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2900:反論にお答えします。(つづき)
名前:コルト   日時: 2004/10/20 21:19:22

 さらに、もう一つ。本間かいなさんは、「主に自分のダメっぷりとか、とりまく環境への苛立ちとか」を考えていらっしゃるようですが、僕も全く同じです。しかし、「その考えは無意味なことだ」と思うよりも、「何か前に向かって進んでいる」と思うほうが精神的に楽だと思います。そして、そう思う根拠がある事を僕は示そうとしました。「いや、やっぱり俺は無駄な事を考えている。」まあ、そういう考え方もありますし、僕も前はそう考えていましたから、それは非難しません。
 最後に。僕は哲学に関しては全くの初心者ですし、それに本間かいなさんがご指摘なさったように、確かに傲慢な面がある。トルストイが書けば、多くの人は納得するだろうが、僕のような無知で若輩で傲慢な者が書けば多くの人は反感を持つでしょう。また、あまりに文章が短すぎて、いたらなかった点があったようです。お詫びとして、トルストイの「人生論」が示している「真の幸せ」をここに書いておきたいと思います。これには僕の意見は入っていませんので、文字通り受け取っていただきたい。
 「理性的な意識が疑う余地なくきっぱりと人に告げているように、自分の個我のうちから見えるこの世界の仕組みのもとでは、人の個我にとって幸福はありえない。」「そう、お前は幸福になれる。だがそれは、みんなが自分自身よりお前を愛するようになる場合だけだ。」「お前は、皆がお前のために生きる事を望んでいるのか、みんなが自分よりお前を愛するようになってもらいたいのか?お前のその望みがかなえられる状態は、一つだけある。それは、あらゆる存在が他人の幸福のために生き、おのれ自身よりも他の存在を愛するような状態だ。そういう場合にのみ、お前も他の全ての存在も、皆に愛されるようになるし、お前もその一人として、望みどおりの幸福をさずかることだろう。お前にとって幸福の可能なのは、あらゆる存在が自分よりも他を愛するようになる時だけだとしたら、お前も、一個の生ある存在として、自分自身よりも他の存在を愛さなければならない。」
 僕には完全には納得出来ないが、これは本当だと思います。これを読んだ時から、何とかそれを実践しようと努力している。しかし、僕を中傷する人間を愛するなんて僕にはまだできない。
 トルストイの「人生論」は文庫で出ていますし、内容は僕でもある程度わかるように丁寧に書いてありますから、とてもお勧めです。



2899:反論にお答えします。
名前:コルト   日時: 2004/10/20 21:18:12

 本間かいなさん、貴重なご意見ありがとうございます。僕の書き込みが誰にも見られずに、掲示板の中に埋没してしまうのではないかと心配していたのですが、僕の書き込みへのご意見があったので、とてもうれしいです。
  本間かいなさんの「働きながら考える。考えながら働く。」のが理想というご意見は全くその通りだと思います。多くの人はそれを実行しているとも思う。僕の「引きこもっている」状態は決して健全な状態ではない。僕はむしろ、「こう考えることで人前での緊張を軽減させ、引きこもりから脱出することができるかもしれない」という事を示したかったのです。実は、僕はこう考えることで(2876・2877のように)大学への復帰を目指していますし、現に少し成功しました。
 それと、僕の言葉が足りなかったのでお詫びしなければならないのですが、僕は「今の会社人間」は何も考えていないとは決して考えていません。むしろ僕の書いた「真の人」も多いと思う。それは「カッコつき」で書いたのですが、「立派な人もいます。」という部分に示しました。僕はこれだけで、皆さんに納得していただけると思っていたのですが、どうも短すぎました。
 僕は、この掲示板で「社会批判」ばかりしていたので誤解されているようですが、決してそれが真の目的ではありませんでした。僕は外に出ると「きしょい」「きもい」などといわれたりするわけですが、彼らの存在を肯定してしまうと、彼らに否定されてしまう自分の存在が無意味になってしまう。ですからどうしても彼らの存在を否定してしまう必要があったのです。彼らがいくら僕を中傷しようと、僕はそれを聞き入れる必要がない事を示したかったのです。そのために「社会」を持ち出す必要があったわけで、僕の「社会批判」によって心を傷つかれた方がいるとすれば申し訳ありませんでした。
 しかし、僕は僕を容姿で中傷し、それをなんとも思わない人が、自分と同等であるとはどうしても思えないのです。僕は論理的に、「人を容姿で馬鹿にする人間は取るに足らない」事を証明しようとしたのです。「人を容姿で馬鹿にする人間や、あるいはそれに類する人間(世代を問わず)」をもし擁護する方がいらっしゃる方がいらっしゃるとすれば、それは仕方がない。それはいくら議論しても平行線にならざるを得ないし、そうした意見には僕は決して同調しません。彼らの心がいかに悲惨な状況に置かれていたとしても、新たな苦しみを他人に与えるのであれば、それは弁護できないほど卑劣な行為だと僕は考えています。たとえその人が何か大きな発見をしたとしても、世界中の人が彼をたたえたとしても、僕は彼を評価しません。



