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300: 番組を見て
名前:モリ   日時: 2003/03/01 23:43:22

番組の冒頭に親の言葉がいくつか出てきます。その言葉自体が、ひきこもりの問題の核心を表しているように思います。ひきこもりをつくりだす親達は、子供の本当の姿が見えていないのではないでしょうか?
「スポーツに打ち込み、友達も多かった」という母親の発言がありました。その子は、親にとっては理想的な良い子であったのかもしれません。しかし、良い子とは自分を殺している子でもあるのです。その子は自分を殺し、親の期待に応えようと理想の子供を演じていただけだったのかもしれないのです。スポーツをすることは、その子の本当に望んだことだったのでしょうか。もともと社交的な性格だったのでしょうか。その子には、他に自分の本当にやりたいことがあったのかもしれません。私にはこの母親が、息子の心のその奥までは見ていないように思えるのです。
親はよく、愛情というものを勘違いします。塾へ通わせたり、習いごとをさせたり、高いおもちゃを買ってあげることが愛情だと思ってしまいます。でも子供は、もっと違うものを望んでいます。それは親と一緒に遊んだり、自分の話しや悩みを聞いてもらうことだったりするのです。親とコミュニケーションのない子供達は、やがて親の価値観を強いられ、行きづまっていきます。それがひきこもりではないでしょうか。



299: 甘え
名前:すみれ   日時: 2003/03/01 23:22:52

「本当に普通の方が甘えで、怠けてる人ばかり」

と、おっしゃってる方がいらっしゃいましたが、私はその意見に疑問です。
なぜならその方はこうもおっしゃってます。

「『一概にいうと論』よりも、結局、自分の身近にいるその人その人を見なくては判断できない、簡単に判断してはイケナイ問題なんじゃないでしょうか?」

その通りだと思います。
だからこそ、私は、いわゆる普通の人の方が怠けている人が多いとは思えません。

個人攻撃みたいになってしまってごめんなさい。でも自分の経験から言わせてもらうと、そうなんです。

いわゆる普通の人が週5日ただ仕事に行くという事が、人と話をするという事が、どれだけ偉い事か。出来ている人には自覚がないのでしょうが・・・。
だからやっぱり、今自分のひきこもり時期を思い出すと、本当に甘えていたなと思うのです。でも甘えたかった時期だったのだとも思っています。




298: まだ…です。
名前:織田みさお   日時: 2003/03/01 15:48:46

 『自信』が…、自分を信じるプラスのエネルギーが、いつのまにか消えてしまいました。
 過去の自分にシンクロできません。記憶があっても、「思い出」という感じでなくて、まるで誰かのホームビデオでも見ているみたい…感情移入しづらいです。
 毎日同じような生活をしてるせいなのかもしれません。「生活」というには、時間の密度がうすすぎだから…なのでしょうか。
 キツいとき、気持ちが重く沈んでくると、生と死の価値が逆転します。
 生きることは、生きることの息苦しさが このままずっと続くことを意味し(しかもさらにどんどんキツくなる) 、死を選ぶことは、その終わり…です。
 もう終わりにしたい、という気持ちをおさえることはホントにたいへんです。
 以前は「死」というと、ものすごーく遠い国境線にそびえ立つ外壁の向こうがわに、なんとなくあるもの…みたいな感じだったけれど、今では生死のさかい目のがけっぷちに足がかかってて、その真っ暗やみの谷底を じーっと見つめて立っている…みたいな感じです。

 

 でも まだだよ。
 ここまで来ちゃったけど、でもまだ…だよね。目をとじてすーっと前にたおれていくのは…、まだはやいよね。
 どこまでがんばれるかわからないけど、でもまだ何も見つけてない。
 自分はこれだよ !!っていえる何かを見つけて、ホントの勝負はそれからだよね。
 延長18回の裏ツーアウトだとしても、逆転さよならホームランをねらわなきゃ。
 どーせもうここまで来ちゃってるし、やるとなったらどこまでだっていけるよね。
 …ホントの自分の価値が決まるのは、まだここからです。




297: 幼少期の養育に原因あり?
名前:よいさん   日時: 2003/03/01 13:49:11

現在43歳の主婦です。高度成長が始まったといわれる頃、この世に生を受けました。生まれ育った場所も、当時の花形産業・企業城下町。大変教育熱心な土地でした。

現在の若い人のように、完璧にひきこもるということはありませんでしたが、ひきこもりぎりぎりのきわどいところを生きてきたと思います。
今まで自分の苦しみの原因を考えつづけてきて、ホームページにも、いろいろと考えを公開してきたのですが、一度専門家の方に調べてもらいたいことがあって発言させてもらいました。

最近やっと中年にもひきこもりがいるらしいということが認識されてきましたが、その原因として、幼い頃の早期教育があるというのは考えられないか。知識偏重の早期教育が、子供の思考を神経症の方向に歪めるのではないか。これは長い間、神経症に苦しんできた私が感じていることなのですが、神経症と科学の認知思考方法に共通点がありすぎるような気がするのです。頭が悪くてうまく言えないのが残念です。

それと私の記憶では昭和40年ぐらいから、赤ちゃんを絶対に抱いてはいけない。甘えた子供になるから何があっても抱かないで、泣き止むまでそのままにしておくということが、小児科医や助産婦によって広められました。授乳も時間を決めてやるようにとか・・・・。
おなかがすいている時に無視をされ、食べたくない時に食べ物を無理やり喉に詰め込まれる苦しさを考えてみてください。赤ちゃんの苦しみや悲しみを考えてみてください。
こういった背景にあるのは、子供蔑視。幼い子供には感情や感覚がない、ただの肉の塊としてしか見ない。あたかも猟犬を調教するように育てるということが前提にないとできません。
私には、この時期に生まれた赤ちゃんと、ひきこもりをする人たちの時期が重なるような気がしてなりません。

知識偏重の早期教育も、子供にとって立派な虐待だということを、もう少し多くの人に認識してもらいたいのです。

以上のことを専門家の方に調査してもらいたいのです。ひきこもりの人たちの幼児期を。




296: 289のはるひさんへ。
名前:LaLa   日時: 2003/03/01 02:12:15

実は私も、「職探ししようとして求人広告を見ても、電話がかけられない」状態なんですよ。かけようと受話器を取ってみても、心の中の何かが「NO」って言うんですよね。だから、はるひさんの気持もいくらかわかるつもりです。
で、今は、職探しを一旦保留にして、「人生の充電期間」ってことにしてるんですけどね。外に出かけたり人と会ったりはできるので、「半ひきこもり」or「社会的ひきこもり」とも言うべき状態なのかな、と自分では思ってるのですが・・・(はるひさんが自分をそう思っておられないのならごめんなさい。どう判断するかは、人それぞれだと思うので)。
お母さんのこと、大変だったんですね。うちの母親もかつてうつ病をわずらっていて、当時はしょっちゅう「死にたい」なんて言っていて、一緒に住んでるとそういうのって子供の精神に影響してしまうんですよね・・・。これもキツイっすよね。
今、私がはるひさんに言えることがあるとすれば、「自分を責めることはないんですよ」ぐらいしか思い浮かびませんが・・・。
できればお父さんと話し合われて、何とかわかってもらえればいいですね。
私の場合、大学時代に不登校になってから、親との葛藤が始まったのですが、親がうるさく言わなくなるまでには10年以上かかってしまいました。(年がばれる?!!)
なんか取りとめのないカキコですみません。お役に立てばうれしいです。



295: 多すぎる
名前:テツ   日時: 2003/03/01 01:15:28

イギリスやフランスでも人口が1億人もいないのに、こんなちっぽけで何の(物質)資源もない日本が何と!人口1億人以上!

色々なことからあぶれる人間が出てきて当然。「ひきこもり」もしかり。なるべくしてなったことでしょう。

第二次世界大戦後に「色々なものを捨て」、急激な高度成長をしたツケではないでしょうか?




294: お邪魔致しますー
名前:ユウサク   日時: 2003/02/28 15:09:49

ひきこもっている人は自信がないんだと思います。家族や友人に、存在を認めてもらえずに育ってきてしまったから…。本当は学歴や能力に関係なく、「私自身」を見て欲しいのに。



293: 独特な側面を語るためには
名前:不思議な人生になってしまった   日時: 2003/02/28 12:43:54

「自己肯定感」というものが「無い」という状態がどんなものなのかは、「無い状態を経験したことがない」人にとっては、その存在すら、あることが分からないのは当然だろう。
また、今「無い」状態の中で「有る」という状態を”想像しか出来ない”人にとっては、その違いや中身を正確にアナウンスすることは難しいだろう。
「有る」人には、「有る」という居心地基準からしか相手を測る事が出来ないから、怠けにしか見えないし、「無い」人にとっては「無い」という自分の経験の中でしか相手に伝えることが出来ないから、届かないことばかりで独りになってしまうことが多い。
これはかなり”変わった”内容だろう。つまり、お互いに全容が分からない。つまり、お互いがお互いの「経験したことがない」ことを、お互いに見合っていることで接点が見えないという状況がまず在るのだろう。それが見えてくるまでに、長い時間を使ってしまうことがある。
変化が起こった経験のある人間から言わせてもらえば、「有る」人が細かくたくさん知る前から、勝手に決め付けるのはナンセンスだし、「無い」人には、「有る」という状態の方向に向かうことが、一体どんな絡みで起こったり生まれたり育ったりするものなのかが見えてくる方が、とても楽になれると思う。
本当の中身を知らないことを棚に上げて責める程、誰にでも出来る簡単なことはない。沢山関わったり知ろうとする気や覚悟が無いのなら、状況把握する前に、自分の感情を吐きつけたいためだけにものを言うのはやめて欲しい。
ただ怠けているだけなら、どうして誰かに助けなど求める必要などあるんですか?ナルシストっていうのはある意味ではいい感をしているのかもしれないけど、ナルシストはもっと大柄な気がするけどな(笑)。



292: へぇそうなんだ
名前:ぴっくぴっく   日時: 2003/02/28 09:40:11

たまたま、番組を見たんだけど、なんでひきこもりというだけが矢面にたたされてるんだろう?と思いました。

甘えや、怠けなんて言ったら、ロクな仕事もせずにお金とか休みばかり欲しがる人の方が甘えで、怠けてると思うな。
私は多分普通にやってこれた方だと思うんですが、本当に普通の方が甘えで、怠けてる人ばかり。
私の職場に元ひきこもっていた、という人が2人いらっしゃるけど、2人ともとても真面目で、そんなに働いてもいいのかしら、と思うほど頑張ってます。寡黙な方で、不平を聞いた事が無い。
ある時心配になって、「体とか大丈夫?」みたいな事をちらと聞いたんですが、「大丈夫。こういうのはとても楽しいんです。」ってぽつり言ってくれてます。顔もとてもイイ顔をしているように見えます。職場に来てから、およそ2年が経ちますが、根が真面目なんだろうなと思います。
そう思うにつけ、あんまりしゃべらなくて、まじめなのに何故だか辞めてしまった人達も同時に浮かんできて、少し思うところもあります。

それよりも、変に苦労の無い分なのかはわかりませんが、それとなく働きに来ている人の方が無礼で甘口な人ばかり。そういう人達にこそ何か言ってやりたいけど、そういうのは余計な圧力ですから、必要以上の事は言いませんし、言えません。

番組を拝見するまで、ひきこもりは怠けだとか、贅沢だとかという風に聞いてきたので、現実にはなんだか全然違うなぁと思っていました。あるいはそういう苦労があった分なのか、取り戻そうとしているのか、全然私達よりもいいじゃない、って思います。 「一概にいうと論」よりも、結局、自分の身近にいるその人その人を見なくては判断できない、簡単に判断してはイケナイ問題なんじゃないでしょうか?




291: 自分のコトばっかで 「最低」でした。
名前:織田みさお   日時: 2003/02/27 19:20:26

 はじめにあやまってしまいます。…ごめんなさい。
 「身体のキズなんて全然へーき」なんて書いてしまったけど、「心のキズはそうじゃない」って言いたくて、ストレートに書いてしまいました。
 でも、今自分の文章を読み返してみて、『身体のキズ』のことで苦しんでいる人がいたとしたら、そーいう人の心を傷つけたかもしれないと思って、反省してます…。
 自分のコトばっかり言ってて、ひとの痛みなんて全然へーき…なんて、ダメですね。
 ごめんなさい。



290: 「変わってみせるぞお」さんへ
名前:ひろぽん   日時: 2003/02/27 11:52:42

ちょっと、ぴぴっと心の琴線に引っかかったので、お邪魔します。
僕自身の体験から言わせてもらうと、自分を自分の意志で変えるのは難しいと思います。
そうではなくて、周りの人たちと関わっていく中で、「自然と変わる」ものだと思います。だから、本当に変わりたいと思うなら、やっぱり自分の幅を狭めないで、積極的に人を求めるというのが、一番の手段だと思います。自分の意見をはっきり言っている人と友達になるとか、それが結構確実だと思います。

それができたら苦労しねえよ。
そう思うかもしれませんが、なんとかなりますよ。
ありのままの自分を認められるっていうのは難しいと思います。
例えば趣味を持つとかすれば、その趣味に興味を持ってくれた人が話し掛けてくれるっていうのが、理想ですね。
まだ、僕もできてないんですけど(笑)。
何しろ無趣味なもんで。

その場所にいられるための最低限のスキル、そして、自分だけの話題とか個性(そのまんまの)、あと少々のお金もあれば文句ないと思います。

まずは、自分の好きなことにとことん熱中してみたらどうでしょうか。 年上の方だったら申し訳ありません。僕は25歳です。




289: はじめまして
名前:はるひ   日時: 2003/02/27 11:36:46

こんにちは。私はひきこもりではないのですが、ここ数年うつ状態で悩んでいます。
と、いうのも母が統合失調症の末、自殺してから症状はますますひどくなって、3年たった今でも病院に通いカウンセリングをうけ、薬を服用しています。
自分の体を何度もカッターで傷つけ、大量の薬をのんで自殺しようとすることもしょっちゅうでした。
また、私は父親と仲が良くないので、そのことについても悩んでいます。毎日が喧嘩。もううんざりです。いっそ死んだ方が楽なんじゃないかという黒い思考が、頭の中にいつもいます。
一時期アルバイトをしていましたが、3ヶ月でやめてしまい、去年の9月からずっと家にいます。
もうハタチだし就職しなければ…と求人広告をチェックしていても、面接はおろか電話もかける気にもなりません。困ったものです。
親には、もうハタチなんだから自立しろと、口うるさく言われます。私だって早く今の…今までの自分に過去にサヨナラしたい。でもできない…そんな自分が大嫌いです。
3月は母の命日の月です。毎年3月になると、何かこう変になってしまうような気がしてなりません。
何かテーマと違ったことを長々と書いてしまってすみません…。



288: ひきこもるかどうかは紙一重
名前:裕介   日時: 2003/02/26 16:14:20

 テレビ拝見しました。「ひきこもりは誰にでも起こり得る」という言葉は本当だと思います。自分は「ひきこもり」ではありませんが、今思うと、「片足つっこんでいた」時期があり、今もそうかも知れません。
 「自分の身の丈」「情けない自分」を社会にさらすのは、誰でも怖いと思います。でも、怖いけど「その先に」自分の果たしたいことがあるからこそ、それでもやっていくことが出来るのではないでしょうか?ひきこもっていても、表面上は「安定」を得られるかも知れませんが、もっと「大切なこと」を見失しなってしまいます。
 「自分は今の自分でしかなく、本当の自分なんてどこにもいない」と自分を肯定してから、しかるべき自分のやるべきこと、やりたいことに心を向けていくしかないでしょう。自信と結果は後からしか付いてこられないのだから。
 「ひきこもり」は自分独りでは不可能です。「ひきこもり」を支援してくれる人、家族がいてこそだと思います。そんな人たちに報いるために、「自分は何をするべきか」と思えば、「ひきこもる」ことを続けることが正解とは思えないと思います。
 私が「ひきこもり」に片足をつっこみながらも、それでもなお、現実から逃げないのは、「つまらない自分」、「情けない自分」も自分なのだと腹に収めて、「目の前の現実」に立ち向かっているからです。たいしたことじゃなくても、何でもいいから少しづつ手を付けて、「私って、できるじゃん」という感覚を得ていくことが、大きな問題を解決する第一歩です。



287: ナルシスト?
名前:ひろひろ   日時: 2003/02/26 14:59:41

この前の放送を見ました。見ていてすごく腹が立ちました。
住む家もあって身の回りのことをして貰って「引きこもっている」。
そりゃ人は、疲れたら休むことも必要ですが、あえて厳しいことを言います。
ただの甘えん坊です。みんないいわけです。よわむし!!



