っている感じです。
すみれさんの意見もごもっともです。でも、もっと広い視点で物事を見られる事をおすすめします。すみれさんの主観が私の主観とは違うように。




320:辛さ
名前:サンダーバード   日時: 2003/03/06 22:07:31

 久しぶりに投稿させてもらいます。
 辛さについて少し話したいです。僕は、ひきこもりではないのですが、今まで働いたことはありません。この前なんとか、自動車の免許を取ることができましたが、車を両親に買ってもらって4日後くらいに、事故を起こしてしまいました。ぶつけられた人にもすごく怒られて、かなりショックをうけました。
 今僕はデイケアセンターに、2週に1度、通っています。いろんな人がいて、本当に辛く見える人もいます。こういうホームページを見るときもそうだけど、本当に辛そうだなあと思います。
 すみれさんもおっしゃられているように、ひきこもっている人たちや何もできないでいる人たちを、甘えや贅沢で非難するのは良くないことのような気がします。
 なかなかなんにもする気がでないこのごろです。



319:自己評価とは?
名前:となりの他者   日時: 2003/03/06 14:16:29

「自己評価」が低いとよく言われるようになった。こんな言葉、ACとかの本が巷に出回るまで知らなかった。
そもそも人は皆、自己評価をしながら生きてきたのだろうか。そんなこと考えなくても、なんとかやってきたのではないかしらん。そう思うのは、自分の苦しみと他人の苦しみを天秤にかけ、自分の苦しみの方を「重い」と思い込んでいるせいなのだろうか。そういうのって、私が一般人をひがんでいる証拠なのだろうか。
ともかく、私にとって「自己評価」は新しい言葉だ。これからどう納得してゆくか、難しいテーマになった。



318:『○○××症候群』です…。
名前:織田みさお   日時: 2003/03/06 10:28:03

 「自分」を肯定する、受け入れることが、どうしてこんなにもむずかしくなってしまったのかナ?
 今の自分をゆるしてあげよう、なんて…そんな気持ちにはとてもなれず、ついついキツくあたってしまう毎日です。
 過去の自分にはシンクロできない、今の自分は受け入れられない、将来の自分なんて想像もできない…。
 なんの意識もせず、うたがいもなく自分を受け入れる…う〜ん、むずかしいです。
 たぶん「自分」の中味がからっぽで、何もないせいなのかナ、とっても『だれかに必要とされたい症候群』です。
 表面上は「ひとりでいたい」と思いつつ、でもこころの奥底では…ホントにとっても『だれかに必要とされたい症候群』なのです(笑)
 自分のことが好きになれなくて、しかもだれにも必要とされてない…としたら、自分の存在意義ってなんなんだろう?
 必要とされてないどころか、いるだけでめいわく、ジャマだとか思われてるとしたら…。あうう。
 せめて、ひとサマのおジャマにならないていどには、なにかお役にたてる自分になりたい、と思ってはいるのですが…。
 そうすれば、ちょっとは「自分」のことも好きになれるかもしれないですし。
 何をどうすればいーのかわからないし、もうプラスのエネルギーも残り少ないけれど、でも…たとえゼロになったとしても…。
 だれかに必要とされる自分になりたい…です。



317:私も嬉しかった。
名前:すみれ   日時: 2003/03/05 20:25:28

>ぴっくぴっさん
私の拙い文章にレスをくれて、しかも嬉しいとまで言って下さって、どうもありがとうございました。なんだか偉そうな意見を言ってしまった気がして不安だったのです。
こうして、インターネットという媒体を通しての人と人のつながりについても、感慨深いですね。人間て、本当に強いんだか弱いんだか・・・。
でも少なくとも、友達というものに恵まれていない私には、ココ(インターネットでつながる世界)は大事な場所です。

>だからこそ「一概に」といって、今現在ひきこもっている人だけが指され
>て、突出して甘えで怠けで贅沢、とされてるのはさすがに良くないと
>思うのです。

私もそう思います。でも最近は、そういう風潮も大分下火になってきた気もして。その点はマスメディアのおかげなのかもしれません。
しかし、あまりにも特別扱いすることにも疑問を持っていたり。もっと普通の事だと思えるようになれればなと。