2898:悪魔
名前:まるひこ   日時: 2004/10/20 19:39:28

 笑うことに抵抗があった。あまり意識はしていなかったが、その抵抗が、いくらか和らいでいることに気がついて、はじめて、笑うことに抵抗を抱いていたんだって、気がついた。
 笑うときは、いつも自嘲の笑い。いじけて自分を卑下した笑い。
 他人に向ける笑顔の内側にあるのは、いつも何かを誤魔化そうという意識。
 その手の本によると、ルサンチマンだとか、怨念感情だとかいうらしい。あらゆる他人、あるいは社会に対する、得体の知れない敵意、憎悪、そういうものが自分の心の奥底に、背景のように広がっている。
 この、心の奥底にあるどろどろとした得体の知れないものは、人には絶対に知られたくない、見られたくない部分だ。
 素直でない自分の笑顔の裏には、このどろどろがある。このどろどろを世間からひた隠しに隠そうと必死にもがいている。そのもがきが、奇妙に引きつった醜い笑顔をつくってしまうのかもしれない。
 実際、自分の笑顔なんて見たことがない。あまり見たいとも思わない。鏡の前で無理矢理つくった笑顔は多分それとは別物だ。
 何か違和感のようなものを人にあたえるのだろう。その違和感を、自分の笑顔を見た相手の瞳から感じ取って、また一層笑顔が歪む悪循環。
 最近外へ出られるようになったのは、眼鏡をかけるようになって、帽子をかぶるようになったからだ。
 帽子は必ず目深にかぶる。帽子をかぶるようになってからは、帽子なしで外へ出たことは一度もない。
 心の内にあるどろどろをさとられるのが怖くてならない。
 考えてみると、ひきこもるようになってしまったのは、このどろどろのせいだったかもしれない。
 人に知られれば、なんと思われるかしれない。気のふれた危険な人物、邪悪で無慈悲な悪魔のような人間、そんな風に思われるだろうか。
 先日、そのどろどろの一部が、罵声と涙と一緒に口からあふれ出した。それでほんの少し心が軽くなったのだと思う。
 それほど恐れることではないのかもしれない。自分が思っているほど、心の奥底に広がるどろどろは、邪悪なものではないのかもしれない。
 吐き出してみたら、悪魔どころか、ちっぽけな虫けらみたいなものだったりして。こんなものに自分は怯えていたのか、なんて。



2897:最近の政治家・官僚の公人としての意識の低さときたら…。
名前:おだみさお   日時: 2004/10/20 19:27:28

 新聞読んで、ニュース 見て、ぶちぶちと ひとりごとみたいに文句を言う。
 「陛下の前で、それ言える?」
 「陛下の前で、その態度できる?」
 「憲法十七条読んで、出直してきな!」

 ひきこもり人間が自分ン家の中で、プリプリ怒ってても しょうがないんだけど…、ね。
 政治献金の不透明さとか、官製談合とかってニュースを聞くと、いくら 子どもたちに「日の丸」とか「君が代」を押し付けても、大人たちが こんなじゃ意味ないと思います。

 世の中、意味のないコトばっかし。 自分自身の存在意義が見つけられないと、ほかのコトも どーでもよく なっちゃう。
 新聞 読んで、ニュース見て、プリプリ怒ってるのだって、ホントは楽しいコト、笑えるコトが何にもないから なのかもね。 いと哀し。

P・S
 2884 のびたさんへ。 気にかけていただいちゃって、ありがとです。
 てへへ、「かっこいい」って二度も書いてあって、とっても うれしくなっちゃったです。 f(^ ^;)




2896:吃音とひきこもり・・
名前:どもりあんちゃん   日時: 2004/10/20 16:47:29

はじめまして。私は30代の男性です。
今は引きこもってはいないのですが、昔学生時代はどもることが原因で不登校気味になった経験があります。
皆様に質問ですが、引きこもった原因は多種多様なのですが、その中で吃音で引きこもったことがある、または現在引きこもっている人はいますか?
同じ悩みを持つ同士。色々お話しませんか?



2895:社会復帰は不可能
名前:石頭   日時: 2004/10/20 11:31:57

ひきこもりという人種が社会人になることは不可能。社会復帰した元ひきこもりというような人は、普通の社会人が一時的にひきこもりになったに過ぎない。生まれつきの人間嫌いがどうやって社会で生きていくことができるのでしょうか?



2894:はぁ・・
名前:智子   日時: 2004/10/20 11:06:29

なかなかしたいって思う仕事に出会えません。探しても探してもなくて・・ こんな毎日は本当に苦痛です。私だけ、自分だけ、ヒマ人のような気がして・・



2893:ウジ虫だと!
名前:まるひこ   日時: 2004/10/20 01:11:25

 「お前なんかが障害基礎年金なんかうけられるわけねえだろ」
 医師そう言われて、目を覚ました部分もある。
 こちらが生活の窮状(というより、その不安)を訴えたのに対して、誇張でも何でもなく、医師は「知ったことか!」といった態度をとった。正直ショックを受けたし、今でも腹に据えかねる。
 それはとりあえず、おいておくとして、自分の考えが、あまりに後ろ向きになっていたことに気がついた。
 不安のあまり、一生自分は車の運転も出来ないし、バスや地下鉄にも乗れない、パニック症状も治らない、働くことも出来ない、と決めつけて考えてしまっていたようだ。
 そこまで悲観する必要はない。要は働けるようになれさえすればいいのだ。わずかでも働いて、何とか食べて行くのに足るだけ、わずかでも金を稼げればいいのだ。いいのだ。いいのだが、根拠はない。
 いついつまでに車の運転が出来るようになって、バスや地下鉄に乗れるようになって、外へ働きに出られるようになるなんてめどは全くもって無い。たとえ、自分で期限を切ったところで、それは自分の首を絞めるだけだし、だからといって、ただ手をこまねいているわけにもいかないのも現実。放っておいて生活が楽になることなどあり得ないのだから。ここへの書き込みも、いつまでしていられるか分かったものではない。
 医師の目には、単なる甘ったれ、怠け者、と映っていたのだろう。診断書にドイツ語でそう書かれていたのかもしれない。
 のこのこ窮状を訴えにきた自分は、まさに「障害基礎年金をたかりに来たウジ虫」にしか見えなかったのだろう。
  しかし、ウジ虫などと言われて(実際に言われたわけではないのだけれど)、黙ってはいられない。自分にだってプライドくらいはあるのだ。ウジ虫扱いされるくらないなら、死んだ方がましだ。いや、死ぬのなら思い切って面接を受けてからでも遅くない。無理にでもアルバイトに出てからでも遅くはない。どうせ死ぬ気なら、出来ないはずはない、とも思う。
 しかし、実際、死ねはしない。死ねないから、やっぱり無理は出来ない。