286: 切実な想いと現実
名前:風(ふう)   日時: 2003/02/26 14:32:35

私は19歳。男です。今は少し時間があるのでみんなの意見を読ませてもらいました。
自分の体験と重なることがたくさんあって、なんとも言えない気持ちになりました。
うつ病、神経性食欲不振症、神経性大食症など、実際に経験した人しか分からない苦しさ、悲しさ、さみしさ、は切実なものであり、本人は生きるか死ぬかのぎりぎりの生き地獄のなかで、必死に生きているということを周りの人は知っているでしょうか。
私が一番苦しかった時は、死のうとしてもそれだけの力がなかった。
上記の病気は私もやりました。そんな人間から言わせてもらえば、「ひきこもりの人をサポートしていこう」なんて言ってないで、今すぐ助けられる体制を大至急作るべきです。
この発言の場をもっと専門家、その他の有志の人にPRし、総合的な情報・発言の交換ネットワークにしていきませんか。



285: 透明な血です…。
名前:織田みさお   日時: 2003/02/26 13:14:41

 一生懸命にバリアを張っているんだけど、プラスのエネルギーが全然足りなくて、人の「言葉」とか「視線」とか、そーいう目に見えない、ものすごい切れ味の「やいば」を防ぐことができません。
 キツいです…。昔は無意識のうちにバリアを張れていたのに…。
 身体のキズなんて全然へーき。時がたてば「…そーいえばあの時は痛かったナ」で終わり。
 でも心のキズはそうじゃない。その時の痛さそのままで、また傷口が大きく開いちゃう。
 もし誰かを 涙が出るほど傷つけてしまったとしたら、それは目から透明な血が流れ出しているんだって思ってほしい…です。



284: はじめまして
名前:ユウナ   日時: 2003/02/26 01:47:25

私は、ひきこもりをした事はありません。
親友や家族にひきこもりの人がいるわけでもないのですが、「生き辛さ」は身にヒシヒシと感じるものがあります。
私は自分の事を傷つけ始めて、もう一年以上がたっていて、その原因が人の中での生き辛さにあります。
どうやって抜け出せるのか、カウンセラーの方と話しても、やっぱり分かりません。
自分が一番苦しい時、周りに誰もいないのが寂しかったりもします。
学校に行ったり、メールしたりすれば、友達と会話は出来るけど、苦しいと感じたその瞬間は、ほとんど自室にいる事が多いです。

自分の経験を生かして、今、臨床心理士になる事を目指していますが、自分自身が経験をしてもいない「ひきこもり」について考える事、たまに「偽善的」とも思えてしまいます。
それはやはり、周りが私の体にある傷に対してかけてくれる言葉が、時に偽善的に聞こえてしまう事からそんな風に思うのかもしれません。




283:ひきこもりじゃないよね。ふゆごもり!
名前:まりちゃん 日時: 2003/02/25 04:16:55

ひきこもりの気持ちって、本当にわかってもらえていないことが、テレビを見て改めてわかっちゃった!
ひきこもりするしか、なかった私たちは、
子供の時に、プレゼントしてもらうことを、貰い損ねたから、あまりにもほしいあまりに、安全に歩ける歩道でなく、すごい早さで車が行き交う車道に歩み出して、はねとばされる。痛い。傷付く。怪我をする。そして、自分が駄目な人間だと感じてしまう。世の中が悪いと信じ込んでしまう。

ちがうよ。ちがったんだよ。
出てきてみてさ、わかったよ。

ひきこもりは、自分を大切に出来る才能。
「イヤなものは、イヤ!」と言えるようになるための自分を認めて、癒して、育て直す時間。

親に求めたって、親だってプレゼントを貰い損ねたから、私たちに渡せなかったんだもの。

人に求めるのはやめて、自分に聞いてみようよ。自分は何が好きだっけ?時間を忘れるほど没頭したことあったっけ?ワクワク嬉しくなることって、なんだっけ?

これから、ひとつひとつ探せばいいんだよ。だってそこに、凍えているのは、春がくるのを心と体が知っているから。ゆっくり眠っていいんだよ。冬なんだから。今まで凍り付きそうな時間を生き抜いてきたんだから。ゆっくり休んで、好きなもの食べて、好きなこと思い出してね。

誰よりも、生きることを楽しめる才能をもったふゆごもりのみなさんへ。

いま、春の準備を始めているまりちゃんより。




282: きついことを云われました。
名前:由乃   日時: 2003/02/25 01:35:55

親戚に言われた一言です。お酒も入っていたので悪気は全くないんだと思いたいのですが、「それって贅沢病じゃん」。ぐっさりと心に刺さりました。
なにも知らないからと言って、言っていいことと悪いこととの区別くらいつけてほしいなと思いました。いくらお酒が入っているとはいえ、それで傷つく人もいるのだと知ってもらいたいです。
大人はなんでも知っているという顔をしているけれど、本当はなにも知らないんじゃないかと思いました。



281: 私は生きようと思います
名前:かずき   日時: 2003/02/24 23:56:45

私はたった今、この時より生きようと思います。
自分を守る為に硬く心を閉ざして、何も感じないように無表情に生きていこうと思います。
私はどこかおかしいのかもしれません。だから生きていく為には心を閉ざさなくては自分を守れないのです。
きれいごとなど通用しません。
私は生きていこうと思います。



280:あれはひきこもりだったのかなあ??
名前:つよがりさん   日時: 2003/02/24 19:41:06

過食症が最もひどかった頃、私は「ひきこもり」同然の生活をしていました。当時はそんな言葉を知らなかったので、最近になって「あれはそうだったのかな」と思っていますが、わかりません。
引きこもった原因は母と兄による暴力でした。過食症が治らない私を母がなじるようになり、やがて兄からも暴力をうけるようになりました。
父が家を出てからは「どうせ吐くのだから」といって食事も与えられなくなりました。私の部屋はごみ箱同然で、足の踏み場もありませんでした。男性相手のテレホンアポインターのバイトを1日に14時間してお金を稼ぎ、1日1回の過食が食事でした。そんな生活が3年間続きました。辛い過去です。3年前、稼いだ貯金をもとに実家を脱出しました。専門学校にも通い、生活も規則正しくなりました。
私のように、家族からの精神的・肉体的暴力が原因で部屋に隠れるようになってしまった場合は引きこもりというのでしょうか?その頃はとにかく自分が情けなくて外出するのはとても嫌だったのですが、お金を貯めて今の生活を変えるんだ、という気持ちが強く、何とかアルバイトに行っていました。ですから、全く外出しないというわけではありません。
両親はともに公務員で、母の期待に背いて畑違いの大学に進学した頃から過食がはじまりました。今も精神的に不安定になると過食してしまいます。



279:ひきこもりがち
名前:ばさばさ   日時: 2003/02/24 16:05:34

福岡に住む25歳の男です。
最近悩んでいるのが、自分がひきこもりつつあるのではないかという心配です。
軽い潰瘍をして、仕事を休んで3週間になるのですが、最初は身体の具合が悪くて、出勤できなかったものが、最近は具合が悪いというよりは気分的なもので、出れなくなっている気がするのです。前日には「明日はがんばるぞ」と、思うのですが、いざ当日になると「今日は無理だな」「明日がんばろう」って感じで、
先に延ばし延ばしになっています。
仕事もやめようと思っていたところでの不出勤のため、とても悩んでいます。
ただの甘えかもしれませんが、同じような悩みを持つ&持っていた方々にアドバイスいただけたらと思います。



278:自分自身の探求生活
名前:ケイたん   日時: 2003/02/24 15:20:16

私の場合、プチひきこもりを定期的に繰り返してきました。学生時代も欠席が多く、その後もずっとフリーターで35年間、きのみきのまま生きてきました。
しかし最近ちょっとした心の変化が起きています。きっかけは、私の周りにとことん私の話に付き合ってくれる仲間ができた事です。私は思う存分皆に話をする事を繰り返し、あげくの果て、何かが満たされたのか、いつの日か私の感情には変化があらわれていました。
それは自然に、突然フッと自分の決まりきっている”考え方のパターン”というものに気がつき、自分で自分の思考回路に飽きがきたと言うか。
それからというもの、以前は外にしか向けていなかった(あれがこうだから、あの人がこうだから、という周りだけをよく分析してそのせいにする)目を自分自身の内側(心の中)に向けてみるという方法がある事に気づいていきました。
それからというもの、自分の生い立ち、自分の家の先祖代々受け継いでいる考え方、時代背景やそれぞれの地域の独特な考え方、等等。冷静に、全てについて事細かく考え、思い出してみる事にしました。
とにかく色々ですが、私の考え方の癖の一つとしては、いつも人の目を気にしていて、結局自分はルックスも悪いし頭も悪いし根性無いし、等等とりえなしで、全て否定的な考え方につなげる癖があると気づきはじめました。
それからもっと自分の精神分析を進めて見る事に挑戦してみました。すると、それは実は恐ろしい逆差別につながるのでは?っと思いつきました。と言うのはそれを逆に考えた時、きっと私は私の様な人を見ると、この人は世の中の邪魔者だとか思っているのではないか、と。実は差別をし始めているのは私自身で、人にきつい、辛い思いをさせているのは自分ではないかと。
そして又その末、たどり着いた考えは、どんな事も誰のせいでも何のせいでも無い、っと思うようになりました。自分を許して初めて、人を許せるのではとも。
何だかこうやって思っている事を文字にしても、凄く全部がたんたんとして聞こえる感じでちょっと嫌になってきますが、もうちょっと話させていただくと、とにかく考えに考えたあげく、今は自分が生きている事さえ奇跡に思えて、全てに感謝したい気持ちでいっぱいです。考える時間を与えてくれているこの世の中プラス私の周りの人々に感謝しています。それがたとえ、他人に解ってもらえたり、見てもらえなくても、何か(たとえそれが私を落胆させる”何か”であろうとも)を信じて、自分自身の探求をし続けて生きて行きたいと思っています。
そんな暇があるならっ・・・?って思いがちですが、私の場合は、自分の精神分析(自分を見つめる事)をし始めてからというもの、そのほうが何事もスムーズに敏速に進むようになっています。とにかく私も何かささいな事でも自分がちょっとでもお役に立てる事がないかと考えられる自分が今はいます。
とは言っても、私は悲観的な考え方を基礎に持っているのも本当で、完璧に違う人間になったという意味では全然なく、そんな自分を認めそれでも自分で自分を可愛がってあげて、前進して行きたいという気持ちに近いかも。
そんなこんなで今は、自分の一生を通じてやっていきたい仕事探しに向けて一歩踏み出させていただいているところです。まだバイトに励みながらですが。最後に親愛なる友人達、家族、そしてこれを書かせていただいた事全てに感謝致します。



277:「わからない」
名前:tetu   日時: 2003/02/24 15:09:48

「ひきこもり」は悪いことなのか?わからない。立場が違うし、私自信ひきこもった経験が無いのに発言して図々しくてすいません。
ひきこもること自体それが楽しいのか?苦しいのか?わからない。何がどうなって、どういう理由で「ひきこもり」が始まるのか?わからない。わからないことだらけだ。
社会的な問題?周囲の理解が必要?理解する必要があるのか?ほっといたら悪いのか?「そういう生き方もある」じゃぁ駄目なのか?人とコミュニケーションがとれないのは悪いのか?親の育て方が悪いと悪いのか?自分がくだらない人間だとわかっているのが悪いのか?自分に自信が持てないと悪いのか?目的のない生き方をしてたら悪いのか?これらのほとんどに自分も当てはまる部分を持っているなぁ。自分の気持ちさえもよくわからんのに他人の気持ちがわからないことは当たり前のことだから、周りがとやかく言っても仕方ないんじゃぁないの?だったら何もしないのが一番なのかなぁ?他人との出会いで立ち直るきっかけがつかめたのは、本人が出会いを求めていたからで、周りに理解のある人がいたのではなくて、理解してくれる人を本人が選択したんじゃないかなぁ?
世の中に非生産的な人間が増えると誰が困るのかなぁ?非生産的な人間になって何が悪いのかなぁ?という疑問を自分に突きつけたりしつつ番組を見させてもらいました。
そして私は、食っていくために労働にいそしむ日々です。



276:ひきこもりは社会復帰したいという叫びだ。
名前:みとっち   日時: 2003/02/24 12:13:53

2月22日放送の『ひきこもり-扉の向こうからのSOS-』。私は過去を再び思い出しました。
両親による過干渉、失恋による自分のふがいなさに対する怒り、抑うつ。首を吊り失敗したのが去年9月。「もう自分には未来がない。生きていたってしょうがない」「こんなふうになったのは親の育て方が悪いからだ」と自分を追い込んで、親を責めていったのです。診断名は抑うつ神経症でした。
番組内で紹介された市川さんのことが、自分の今までの経過と重なりました。精神科ソーシャルワーカーを目指して専門学校に入学。ひたすら精神医学・精神看護・精神保健福祉に関する本を読み人間関係がうまくいかなくなり、自主退学。斎藤環さんの『社会的ひきこもり』もそのひとつです。
現在、退院してデイ・ケアに通っています。人との距離の取り方がわからない。そういう自分を変えたい、気丈な精神を作り上げていきたいと思い参加しています。



275:この世は弱肉強食か?
名前:みかんジュース   日時: 2003/02/23 22:48:57

この世は弱肉強食なのでしょうか。
生物の世界は、弱肉強食ですが、人間は理性があるからそうではない、とは言えないし。でも、本当にこの世が弱肉強食なら、私は今この世にいなかったでしょう。
私の両親は聴覚障害者です。
昔なら、そうと分かった時点で人知れず殺されていたでしょう。でも、今の時代では生きる事ができる。
生物の世界では、障害を持った命はまず、生き残れません。
だから・・・うまく言えないけど、少なくとも人間の世界は完全な弱肉強食ではないのではないかな、と。人間には、情という物があるから、だから、人間なんじゃないかな。
だから、この世は完全な弱肉強食じゃない、人間ってのは捨てたもんじゃない、って思います。
もちろん、障害者には生きる権利があります。でも、完全に弱肉強食なら生きる権利もへったくれもないでしょう。(嫌な言い方ですみません)
この文章を読んで不快になった方がいたら、申し訳ありません。