私は、ひきこもり以外にも色々と、名前のついてる精神的な病にかかっていたりするようなのですが(医者に言わせると)、あまり特別視されたくない気持ちがあります。普通の事だと思うようにしています。
あまりに特別扱いされると、「自分は特別扱いされて、注目して欲しいだけでは?」と思ってしまう。

椿さんが、『ここには、プラス思考の方が大勢いらっしゃるので、びっくりしています』とおっしゃってますが、そういう「振り」をしないとやってられないというのが本音です。
多分、ぎりぎりの所を歩いているのだと思います。でも火事場の馬鹿力並みの精神力で、なんとか留まっているのです。
私自身を騙せるのは、結局私しかいませんから。騙しているのか、素なのか、分からなくなってきた今が大切だと思っています。




316:家で出来る運動ってありますか?
名前:ふーこ   日時: 2003/03/05 18:53:08

 私は、ひきこもり始めてから、出たりこもったりを繰り返して6年になるものです。この6年の間、こもっているときは運動する気力がなく、外に出ているときはやるべきことをこなすので精一杯で、全く運動をしていません。そのせいで、30キロも太ってしまいました。このままでは、糖尿病や高血圧などの生活習慣病にかかるのではないか、いや、もうかかっているのではないか心配です。
 できれば、家で出来る運動など、番組で取り上げてみてはいただけないでしょうか。



315:笑わない赤ちゃんと自己肯定感
名前:不思議な人生になってしまった   日時: 2003/03/05 15:09:18

私は臨床の医者や精神科医ではないので、個人的な意見として書かせてもらうのですが、つい先日、NHKの番組で、笑わない赤ちゃんについての放送をみました。親との情緒的な接触が上手く築けない状態にあった赤ちゃんは、笑えないそうです。物心もつかない赤ちゃんが、不安からベットに自分の頭を打ち付けている映像は、とても痛々しくショッキングなものでした。その親御さんは悪気があるのではなく、扱い方がわからないケースだったそうです。
わたしが何が言いたいかというと、「笑う」という自分の素直な情緒を出すためには、赤ちゃんであっても(赤ちゃんはなおさら)安心出来る対象が必要になるということでしょうか。その辺のことは、人の意思でガマンしたり、コントロール出来るような部分とは少し違う分野の話というか。
ひきこもりについても同じように捉えてもらうと、とても分かり易いのではないでしょうか。
そのことのを、変更不可能な決定事項とはいえない部分も合せて、詳しく説明した方がいいような気がします。(その赤ちゃんは、積極的に関わってあげることで少しずつ回復していったようです)
私も「経験者」という面から語ろうとすると、どうしても「その状況にあることの特殊さや辛さ(実際に、意志でどうにも出来ない部分が多いことを伝えたいので)」を感情面で語りたくなるのですが、本当に中身を正確に伝えるためには(勿論、当事者やそれ以外の人にも変なレッテルを与えないことはとても必要なのですが)、ある部分では理論的な説明も重要だと思うのです。
こういったことが、ひきこもりの本当の中身だと。それによって、とても具体的に本人にこんな様なトラブルを与える、と。
その上で、自己肯定感の説明とそれを獲得していく中身(共感なり向かい合いなり)も、それに成功事例が安易に当てはまらない”個人の感情”という、個人そのものを無視出来ない(百人いれば百通りのケースが生まれる)側面も、セットで語らない限り上手く伝わらないのではないでしょうか。「自己肯定感の欠如」という共通性と、「”その人各々”が何によって自己肯定感をもたらす結果になるのか」の多様性の部分。
先日の放送でもあったように、高学歴者でも主婦でも社会人経験者でも起こる多様性の中には、(そういった側面は、自己肯定感の有無には何の関わりもない、ということが逆説的に分かるでしょうし)「自己肯定感が持てない」という共通性が見えるのではないでしょうか。
その渦中にある時の、ものの捉え方(というか、そういった印象でしか感じられない側面)というものがあるし、私は経験者なのでそれを解らない人間ではない。そしてまた、私は意識的に努力して変わったわけでもないので(あるキッカケでハラハラと楽になった面が有るので)、なおさらこう思ってみよう、こう考えてみようというよりも、騙されたように無理にそんなことする必要すらないくらい「自然にそうなれる」ようになるだけの話だと(自己肯定感があれば)、ただ勝手に変われる話なんだなあ、ということまでも”私個人の経験で”言えるかもしれません。
ただ、一つあるのは、その「自己肯定感」をどうしたら”私は”得られるんだろう?という発想は持っていたので、その為に必要な「私の特殊な話を解った上で聴いてくれる対象」を”私の場合は”求めました。「私を肯定してくれる対象」としてだけではなく、「私が自己肯定感を得ることをゴールとして」。それがカウンセラーでした。