 ウジ虫扱いされて、その怒りからか、何なのか、一時的なものかもしれないが、恐怖や不安が薄らいでいる。
 受けたショックは計り知れないが、結果は悪くなかった、ということか。ただの被害妄想だったのか。妄想だろうとショックはショックだ。




2892:諏訪哲人さんへIII
名前:ひろぽん   日時: 2004/10/20 00:40:37

いずれにせよ、私がもはや「ひきこもりの悩み」をここに書いていないのになぜ、ここに登場されるのでしょうかとのご質問に対する回答は単純なものです。「私がひきこもりだった、もしくは今でもひきこもり的な部分を引きずっているから」です。

つまり、私はこういう意味で言ったつもりです。表現が足らなかったかもしれません。
前回に引き続き例え話になります。
ここに自分が田舎者だということで悩んでいる人がいます。その人はどうあがいても、都会に出て、出世したとしても出生地を偽ることは(本籍を変えれば大丈夫かもしれませんが)不可能だし、それは厳然たる事実です。しかし、その人は田舎ものである前に○○さんであり、○○さんと同じように全ての田舎者が田舎者だということで悩む訳ではないということです。

誰が面と向かって胃ガンのIさんだと言われたいでしょうか。私はそのことが言いたいのです。
「ひきこもり特有の最大公約数的な悩み」を拾おうとしたところで、その人自身の固有の悩みが解消されないことには、殆んど無意味なことではないでしょうか。様様な人がたまたま「ひきこもり」という状態で巨大な集団を形成しているのではないかと思えてなりません。

つまり、「私と同じ悩みを抱えていてもひきこもっていない人はいる。」ということを言いたいのです。
だとすれば、私の悩みは「ひきこもりの悩み」ではなく、「私の悩み」だろうと思うのです。
ひきこもりと非ひきこもりを分け隔てる境界線は「ある」といえば「ある」、「ない」といえば、「ない」のではないかと。
観念論的で申し訳ありません。

ですから、「自分がひきこもりではないといえば、その人はひきこもりではない。」と以前投稿しました。私の回復はまず、自分はひきこもりではないと否定することから始まったのです。
もちろん、これも私だけの説に過ぎません。
これを押し付けるつもりはありません。

最後に付け加えておきたいのですが、「技は教えろ、ありがたく頂戴してやる。」との言い振りが拒否の別表現であるとのご指摘はその通りです。
そのつもりで書きましたので、ご心配無用です。失礼致しました。それでは。




2891:諏訪哲人さんへII
名前:ひろぽん   日時: 2004/10/20 00:25:43

諏訪哲人さん、丁寧なレス、ありがとうございました。確かに私も誤解していた部分があると思います。申し訳ありませんでした。

しかし、二、三諏訪哲人さんに釈明とお尋ねしたいことがあります。それと共に、諏訪哲人さんの疑問にもお答えしたいと思います。

メールの認識の違いについては、私の個人的な経験に基づく理由があってのことです。私自身メールでのやり取りで、心の奥底をさらけ出した経験があります。そういった経験がありますので、私は「ひきこもり限定の2人だけの掲示板」というものは存在しえないのではないかと感じたのです。すでに「2人だけ」という時点で掲示板ではない。それは個人と個人、一対一の「交換日記」のようなものです。交換日記と言うものはまさに「カタルシスそのもの」ではないでしょうか。そこに一抹の恐怖を感じ、辞退させていただきました。

そして、愚痴こそが私にとっての問題の本質です。それをお聞きになりたくないというのであれば、それこそ「反対給付なくして給付なし」ではないでしょうか。ひきこもりというのは私にとって全人格的な問題です。聞きたくないことも聞く。それを聞いて欲しいと願っているのが、「ひきこもり」の人だと思うのですが。プライバシーを知らずにその人と「ひきこもり」について話せるとお思いですか。こと内面に関わることです。
ですから、2人だけの掲示板というのは、存在しえないと思うのです。友人も両親もプロのカウンセラーも聞いてくれないことをここに投稿している方が多いのだと思います。私はそれを諏訪哲人さんに吐き出すことはできないと思い辞退したのです。

「ひきこもりに資することは聞きたいがそれ以外は聞きたくない。」では、やはり、諏訪哲人さんにメリットはあるかもしれませんが、私にメリットがあるとは思えません。




2890:クール・ダウン。
名前:本間かいな   日時: 2004/10/19 23:29:23

それじゃあ俺のこれ(掲示板好き)は何なんだ?2時間3時間「意識野」には書き込みが占めている。それはそれでいいのか?と問えばあんまり宜しくないんだろうなあ。
その2時間3時間は、例えば仕事の勉強とか具体的なことに費やすべきなのかなあ…。う〜ん、単純に楽しんでいるんだよね、俺はこの場所を。書き込む=心地良い。それが載ってる=嬉しい。誰かのレスがある=とっても嬉しい。誰かの文章を読む=面白い(笑うっていうことじゃないよ)。