274:砂漠です…。
名前:織田みさお   日時: 2003/02/23 19:13:32

砂漠の中を日に焼かれつつ、砂を噛みしめながらの ほふく前進…。
 キツいです。



273:悪い奴ほどひきこもらない
名前:ドグラマグラ   日時: 2003/02/23 18:53:14

私は現在パートとして働いていますが、他者との関わりがほとんどありません。特に同世代が苦手です。関わりたくないのです。対人恐怖症です。
世の中、何の哲学もなく、ただ心臓が動いているから生きています、というだけの人間ばかり。心が敏感すぎて歪んだ社会に適応できず、ひきこもる人たちが正常なのではないでしょうか。
ひきこもる人は心が敏感すぎるのでしょう。私も心の優しい人と話すときは楽なのですが、心の汚い人と話すときは吐き気がします。自分自身の投影だとも言えますが。ひきこもる人たちは、生きる意味を求めず、ただ刹那的な快楽を得るために働き続ける、自称普通人、に対するアンチテーゼとして貴重な存在です。
大器晩成という言葉もある。遠回りしていいじゃないか。速さしか求めない社会がおかしい。個々人の能力、特性は違うんだ。
私は高校中退後、約3年間ひきこもりましたが、その間、あらゆる書物を読み漁り、人生の糧を得ることができました。しかし、最大の支えとなったのは信仰です。今もひきこもりたくなることはありますが、先輩たちに励まされて毎日を懸命に生きています。
人との出会いが人生を豊かにする。私はそう思います。煩わしいのですが、挑戦していきます



272:引きこもりの切なる願い
名前:変わってみせるぞお   日時: 2003/02/23 17:03:04

私はひきこもり度が高い人間だと思いますが、私は自分のこの性格を変えられるならば変えたいと思っております。どうせ自分は人前では思うように振舞えない人間なので、ひきこもりのままでいいやと諦める面もあるのですが、引きこもりの性格がなおったらとても過ごしやすい日常がおくられることは間違いないと思っております。
でも人の性格なんてそう簡単に変えられるものじゃないとも考えています。でも私はおおぜいの人の前や一対一の状況でも自分の意見を主張したいという切なる願いがあります。そうなるための手段、方法を私は知りません。だれか私にはっきり自分の意見が言えるようになるための方法、手段を教えてください。
またこういう方法で私は引きこもりを克服したという体験を教えてほしいです



271:ひきこもりが許せない
名前:かさ   日時: 2003/02/23 15:28:16

私には十年近くひきこもっている兄がいます。高校を卒業して一ヶ月位働いていたけど急に仕事に行かなくなり現在にいたっています。
理由は分からないけど、気は小さいがプライドが高いとこがあるから仕事場で何か言われて、それで行けなくなったんだと思います。
気に入らないことがあると家で暴れたりする事が昔からあり、母はそんな兄の思う通りにさせてきました。子供心にろくな人間にならないと思った私の勘は見事に当たりました。
私はここにきている人達の様にひきこもっている本人も辛いのだからとか、そんな心の広い気持ちでは見れません。私ははっきり言って兄が憎いです。あの人のせいで私はずいぶん惨めで辛い想いもしてきました。
どれだけしなくてもいい苦労をしてきたか。母はそんな兄を見て見ぬ振りをしているのか、働きに行けとも言わないし、今後どうするのか兄と話合う事もしません。もちろん相談機関に行く事もしません。私がいくら言っても無駄です。
そんな無責任な母の事も同じ位憎んでいます。ウチには父親がいません。私が幼い頃病死しています。母が働けなくなった時の経済的な事を考えると、私自身が死にたくなります。
だから私は聞きたいです。親は自分の子供だから仕方ないとしても兄弟の気持ちとか考えたことありますか?その人達の人生も滅茶苦茶にするかも知れない事を、親は先に死ぬから居なくなった後誰が面倒見なくてはいけない事になるか、何にも関係ない兄弟に迷惑掛ける事になる事を。
だから私はひきこもっている人も苦しんでるからとか怠けてるわけではないとか言われても、兄はもちろん母の事も一生許しません。私もずっと辛い想いしてきたし今現在もしてます。



270:これから先のこと
名前:ぜろ   日時: 2003/02/23 14:49:51

ひきこもりは、親の問題も多くある場合があります。確かに親にしてほしくないことの掲示板で言っている人の気持ちが分かるし、そのとおりだと思うし、そうならざるを得なかったのだと思う。
でも親ははっきりいって自分の考えではなにもできない。親にかけられた呪縛を、親と一緒に解こうとする気持ちも分かりますが、やはりもう親のことを期待して悩み続けるのは損だと思います。
だから諦めからすべて始まると思う。どこにも完璧な人間はいないし、まして親が立派だという確率はそんなに高くないのです。それであきらめきれて一旦絶望しきったら、今度は親に何を言われようが何も感じないことです。
それは心に決めてほしいです。自分は自分のやりかたしかできない。どんなにくだらないと思われることでも、自分が先にすすむ、何かきっかけに心開いていてほしい。自分はこのやり方で少し変われました。



269:ひきこもりの期間
名前:ゆうこママ   日時: 2003/02/23 13:12:33

はじめてお邪魔します。
私はひきこもり歴も摂食障害歴も長いです。
長ければ長いほど抜け出すのにも時間がかかるのでしょうか・・・。不安です。



268:放送の感想
名前:image   日時: 2003/02/23 11:49:38

傾向として、裕福な家庭、高学歴な例を多く取り上げていて、その点が「ひきこもり」=「働かなくても食べてゆける」=「怠け」という構造を再生産している感じを受けた。
ひきこもりは「怠け」か?というコーナーでも、上山さんの意見はそれに適切には答えていなかった。
僕が以前知り合った人で、家にお金がなくて、自分の部屋ももてない「ひきこもり」の人がいた。
その人は、ひきこもっている時プライバシーもないし、自立したかったのだが出来なく、とても苦しかったと言っていた。
その人の意見なら、説得力があったのに・・・。



267:未達な日本という国と自分を重ねて
名前:アルジャーノン   日時: 2003/02/23 11:46:33

252:ねこさんの発言に同感です。国際社会での日本が、親(アメリカ)離れできない子(日本)に思われます。人間にも反抗期があるように、日本もアメリカに抗議する時期が必要で、それを乗り越えた先に国際社会での自立ができるのではないでしょうか。
内心でアメリカにたてつく日本を期待し、でもそれができない日本の心情も、まだ自立できない自分に重ねると分かる気がして、今の日本に同情してしまいます。
国の自立と人間の自立では同一に並べられないのでしょうが、自立することで失われてしまうものがあるようで、何か怖い。びくびくしている気弱な日本が他人に思えないのです。



266:不遇な生活を送っています
名前:とし   日時: 2003/02/23 11:31:12

僕が不登校になったとき、親は驚きました。責められて、僕の味方にはなってくれませんでした。父は頻繁に酒を飲んで帰ってくることが多くなり、寝ている僕の頭をたたいたり、音楽を聴いていたり、ギターを弾いていたりすると、「学校に行けない奴がそんな事をするのか」と言いました。
高校の担任にも、問題児の扱いに不慣れなせいか、ただ学校に来るようにと促されるばかりでした。
学校を辞めたあと状態が悪いのにかかわらず、アルバイトを始めました。3箇所くらいやりましたが、長続きしませんでした。引きこもりはそのあと続きました。
こういう状態になったのは全く不本意でしたが社会の風当たりの強さから逃れるにはそうせざるをえませんでした。今は作業所に通っています。週一日なので社会参加をしているという自覚はありません。親も高齢化しているし、収入もなく先のことを考えると真っ暗です。
僕の場合、対人恐怖と視線恐怖、誇大妄想に加害・被害妄想というかなりしんどい症状を持っています。楽になれるのは、服薬した時です。

今日の番組でコメンテータが言っていた「人との出会いが大切」の言葉にうなずきました。僕が出会いに消極的なのは、マイナスの面、つまり傷つく事を憂慮していたからですが、いい面もあるのだとそれを頼みに、同じ悩みを持つ人と勇気を出して交流するようにしたいと思っています




265:ひとりは平気。でもやっぱり人の中で生きたい。
名前:菜桜   日時: 2003/02/23 05:47:41

私は18歳です。転勤による度々の環境の変化やイジメなどでもう5年ほどひきこもっています。友達もいないので日々家でぼーっとしています。
心療内科に行ったりカウンセラーに通ったりしましたが、「話ができない」とか「この人もきっと私を非難しているんだ」といった思いばかりが溜まり、自分にはあまり効果がないようです。
挙句の果てには睡眠薬をいっぱい飲んで荒れたりすることもしばしばです。世の中と自分に悲観ばかりしています。家でひとりでひたすら後ろ向きなことを考え、自分を生んだ親を責めたり、普通に生活し楽しそうに笑う人々を憎んだり、荒んでいます。
死にたくてたまらない時もありますが、それでもこんな状態からは抜けたいし生きたいです。
最近はTVや雑誌で鬱やひきこもりがかなり取り上げられるようになり、同じようなことで悩んでいる方の意見や経験談を拝見できる機会も増えたので、いろいろ考え自分とも向き合えるようになってきました。
でも気になるのは、いわゆる「ブーム化」しているような面も見受けられ、逃げや甘えもあり、「そのようなことの全てを悪い!」と言うわけではありませんが、「ひきこもりってなりたくてなっているわけではないし、いろいろ考えたり努力たりしていないわけでもなく、一生懸命なの!」という事の根が見落とされている気もしてならないのです。
人それぞれですが、結局は誰かを責めても仕方ないし自分のせいでも誰のせいでもないから自分を悲観したり親の育て方などを責めても解決はしないと思うです。後ろばっかり向いた嘆き話を聞くよりも抜け出しのきっかけ談を聞くほうが私には自信になります。
ひとりでひきこもっているとどうしても切なくて後ろ向きになってしまうときもいっぱいあるので、いつも前向きに考えたりはできないけれど、好きなことをとことん好きになったり楽しいと思えることを見つけたりして、きっかけを探ってゆっくりでも歩いていけたらいいなと思います。



264:
名前:ねも娘   日時: 2003/02/23 01:56:10

退職を巡るトラブルから、父(68歳)がひきこもりました。お金も時間も自由な身で昼夜問わず、アルコールを飲み、衰弱して入院しました。

 若い皆さんと同じような苦しみを感じているようです。立場も周りもわかっていると言います、部屋に荷物を運び込み、人を嫌う、家族をうるさがる。妻だけでなく子にもあたり、結果落ち込む。

 高齢者のひきこもりは死と直面します。成熟した家族の精神をも崩壊します。
老若男女、ひきこもれる環境があり起きるのでしょう、父の場合、仕事は、唯一まじめの報酬、依存に値するものでした。

 本当の自立は・・広い視野を持つこと。人に期待する前に自分から愛を注ぐようになれることだと感じます。

 混乱中の父は今色々な思いから、泣き死にたがります。
 若い方にも思います、人生は終わる、そして案外短い。少し勇気を出し、挫折を許そう、次のチャレンジをしていこう。




263:ひきこもりなのかな
名前:ぶう   日時: 2003/02/23 00:36:10

夫が会社に行かなくなりました。
かれこれ半年になります。
うつ病ではないようです。
世間に対応できなくなったみたいです。
「ひきこもり」なのかな。
不安はありません。
なぜか予感があったし、そういうこともあるんだなあ、って感じです。
求められれば、手伝いますが、私自身が物事を深く追求し、分析することは避けているので、のほほんとしています。
過去の私は、今の夫と同様に、分析することで、自身を変えられるかもって思っていました。
子育てをしているうちに、考えが変わりました。子に教わったのです。
受け入れて、愛していれば、愛してくれるこということ、自身の心や子の心を分析しても、私の一方的分析である以上、ただの言い訳や理由付けにしかならないこと。
そこから解決策を見いだせた経験がないんです。そこに子育てをきっかけに気がついたわけです。
だから、夫のことも分析しません。
世間に出たくなったら、出ればいい。
出たいのに出られないなら、協力するから、ゆっくりやりましょう。
エリートで、一番が好きな(夫の自己分析)人間なのだそうです。
そういう人もいるのねえ、と私。
こんな妻でごめんなさい。
私は、仕事を辞めずに、同じ日々を送ります。のほほんと。



262:番組拝見しましたが。。。。
名前:universe   日時: 2003/02/23 00:14:39

番組を拝見しましたが。。。根が深そうな
問題と思いました。とにもかくにも家族1単位
だけで解決を図るのは難しそう。そもそも家族
が全て何事も解決しうるという神話みたいなものがまだ存在するように思えるんだけど。。
かといって家族との中間をなす共同体は既に
壊れてしまった。とりあえず両親も社会へ
の接点を持つために働き”カイシャ”奴隷
となるけど、子供は一人で取り残され。。。
というような気がします。



261:現在進行形、でも絶対脱出します。
名前:ハクバ   日時: 2003/02/22 22:48:32

今日TVを見てこのHPの存在をしりました。
私は現在引きこもってます。引きこもることになったきっかけは、小学校の頃のように思います。
どんなことでも否定し、「子供は親の人形でいればいいんだ」と言い切った父親。姑と仲が悪く、「子供さえいなければ別れられるのに」と常々言っている母親。
小さい頃の私には、親の私に対する愛情は感じられませんでした。(今から思い返せばですが)親の気を引きたくて未成年の時から煙草、お酒など人に後ろ指をさされるようことを沢山しました。
でも、それに対する親の答えは、「親にだって世間体があるんだから!」でした。親の自分に対する愛情が感じられず、そこから来るストレスなどで鬱病も経験いたしました。
しかし、そんな私も去年で30になりました。
色々な仕事もしました。
しかし、未だに親にも愛されなかった自分が他人に受け入れてもらえるのか不安で、社会に馴染もうとすればするほど、自分がはみ出ているような気になります。
だからといって、すべてを親のせいにする気はありません。積極的に行動をしなかった自分にも責任はあるのだと思います。
だからこそ、私はこの状況から抜け出そうと思ってます。引きこもってると、引きこもる前よりも外に出るのが怖くなりますから。