314:まいまいまいな びよきです…。
名前:織田みさお   日時: 2003/03/05 13:27:23

 しおれてる時に、「ひきこもり」とか「パラサイト シングル」とかって言葉を耳にすると、表現がストレートすぎて、ドカン!とおちこんでしまいます…。
 もう少しソフトなフレーズを ぷりーず・ぷりーず (^ ^)
 『えすかるご シンドローム』なんて…だめ、ですか?



313:自分の問題に取り組むことに決めた時に良い方向に向かった
名前:大地緑   日時: 2003/03/04 23:44:57

働きながら、ひきこもっていて、今はだいぶ良くなりました。
私の状態が良い方向に向かうようになったきっかけは、自分で自分のこの問題に向き合おう、としたことでした。
私の場合は、私がひきこもりであることに対して、両親がまったく理解を示さず、自力でここまで来ました。
この4年程は、周囲からのサポ−トも得られるようになりましたが、それまでの10年間は、ほとんど ひとりで出られるかどうかもまったくわからない、暗いトンネルの中で穴を掘るような気持ちで、孤独のまま歩いて来ました。
良い方向に向かうことになった初めのきっかけは、父に対して怒ることをやめよう、と思ったことです。私が、ひきこもり的になった大きな原因のひとつは、子供の気持ちを考えない独裁的な父によって育てられ、魂が根こそぎ持っていかれてしまうような体験にあったわけですが。
その後、ずいぶん時間が経ちましたが、でも、ある時、そのような父のことを怒っても、なんの役にも立たないことに気がつき、怒るのをやめました。
このように、少しでも前向きに人生にかかわろうとすると、それをサポ−トしてくれるような出来事が起きるようです。運命の女神が味方してくれるようになるというか。以下、それについて書きます。

私が九州をひとりで放浪の旅をしてい時、人の住んでいないお寺に旅人どうしが、5,6人共同で、10日程生活することがありました。その時、その中で親分格だった人が、ギタ−を弾いて、毎晩のように、この世を憂(うれ)い、はかなむような歌を、物悲しい声で、月をバックに歌っていたのです。
その人の姿を毎晩のように見させられた私は、その人のことがいやだ、と思いました。
そして、そのことを考えているうちに、今度は、逆に自分のことに視点が行き、これまで、私は父をうらんで毎日過ごして来たけれど、それをやめて前向きに人生を生きようと思いました。それまでの私は、父のことを怒ることはやめられても、自分がこうなってしまったすべてを、親のせいのように考えていました。
そして、このように前向きに生きることを決めた私がしたことは、父と母と私の関係をたえず客観的に整理し続けることでした。その時は両親と同居していて、彼らは私のことを独立した一個の人格として尊重できない状態にあり、私はいつも ぬきさしならぬ環境下にありました。
そのような緊張した状態にありながら、私は24時間、両親と私を別の人格として整理し続けることで、本当に、ゆっくりではありましたが、自立への道を歩んで行ったのです。
私が、ひきこもりから抜け出すことができた大きな原因は、親も悪いが、ひきこもりになった原因の半分は自分にある、というように考え始めてからです。
私の親は、そうとうひどい人であったので、本当のところは、親がかなり悪かったのかもしれません。しかし、私のひきこもりが良くなるきっかけを作ったのは、そのように考えるところから始まりました。
今は、自分のこの体験を生かして、この先の人生を生きて行きたい、と思っています。
今は、あのような父がいてくれたおかげで、私は、このような体験と人生を送ることができ、良かったとも思っています。