一心ってすごいな、って思う映画は「フォレスト・ガンプ」、ラグビー・軍隊・卓球・えび漁・ひたすら走ること。

俺の文章を喜んで読んでくれる人がいる(何人かの人に褒められました)と思うと、嬉しいんだよねえ。いやあ、エッセイストかコラムニストか、はは。

   感謝してそこですかさずサンキュー・ハザード

   青だけどふさいじゃいけない交差点

   赤がいい青になるから赤がいい

…交通川柳でした。大塚 愛ってめっちゃaikoに似てますね。それじゃコルトさん、みなさん、異論・反論あったら下さい。俺は固有名詞が出る話が好きです。




2889:2864,ごろんさんへ
名前:雪囲い   日時: 2004/10/19 23:18:26

はじめまして。私も、ごろんさんの考えに賛成です。9月1日に、6年ぶりに外へ出ました。目に入るもの全てが刺激あるもので、そこに居るのが精一杯でした。
支援してくれる人には、くれぐれも私たちのスピードを理解してほしいものです。スピードを少しゆっくりにして、それに合わせてくれるだけでも私たちにとっては大きく、意味のあることですから。



2888:俺はでも考えないなあ。下
名前:本間かいな   日時: 2004/10/19 22:54:57

大体こんな、有り余る「時間」を持っているというこの状況の方がおかしいです。昔のお百姓さんやって、村祭りやって、夜這いをして、子どもたくさんこさえて、冬には雪下ろしして藁ぐつ作って縄なって。草むしりして、肥え桶かついで。まあ幻想の昔暮らしですけど、そこにこんなに有り余る時間はなかったことでしょう。

働きながら考える。考えながら働く。昔の人の幸せはストレートでシンプルだったんじゃないかなあ。

だから今に戻して言えば、働きながら考える。考えながら働く。現代の社会の中で働くことのダークサイドは目に余るものがあるにしても、「何もしないで考える人」と、「働きながら考える人」と、どちらに軍配をあげるかとなれば、俺は後者ですね。
今の会社人間は、何も考えていない。っていう批判を言いたいとしたら、それは傲慢だと思います。そういうのは具体的な誰それさんと、サイ○○ヤあたりでお茶をしながら、マジトークに持ち込んでみてごらんよ。アルコールを入れて腹を割った話ができたら、我と彼を比較できるんじゃないかな?

「嫌々働いている」「会社人間は人間ではない」とか、幸せが何かもわからずに馬車うまのように働いているとか。事実そのような切り口で、社会問題として語ることができるとしても。

具体的な「討論」、がっぷり四つのトークをして(まあできにくいけれど)、自分より彼らは劣っている。何も考えていない。幸せが何かもわからない。生きている意味を考えていない。うんぬん言えますか?

例えば友達とふれあう機会がなかなかないと言うならば、身近な社会人=お父さん・お母さんとトークしてみてよ。生きる意味もわからずに、ただがむしゃらに働いているだけだ、と断罪できるとしたら、それはもう俺の価値観のゲージから落下するので。それではさようなら、ということになる。

わあ、なげえなあ。要するに考えなくてもいいんです。と言うか考える分量にふさわしいくらいの量で、働くことです。それは就職に限らず、皿を洗うとか、花に水をくれるとか、洗濯をするとかで、いいから。もしくは歩き続ける。走り続ける。「意識野」に「一心」だけ浮かべて黙々と働く。

考えすぎというのは、ことひきこもり的な人に取ってみれば、功罪ないまぜになるので、気をつけた方がいいと思います。




2887:俺はでも考えないなあ。上
名前:本間かいな   日時: 2004/10/19 22:49:58

ん〜、俺は落ちてる時、寝る人になった時は、意識的に何も考えないようにしているなあ。考えると悪いことばかりが巡ってきて、死にたくなるから。
そうすることの功罪はある。悪いことを考えない代わりにいいことも考えない。人生のプランがないのだ。いい歳をこいて「若い」「幼い」

考えることは悪いことではないかも知れないけれど、「考える」っていう状態は「言葉が浮かぶ」「好き嫌い反応する」「ビジョンがよぎる」「思い出している」等。様々な何やらかにやらが、好むと好まざるに関わらず、頭の前・目の中か上のあたりに浮かぶ。そのことなのだと思う。

「考える」というよりも「考えている」。嫌でも何かが、俺の言うところの「意識野」にある。眠っているか(眠っていても夢を見たりもするよね)、失神している状態で、初めて晴れて何も考えないという状態となる。

すなわち俺が、うつで何も考えないようにしている時でも、実は何か考えているんだよね。常に「意識野」には何かがある。何かが忍び寄ってくる。もうダメだもうダメだ。何にもしたくない。もう終わりにしたい。うつうつ…。

で、「何も考えない」というのはテクニックとして、わざと一つの何かをやるわけ。俺のこの間の長い寝る人の生活の時は、具体的に「ジョジョの奇妙な冒険」をランダムに取り出して。2部を読み、1部を振り返り、4部を読んでは、「やっぱこのあえて一つの町にこだわり、地理的には“冒険しない”ところが、いいんだよねえ」などと、一人で嬉々としてマンガの世界にダイブしていた。

「無心」は実は「一心」であると言うしね。「無心に仕事に打ち込む」ということは、すなわちその今現在やっている仕事そのものが「意識野」にある。それが「一心」

コルトさんの書き込みを読んでいて、浮かんだ意見なんだけどね。皮肉に聞こえたらゴメンなさいね。

結論から言うと俺の持論は、働きながら考える、考えながら働く、だと思います。車の両輪のように、どちらか片一方だけではダメで、ふたつをバランスよく回転させることが、スマートな生き方なのではないだろうか?だから、極端に言うと、答えが見つかるまで動かないというのは不健康だと思います。

コルトさんが、どんだけ本を読んで探求しているかはわからないから、俺の誤解だったら悪いなあと思うけど。ひきこもりの人は考えよう、探求しようという哲学的な勉強心から、考えているのだろうか?
考えることがないから、考えているんではないかなあ、主に自分のダメっぷりとか、とりまく環境への苛立ちとか。