260:理想の自分
名前:コウタ   日時: 2003/02/22 22:46:12

私の経験からですが
理想とする自分と現実の自分とのギャップが、とにかく許せないのです。

「自分は、こんなはずじゃない」
と思いながら、ありのままの自分を受け入れられない。

それなら 「現実の社会と少しの間、距離を置こう」
そうしてるうちに、どんどん、ひきこもってしまうのです。

今の自分が許せない、肯定できないというのは
裏を返せば自分の事がとても大事なのです。
未来の自分に大きな期待が、あるのです。
思い描く理想の姿があるのです。

「なぜ、自分がこうなってしまったのか?」 それを、どうしても自分以外の親や社会に原因を見つけたいのです。

ありのままの、今の自分を受け入れられるか? まず、踏み出さなければと思う第一歩が、とても恐いのです。




259:本音と建前。私と社会。世代論。
名前:まな。   日時: 2003/02/22 22:22:30

今の社会のシステムを拒否しはじめてるのが、若者の傾向だと思います。いつの時代もその傾向がありますが。全共闘世代はその始まりでした。その後のシラケの世代・・・ヲタクという現象が生まれた世代でもあります。世代論の違い。
上の世代が下の世代を管理しているのが旧来の社会ですが、どうも、その社会システムとその社会に住む人の感覚の断絶がかなり表面的に見えてきた気がします。ひきこもりは若い人に多い。本音・・本当は仕事なんてしたくない。ラクをしたい。
「自分の気持ちに合わせたい」親に認めてもらいたいのも、何かの価値観に縛られるのも、全部根源は自分の気持ちです。自分の身体、心。それを痛烈に表現しているのが今の若い世代の特徴です。ひきこもりも、外でノリノリで遊んでる人も時代で感じている空気は同じです。そのベクトルが外へ向くか、内へ向くかの表現の違いはありますが、根っこは同じです。
ひきこもりをただの異常感覚、と見ることはもはやできません。ひきこもりの根っこに、今の全ての社会問題の根源と繋がる部分が見えてくるでしょう。なぜフリーター感覚か。就職したばっかの会社をはやばやと辞めるか。なぜ親に依存するが、親のようになりたくない若者が多いか。
同じ人間ですが、世代の感覚は急激に変わっています。上から教育して抑える時代は終わったのです。この部分を意識して見ないと、物事の本質は見えてきません。若者の見ている世界は、旧来の家制度にはもうありません。



258:自己肯定???
名前:のり   日時: 2003/02/22 22:10:33

今、番組を見ていますが自己肯定は私もできません。小・中・高といじめを受けた私は、いいんだと思ってやる事に注意ではなく、からかいと批判しか受けませんでした。
先生や親からはあまりそういう事がなかったのはせめてもの救いだったと思うが、同級生や先輩からは、男女関わらず批判やからかいしか受けてこなかった。
おかげで自分を肯定するにも何を基準に肯定するといいのかわからないんです。自分のやる事に自信なんてもてません。それでいいのか?という疑問ばかりです。
ちなみにいじめのおかげで人との関係をうまく築けません。人間恐怖、特に女性恐怖です。普通に話せても心を開く事なんてできません。おかげで彼女いない歴30年。これからもそうなんだと思うと恐怖です。



257:私もひきこもってます。
名前:コモリ人   日時: 2003/02/22 16:10:09

現在私自身、ひきこもって、1年になります。とにかく怖くて、しかたありません。人が怖いのです。話をして相手にされないんじゃないかとか、ばかにされるんじゃないかとか、思ってしまいます。そう思うと、声自体うまくだせません。私の声ではないように思います。子供の頃から、母親のばかにしたようなあざ笑うような表情をいつもみていたせいかと思います。今では、私の周りの人すべてが、そういう顔で、私をみているように思えてきます。
気のせいだったり、気にしすぎなのかとも思います。でも怖くて、しょうがないのです。消し去りようがないのです。どうすればいいのでしょうか?



256:ノルウェイの森
名前:もつ   日時: 2003/02/22 14:00:45

今、村上春樹さんの「ノルウェイの森」を
読んでいます。
自分の中の言葉にならないものが
この本の中に「表現」されていて
自分の抱えている問題が次々と「言葉」に
なっていって、今ちょっと興奮気味で
これを書いています。

このことをぜひみなさんに伝えたいと
思いました。きっと多くの人が読んでると
思うんですが、まだ読んでないというかた
一度手にとってみてほしいと思います。




255:社会的成長・ふたつの生き先
名前:水彦   日時: 2003/02/22 03:45:08

「『なぜ抜けさせないのか」のスレッドの記事132を書きました水彦です。同スレッドの記事137みました。煙突さんありがとうございます。下記は「抜け出した先の問題」で「なぜ抜け出せないのか」というスレッド趣旨からは外れた話なので「フリーテーマ」であるこちらに書きます。

 趣味に生きたい、好きに生きたい、他人なんか常識なんかもうどうでもいい、という世捨人的な生存ベクトル。一方で、出世したいとかいい仕事したいとか。いい結婚がしたいとかよい家庭を持ちたいとか。社会常識的な生存ベクトル。

 芸術家でもない限りこのふたつが両立しないということです。前者から後者へシフトチェンジ・クロスオーバーしていける人も居るのだろうけど。私は前者で止まった。ニヒルな変人になっただけだった。

 成長。どうなんでしょう。社会的ひきこもりが終わって社会人になるならそれは成長でしょう。しかしひきこもりが終わって世捨人になるのも成長なんだろうか(精神的成長は別として。社会的成長の話です)。

 高校を出て大学を出て就職して、というのは確実にクラスチェンジであり成長です。では不登校・ひきこもりのクラスチェンジ先、成長先とはなんでしょう?

 不登校やひきこもり関連の本を読んでいると、その先として世捨人的な生き方を提示している本が多いように思います。またそういった選択肢が楽だろうとも思います。性格的にも環境的にも。逃げ場としても。適応としても。

 ですが本当にそれでいいのか。ひきこもりから世捨人に納まってしまうのではなく、ひきこもりから社会人に立ち戻る方法はないのか。ひとから遅れてでも出世や業績に生きがいを見出す人生は選べないのか。虚無感をかかえ年下に追い抜かれ「こんなはずじゃなかった」と抜け殻のように生きてゆくのがひきこもりのその後なのか。自分なのか。

 というわけで、私にとってひきこもりの経験はハンデでしかないのです。隣の花が赤く見えているだけかもしれませんが、私は社会常識的な生存ベクトルのほうが人間の本道であり充足であり価値ある人生だと思うのです。そしてそこから完全にずれてしまった自分を肯定しきれない。人間失格とまでは言わないけれど、程度の低い人間になってしまったという挫折感は消えない。




254:今は社会人しています
名前:はるか   日時: 2003/02/22 01:23:02

私は約3年間ひきこもりました。ひきこもった原因も自分の中でははっきりしていましたが、それを解決することができず、今、振り返ってみても生活サイクルがめちゃくちゃでした。
今は、新しい環境に身をおき、社会人として働いて、自活できるようになりました。今、私がこういう生活に戻れることは本当に引きこもり始めたころには考えられもしませんでした。
厚生労働省の「ひきこもり」の定義は「6ヶ月以上自宅にひきこもって、会社や学校に行かず、家族以外との親密な対人関係がない状態」とのことですが、私の場合は家族とも対人関係はほとんどありませんでした。
カウンセリングをしていただいたお医者さんにも心を開けない状態でした。でも、我慢強く私の心をほどいていってくださった先生と長い人生お休みも必要だと言ってくれた母には本当に感謝しています。そして、自分が自分らしくしていても大丈夫だと思えるようになりました。
ひきこもっている方はたくさんいらっしゃると思います。でも、出口はきっとみつかります。ただ…いろいろな理由もあると思うし、葛藤もあると思うけど、ひきこもっている状態に甘えちゃだめだと思います。はじめの一歩を私の場合は先生と母が背中を優しく押してくれたように思います。



253:楽しい春がみんなにやってくるように!!
名前:   日時: 2003/02/19 22:54:45

10歳離れた弟が(現在32歳)、離婚をきっかけに実家へひきこもってから2年が経ちました。

誰か、自分の今の気持ちを素直に相談できるような相手がいれば、少しは気が晴れるのではと思ってやるのですが、友達もいないようだし、両親もそっとしておいた方が一番いいと、本人のペースで思うように生活させているようです。

ひきこもってしまったきっかけは、全然わかりませんが、3人の思春期まっただ中の子供達の子育てを通して考えてみると、私の両親の、私達への子育ての姿勢が、もっとも要因しているのではと思うようになりました。

放任主義という子育てがもてはやされていた頃に育った私達きょうだい4人、商売がすごく忙しく、子供にかまってやれない両親には都合のいい子育てだったかもしれません。
年の離れた弟は、姉の私達に任せ、思いっきり仕事に集中できて良かったかもしれませんが、小学生の女の子による子守なんて自分中心で、いくら可愛い弟でも、いい子にしているときはかわいがる・やんちゃを言えば怒るかほったらかしだったと思います。

仕事に追われている両親は、愛情の代わりに欲しい物は何でも与えてくれましたが、私達の話、特に仕事が一番忙しい頃に思春期だった弟のいろんな心の悩みや変化など、気づいてやる目も心もなかったと思います。

暖かい母親に育てられた主人と出会い結婚し、同居し8人の大家族の中で、愛情に満ちた日々を過ごしている今の私。これが本当の家族なんだ・この幸せな気持ちを弟にも感じさせてやりたい!!!

両親の事を悪く思うつもりはありません。今さら、過去には戻れません。弟はきっとほったらかしにされるのではなく、自分の方をもっと向いて欲しいのだと思います。

暮れに行った時には、部屋の布団から全然出てこなかった弟でしたが、先日娘と寄ったときには明るい顔で笑い声も出るようになりました。
この調子で春には魚釣りにでも一緒にいけるといいね!!!!!




252:日本は、きっと、まだ、育ちきってない国だよね。
名前:ねこさん   日時: 2003/02/19 02:36:25

 久しぶりに、ホームページを見に来ました。読んでるとね、元気をもらえます。
 やっぱり、ここは、個性的です。
 本気でしゃべってる人達が、いる。きっと、かなりの本音が、並んでるんだなーって。それって、時々は手厳しいけど、時々は嬉しいんですよね。わくわくしました。元気をもらいました。だから、「今から、書こう」って思いました。
 TVや新聞が、今騒いでますね? 日本の首相は、メチャクチャ言われてますね。
 アメリカが、どこかを攻撃したいとか、したくないとかで。日本の首相は、野党からも、マスコミからも、国民からも、色々言われて、だんだんイライラしてきたって感じでした。
 かわいそうでした。
 でもね、ちょっと思い出したんです。「日本は、アメリカの愛人だ」と、以前、誰かが言っていました。「下品な表現をする人だなあ」とは、思ましたが。当時は、何とも感じませんでした。
 けれど、ひきこもりの立場に立ってしまった今は、切迫した雰囲気とも相まって、「日本は、まるで、アメリカに育てそこなわれた子供みたい」と感じます。少し殺気立っていて、絶望と悲しみに満ちた目の、無口に生きてる子供のようだ、と感じるのです。なんとなく、そう、感じてしまったのです(これを読んだら、全然すさんでなんかない人は、怒るんだろうなー。でも、私は今、かなり、すさんでるんです)。
 そうなると、首相を責めるTVを見ているのが、ひどく悲しくなりました。私たちは、国ごと全員が、幼くて。誇りを持てずに、不安なのかなあ。だとしたら、誰が悪いんだろう? アメリカは、日本の「お母さん」じゃないよね。でも、日本は、きっとアメリカのことを、「肝っ玉母さん」みたいに頼りにしてしまった。それが長いこと続いていたから、自分では何も考えない子に育っちゃって。最近、急に、大人の国としての対応や意見を求められるようになって。おろおろしている。そんな感じ。
 そんなことを、考えていました。
 国が国の、お母さんになるなんて、あり得ないことなんだけど。でも、日本は、アメリカのことを「お母さん」って思ってるような気がするなあ。そう、考えてました。
 この関係を、「幸せな関係」に変えるには、日本が大人になるしかないんだけど、だからって、急に「なれる」ものかしら?
 年季の入った、ひきこもりの人達だって、両親への色々な感情を、もてあまして苦しんでるのに。日本中の人達は、アメリカへの「お母さーん!!」っていう、ゴチャゴチャした感情を、乗り越えられちゃうものなのかなあ? 何年ぐらいかかるかなあ? 
 深く深ーく考え込むのが、夜の私の傾向なのです。そうしていると、良く眠れます
 (きっと、こういう考え事が「私の好きなこと」なんですね)。
 そして、こんな事を、まとめているうちに、ニ時間が経過してました。他の人は、政治のこととかは、どう思ってるんだろう?
 何してるのかなあ、こんな夜中に。少し、気になりますが、もう、眠ります。それでは、おやすみなさい。
 (今夜は、よく眠れそうです)。



251:人の気持ちがわからない人が多すぎませんか
名前:わかってください   日時: 2003/02/18 13:11:30

ひきこもっている人は、それだけ普通の人以上に人間関係で苦労して、それが限界に達して、ひきこもりになっているんです。
だけども、わずらわしい人間関係から逃げているだけの、忍耐力のない人間としかみられません。
ひきこもりになるまでの経緯など聞かずに、忍耐力がないだの、逃げているだの平気で言われることがとてもつらいです。



250:個から全へ、全から個へ
名前:ひろぽん   日時: 2003/02/17 13:52:22

とうとう、コンビニでアルバイトを始めました。
時給700円で4時間勤務の安いアルバイトですけど、社会勉強、自分に対する投資という意味合いが強いので、こんなもんだろうと納得しています。

僕の家は経済的に苦しく、母のパートが家計を支えています。父とは両親が離婚してから、全くの絶縁状態です。だから、僕の場合は否応なく、自分が働かなければ生きていけないという環境に置かれています。長男としての責務です。

問題意識を個から家族へ、家族から社会へと膨張させていくと、ある瞬間、自分の状況がはっきりと客観的に捉えることができるようになりました。
そうすると、「日本はどうするべきか」という視点から、「自分はどうするべきか」という視点にシフトすることができました。

結局、僕の場合は、「父のようにならない、僕は僕の幸せな家庭を作ってやる。」というところに行き着きました。
親に対する感情の流れは、憎しみから諦め、諦めから同情へと変化していきました。
これから、僕が自立して自分の人生を歩むことができれば、きっと感謝へと昇華させることができると思っています。

親に支配されていると考えている皆さん、解放されるために一番の手段は、親から感謝されることです。
憎悪の螺旋に囚われていても、それは自分自身を親のもとに束縛するだけだと思います。親を嫉妬させるような自分の世界を築いて、成果を出しましょう。