今は、ひきこもり体験者とも明るい会話がかわせます。 ひきこもりという闇の世界を体験したおかげで、今いる光の世界の明るさ、心地良さもわかります。 闇と光りの両方を体験することで、その両方の美しさがわかるように思うのです。



312:あるがままを受け入れる、か・・・
名前:LaLa   日時: 2003/03/04 22:39:18

ここ数年、そうしようそうしようとしているつもりなんですが、未だに自分の人生が不本意な状態なのは、まだ本当に受け入れてないってことなのかな・・・。「無意識」の部分までは、なかなか把握しきれませんからね。
つい最近も、自己防衛のために作り上げた、かりそめの自分?を「ブッ殺さなきゃいけないのか?」なんて思いましたし。
変わるスピードがあまりに遅く感じるので、つい、自分の不本意な部分を否定したくなりますが。

>椿さん
あなたもそうなることがあるのかもしれませんが、決して自分を「全否定」しないようにしましょう。どうしようもなくそういう気持になっちゃうこともあるでしょうが。ここに書き込むってことは、いくらかはポジティブな部分もお持ちなのでしょうし。




311:「ひきこもり」ともに生きたい
名前:ジュン   日時: 2003/03/04 19:15:29

私はひきこもりも不登校経験もありませんが、なにか支援が出来ることがあればと思い、手探りで勉強しています。
講演会に行ったり、本を読んだり、フリースクールに見学にいったり、行政の方に話を聞いたり、ボランティアに行ったりしています。
本当は、フリースクールなどに雇っていただければありがたいのですが、フリースクールも少なく、ボランティアであれば!という返事が返ってきます。
今は仕事の合間に活動をしていますが、いずれは専業でサポートできる人になりたいと思っています。
一番初めにボランティアをしたい!と思ったときに、ボランティアセンターに相談に行きました。私はすぐにボランティアができると思っていましたが、ボランティアするところがないのです。私はすごく矛盾を感じました。不登校やひきこもりの人はたくさんいるのに、支援をしたいと思っても、その活動する場所でさえも探すのが難しいのです。そうなると、不登校やひきこもりの人は、もっと不安を感じてしまうだろうな・・・と。
それだったら、私が何か始めたい!そう思って今勉強中ですが、まだ22歳で経験も知識もありません。実際何を勉強したらいいのか?何が必要なのか?何から始めたらいいのか?いつも考えます。私にできることってなんだろう??いろんなネットワークができたらいいなと思います。