そうじゃないっすか?俺はそうだけど。生きるの死ぬのと、極端な大テーマに直面しているけどそこで学問してますか?俺は俺の例しか知らないけれど、頭の中で過去のことや挫折・逃げ、様々なフラッシュ・バックがあり、苦しくて苛立ってため息吐いてまた眠り込んでやりすごします。哲学の本を紐解くこともないし、村上春樹の小説すら読まない。
ダークサイドから逃げるために「意識野」にテレビを見たり、マンガを読んだりしてます。う〜中略。コルトさんは苦しみを学問に昇華させて、考えているのかなあ?だったら、ゴメンなさいね。失礼なこと言ってたかも知れません。

きつい言葉で言えば「小人閑居して不善をなす」




2886:いちごさんへ
名前:まるひこ   日時: 2004/10/19 21:23:54

 おこがましいのは百も承知で書かせて頂きます。
 自分は三十四になるオヤジですが、十数年前は、夢も希望もあったピカピカの大学一年生だったわけです。一年間浪人していましたから、やっとの思いで掴んだ合格でした。どれほど嬉しかったか。
 ところが、どういうわけだか、一月、二月経ち、三月も経つと、目の前に開けていたはずの未来が、全く見えなくなっていました。
 大学に行くのが嫌で嫌で、もうたまらなく嫌で、どういったらいのか、自分自身が内側から崩壊して行くようなそんな絶望感を味わっていました。
 出来の悪い頭をフル稼働させて、どうにかこうにか、息も絶え絶え、掴み取った大学生活だったにも関わらず、自らそれを拒む結果になってしまいました。
 今から思うと、あの時、もっと正直になっていれば、今、そう思うことがあります。
 学校へ行きたくない、と言う気持ちを、もっと大切に、もっと大事に、もっと重要な心の叫びとして捉えることが出来たならと思えることがあります。

 そう言われたって、周りが、なにより自分自身が一番それを許せない。学校へ行けない、行きたくないなんて、自分自身許せない。プライドにかけて、絶対に許せない。今でもそう思う。
 でも、きっと理由がある筈なんだと思う。原因を探そうっていうんじゃない。今、そう言う気持ちだって事が何より大切。学校へ行きたくない。その気持ちが、何より大切な気がします。
 自分なんか、人に、何を言う権利も義理もへったくれもないんですけど、「行きたくない」って気持ち、決してないがしろにしちゃいけないと思うんです。
 行きたくないんだから。それにはちゃんとした理由があるんだから。わがまま言っているわけでも、身勝手言ってるわけでも何でもないんだから。とにかく、行きたくないんだから。
 自分など、親にどれだけ経済的、精神的負担をかけたか、恥ずかしくってとても書けやしません。
 ご両親に負担はかけたにせよ、それはそれとして、どうにか目をつぶって頂いて、今ある、その、「行きたくない」という気持ちは大事にしてやらなきゃならないように思えてならないんです。
 オヤジの戯言です。でも、その気持ちは痛いほど分かる気がして。



2885:Re:2883 いちごさんへ
名前:ゆきだるま   日時: 2004/10/19 20:33:37

確かに、親には言いづらいよね。でも思い切って、学校をやめても良いのではないでしょうか?もしかしたら、残りの授業料も返ってくるかもしれません。勇気を出して、「学校をやめたい。」と、心の内を親に伝えてみれば案外理解してくれるもの。聞く耳持たない!という方もいるかもしれないけど、でも、借金までして学校に行かせてあげようとしてくれるのだから、正直に話せばきっと分かってくれるはず。お金に関しては、いちごさんが少しずつ親に返していく方法もあります。とりあえず、親と話をしてみては?



2884:おだみさおさんへ
名前:のびた   日時: 2004/10/19 18:13:13

おだみさおさんは、漫画を描いているんですか?いいなぁ。
こういうのって年は全然関係ないと思います。年齢を言い訳に夢を諦めちゃう人よりかっこいいと思う。素敵だなぁ。
私も絵を描くのが趣味です。趣味というより癖です。学生時代は図工や美術の時間だけ目立てたのでうれしかったなぁ。でも最近じゃ自分の描く絵に嫌気がするんです(自分嫌いが絵に及んだらしいです)。でもやっぱり、絵でしか褒められたことがないからか、「絵で稼げたらなぁー」って心のどこかで思ってしまうのです。宙ぶらりんなのです。そんな私にとって、おださんはかっこいいです。年なんか考えず頑張ってみてください。
私はとりあえず、今は絵を将来の視野にいれず、外に出られるようになってアルバイト出来るようになることを目標にがんばります。



2883:どうしたらいんでしょう?
名前:いちご   日時: 2004/10/19 11:36:03

私は、高校を中退しました。そして、10月から通信学校に通ってます。でも、もう、通信学校へも行きたくありません。それで、ここ1週間くらいは、わざと、風邪をひくようにしてみたり、わざと、喘息になるようにしてみたりして何とか学校を、今休んでます。ホントは、はっきり言って今すぐにでも学校をやめたいです。でも、通信学校に入るとき最初に1年間のお金(75万)を払ったのです。しかも、親が借金までして。とてもじゃないけど、はいって1ヶ月もしないのにやめるなんて自分の口から言えません。家にいて、学校をサボっていても「学校はどうしよう?」といつも考えてしまい、ストレスがたまり毎日ドカ食いしてしまいます。ホントに私はどうしたらいいんでしょ?