自分自身が幸せになって、親に感謝されるようないい息子、娘になりましょう。
その時こそ、親から離れることができると思います。

僕は変化の兆しを今感じています。




249:ひきこもり。私はそうなのだろうか?
名前:装威   日時: 2003/02/17 01:58:37

このサイトによると、厚生労働省の「ひきこもり」の定義は「6ヶ月以上自宅にひきこもって、会社や学校に行かず、家族以外との親密な対人関係がない状態」とあります。
私は、中学に入りすぐ、学校に行かなくなり、それに対し私の母であるあの人は、最初優しそうに「何で?」「いじめにあった?」など聞いてきました。
しばらくすると、どんどんいつものように辺り散らかすように態度を変え、色々言ってきました。
別に中学で「特別」な何かがあったわけではありません。あえてあの人の問いに今答えるならば、小学2・3、果てはもっと前から、と思います。
あの人は父とよく喧嘩し、怒鳴り声をあげ父の所有物に「暴力男」など書いたり、勝手に捨てたり投げたり、私達姉妹の世話もろくにせず、パチンコだ酒だと当時からしていたようです。
父は仕事で疲れているというのに、私たちの世話をしてくれてました。しかしそんな状況で父が持つはずもなく別居、離婚に至りました。
間もなくあの人は再婚し、その相手を「お父さん」と呼べと言ってきました。
初めて会った時も酔っ払っていて、そんなやつと口も聞かず過ごしていたら、すこしずつ夜中に起こる喧嘩の回数が増し、姉が泣き、二人は怒鳴りあって暴力を振るいあい、そしてしばらくすると、決まって止めたくて、喧嘩してるすぐ側で怖いが泣く事もできず、ただ事を見守ってるだけの私に、祖母を呼べと言います。呼ぼうと受話器を取ると決まって、電話線を引っこ抜いたり、電話を破壊します。子機を使い呼べば、祖母は夜中だというのにきて、双方をなだめ話し合いをさせます。今思えばそれは祖母が「大ごとにしたくない」と平穏を求めてるからなのでしょう。
根本的解決はせず、その場しのぎをするのです。2階で狂ったように泣く姉をなだめ、喧嘩をとめ、必要とあらば家に泊まり、朝帰っていく。
そんな中、学校へはあの家から逃げるためだけに通ってました。余裕などなく、平気でキレたりしたら友人やクラスメイトを殴っていました。
それで傷つけてると知りながらも、授業中、前でしゃべってた声がうるさく静かにしてと言えば、言い返してきて、たかがそれだけなはずなのに、私は手元にあったボールペンで彼の手を刺してました。
その後我に返ったように反省、後悔し、そして自分に恐怖を抱き始めました。謝り、その後あまり大事にもならず、多少の噂のようなのが流れましたが、なにもなかったように流れていきました。
その頃からどうしても、学校に行き普通に笑ったり喋ったりすることが、無理に感じると適当にサボりました。
母や先生がうるさかったが、それでも構わなかった。
そうこうしている内に生きる意欲を失い、登校拒否をしていたら姉までも学校へ行かなくなった。
しまいには、姉も私もずっと1日中部屋で過ごし、夜11時頃下に降り、少し食べ、すぐに部屋に逃げるように行き。
もともと姉と私の間ではお互いを想いあったり、慰めあうだとか助け合うということもなかったのですが、自然と部屋を訪ね夜を部屋で過ごし、夜が明けたら帰っていくようになりました。
その間、ピアノと父に会いに行く事だけはきちんとしていたのですが、父に不登校がわかり、いくつかの騒動があった後、父に引き取られました。
そうして2年が過ぎ、姉は学校へ行きだしたのですが、私は怖くてずっといってませんでした。玄関の扉が重く感じ、買い物にも行けず、人前でるのをなるべく避けていました。
少しずつですが、市外の離れた所には行けるようになってきて、学校にもついこの前から1・2週間に一回くらい、相談室というところに2時間、授業中の人気のない時を狙って行っている。
そうして、もう家のなかで過ごす時がだいぶ経つが、いまだ分からない。私のことを引きこもりと呼ぶのか。この家族は多少なりともおかしいのではないか。姉は幸せになれるか。私がいなくなれば、この人達の不安は消えるか。死ぬことで「楽」なるのか。死ぬことは逃げなのではないか。もう二度と昔のように4人で過ごせないのか。
私は家族が嫌いです、同時に哀れみを感じます。そして幸せになってほしいと感じます。そして今どうするべきか悩んでます。
あの人から必要とされないできて、存在理由などというものをさがす自分は「ダメ」なのか知りたい。



248:凄い
名前:rain   日時: 2003/02/16 16:00:00

これまで、自分程頑張って生きてきた人間は、どこにもいないと思って生きてきた。
他人に認められる認められないではなく、もしも自分と全く同じ境遇で、全く同じ感じ方をして生きてきた人間達が何十人何百人と居たとしても、ここまで生きてこれたのは、絶対に自分一人だけだと思ってずっと生きてきた。
ここのHPに来て色々読んで、沢山頑張って生きている人が大勢いるんだという事が分かった。
人間が考える事ってそんなに変わらないんだなって思った。
今まで友達が出来ても、絶対に全てを分かりあえる人間は存在しないと思っていた。
寂しいと感じた事はなかった。
自分は特別な人間なんだと思っていたし。
優れる劣るではなくて、自分は別の考え方、見方をする人間なんだと思っていたから。
他の人間は皆同じ世界にいるように見えた。
自分ひとりだけが、物心付いた時から別の世界の住人だった。
出来れば皆と同じ世界にいたかったが、見方も感じ方も大きく何故か違ったから無理だったんだ。
これは生まれつき。
私が別の世界に住んでしまうようになったのは、本当に幼い頃からなんだから。
他に言いようがない。
出来れば生まれてきたくはなかった。
私が本当に幼い頃、他の人間達と違う世界が出来た事が、憎くて悔しくてたまらない。
社会がずっと憎らしかった。
反社会的な人間になって、私の苦痛を味あわせてやりたいとも思っていた。
生まれつきといっても、両親達のせいではないのだとは思う。
子供の頃から、私は他の人間とは感じ方が全く違った。
いくら周りを見回しても、自分と同じ感じ方をしていると思える人間達が全くいなかったんだから。
私だけ過剰に深く深く傷ついてしまう、やっかいな人間だったらしい。
本当に幼い時からそうやって苦しんできた人間もいる・・。
ちょっとテーマと違ったらごめんなさい。



247:生き難い!
名前:冷鬼   日時: 2003/02/16 02:31:52

生き難い!生き難い!生き難い!生き難い!生き難い!
普通の人にはわからない生き難さってあるんだよ。
精神科医とか心療内科に行って、「ほら言ってみな」なんて言われて簡単に言えるわけないじゃん。
変えてほしいことがたくさんある。世間体とか、常識だと思われてる腐った規則とか。
それに生き難い法律とか。人を守るためにあるはずの法律が、なぜ、人を傷つけたり生き難くさせるの?わかんないよ!



246:
名前:TOM   日時: 2003/02/13 18:54:55

なんで「ひきこもり」ってゆうんですか。
他の呼び方ないんですか。
なんかこの響きイヤです!



245:矛盾
名前:かつお   日時: 2003/02/13 00:53:05

 私は4年前、数ヶ月間ひきこもっていた。外に出て喋りたいのに人と会うと萎縮してしまい、生活は昼夜逆転していた。誰にも自分の思っていることが通じず、願っていることとは正反対の方向に物事が進んでいた。
 心療内科に通ったけれど、いくら相手は医師だといっても、初対面の相手に、友達にも話せない悩みは言えない。医師はカルテに私の話を書きこんではいた。でも親身になってというよりは、仕事だから仕方なくやっている、というのが分かった。何日間もカウンセリングの間黙り続けていると、入院しなさいと言われ、驚きのあまり私は、「こんな人の言うことをきいてはいけない」と思った。通院をやめ、薬をやめてから外に出るのが怖くなくなった。
 私はひきこもっていた間に、自分のやるべきことやこれまで気付かなかったことをよく考えた。成長できた体験だと思っている。それでも私がひきこもっていたことは、仲の良い友達にも言えない。言って偏見の目で見られて、友達が私から離れていくことがこわい。自分を正当化するというのではなく、この矛盾を解決する方法が切実に知りたい。



244:社会病理
名前:正しさとは何?   日時: 2003/02/11 22:54:49

政治家も公機関もあてにならず、
会社は不正を隠してでも生き残りに躍起になり、
学校はおろか、会社でも差別、いじめで溢れ、
人を騙してでも自利に走る商売が横行し、
もはや信じられるのは金だけで、金が有るか無いかが強さであり価値基準。
何かにつけて(職業・学歴・年齢・性別・趣味・格好・体格・国籍・経済力)
上下基準をつけて人を測り、下を嘲り上を妬む。
個性的であることを漠然と望み、個性を認めない。認められない社会。
理解できない奴(少数派)は排除する。自己保身のため排除しあう。

私の偏見です。
社会に出て働いている方、「そんな事はないぞ」と言えますか。
「あまえるな、そんなものが社会だ、日本だ、そんな世の中で生きているんだ。」
と諦めてしまえば、おそらく"ひきこもり"は増える一方でしょう。

他人は信じられない。
他人は自分を陥れる敵。
他人を信じられなければ、自分も信じられない。
医療機関も金を取るだけで信用ならない。
会社は怖い。
学校も怖い。
生きているのがつらい。
死ぬのも怖い。

出来れば自分の力でなんとかしたい。
世の中を変えてみたい。
でも出来ない。
何をしたらいいのかもわからない。
だから私はひきこもる。
ひきこもることしか知らなかった。出来なかった。




243:例えばこんな考え方
名前:ひろぽん   日時: 2003/02/11 00:35:26

ひきこもりを社会のせい、家のせいというのは
簡単だと僕は以前ここで述べました。

ただ、僕がそう思えるようになるまでには、
当然、長い精神的な道程があったわけで、
不思議な人生になってしまったさんがおっしゃって
いたように、自己と「普通の他者」との
距離感というものがどこから生まれ、その
「差異」が何なのかを、明確に自分なりに把握
する必要がどうしてもありました。

そのためにはきっかけが必要で、それが僕の
場合は「都心への就職」でした。
4月に新卒として入社して、11月に会社が
傾きかけた時に辞職するまでの7ヶ月は、
僕にとって想像を絶する臨界体験でした。

生まれたばかりの赤ん坊が、いきなり大人扱いを
されるその恐怖は計り知れないものがありました。
その中で僕がいかにプロセスを抜かし、
空白の時間を過ごしてきたかという、徹底的
な敗北感を味わいました。

僕にとってその差異は、「経済格差(貧乏人)」であり、
「地域格差(田舎者)」であり、
「情報格差(世間知らず)」であり、「家庭環境の差
(父親は下半身付随、両親は離婚)」であり、
「経験の差(ひきこもり、恋愛経験ゼロ)」でした。

きれい事抜きで、本音を話しますが、
僕は日本社会がひきこもりを生み出したという
文脈が存在するならば、その原因は、
「建前上の平等」、「建前上の普通」という概念が、
実際に存在する社会的な弱者、強者を傷つけ、
それを隠れ蓑にしてうまい汁を吸っている
「真の強者」が存在しているということに尽きる
と思います。

「経済成長」により、みんなが豊かになった。
みんなが普通に右肩上がりに生活水準が
向上した。そんなことはありえないです。

実際には、高度経済成長というのは、僕は、
「平等」から、「不平等」への転換期だったと
考えます。しかし、日本社会は差異を隠蔽
することにより、国民的一体感を高め、
その不平等があたかも存在しないかのように
振舞ってきました。

それが多様化を認めない教育であり、組織であり、
自由の利かない官僚主導の社会主義日本
だったと考えます。

「人は不平等だ」と、「人は多様なものだ」と
はっきりいえない社会の文脈が、存在しない
「普通の人像」を構築し、実際には優れた才能
を持った人や、社会的弱者、といった異質と
される人たちを差別する結果となったのでは
ないでしょうか。

だからこそ、言ってほしい。
「人は不平等だ。」と。
「人は多様な個性を持っている。」と。
生半可な平等幻想でお互いを妬みの視線で
監視しあうのはもうたくさんだ。
きれい事ではない本気の絶望からこそ、希望は
生まれると思います。




242:人生やりなおせる?
名前:紗羅   日時: 2003/02/10 14:03:08

わたしはひきこもって約5年。
外には出れるしなんとか電車にも乗れてる(視線恐怖とかあるけど・・・)。
通信の高校にも行ってるけど、今は体調が悪くて行けてない。別に学歴がほしいわけじゃない・・・。まわりが行っておいた方がいいっていうから行ってるだけ・・・。
ここのホームページには沢山の書き込みがあって、みんな自分のしっかりした意見や信念を持っていてうらやましい・・・。わたしはそういうのがないから、しっかりした意見をもってるひとがうらやましい・・・。
ここのホームページで、テーマはちがったかもしれないけど、20ならまだやり直しがきくって書いてあった・・・。どういう意味なんだろうか・・・。人生やり直せるってどういう事なんだろう・・・。あたしでもやりなおせるのかなぁ・・・。



241:不思議な人生になってしまった
名前:依存の中身   日時: 2003/02/09 23:50:12

昔「にんげんゆうゆう」で、「依存」をテーマにして番組を放送していたことがあった。
アルコール依存、ワーカーホリック、夫婦間の共依存、接触障害という依存形態。依存というととても悪い響きに聞こえるが、いってみれば依存がないと自分を支えられないという一つの心理態であるから、一般的に言う平たい部分の甘えほど簡単なものではない。
子供の頃の依存が、成熟しきってないとも言えるのだろう。感情に対しての、周囲の人間の肯定反応に”依存して”、肯定反応を取り込むことで自己を自然と肯定していくらしい。本人にとっては感覚的「依存しなくていい状態」を実体験で知らない、わからないという中にもある。
どの形態であっても共通しているのは、やはり「無意識で肯定出来ないが為に、そのバランスを取るのに外的なものではけ口を作ったり、補填したりする行為を延々辞められない」というのが「核」の部分。
各々の「仕事に過剰にのめり込みすぎないこと」「接触障害を辞めること」「アルコールに走らないこと」などの外的行動”だけ”を止めようとしても、それらは「不安心理からの代償行為」であるので、「不安心理(自己を肯定出来ない)」の方が無くなるわけではない。
特殊な癖の場合は、それを止めることも同時に進行しなければならないが、そもそも心の方に向き合うこと無しに終わりは来ない。その経緯や形は、一つも同じでない人生から出てきているので、様々なバラエティはあっても、結局は「自己肯定感が持ててなかった」というところに辿り着くのだろう。
人の気持ちが見えたり共感出来るのは、何も偉いからじゃない。ただ目を向けられるだけの自分の安定を先に済ませてしまっているだけの話。それと同じ事が、依存すら持てずに起こってしまっている一つが”ひきこもり”という形で、自己肯定感の無さから周りのことが「自己の存在を補填するか、それとも駄目にするか」という材料としてしか、無意識で認知出来なくなっているのかも。



240:核の部分
名前:不思議な人生になってしまった
日時: 2003/02/05 02:30:23

「我が家のひきこもり体験記」、広島Dさんの内容を読ませて頂きました。
私はよく、こちらで何かと書かせていただいておりますが、ひきこもりの「核の部分」が、詳しく理解されていくことをとても願っています。
それを今回の方も綴っていらっしゃると思います。
それは、人間の「万人に共通する健全な心の成長」の枠で語れるものだとも思っているし、私の場合は、それを学術的な資料の形を探し出して、自分の体験を重ねて実感しているところがあります。だから今回の広島Dさんの話が、「ひきこもりの形を取っていないから当てはまらない」とも受け取らなかったし、むしろ、自分と核の部分では同じ体験であることには変わりないと読み取れました。
体験記を書かれている方は、色んなキッカケで、ある程度の流れを経ることが幸いにも出来た方々でしょうから、経験の中から以前の自分の本当の核を、「別の視点が生まれること」で見えるようになり、何だったのかを知ることが出来る地点にいるのでしょう。私の経験からも、そうなれる前までは「自分の状態」を客観的に把握することは無理でした(「いわゆる普通の人との違い」を表せる文章の形を、頭で探っていたけれど、物事は比較対照出来る別のものがあってはじめてもう一方が語れる形になるから、その変化が訪れないとなかなか本人に見えてこないでしょう)。ある意味では、心の核の部分の琴線に触れる出来事(的を外さずに響いていくるもの、真摯的な向き合い、信頼の上での関係)を通して心が動くことで、”感じ方”が変化する中、「そのちょっと前の自分」を少しずつ違う地点から、自然と知覚出来て理解出来ていくことの繰返しでした。
多分、ひきこもりじゃなくても同じ「核」を持つ形態は、幾つもあると思うし。
その「核」の部分(真に自己の肯定が出来ないという苦しさ、それが肯定できるようになるための生の感情をキャッチする対象との関り)の方の変化を求めないで、いくら外的に見える部分だけを取り戻そうとしても、同じ繰返しになってしまうし。そこに、幸いにも早く気付く機会があった人が(物凄く愕然とするんですけど、今までの自分の認識が何だったのかが同時に解ることでもあるので、人生や時間をその認識一色に奪われて、まるで騙されていたようなショックがあるし)、「心のトラブルの核」に焦点を当て始める行動に移っていけたのでしょう(外をどうこうするんじゃなくて、心の中のことを一番伝えたい人間にぶつけるとか、そうすると同時に、知らなかった自分の感情が表に出てきたりする)。
抑圧だの無意識だの、難しい理論的な説明は専門家にお任せします。でも、空を掴むようなことでなく、説明出来るという部分での把握は、必要なことだと思っています。