310:はじめまして(^^)
名前:関西人   日時: 2003/03/04 08:22:49

僕は現在20代後半です。昨年の7月に仕事を辞めてから、かれこれ8ヶ月が過ぎました。
僕は対人恐怖症です。2、3日前に、自分の症状をもとにインターネットを使って、検索欄にパニック障害とか適当に入れて検索していたら、僕の症状に当てはまっていたのが対人恐怖症でした。それまでにも、自分はそうではないのかとうすうす気がついてはいたのですが、インターネットで検索の結果、対人恐怖症を痛烈に自覚させられました。
それまでは自分にもプライドがありましたし、まだ精神科に通院した事もありません。なにより精神病患者=異常者みたいなレッテルを張られるのに、かなりの抵抗がありましたし今もあります。でも受け入れました。ほんの2,3日前に…。
対人恐怖というのは、ありのまま自分が愛せない事によって起きる症状だそうです。人の心(人の心の大部分を占める潜在意識)は自分を愛する事、大切に思う事によって満たされ幸せを感じます。もし愛が足りないと、その代わりになるもの(お金、精神薬、食べ物など)を探し始めたり、意識を緊張させて(対人恐怖など)さらに強く心を満たそうとするらしいです。
僕が思うに、ひきこもりや対人恐怖などは、ありのまま自分の弱さ、消す事の出来ない辛い過去、消す事の出来ない身体的な傷なども、全て自分だと受け入れられた時、乗り越えられるのではないでしょうか。
僕にも辛い過去があり、それを乗り越えるために生きる事とは…死ぬ事とは…と深く考え、テレビや新聞を見て障害を負ってもなお、強く生きようとする人を見ては力が湧いてきて、今の自分を安定させています。
この掲示板に書き込んでる人について思うのですが、やはり普通にただボーっと生きてる人(前は僕も目標も無くそうでした)とは違って、人生について深く考えている人が多いいですよね。
苦しみや悲しみは、いつかそれを乗り越えた時、人へのやさしさに変えられます。今この瞬間この苦しみを、しっかり意識をもって乗り越えて行こうと思っています。その先に、僕の目標である障害者福祉の仕事があります。人を蹴落としながら生きていくことより、少しでも自分が手助けする事によって笑顔になり、あるいは幸せになり…。
いままでの人生は、障害者福祉の仕事の魅力や、人にやさしさを持って接する事の大切さを教えられた人生でした。しかし、誰もが今の苦しみを乗り越えられたら幸せになれるなんて思えませんが、どうせ生きているのであれば、努力してみる価値があるのではないでしょうか?
目標を見つけて僕は変わりました。まだまだこれから色々あるでしょうが頑張っていきます。
同じような人間だからあえて言うとすれば…、今家の中で、必死で色々考えながら頑張っている(今の僕もそうです)のは痛いほどわかりますが、もっともっと頑張って下さい!僕も対人恐怖の心が不安定ですので、恐らくだいぶ恥をかく事があるかもしれませんが…(もうすでに、2月に2回面接に行って2回とも落ちましたし、そのうち1回は大勢の前で恥をかきました(笑))。
正直情けなかったし、採用されてたとしても仕事についていけるかとか人間関係とか色々あるよなぁ…、困った困った。
まあええわ、次、頑張ろ!



309:反応があって、嬉しいです。
名前:ぴっくぴっ   日時: 2003/03/04 04:36:17

> いわゆる普通の人が週5日ただ仕事に行くという事が、人と話をするという事が、どれだけ偉い事か。
> 出来ている人には自覚がないのでしょうが・・・。

そうですね。その通りです。
この場合すみれさんだけを見れば、先日の文面を見てということでしか言えませんが、すみれさんの様な考えで暮しに臨むことは、本当によいことだと思います。
私の文面にある「元ひきこもっていた」という方も、2年間同じ職場で見てて、話をしてて、そう思うのです。そして、自称「私は普通だ」という人々も、2年どころか、それ以上の間、見て、話をして。

だからこそ、細かく見てあげて、偉いことなんだと思えるのはイイことだと思います。
何故、普通のことというのは辛いことなのか?そしてそれを耐えられる人は偉いということになるのか?
番組以来、ここ数日そういうふうに考えることがありました。

仕事がある由縁で家と食物がある私は、自然現象が厳しい訳でも、ひもじい訳でもなく、それによって本来は心の余裕があるはずなのですが、どうもそういう訳でも無い。一歩一歩のことに良さがあるのだと考えることも少なくなってます。「自覚」が無いというのはそういうことかもしれません。

「本当に普通の方が甘えで、怠けてる人ばかり」というのは言い過ぎですね。読んで気分を害された方には申し訳ないと思います。もちろん、私の環境も普通(だと思います)で、頑張っている人はたくさんいます。

でも、それぞれが時おり、なにかしらの良くない側面を持っています。私もそうです。そういうものが集団化すると、それもまた普通だということなのですが、度を超して、とても酷いことになります。「酷い」といってもケースバイケースで様々ですが。