2882:ひろぽんさんへ II
名前:諏訪哲人   日時: 2004/10/19 10:43:12

> 私の類型は・・・類型したければなさってください。

 発達障害と「ひきこもり」の類型化は私の仮説に過ぎません。その仮説にいたった過程を含めてもっと説明する必要があったのですが、それを省いてしまいました。「質問は私にとって残酷」との誤解も無理からないかもしれません。

 素人の私が、ひきこもり当事者の「手当て」をしてあげれるとは思っておりません。しかし、私は、根本的手当てのためには、原因をさぐり、通常の人がたどるであろう「心の発達過程」と異なるルートになったと思われる分岐点にまで時間を戻し、歩きなおす必要があると思います。可能ならやり直したらというものです。

 これは、「フロイト」の精神分析入門などを読んだ記憶をたどって得た考えです。精神科医から見れば素人のたわごとだとおもいますが。

 メールでなら類型に関する具体的なお話はいたしますが、板では控えます。

> 「嘆きとなぐさめ」の交流場であるとの受け止め方が主流・・・傲慢・・・
> ここに誰一人として、ここが「嘆きとなぐさめの交流場」だと思って投稿している方はいらっしゃらないと思います。

 私もそう思っています。

 自分の経験からだけですが、ひきこもりは、自力での脱出は難しいのではないか、また、たとえ親が「理解」あるいは直接的な攻撃をやめ「平和共存」状態になったとしても、「社会復帰」するのは難しいのではないかと思います。

 この板に登場する当事者のほとんどは、「親の理解」どころか「平和共存」さえ得られていないのではないかと見ています。ですから、そのような状況にある当事者については自分の書込みの対象とはしていません(文中、読んでいただければ誤解することもないのですが、よく読まない方が多いようです)。

 昨年末から私が書き込みを始めたとき、書き方が拙劣だったせいか、複数の方から、この板が「嘆きとなぐさめの交流場」であるとの「思い込み」に基づくコメント(すべて誤解)を頂きました。その方達を想定したつもりだったのですが、今度も書き方が拙かった為か、思いとは別に受け取られてしまったというわけです。

> 自分が悩んで苦しんでいて書きたいことを必死の思いで書いている。
> ここにいる人達の嘆きとなぐさめを見て何も感じないのでしょうか。

 私の息子は、今も当事者であることだけ申し上げておきます。

> 私が書いているのはもはや「ひきこもりの悩み」ではありません。
  人として、○○○(本名です)として生きている悩みです。

 では、どうしてこの板に登場されるのでしょうか?
 この板は人生論を語り合うための場ではないと思いますが?

> そういう意味で私に何かアドバイスをしていただけるのであれば、ありがたく頂戴したい・・・

 経済学では「反対給付なくして給付なし」と教えています。伝統工芸では、弟子は師匠の技を見て学びます。弟子は、指導料という金銭的対価の代わりに敬意という代価を支払います。それは封建的人間関係に基づくものであり、問題もありますが、日本の技術伝承システムとして長らく続いてきたものです。

 適切なたとえではありませんが、ひろぽんさんのいいぶりは、「技は教えろ、ありがたく頂戴してやる」といった構図になります。これは、拒絶の別表現だと受けとめるのが普通でしょうね。




2881:ひろぽんさんへ I
名前:諏訪哲人   日時: 2004/10/19 10:37:33

> メールでのやり取りは・・想像する以上に心の深層が語られやすいものだ・・
 ドス黒い感情や怒り、嫉妬などそれを抑える自信がありませんし、またそういった感情をぶつけられる間柄でもないと思います。

 メールというもの考え方が私とは異なっているようですね。
 私は「ひきこもり」限定の「二人だけの掲示板」くらいに考えていました。

 その性質により人間の実体験を通してしか伝え難い事柄があるものですが、氏素性から始まって個人の詳細な属性はお尋ねするつもりはありませんし、逆にお尋ねされてもお応えしないこともあると思います(状況次第ですが)。

 メール方式を選択したのは、過去の書込みで、掲示板で多少とも具体的な事柄を示せば自分が想像していないような、一方的な思い込みに基づく誤解としか思えないコメントをいただくことがあるという経験をしたからです。

 ですから、万人が見ている掲示板に書くことに過敏になっています。ですからそう親密ではなくても、メールによる限定掲示板でのやりとりならそれが防げるのではないかと思ったゆえの提案です。

 「心の深層」がどんなものを意味しているのか不明ですが、私は、ひきこもりに資するためのものであれば参考にしたいとは思いますが、おっしゃるような近しい関係でもない方のプライバシーまで伺いたいとは思いません。

 他人のグチを聞かされるのは楽しくないものです。当人はカタルシス(心の浄化)になっていいでしょうが、聞かされる身としてはつらいものです。それに耐えられるのは、家族か、親友か、プロのカウンセラーくらいでしょう。

 いずれにしても、趣旨はわかりました。レス、ありがとう。




2880:Re2863.こんにちは。
名前:あらけずりの木   日時: 2004/10/19 09:42:54

PHONEさん、こんにちは。

>私は仕事も出来る方では無いので、また仕事に就いても上手くやっていけるか心配です。
わかりますよ、その気持ち。自分が好きな事であれば不安よりも楽しみ、という感情が勝るのですけれどもね。

>今度は、職人見習いをやりたいと思っています。
どの世界でも、ベテランの仕事には感心させられます。でも、そのベテランも初めは不安でいっぱいの見習いだったはずです。

>時間がかかると思うのですが、少しずつやって行こうと思います。
そうですね、あせらないでね。
どんな職業を選ぶのかはわかりませんが、職人の世界の親方は面倒見のよい方が多いようです。
PHONEさんのことを理解してくれる会社が見つかりますように。