239:ひきこもりの原因は学校教育から
名前:真面目
日時: 2003/02/05 15:32:37

現代の社会の病理と化したひきこもり。国が対策に乗り出しているそうですが、まず日本の教育に目を向ける必要があります。私は20歳ですが、受けた教育には疑問を感じていました。
狭い教室の中、大勢の人数で授業を行い、生徒、先生にもストレスが溜まり、いじめも横行していました。生徒全員に同じ教育をしていたことが、大きな間違いだったと思います。これでは学校の体質に合わない者も出てくるのは、当然ではないですか?それともあなたは、その者を怠け者、堕落者と呼びますか?
生徒ひとりひとりに配慮した教育は、不登校問題も、さらに発展したひきこもりの問題も解決に導くかもしれません。昨今はゆとり教育、学力低下などが叫ばれていますが、まず総合学習などの時間で「生きる意味」「生きていく力」などを教えるべきです。少なくとも私の時代でそういった行動を示して欲しかったです。
これ以上ひきこもりを生産しないためにも、学校教育に力を入れるべきだと思います。



238:ハードコア
名前:しぇるてぃ   日時: 2003/02/04 08:45:03

20代後半のハードコアひっきーです。

月に一度も外へ出ないこともめずらしくないくらいのひきこもり。

不安はもちろんあるわけで、毎日自殺してしまおーぜと、考え、ぶつぶつと独り言を言ってます。

そのわりには、葛藤は人より少ないと思います。
母親が長期入院してからは、(丁度homeという映画のような状態)とにかく何もかもめんどくさく、普段は深く考えないようにしています。

というかそういうふうにしていると、あらゆる欲求が衰弱していくような感じもするけどね。

したら、心療内科の医者に少しは考えろと言われて、あんときゃむかついたけどね。
でも、どうでもいいけど。




237:近況
名前:トーマ   日時: 2003/02/03 19:55:38

投稿がたくさんあるので、その中のいくらかを読みました。
以前の僕はしんどかったけど、今は少し甘えてる気が確かにします。だから、なるべく週末は出かけるようにしています(家族とですが)。ただ学校とかアルバイトはまだ無理です。人がいるところに長時間いるのは落ち着かないし、対人恐怖症で視線が気になります。
今は家でパソコンの通信教育と、テレビの英会話をなんとか続けています。あと教会の掃除には行ってます。近況はこんなとこであまり前と変わっていませんが、、、。



236:一生一人山奥で自給自足生活
名前:ホームレス   日時: 2003/02/03 16:42:08

 はじめまして。私は京都府在住の二十二歳の男性です。
 人づきあいが苦手です。そしてなにより人嫌いな性格で、昔から一人遊びが好きでした。
 希望ややる気がなく、生きる気力すらありません。毎日自暴自棄です。
 「一生一人山奥で自給自足生活」しか考えられないです。働く気はあるんです。でも普通の所は不可能でした。内職も信用できないのであきらめました。今は就職支援情報を必死で探しています。
 「誰か助けてください、お恵みを。」と本気で言いたいですね。



235:就職について
名前:かっつぁん。   日時: 2003/01/29 09:17:01

ぶっちゃけた話、おいらは31才のヤロウなんだ。
でもね、大学3年のときにやってたバイトで、交通事故に巻き込まれて頭に大ケガしちゃった関係で、その後遺症が最近になって出てきちゃって、キチンとした仕事につけないんだよ。もう何度も転職しているよぉ。

運転免許も取上げられちゃったんだ…。
おいらの住んでるところは、交通機関がそれほど発達していないからね。よけいに“ひきこもり状態”なのかな、今は。

“障害者”ってことで、この年齢で既に基礎年金が“障害者年金”という形で貰えているから、多少は助かっているんだけど…。

でもタンス内のスーツを見ると懐かしいね。ネクタイを締めて、早いうちにまた働きたいなぁ!




234:焦燥
名前:みるん   日時: 2003/01/29 00:53:24

なにか、あせる。
漠然と、あせる。
なんかしなくちゃ、しなくちゃ・・・

私はがんばらなくてはいけない。(目的も無いのに?)
取り戻さなくてはいけない。(一体何を?)

あせるせいで、かえって何も身に入らない。

しょうがなくて、そういう時、意味もなく体操をしてみたりしていた時期もあった。苦しくて苦しくて、そうする以外やり過ごす方法がなかった。

「焦燥感」という言葉も、はじめは知らなくて、自分のこういう状態を形容する言葉が、わからなかった。

ネットにつながってから、他の人の書き込みで「ぼちぼち」という言葉を時々見かけたが、ひと事のように読んでいた。

少しずつ、それは私にとっても、大切なことだと、自覚するようになってきた。そのうち「ぼちぼちやっていこうね」、と言葉をかけてもらったりすることも出てきた。

気付いたら最近は、わけもなく体操をすることもなくなった。

でも、ちょっと動きすぎると、その名残が出てくるかな。「もっともっと、まだまだ足りない、もっと!」という感覚に、陥っている自分に気付く。

今は調子の悪い自分を許したり、認めることの感覚を探している。

刷り込まれた価値基準に、もう乗せられないように。人の価値基準に応えたつもりになっても、もうそれを刷り込んだ人は、この世にいない。

私は、私を生きよう。
でも、それってどういうこと?
それを探しています・・・




233:はしはたさんへ
名前:ひろぽん   日時: 2003/01/28 21:11:31

はしはたさんの意見を見て、なるほどと感じました。
ひきこもりの定義は6ヶ月以上家を出ないで、
社会的接触の無い状態だとされているだけで、
それ以上のことは何も書かれていません。

僕の場合は高校卒業後、大学に入って3年間、
2週間から1ヶ月に一度、人の視線に恐怖を
感じながら、大学に通い、
友人も一人もいないまま過ごした状態のことを、
あくまでも便宜上「ひきこもり」と指しているだけです。
実際、精神的に立ち直ったのはごく最近のことです。

このホームページにあるとおり、ひきこもりには
PTSD、統合失調症などの精神疾患が背景にある
場合や、学習障害などの発達上の理由を背景に
したものや、僕のように社会的挫折を背景にした
不登校などの理由があると思います。

状態を指す言葉なので、病気とは違い原因が
それぞれに違うと思うのです。
ただ、個人的に意見を言わせてもらうと、
何らかの理由で「社会の中での自分の違和感」
、「社会の中での自分の異質感」に苦しんだ
人がひきこもりに走ったという点では、共通する
ものを感じるような気がします。

また、「出たくても出られない」のか、
「出られるけど出ない」のか、ここで大きな
区分ができるように思います。

それ以上の分類は、おそらくあまりに多岐に
わたりすぎてしまい、不可能なような気がします。
自分の状態をどのひきこもりかという類型に
あてはめて考えるよりも、その人自身が自分
の問題をひきこもりだと規定し、それを解決
するためには何をしたらよいのかと考える
ことによって救われるならば、重い、軽いとか、
それはひきこもりではないということは、
あまり意味のあることのようには思えません。
だからひきこもりのサポートって難しいん
でしょうね。総合的な対策ってあるんでしょうか。
だから、その人自身がひきこもり体験を
語り、共感する人がそれに応えるといった方向
が、今のところは限界なのかもしれません。

失礼な意見を言いました。ごめんなさい。




232:>タケさん
名前:LaLa   日時: 2003/01/28 17:38:26

今はとりあえず、「自分にとって気持いいと思えることを、思い切り追求していい時期」なんじゃないでしょうか?書き込みを読んだ印象だと、親御さんもそのことをとやかく言われることはないでしょうし。
そうやって追求していく中から、「これからどこへ進んで行けばいいか」が少しずつ見えてくると思います。(時間はかかるかもしれませんが)
今の私は、それがおぼろげながら見えてきたところです。



231:サンダーバードさんへ
名前:21世紀の絶対温度   日時: 2003/01/27 23:22:38

日本のくだらない常識で、自分を否定して人生を台無しにしてほしくないです。サンダーバードさんやこの掲示板に書き込んでいる人は、日本社会の嘘に気づいていて、有能な将来のある人だと僕は思います。企業や役人の不祥事など、どんどんあかるみになり偽者は淘汰されていくと思います。21世紀は、本物が残り良心が問われる時代になり、サンダーバードさんみたいな真面目な人が報われる社会になると思います。
「にんげんゆうゆう」で、キンジストロフィーにかかった女性が、筋肉が動かなくなり死に向かっているけど、自分にできることを見つけてチャレンジしていました。人間やれば何でもできるんだと思いました。サンダーバードさんもなりたい自分、挑戦したかったことを挑戦してみてください。自分の人生は自分しか背負えません。ぜひ自分の人生の主人公になってください。



230:説教調の無駄な投稿を避けるためにも…
名前:はしはた   日時: 2003/01/27 16:15:51

ひきこもりサポートキャンペーンの対象者が広すぎるというか、漠然としてはっきりしなさ過ぎると感じませんか。

社会問題としてのひきこもりのほかに、社会現象(流行)として、ひきこもりという言葉を使ってみました、みたいな投稿がちらほらとあるように思います。

ひきこもる、という単語自体は昔からあるでしょうが、この言葉がカバーするほどの多くの人について問題として認識し、援助をしようという話ではないのでしょう?

せめて、こんなひきこもりがあって、社会問題と化しているのは、こういう状態のものなのだという「分類」をできるだけはっきりさせることは重要な作業ではないでしょうか。

念のために言うなら、排除のための分類ではなく、相互理解のための分類として。




229:自分からは変われない・・・
名前:タケ   日時: 2003/01/27 10:44:03

高校卒業後から引きこもり、今年で22歳になってしまった・・・。

最初のころは、親の理解が得られずに荒れていましたが、今では両親も諦めてしまいました。

ここしばらく、僕の生活形態には変化がありません。
このまま年をとっていくのかなと・・・。

ただ、他の方々の書き込みを見て、似通った人たちがいるのかなと思いました。

もう少し社会的に認知されたりして、なんとか外部からの接触がないと、自分もこのまま人生過ぎ去ってしまうような気がします。

この掲示板を眺めて、互いに慰めあっていても気休めにしかならないんだろうか・・・。

今日もまた、堕落した日々が続くか。




228:何でもやってみませんか?
名前:ゆづみん   日時: 2003/01/26 15:03:39

2ヶ月前にこのホームページを見つけて、2回投稿しました。年が明けてから自分に合いそうな仕事を見つけて応募して、入社して1週間経ちました。予想通り自分が自然に仲間はずれになり浮いてくるのが、よく分かります。何故なら勝手に行動し考えるくせがついてしまっているから・・・、と自分でも理解はできるのです。でもそれが何だというのでしょう?仕事をやり始めたからといっても、それが自分の人生の全部になるわけではありませんし、職場の人に特に意識を向けずとも仕事はできます。幸い忙しい職場に入ったので、時間があっという間に過ぎて、自分の自由な時間にやりたいことにもプライオリティーを持てるようになりました。日本の女の人は何歳になっても仲間はずれを怖がるものですが、本当にやりたいことが出来たら、嫌われても自分を大事に出来ますよ。それが個性というものなんですから。



227:ひきこもりになってから解ったこと
名前:チョビ   日時: 2003/01/24 22:32:29

私は中学校時代にろくに友達もできず、先生からも見下され、高校の時にいじめに遭い、友達もできず、留年してまたいじめられて友達もできなくて中退したという人間です。
もう2年ぐらい家にひきこもり、外に出るのも怖いという状況でした。
闇の世界から逃れたと思ったら、また闇の世界でした。
ひきこもりになって解ったことは、自分を見つめ直せる点です。自分を客観的に分析できるところは、素晴らしいことだと思います。ひきこもりの人は、自分自身のことをよく理解している。
私がひきこもりの会合に行った時は、皆さん堂々とお話されていました。
ひきこもりの人は、繊細な人が多いのだと思います。周りに気を使いすぎて頭が混乱してしまう。
だからもっと心臓に毛が生えるではないけれど、もっと図々しく生きるぐらいが良いのではないかと思います。



226:対応する側も進歩してほしい
名前:シンビジウム   日時: 2003/01/24 11:03:44

 私は、いままで、複数の精神科医、複数のカウンセラー、複数のソーシャルワーカーなどとの間で、相談場面、支援場面を通していろいろと経験しました。
 そのなかで、こうしたことを言われているよう感じてきました。
 「私(たち)は、これだけのことをしている。あとは、あなた自身の問題だ。」
 対応する側もゆとりがないでしょうし、知恵をしぼったり、工夫をこらしているかもしれません。けれども、当事者の進歩を求めるのなら、対応する側の進歩も求められるとおもうのです。
 当事者とこころをかわしつつ、当事者の状態を把握しつつ、当事者のよい変化のためには、対応する側も、もういちだんの巧みなアプローチを常に模索する必要があると思うのです。
 対応する側の自己満足のレベルで終わってしまったら、こころの悩みに苦しんでいるひとにとって、ほんとうの救いにはならないのではないでしょうか。
 こうした、ひきこもり当事者との関わりについては、決してマンネリズムにひたっているなかで行われてほしくはありません。学生時代に現場実習にのぞんだり、専門職についてからも、研修生的な立場だったころの初心の感覚を忘れないで、当事者とむきあってほしいのです。



225:トラウマ言い訳論
名前:比呂   日時: 2003/01/22 19:41:25

 「トラウマ=言い訳」だと言う人がいます。
 「トラウマ=苦しみの根」だと言う人がいます。
 精神面の苦しみの原因は、この2つの考え方の違いにあると思います。
 現実的に世の中で成功者と呼ばれる人たちは、「トラウマ=言い訳」と言っているのではないでしょうか?だから、ほとんどの人たちは成功者に見習って、「トラウマ=言い訳」と言っているのではないですか?
 ベトナム戦争の帰還兵は、PTSDに苦しんだと聞いています。文字通り戦場を生き抜いた人なのに・・・です。日本の自衛隊員の自殺率は、普通の人の約3倍だとも聞いています。厳しい生活に耐えたのに・・・です。
 精神面の不安定さを見せると、甘えていると言う人がいます。僕はハラワタの煮え繰り返るような怒りを覚えます。
 心の病は、世間の人々の理解によって快方に向かうと思います。ですから、こちらのサイトのようにメディアのサポートには多大な感謝をします。それとともに更に広がりを願いたいと思います。