だからこそ「一概に」といって、今現在ひきこもっている人だけが指されて、突出して甘えで怠けで贅沢、とされてるのはさすがに良くないと思うのです。今にして思えばですが。あまつさえ非難めいた対象にするというのは、道義ではないと思います。

場面場面に遭遇して、熟慮して、早い決断も必要でしょうが、ある人は甘えかもしれない、ある人は怠けかもしれない、ある人は贅沢かもしれない、ある人はそうではないかもしれない、ある人は苦しんでいる、ということでなければならないし、そしてそれからどうするのか、本来なら「誰か(本人か、家族か、その周辺か)」に対して、なんらかの助力がいることじゃないだろうかというふうに、今は辿り着いています。




308:自分のプロになろう。
名前:まりちゃん   日時: 2003/03/04 04:22:59

いままでの生活でも、ひきこもりの番組を見てもわかったように、みんな、私や君の心の痛みのことが、全然よくわからないんだよね。わからないはずだよ。疑問に感じちゃったらさ、今の生活を否定することになりかねないから。今の自分の生き方を、駄目!っていわれる感じがするから「怒り」が吹き出して、私や君を攻撃したくなっちゃうんだよ。

じゃあさ、そんな人たちは、そっとしておいて「自分のプロ」になっちゃわない?
私は、カチカチの目玉焼きより、温泉卵が好き。
私は、澄んだ空気の冬の星空が好き。
私は、私を分かろうとしてくれる人とは、話をしたいけれど、傷つける人とは話をしたくない。

君は、いったいなにが好きで、気持ち良く感じて、いつもなにを求めているのか、ゆっくり、自分に聞いてみようよ。最初は、すっごく時間がかかったよ。だって今まで、そんなことじっくり考えていいなんて知らなかったんだもの。ちょっとずつ、自分を知っていこう。
毎日見つけたこと、ノートに書いてみよう。
どんなときが、うれしくて、
どんなときが、かなしいか。

誰のためでもない、君のために君を知るんだよ。

快適な自分で行きたいところへドライブするためにね。

車酔いしたから、今は休んでいいんだよ。
いらないものは全部吐き出して、きれいな空気を深呼吸して、ゆっくり水分補給して、体をいたわって、徐々に食べたいものをゆっくり味わって食べてみようね。

大丈夫だよ。今の時間は無駄じゃない。
ここまでくるのに、絶対に人を信じきれなかった私は、ひとりで格闘して30年かかっちゃったけど、
自分のことを、大切にすることで、そんなに長い時間苦しまなくても、出て来れるんじゃないかと思うよ。いま、私、幸せだよ。いろんなこと喜べる。生きていること嬉しく感じるよ。

まずは、安心して眠ってね。




307:自己肯定
名前:椿   日時: 2003/03/03 23:36:23

私は「なぜ『ひきこもり』から抜け出せないのだろう?」にも書き込みをしています。20歳、無職の女性です。
「自己肯定」、これって凄いテーマです。
私はというと、全く自己肯定が出来ません。
先月まで精神科に入院していました。4つ位心理テストを受けましたが、全ての結果でこんな結果が出ました。
「自分を受け入れられない。駄目な人間だと思っている。あなたはどうしてこんなに自分に自信が無いのだろうね?」と。
だって、私は必要の無い人間だから。
私は幼い頃から、母に折檻されて育ってきました。父親は自分の横でそんな展開が起きていても、私に救いの手を差し出しませんでした。
だから、私は自分の存在が憎かったのです。
友達にも恵まれず、自分の心のカラに閉じこもるしか、生きる術が無かったのです。
「家族(親)にしてほしいこと、してほしくないこと」の発言番号120、織田みさおさんの発言の中にあった、
「頑張って死んで来い!!」
という言葉が、とても印象に残っています。
今でも、私は私が嫌いです。
リストカットで、自分を殺しながら生きてきました。「人から必要とされない自分は、必要の無い人間だ」と。
それも、もう終わりにしたいです。
未来なんて見えない。
心を病んでまで、生きていたくない。
ここには、プラス思考の方が大勢いらっしゃるので、びっくりしています。