2879:医師
名前:まるひこ   日時: 2004/10/19 08:53:26

 今朝、またたまらなく不安な気持ちに落ち込んで、ふと気がついた。
 5ヶ月間、自分がかかっていた心療内科の医師は、決して、こちらに「苦しい」とは言わせない医師だった。
 どちらかというと、大声で、高圧的な態度で、紋切り型の質問しかしてこない。
  「元気?」と訊かれ、こちらは「はい」と答えるしかない。
  「食事は?」「眠れる?」「外出てる?」立て続けに訊かれる。それぞれに「はい」と答えるしかない。
  「はい」という答え以外は期待していない横柄としか言いようのない態度だ。まるで詰問されているようだった。警察の職務質問のように決まり決まったもので、訊きたくはないが、仕方なく訊いてやっているという態度だ。
 今まで、その医師にかかっていたのは、薬が実際効いていたことと、その一見冷淡な態度が、むしろ医師としての正しい姿なのだ、医師にはそれなりの考えがあってのことなのだ、と信じこんでいたせいだ。
 薬はともかく、医師の態度を信じる根拠など、実はどこにもないのだと今朝気がついた。
 患者に苦しさを訴えさせないのは何故だろう。
 混んでいるから? 面倒だから? 金にならないから? それとも無知だから?
 勝手に、苦しさを訴えさせない医師、などと断罪することに抵抗がないわけではない。向こうにはこちらには推し量れない事情があるのかもしれないし、単なる自分の思い過ごし、思い違いということも無いとは言えない。
 だが、この5ヶ月間、初診日以外一度たりとも、「苦しい」と訴えられなかった事実を考えると、かんぐりたくもなる。自分ばかりが悪いのだとは、言い切れなくなる。

 現役の医師で、この掲示板を見ている方は、たった一人でもいるのだろうか。
 勿論、匿名の世界で、医師を名乗る人間達と問答などするつもりなどない。
 ただ、医師を名乗る人間で、誰一人として、この掲示板を目にしていていないというのなら、それは異常なことではないのか。
 患者の声、苦しんでいる者の声を聞かず、彼らは一体、何に耳を傾けているのだろう。
 ひきこもりは、医療の範疇にない、そう言うつもりなのだろうか。
 何のために健康保険料を納めていたのか分からない。苦しさを訴えさせない医師など、もう要らない。




2878:有言実行。
名前:本間かいな   日時: 2004/10/19 05:22:24

「大丈夫。俺が一緒にやるじゃん」と言って励ましてくれたMさんは、ほんとに俺とMさんで分担していた実習先の確保を、一緒にしてひとつひとつほぐすようにずんずん進めていく。
長岡をやり、大阪をやり、昨日から一番遅れていた新潟に手をつけた。しかしこのスピードなら、何も「辞めます」と言って泣くこともない。ほんとだ、大丈夫だ、というのが見えてきた。いやあ、すごいなあ。

なんでMさんにはできて、俺にはできないのだろう?まずもって覚悟が違うよなあ。俺がやらなきゃ誰がやる。来年度分の承諾書をお願いするトークにしても、具体的で本当にお願いしている。俺は付け足しで、言わなきゃいけないから言っている。本当に欲しいんだ、という迫力に欠ける。

あと事務書式だなあ。この仕事の加速具合には、あの承諾書の書式と、実習先確保の全体を表にした一覧と、来年度分の承諾書の送付を記入する別表がある。これだ。こういうのが欲しかったんだ。→なら自分で作ればいいんだけど。何を恐れていたんだろう。無駄・二度手間を恐れていたんだ。

Mさんはアクセスを使って、依頼文書や承諾書などをプリントアウトしてくれる。そして、何と何がリンクして、どのような書式の表なり文章ができるかというのを全て把握している。
俺は実習確保の進行具合を表にしよう表にしようと思いつつ、できなかった。それは二度手間三度手間を恐れるというのと、実行力がないのと。だからたぶん一から自分で何かを作るというのがダメなのだ。ふがいない。

今はもう俺は赤ちゃん状態で、Mさんのしきりに任せて、俺の分・Mさんの分。と分けて、「それやるぞ」とほんとに「一緒に」やってくれている。ありがたい。「自我の崩壊した」俺にはほんとにありがたいリハビリだ。仕事できない状態から、俺を救い出してくれるのは、こんなMさんをおいて他にはいない。感謝。

そして、そうだ。俺が10日も休む前には、俺のパソコンにもアクセスを入れようというプランがあったのだ。いつかそこへ、いつかそこへ辿り着ければ俺も心から笑うことができるだろう。今はまだリハビリ中だ。無理をすまい。Mさんのリードでまた歩き出すんだ。まず休まずに働くこと・続けること。人のマネをしてもいいから、真剣に欲しがること。そして電話番ができるようになること。ひとつひとつだ。ひとつずつやろう。

この調子なら、うつから出られるかも知れない。自力ではできなかった。Mさんの有言実行にはほんと感謝してる。

ちなみに俺の現在の仕事は福祉専門学校の通信教育部。ホームヘルパー養成講座の実習担当の教務事務員です。そんで何かが「できない」と言っては落ち込み、続けて休む、ということが二度三度。本人的には「もう辞めよう」とまで思いつめていました。
世界は完全なる闇ではないのだな。なまねこなまねこ。もう少し寝よう。