224:ひきこもりを援助する人に求められる性質とは
名前:シンビジウム   日時: 2003/01/22 15:03:01

 1983年3月1日、高校の卒業式で、海の好きな破天荒な校長先生が、私たち卒業生に贈った言葉について、私はいまでも覚えています。
「愛は男にとって一部でしかないかもしれないが、女にとっては大部分になりうる。」
 私は、ここで男女関係を問うつもりはありません。ひきこもり状態になって、悩みをもつ側とそれを支える側の関係を問いたいのです。
 相談場面において、相談を受ける側にとってはひきこもり当事者は、大勢のなかのひとりでしかないかもしれません。けれども、ひきこもり当事者にとって、応対者はほとんど家族以外の世界唯一の人に近い存在なのです。
 ですから、応対者の小さな失言は、当事者にとってはよりぐさりとささるものです。反対に、応対者の小さな心遣いでも、当事者にとってはより心強いものとなりうるのです。
 何かの支援や援助を施す側と受け止める側には、このくらいの認識の違いがおこりやすいことを、ひきこもり当事者を支援するひとたちには心得てほしいと思います。
 また、相談場面では、いわゆる「木をみて森をみず」になっていないでしょうか。  当事者側が悩みや苦しみ、あるいは自分自身の弱いところを集中的に話すと、それを聴く人はどうしても当事者の弱点に焦点をあわせてしまいがちになります。そうではなく、当事者の持ち味やかけがえのないところなど、良質の芽の可能性について、もっと焦点をあわせることが必要なのではないでしょうか。
 とくに、少数派の正義感の翼が折れて肩を落として弱ってしまったひきこもり状態について、周囲の人たちはじゅうぶんなメンタルケアをする必要があると思います。
 当事者と当事者を支えるべく人たちのずれてしまいがちな意識について、現場の人たちはよくおさえておく必要があると思います。
 また、一般社会の側も、当事者が純粋でまっすぐな思いをもっているにもかかわらず、屈折してしまっているもどかしさをわかってほしいと思います。




223:「とりあえずいろんな場面で恥をかくこと」
名前:ひろぽん   日時: 2003/01/21 14:36:11

僕は大学3年のとき、就職活動をきっかけに
ひきこもりという状態から抜け出しました。
今はその会社も潰れてしまって、アルバイトを
しながらある目標に向けてがんばっています。

僕が抜け出せたのは、「覚悟」を持てたからです。
人が動くのに必要なのは希望だけでは
だめで、覚悟だと思います。

僕もそうでしたが、一人でいればいるほど、
哲学的な思索や妄想にとらわれて、「自分が
普通ではない」という思いが強くなります。

そういう部分は自分の部分として消化しながら、
「変わる勇気」をもたなければいけないと思います。

ひきこもりの人はいろんな原因が重なって、
自分の中の「普通の人像」と、あまりにも自分が
幼すぎて離れていると感じている人が多いと
思います。

僕もそれは同じで、家はめちゃくちゃだったし、
貧乏だったので、世間知らずで、
常識がなくて、経験も圧倒的に足りません。

「社会のせい」、「家のせい」だと言うのは
簡単です。でも、その前にやることは、
いろんな場面で恥をかきまくって泣いて、
生の人間と知り合うことだと思います。

その中で自分が変わっていけば、そして自分
のよさも大事にしていければ、そんな悪い
世の中や家族ももしかしたら変わるかもしれません。
とりあえず、頭を空っぽにしてリラックスしてから、動きましょう。
元ひきこもりとして応援しています。




222:投稿を見て思ったこと
名前:サンダーバード   日時: 2003/01/21 12:03:26

 21世紀の絶対温度さんへ、確かにそのとおりなのかなと思いました。人生の中において、一面的な見方で人の価値を決めるのはよくないのかなと思います。




221:やりきれない。
名前:不思議な人生になってしまった   日時: 2003/01/21 11:54:03

H・コフート(アメリカの精神科医)が何かも知らない物心つかない頃から、一体私はどれだけの時間と体験を無駄にしてきたんだろうと考えるとやり切れないし、ここ10年くらい振り返ってみて、あれがずっと自分だと(そうでしかなかったし)過ごしてきたことに理由があっただなんて、何かに騙されているような、とても納得出来ない気分で居ます。こんなのってない。
誰が私の事実を話したとして、それが嘘でないとすんなり納得できる人が、今、日本にどれくらい居るというのでしょう?
どうして私がこんな目に遭わなきゃいけなかったんでしょう?理解されたとして、無くしたものが余りにも大きすぎるし。
変われたとしても、今度は別の意味で他の人と特別な経験をした溝を埋められるようなことには、どうしてもなれないような気がします。
変わる手助けをするけれども、一方で、そういう人を増やしている現実の方も、偏見や誤解無く正確に広く伝えることが出来るんでしょうか?
何が起きているのか、ちゃんと伝えることが出来るんでしょうか?




220:>なつさん
名前:LaLa   日時: 2003/01/21 00:24:08

「自分が情けなくなっている」なら、「甘ったれ」なんかじゃありませんよ!!本当に「甘ったれ」なら、自分の状況に何の疑問も後ろめたさも感じずに、ただのん気に過ごしているだろうから。
「本当は何とかしたい、なのにできない」のなら、助けを求めていいと思いますよ。




219:はじめてわかる気持ちもあるんです。
名前:DARK   日時: 2003/01/21 00:03:03

212番さん、私もあなたと似たところがあります。でも親がなにを言ってもあなた自身じゃないんだから、わかるはずないですよね。
ひきこもりにはもちろんならないほうがいい。でも、ひきこもりになってから思ったこと、考えたことは他の誰にも分からないし、気づきもしないことなんです。とても大事なことなのに、人としてとても大事なことなのに。 近所の人も、親も、まして学校に行ってる人たちには。
自分の思ったこと、考えたこと、それって「自分」なんじゃないかな。いろいろ悩んだり、考えたりする自分は他のだれも真似できない、とても尊いものなんじゃないかな。私はそう思います。いつもこの気持ちでいられたら・・・って思いますけどね。




218:ひと
名前:ゴンタ   日時: 2003/01/20 01:02:16

21歳です。
わたしも、考えすぎて疲れました。わたしはきっとさびしいです。
でも勇気が出ない。

自分がとてもふしぎです。




217:将来のことが考えられない
名前:なつ   日時: 2003/01/19 18:46:17

私は21歳の大学三年生です。
まわりはもちろん就職活動で忙しくなってきているようです。でも、私は何も手につきません。将来のことが全く考えられないのです。
大学には行っていますが、年が明けてからは特に休みがちになっています。友達もいません。自分のほうから遠ざかってしまうかんじです。
対等に付き合えないのです。昔からその傾向はありましたが、大学に入ってからは特にそうです。まともなバイトもしたことがありません。
周りの人はみんなまっとうですごく頑張っていて、本当に自分が情けなくなります。
自分に自信があるひとなんてそんなにいないし、みんなギリギリのところで頑張っているのだと思いますが、私にはできそうもありません。
ただの甘えだと思います。
ひきこもりといっても、テレビを見て笑ってますし、母親とは冗談も言い合えますし、食欲も普通にあって夜もぐっすり眠れます。
本当に甘ったれなんです。これからどうしていいかわかりません。こんなこと友達にも言えないし、親とも真剣な話はほとんどできません。
将来のことが考えられません。私にはせいぜい今日、明日があるだけで、一週間、一ヶ月、一年先なんて存在していないようです。思考がストップしてしまいます。



216:自分の大事なものを捨ててから
名前:kenntinn   日時: 2003/01/18 20:38:57

自分の思い出もプライドも、何か大事なものを捨てないと自分が変わることができない。
これは苦しみぬいて努力した自分の経験から学んだこと。
僕は去年、大きな変化があった年だ。
そこにはチャンスが多くあった。大事だったのは自分が悪い状況を変えようとしたこと、生きようとする泥臭い生命力だった。生きる力だった。
僕はどれだけの恥を飲み込んだだろう、どれだけ傷ついだろう。
継続してきた努力もなければ助けてくれる仲間もいない、いや助けを借りようという正常な心も傷ついて、人が恐怖になっていた。
今まで自分が努力してがんばったこと、そして結果が出て周りから評価さえたこと、僕の中でそれが自分のプライドだった。
でも、そのプライドを捨てない限りは、悪い状態を断ち切ることはできなかった。
僕は一番大事にしていた、表彰状やメダルを破り壊して捨ててしまった。
それは僕にとって、過去からまったく背を向けるのではなく、良かった事悪かった事それをひとつのことと受け止めてる。
そして、新しい未来を始めたいという自分のおおきなケジメだった。
そういったこともあって。
去年大きく自分は変化した。
大事なものをとっておきたいのは、人誰しも思うこと。でも、自分を大きく変えたいと思う。
大事なものを苦しみ悩みながらも捨ててしまう勇気が、ひとつの自分の大きな転機になる方法だ。



215:感謝
名前:めん   日時: 2003/01/18 20:24:41

感謝する癖がつけば、不安や自分が置かれてる状況にメリハリがつく。
僕はひきこもりになって重い精神病にかかってから、感謝する気持ちを持つことが多くなった。
それは自分が死ぬか生きるかの狭間に、何度も置かれたことがあったからだ。
人は苦労すると生かされてることに本当に感謝する。
飯を食べられてる今自分の安定した心に感動する。
道を歩けてる自分に感動する。
それは自分が昔、胃がもげそうな位不安になったことがあったから。
それは頭の毛がボロボロと抜けてしまうぐらいの恐怖感があったから。
平安にそのことをやれていること自体が、本当に感謝感激なんだ。
泣きっ面に蜂という言葉があるが、それを身と持って体験したことがある。
状況が悪くなるにつれて、ドンドン引きずられるように何もかもが悪循環になっていく。
車に轢かれそうになる、人に絡まれる、家庭の状態が悪くなる。
周りは単なる考えすぎというが本当に運が悪くなっていく。
周りの人の態度も一変してしまうほど(自分の精神状態の悪化もあるが)泥沼状態になっていく。
悪くなる前に、自分が何か動けるうちに行動することが大事だと身をもって感じた。



214:初めまして、ありがとう!
名前:kumapunn   日時: 2003/01/18 17:02:44

私の弟がひきこもっていて、どうしたらいいかと悩んでいるときにこのHPを見つけました。
今までひきこもりについて知らなかった事を、丁寧に詳しく書かれてあり本当に嬉しかったです。
また、弟とこのことについて面と向かって話せなかったので、皆さんの意見を聞いて、本人が一番苦しんでるということが分かりました。親・兄弟周りの人の理解がとても大事だということも。
今は私は、県外に出て弟とは遠くなってしまったけれど、何か小さいことでもできることがあればやっていきたいです!
このHPに出会えて良かったです。弟だけが悩んでるんじゃないと安心できました。いつか、彼もインターネットができるようになったらこのHPを見せたいです。



213:欲しいもの
名前:T.M   日時: 2003/01/17 22:35:03

僕が一番欲しいもの、それは「常識」。
中学1年から不登校におちいり、友達もろくにできないまま半ひきこもり状態が20年以上続いた僕は、「大人だったら、当然知っているべきこと」「男だったら、当然興味を持っているべきこと」について、平気で知らなかったり、興味を持たずに今日まで生きてきました。
そのため他人とうまく会話を続けることができません。ただでさえ、生まれつき病的なほどシャイなのに・・・。
今はなんとかバイトができるようにはなりましたが、職場のほとんどの人とは、もう何百回も顔を合わせているのに「おはようございます」程度のことしか言えません。
ああ、常識が欲しい。



212:私ってひきこもりなの?
名前:ゆうか   日時: 2003/01/17 18:48:25

ひきこもりの定義が全然わからないのです。自分がひきこもりなのかどうかもハッキリとはわからないのです。

私は高校の時不登校でした。大学に入って改善されるのかと思っても、やっぱり無理でした。一ヶ月行って、それから何度か行けた時期もありましたが、少したつとやっぱり行けなくなりました。
大学は私立だから・・・親は常にお金のことを主に、言うようになりました。
父親は『学費の無駄遣い』『甘えるな』『出て行け』『お前はこんなに親が苦労して学費をだしてるのに、平然として家でのらりくらりと・・・。そんな捻じ曲がった根性をしているのか!』。こういった言葉を私に浴びせながら、ごくたまにですけど、暴力を振るうことがあります。
母親は『近所の●●ちゃんはしっかり大学も行ってきちんと就職してるのに、どうしてあなたは学校に行くことすらできないの?』『学費出してもらってるお父さんに悪いと思わない?』『4年で卒業しないと、どんどん歳をとっていくわよ?』と、常に小言が絶えません。
お父さん、お母さん、痛いくらいわかってます。悪いのは私。両親が出してくれる学費を踏みにじってるのは私。反論なんてできません。でも、行けないんです。どうしてかわからないけど、行けないんです。今は自責の念にとらわれる毎日です。部屋で一人になると、ウツ状態に入ります。そして、今日は小言を言われないだろうか・・・とビクビクする毎日です。こんな日々は嫌です。嫌なんです・・・!!!

こんな私を、両親はひきこもりではない、と言います。確かに、買い物にもいけるし、遠くへ一人で旅行だってできる、でも学校にはいけない、という、ひきこもりと断定するには矛盾だらけです。
私の場合、一人で旅行できるんだし、一人暮らしでもすれば、改善されるのかな…?と思うのですが、県外に出てる子と同じように一人暮らしさせて、と親に申し出ても『これ以上親に負担させるつもり?』と一蹴されてどうにもなりません。まあ、この辺でもまた自分が親に『仕送り』という形で依存しようと思ってる意地汚さが丸見えで、自分でもおかしいくらいです。

私って何なんでしょうか?ひきこもり?ただの怠け?まあ、社会的にどうしようもないヤツだってのは自分でも痛いくらいわかってますけどね…。




211:04番の蛇足を読んで
名前:きょういちろう   日時: 2003/01/17 18:04:10

 私も32歳なのですが、30代のひきこもりということが比較的深刻な問題になっているそうで、私自身もその一人だろうか、そんなことを思っています。親の意見を尊重して、自分の就きたい仕事にはつけなかった、そういう後悔があるとのことですが、似たような覚えは私にもあります。よくある話とはいえ、誰もが経験することかもしれないですし、誰もが似たような思いを抱いて生きているのかもしれません。

 けれど、一つにはこれまでの教育の影響も少なからずあるとは感じます。教育に全ての責任を押し付けることはできないし、その気もありません。私が十代を過ごした80年代の中学校、高校の教育では、部活指導、進路指導、生活指導、三つの指導で乗り切ってきたとみなす見解が一つあるそうです。教師や親は子どもに指導するものであったし、当時はまだ子どもの権利条約も誕生していませんでした。子どもの権利は今でも議論になることだとは思いますが、十代の子どもは大人に比べて権利がない、誇張が過ぎるかもしれませんがそうした見方はあったかもしれないと思います。また比較的そうした感覚を私自身は何も考えずに受け入れてきた、教育を受けて大人になったら大人の権利が得られる、明確にそんな風に考えていたわけではないですが、漠然とはそんな意識を持っていた気がします。

 自分の過去に後悔されることがあって、それがもとで前進することができない、そうした思いにとらわれることは比較的誰もが経験することだと思います。下手をすると現在の30代にはそうした思いを抱きやすい教育環境が、いやそれは現在の十代も変わらないかもしれませんが、あったのかもしれません。詰め込み教育への反省、そんなことは比較的よく耳にすると思います。私は間違いなく詰め込み教育の世代です。

 けれどそれを捉えなおすという作業も始まるのだと思います。ひきこもり対策の議員連盟に居場所つくりを求めたいというのは、確かに切実な希望であると感じます。

 それは新たに場所を作るというより、似たような境遇にある人が、「・・自然の家」といったような施設に子どものころ宿泊研修で出かけた覚えがありますけど、そういう場所で自分の過去や家族、他者との関係を捉えなおす作業をすることが求められていると感じています。自分の希望する職業に就けなかった、それは希望が少し自分の手におえるものではなくて、その理想との付き合いが上手くなると案外人間関係も好転するかもしれない、私自身にも大いにいえることなのですが、そういうことはあると思うのですが。いかがですか?