306:…まずは生き残って、それからです。
名前:織田みさお   日時: 2003/03/03 14:47:58

 水の中に墨汁が、一滴ずつ落ちて溶けていくように、気持ちが段々暗く、重く沈んでいきます…。
 ブレーカーが落ちるように、リミッターが作動するように、前に進もうとする「力」は押さえつけられ、そして消えていきます。
 砂時計の、軽やかに落ちていく流れを見て思う。
 ここは、とても静かな戦場です…。



305:おそろしく感じて、いいんだよ。
名前:まりちゃん   日時: 2003/03/03 08:38:50

私たちがうまくいかなかった理由、わかったんだよ!聞いてくれるかなぁ。

例えばなんだけど、自分の体を車だと置き換えるとするでしょ。 自分の人生を、自分の望むように、進むための自分の車なのに、今まで私たちは、運転席に座っていなかったの。 助手席か、後部座席、あるいは、トランクにいたの。後ろをみたり、周りをみたり、窒息しそうになったり、進む方向をしっかりとらえることができないまま、どこへ行くのかもわからないまま、すごいスピードで、運ばれてた。いろんなことを感じているのに、受け入れてもらえなくて、車に酔った感じ。とっても疲れるし、目が回るし、気持ち悪い。それでも一生懸命になんとかしようともがいてきて、「やっぱ、へんじゃん!これ絶対、おかしいよ!」って、誰かがいる運転席のプレーキを初めて思いきり踏んだのが、「ひきこもり」。

えらかったよ。えらかったんだよ。 すっごく勇気が必要だったはずだよ。 おそろしかったはずだよ。こわかったはずだよ。 「自分は自分だ!」って叫んで、急ブレーキ踏めた私たちってえらかったんだよ。

世の中にはね、いまだに自分の人生を誰かに運転されていることに気付かずに、悶々とするもんだから、弱いものいじめをしたり、怒りをいきなりぶつけてくる悲しい人間が多いんだ。私たちは、自分で気付いて選べたんだもの。すばらしいことじゃないかなあ?

ね、ゆっくりでいいからさ、 自分が感じたことに「いいんだよ」ってそっと教えてあげて、なぐさめてね。 だって、君は君。世界でたったひとり。誰ともちがっていていい。同じでもいい。人と比べる必要なんかないよ。

君自身を知るための本いっぱいでているよ。

君は、君でいいんだからね。

安心して、ゆっくり休んでね。




304:豊かであるのに苦しいのがわがままというのなら
名前:はしはた   日時: 2003/03/02 14:01:25

親が死んだりして収入がなくなったら、どうやって生活をしていくのかという質問は、ひきこもりはわがままだという考えがその底流になければできないことです。

ひきこもりがわがままではなく、自分を守るための唯一の手段なのだ、と理解できていたらそもそもこんな質問は出てこない。このまま我慢して社会に出ていたら、親や他人に人格をしゃぶりつくされてしまう。それを回避するための必死の手段をとっている人間に、将来の考えも何もありません。

食糧難地域の人々と比較して、コイツはわがままだ…というべき対象はひきこもっている本人ではありません。ひきこもりを批判する人々こそがわがままのし放題なのです。職を得、収入を得、衣食住足りているなら、どうしてひきこもっている人を非難する必要がありましょう?人をなじるという享楽を得たいために、ひきこもりを攻撃するのはわがまま、それ以上に問題のある行動といえます。

日々の生活に苦労しているからひきこもりを批判するというのなら、それは、自分が耐えられる理不尽な扱いを、それが納得できない他人にも強要して社会の進歩を止めてしまう行為――社会に対するわがままだと思うのです。




303:ひきこもり批判者の残念な共通点
名前:はしはた   日時: 2003/03/02 13:57:06

ひきこもりを批判している方の文章が、おそらく例外なく「ひきこもりの言うことには断じて聞く耳持ちません。でも私の言うことは聞きなさい」という感じになっているのは、いったいなぜなのでしょう?