210:催眠療法に関する希望
名前:がけっぷち   日時: 2003/01/17 16:31:29

私は対人恐怖症です。高校卒業後、約十年間ひきこもっていました。その克服のためと父親の退職がきっかけで、二年前からバイトをしています。
ある程度精神的に強くなったものの、対人恐怖症はあまり良くなっていません。それで催眠療法を受けることを検討しています。しかし催眠療法は場合によっては大きな効果がありますが、いかがわしい催眠療法の団体もあると聞きます。でも個人が、きちんとした団体とそうでない団体を識別することは困難です。だから私は公共の機関が、きちんとした治療ができる民間の団体を認定してくれる制度があればいいと思っています。催眠療法に保険が適用されなくてもいいですので、できるだけ早くそのような制度を作ってください。ひきこもりを克服するために、できるだけ多くの選択肢があればいいと思う毎日です。



209:一つ言っておきたいこと
名前:魚骨   日時: 2003/01/17 15:00:02

多分再放送なのでしょうが、先ほど番組を見て思ったことを一つ、書かせていただきます。
ひきこもりというのは、全てが心因性ではありません。
番組では何か、ひきこもっている人間が皆、社会生活でのストレスによる対人恐怖症や鬱病を原因としているかのように見えましたが、実際はそれだけでないということは、番組に出演されていた専門家らしき方も、まさかご存知ないというこはありませんよね。
念のために書きますが、ひきこもっている人間の中には、原因や対処法が不明の身体的異常によってまともな暮らしができない者もいます。
この手の異常はいわゆる「心身障害」の定義からは外れたもので、医師に診てもらったところで気のせいと言われ、どうすることもできずに苦しみつづけるばかりです。
病は気からという言葉はありますが、全てにそれが適用できるわけではない。
気は病からともいえる現象はいくらでもあります。
しかし、こういったものは直接命に関わるものでない限り、世間は心因性で片付けてしまいます。
そのために生ける屍の如く暮らすハメになった者も少なくはないはずです。
ここ数年、犯罪に精神疾患が絡むようなことが出てきたためか、この頃おかしなものは全てそのせいにされがちな気がします。
ですが、それだけでは解決できないこともあることを忘れないで頂きたい。
そうした誤った認識によって葬られることもないとは言い切れないのですから。



208:コミュニケーション
名前:パグ   日時: 2003/01/16 23:19:12

僕もさおりさんと同じ事を考えていました。
僕は外に出て行動を出来るようになりましたが、まだ対人関係に自信が持てず、アルバイトへの1歩が踏み出せません。色々と考えた末に、まずはコミュニケーションをとれる場所へ参加する必要があるように考えています。今はデイケアなどを調べています。
さおりさんの場合、そのアルバイトこそが対人関係を学ぶ場所なのではないでしょうか?僕からしてみれば、集団の中へ飛び込んでいるさおりさんが羨ましいです。今の僕にとっては、アルバイトが目標ですから。
新しいことを始める時には、どうしても不安がついてまわりますが、完全に不安がなくなる時など訪れないですもんね・・・と言い聞かせつつ行動していこうかなと思っています。いつか「僕、私はこのように行動をしたよ」というような体験談を聞かせて頂けないでしょうか?宜しくお願いします。みなさん頑張りましょう!!



207:ひきこもり当事者グループで気にかけてほしいこと
名前:シンビジウム   日時: 2003/01/16 14:58:36

 ひきこもり当事者が集まるデイケアや自助グループなどの場があります。私は、援助者や安定して参加できる人たちと、参加してもなじめなかったり、何回か参加した後不参加状態になる人たちとの間で、心理的な距離や障壁があるのではないかと思うのです。
 参加できる人のなかには、進んで発言できたり、スポーツや手先を使うことが得意(好き)だったり、自由時間に仲間を獲得して雑談することが苦にならない人もいます。
 けれども、おとなしい人、スポーツや手先を使うことが苦手な人、自由時間に仲間を獲得できず雑談するのが苦手な人もいます。そうしたグループ内での経験から、さらに人間関係に苦手意識をもつ人もいます。
 こうしたことは、こころの悩みをもつ人たちの集まるところでは、おこりやすいことです。
 ですから、おこりうる現象を想定して、個人の問題ではなく、グループ全体の問題として、みんなでとりくむ必要があると思うのです。
 「私もいれてほしい」と言うことも、「いっしょにやろうよ」と言うことも、お互いの親密な関係をつくるうえで大切なことだということを、くどいかもしれませんが、頻繁に確認しあうことが必要だと思います。
 想像されるすれちがい現象について、あらかじめ自主努力目標をつくって、参加者みんなに意識づけてもらうことがあってもよいと思います。
 こころの問題を抱えた人のグループでは、「あなたが言ってくれないと私はわからない」という考え方は、無しにしてほしいです。あらゆる想像力をはたらかせて、人間理解につなげてほしいと思います。
 例えば、グループについてのぞむことやグループでやりたいことなどの方向性について、安定して参加できる人だけではなく、参加してもなじめない人にも発言機会を設けられたらと思います。また、折をみて、不参加状態の人たちの考えを言ってもらう場面もあったほうがよいと思います。
 グループのなかで、一部の人たちが満足感を得る一方で、さびしさや孤独感を感じる人たちがいるとしたら、そのグループは住みよいものとはいえないのではないでしょうか。
 あまり好ましい言い方ではありませんが、こころの問題を抱える人たちのグループで、落ちていく人をつくってはいけないと思うのです。
 もっとも、このようなことは、こころの問題を抱える人たちのグループだけではなく、一般社会においても求められることだと思います。



206:21世紀の絶対温度
名前:みんなええ男ぜよ。   日時: 2003/01/16 11:13:04

このHPで悩んでる人たち、サンダーバードさんなど無力感に苦しんでいる人をみて、今坂本竜馬が生きていたら、おまんはええ男ぜよ、もっと好きなことして生きていいぞというんじゃないのだろうか。
NHKの真剣10代しゃべり場をみていて、10代の前半でいじめとかで自殺を考えたことがあるといっている子が多い。蹴落としあいの大学入試にも問題の一つがあるのではないだろうか。



205:ひきこもりからは抜け出したけれど・・・
名前:さおり   日時: 2003/01/16 08:11:36

私は、現在はアルバイトをしていて、すでにひきこもりという状態からは抜け出していると思うのですが、中学のはじめに不登校になってしまった為に義務教育を完全に受けてなくて、本来学校で学ぶべき対人関係などが全くわからずに悩んでます。実際アルバイト先でも孤立してしまって辛いです。就職の支援の前に、本当に基本的なコミュニケーションのとりかたを教えてくれる場所が欲しいです。



204:蛇足
名前:私の場合   日時: 2003/01/15 20:04:09

32歳男性です。ひきこもって2年ほどになります。
私の場合の、ひきこもりの根本的な原因は、判っています。
「親とのコミュニケーションのとりかたのまずさ」
「あるはずの自分と現実のそれとのあまりのギャップにたいするとまどい」
といったところにあるのだと思います。
人生の1番大事な時期に、自分の実力、志向には関係なく、
親の都合で不本意な選択を余儀なくされ、
それを未だに引きずっています。
職業の選択に大いに関係のある進路を、妨害されました。
自分をだましだまして社会人をなんとか続けていましたが、
間接的には、前の職場を解雇されたことをきっかけに
ひきこもりがはじまりました。
もう1回、希望の進路に就きたいとは思いますが、
厳しい道のりです。

まぁ、よくある話で申し訳ありません。




203:21世紀の絶対温度
名前:サンダーバードさんへ   日時: 2003/01/15 00:44:03

自分に劣等感や無力感を感じ苦しんでいるんですね。勉強できないことでコンプレックスを感じているのはサンダーバードさんだけじゃないです。
知っていないことをみんな恐れているでしょう。そんなこともしらないのか。常識ないな。暗記力が得意で勉強ができるのも、ルービックキューブが得意なのも僕からすれば同等で、特殊な技能だなと思うぐらいで、その人の価値じゃありません。
人それぞれ自分の得意なことがあり、もっともっと能力があります。偏差値にとらわれて自分の能力に気づいてないだけです。自分がなにが好きで夢中になれるのか探して、自分の能力を引き出してください。勉強も楽に理解でき、何で自分は悩んでいたのか笑ってしまうかもしれません。
サンダーバードさんなりのいいとこたくさんあると思うので自分を深く掘ってみてください。気晴らしに女性でも口説きにいったら楽しくなるよ。元気出せ。



202:私は感覚の変化、あるなあ。他の人は、どうなんだろうね?
名前:ねこさん   日時: 2003/01/13 04:17:24

今日は、とにかくゆっくりと、他の人の書いた文章を読んでいました。そして、私が反応したのは、43で発言した「不思議な人生になってしまった」さんの「同じ体験ができないのであれば、せめて想像力を」の文中の、「現実感が戻って」の文字でした。まずは、びっくり。
「現実感かあ。すごいことに気づいちゃってるなあ、この人」、って思いました。で、この人に注目。レッツ・トークの中を探しまくろうと決めたのですが、なぜだか眠気に襲われてしまい、すぐ挫折しました。大量のいろんな文章を読むのって、疲れる作業だったんですね(頭の格闘技だあ)。
でも、ねこさんは、自分の頭で消化しきれそうな量の「不思議な人生になってしまった」さんの文章、読めたんです。だから、まあいいや、と思いました(人生には、明日がある)。また、余裕ができたら、少しだけがんばりますね(だって、面白かったし)。
 で、読んでたら、やっぱり、共感する「感覚」の表現が、他にもありました!!
「不思議な人生になってしまった」さんは(どこでだったかは覚えてないんだけど)「倍速」って、書いていました。
私も、その感覚は、わかります!!
そう、倍速。本当に、そんな感じの感覚がいきなり訪れる日が、今も、あるんです。もちろん、私の場合は、いまだに、その「倍速」的「普通人の感覚」に戻る日は、めったに来ない「すごい一日」ですけど。でも、本当に「すごい一日」なんです。「倍速で色々できちゃうぞ!!」が、ごく普通に、私の頭や体を支配する日なんです。多分、引きこもっていない人は、大半が、この「倍速」を使ってて、スピーディーな「普通」を生きてるんだろうなあ。うらやましいなあ。どうして、私は、こうなっちゃったんだろう?(周囲の人が速く見える)。
「引きこもりの50%ぐらいは、きっと、倍速の自分に戻れない事でも、苦しんでる」って、今、考えてました。
(ちょっと抽象的かな? じゃ、具体的に)
年に4日かそこいらなら、今の私だって「倍速」の「天才」になってるんですよ!?
(他の人は、「一年中天才」なんだけど)
そんな日は、目の前の人の考えてることが、その表情から、正確に読めたり。部屋の掃除が順序良く出来たり。一度に3つ以上の仕事を平行して実行してるのに、それでも頭が混乱しなかったり。会話の途中で、「何やってたんだっけ?」と、ぼーっとすることもなかったり、と。なんかねー、手が10本あってもうまく使いこなせそうって感じです。目だって、地平線の辺りを飛んでる鳥の数がカウントできそうってぐらいに、さえちゃう!! そういう日が、年に2日ぐらいなら、今も私を訪れます。けれど、翌朝には、もとに戻ってる。1年365日、この感覚がいつまでも私のものであるようにと、どれほど願っても翌朝消える。
そんな、痛い感覚。以前は当たり前に感じて使ってた、「あの、速い感覚」。
けれど、それを、「倍速」と言った人がいた。そうだねえって、しっくりした私がいて。納得しただけなんだけど、それが、とてもうれしいんです。
これが、「交流」の良さかな?
引きこもりの問題も、簡単にはなくならないでしょうけど、交流ゼロの状態よりは、今の「混乱しながら交流するガチャガチャした状態」、いろんな可能性を生むから、いいでしょう? 話し疲れたら、退却OK。元気になったら、また話すOK。人の話を静かに聴くOK。「ここは、少し気ままなのがあたりまえ」そんな場になるといいですね。



201:本当の全容を把握出来たショック。
名前:不思議な人生になってしまった   日時: 2003/01/11 22:45:44

「いい悪い」は別にして、何か能力的に特別秀でたものを持ち合わせていることでの「自信」を別にして、そういう”条件無し”での「基礎的な自尊心、自己肯定感」という、目にみえないものが無かっただけで、こんなに周りのことの認識の仕方や見え方、意味合いが変わってしまう経験をさせられると、変わるという「嬉しさ」半分、こんなことだけで外に出ることすら恐ろしく、あんな毎日を過ごさなきゃならなかったのかという「やるせなさ」半分、ぶつけようの無い怒り倍増です。
今はまだ、弱い人間が逃げ腰になって何年も家にいるのだろうという見方しかしていないのでしょう。「問題の根本への糸口があって、それが具体的な目の前の出来事に取り組んだ結果ではなく、その人の自己肯定感を得るために感情の蓋を開ける行為の方に走ったら、”その人の状態”の方が周りの環境の問題はさて置いて変わってしまった」としたら、人はそれをどう解釈するんでしょう?
特に発達上でも、そうでない場合でも「心理学」に関わることはどちらかと言うと、有効なデータを集めて、その中から根拠を見出すような形で成り立っているものでしょう。それがまやかしであるのなら、アメリカでセラピストを持つことがごく当り前になったりはしません。(それが常に必要になる環境もどうかと思いますけど)
現に引きこもりも、沢山のデータから共通点をピックアップすることによって輪郭が見えてきている段階に入っているのでしょう。このキャンペーンだってそういう根拠が少なからずあるからやっていることでしょうし。それによって引きこもることを肯定することを許すというよりも、「本当の中身はどういったことで、その為には何を知って、なにをすることが解決に繋がるのか」の方向を見付ける方が一番なのではないでしょうか。
そもそも「自己肯定感」というものが「万人の成長に不可欠で当てはまるもの」であるのかどうか、「ない」と「ある」をどのようにして分けられるのか、「ない」と「ある」では何がどのように違ってくるのか、それは元々の個人の特性(好き嫌い、何に重きを置いている等)にどう影響するのか、もしかしたら他の形を借りて、引きこもりの形を取らないケースもあるのか、「ない」を「ある」にする方法が可能なのか。
例えば、自分がその為にどうも自己肯定感があった人とは違った角度から物事を捉えることしか出来なかったと知った時、何だか狐につままれたような、説明出来ない腹立たしさが込み上げてきます。ある方が「それでも私は普通なのよ」とコメントした言葉が印象的でした。物理的欠損がなくてもメンタル的「自己肯定感」がないだけで、「普通じゃないんだけど普通じゃないことが説明出来ない」中にいる、そのことの方がとてもやるせない。


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