批判者自身が、自分の意見を聞いてもらえないことばかりで、いつしか聞く耳を持たないことが人生訓になっていて、それをひきこもりにも強要しようとしているのでしょうか?

人の言うことを聞いて聞いて、忠実に守ったことが原因でひきこもりになっている人に対して、さらに聞く耳持ちません、私の言うことを聞きなさいというのでは文章が成り立たない、とは思わないのでしょうか?(思わないんだろうなぁ…聞く耳持たないのが信条だったら)

ひきこもりの意見が聞き入れられるようになると、何か「批判者にとって」具合の悪いことでもあるんでしょうか?




302:番組を見ました
名前:床屋で働いてます   日時: 2003/03/02 12:37:24

番組見ましたが、ふと疑問に思うんです。社会で成功(失敗じゃねえかい?)してると思われてる人が、悩んでる人の事はわからんですよ。
自分は高校時代、体育会のキャプテンやってるときに、さぼってしまう後輩の気持ちがわかってたから、あんまり責められなかったですよ。水泳部なんだけど、オレはそのときはバカで、体を動かしてスポーツするしか能がなっかたんですよ。だから1000メートルも続けて泳いでたんですよ。サボる後輩は、本当は読書好きだったり、パソコンが好きだったり、ゴルフとか一人でするスポーツが好きそうな子たちでしたよ。
日本は違いが認められない社会ですよ。
中学のころ、1週間毎日、野球部やってたけど、あれはおかしかったよ。自分の意思じゃないんだよ。監督に逆らえないんだよ。つまり、一人じゃ何にもやってないんだよ。使われてるだけなんだよ。オレは高校球児、野球少年より学校を飛び出して、暴走族やってる子のほうがまともだと思うよ。
日本てのは、社会が引いたレールから外れると「駄目な奴だ」とかいうレッテルを貼られるわけよ。
学校に頼り、次は会社に頼るだけの奴がだめだと思うよ。俺も高校卒業後は運送や土木やってたけど、結局、使われてるだけなんよ。「あっ、会社に甘えてるだけだな」て思った。だから、手に職つけたんだよ。日本社会で悩んでる人は、大概、手に職をつけるタイプなんじゃないでしょうか。激烈なことを言い過ぎました。



301:なんなんかな・・・
名前:イサク   日時: 2003/03/01 23:50:34

自分の考えを押し沈めてでも、他人を守る。
他人がよければそれでいいと思う。
自分が傷つけば、友達は幸せでいられる。
自分を追い詰め、苦しめ、突き落とす。
自分はそれでいいと思う。
自分の意思がはっきりできないことは、駄目なのかもしれない。
でも自分の意思で他人を傷つける事は、出来ない。
他人を思えば自分に反動がくる。
反動に耐え切れれば、それでいい。
耐え切れなかったら、何か考えればいい。
取り返しがつかないのなら、取り返しがつくようにすればいい。
何もかも終わりはないと思う。
死んでも、まだ先に何かあると思う。
たとえ暗くとも、別にいいと思う。
暗い先には、明るいものがあると思う。
暗い中で得たものは、これからも大切にしていくべきだと、自分はそう思う。
立ち止まっているより、走る方がいい。
走れば何か見えてくる。
流れるように何かが見えてくる。
見えるものを一つ一つ確かめよう。
気に食わなければ、流れ去っていくより、一発ホームランを打てばいい。
場外一発。
流されないで、もがき苦しんでいる方が絶対いい。
もがき苦しめば、何か見つかる。
見つかるまでもがき苦しめばいい。

先は明るい、そう信じて。
信じる事は自分を楽にする、
でも信じて自分をだめにするなら、信じては駄目。
自分でよくなると信じ、そしてもがき苦しんで進みましょう。
自分に言い聞かせる事も大切やないかな・・・。



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