2877:考えたこと(つづき)
名前:コルト   日時: 2004/10/19 00:07:23

 そして、「自分の人生の目的」を考える時、僕はどうしても、「自分は(社会において、また内面において)どういう存在なのか」について考えなくてはならない。幸せを追求するのは自分なのです。だから、自分について、自分はどういう性格かとか、自分は他人にどのような影響を与えているのかとか、反省するわけです。僕は自分について考えた時、どれほど自分が人に対して愚かな事をしてきたか、馬鹿だったかについて気がつきました。この「悟り」こそが自分をより進化させると思うのです。どうしても我々は「自己反省」が真の幸せを得るには必要だ。そして、長期間の「自己反省」によって自分の人格を洗練させることができ、自分が他人に与える影響について知ることができる。そして自分についてかなり正確に知ることができたとき、次の段階、「幸せ」について考えることができるのです。
 僕ははっきり言える。「引きこもり」は決して無駄ではない。むしろ忙しすぎて考える余裕すら与えない社会において、「引きこもる」ことは社会現象として起こらざるを得なかったことではないでしょうか?掲示板に載っている、皆さんの考えはどれも的を射ていてすばらしい。僕も多いに共感できます。それは「引きこもり」である我々が正確に自分を見直している結果だと思う。
 さらに、「一般の人」には、「自己」を見直している人が本当に少ない(中には立派な人もいます)。「引きこもり」を救う立場の人たちですら、これができていないひとが多くいることは皆さんの書き込みで示されている。自分を反省し自分を把握して、自分が他人に与える影響を認識することで、我々は他人を理解しようと努めるようになる。僕はまだ完全に「自己」を把握しているわけではないけれども、あの○○さんよりは把握しているといえる。僕は自分の内面を見直したことがなく、人の気持ちを考えない人間を見て、こんな人間たちに自分の人生を左右されているのか、と思うと腹が立ってきます。極言すれば、自分と人との関係を認識しない限り、その人は人ではなく、サルと変わりないといえる。
  ここから一つ考えられます。もともと社会は多くの凡人で構成されるのであって、我々が気にするほどのものではない。我々は、少なくとも「自分が何者か」を理解している、「真の人」からの助言のみを考慮すればいいのであって、そこらの「凡人」の考えは考えになっていないから深刻に受け止める必要はないのです。
 ここまで書いて僕は、「それはわかっているが外に出るとやはり緊張してしまう」事を考えずにいられない。だから我々は、結束が必要だと思うのです。自分の考えを確信に変えるために、我々には味方が必要だ。だから掲示板を書いたり、医師や教会に相談したりするのであって、決して掲示板で自分の意見を述べたり、嘆いたり、慰めあったりする事は無意味ではないと思います。
  (ぼくは「幸せとは何か」ということに触れませんでした。それは、まだ僕が実体をつかんでいないからです。トルストイの「人生論」には書いてあるのですが、まだ僕には納得できていません。)



2876:考えたこと
名前:コルト   日時: 2004/10/19 00:05:55

 (僕はまだ大学生ですが、これからとても偉そうな事を書きます。これに同意しようとしまいと、自由です。反論歓迎します。ただ、下に書いてあることは「僕の寝言」ではなくて、トルストイの「人生論」を参考にしています。)

 引きこもっているとひまな時が多くなりますよね。ひまだといろんなことが頭の中に思い浮かびます。僕も夜、寝床の中でぼんやりしているとどうしても考えてしまうことがある。
 自分は果たして何のために生きているのか?自分はそもそもどういう存在なのか?自分は他人とどのように関わっているのか?
 引きこもっている人は(僕も含めて)、どうしてもこの問題と向き合わねばならない。この問題は一見自分の「引きこもり問題」と関係がないように見える。しかし、実は密接に関係しているはずだ。僕は過去の書きこみを見ていて、「引きこもりの理由」として大きなものを二つ見つけた。「他の人とうまくやっていけない。」「自分の人生に疑問をもった。」
 我々の人生の目的は、「幸せを見つけること」このことに尽きる。「人の役に立ちたい」とか、「社会に認められたい」とかいうのはすべて、「幸せを手に入れたい」これに集約されると思います。「幸せ」をもはや手に入れることができないとわかった時、人は自殺する。
 「自分の人生に疑問をもつ」というのは、今自分のしていることが人生の目的を達成することに役立っていないのではないか?と感じた状態だと思います。ならば「自分の人生の目的」を考えなければならない。
  「他の人とうまくやっていけない」時(僕もそうだが)、人は社会に認められ、大きな幸せを獲得するはずであったのに、理想と現実のギャップにショックを受けてしまう。「社会に認められる」というのは真の人生の目的なのか?僕は考えてしまいます。自分は社会に必要とされていないのではないか?
 上の、2つの大きな悩みが示すように、「人生の目的」を発見することなしに、「引きこもり」から抜け出すことは不可能です。僕は一度、一年間引きこもった後、立ち直ったが、また引きこもりになってしまった。「人生の目的」問題を解決できなかったからです。結果、「きしょい」といわれることに再び耐えられなくなってしまった。目的がないと、障害にぶつかった時に挫折してしまいます。
 我々引きこもりは、しばしば大きな誤解をされる。それは、我々が「何もしていない」様に見えるからです。そんなことはない。我々は考えている。
 僕は、「引きこもり」だけでなく、全ての人間は「人生の目的」問題を考えることなしに真の幸せをつかむことはできないと思うのです。「人生の目的」を見つけ出せなければ、何か適当なものを「人生の目的」と思い込むか、何も考えることなしに空しく人生を終わるか。いずれにしても真の幸せからは遠い。
 つまり、人は皆幸せを求めて生きていて、幸せを求めていない人は生きているとは言えないが、幸せが欲しいと思う前に、幸せについてどうしても考えなければならないということです。そうでないと人は幸せを得られないし、幸せを得られない人は生きることができない。



2875:野あざみさんへ
名前:まるひこ   日時: 2004/10/18 23:46:54

 心を見透かされているようで、気恥ずかしい。
 何も考えないで書いているつもりが、仰るとおり、無理をしていたかもしれない。ぶち切れてても、背伸びしてても、それも自分だと、あきらめていますが。
 それでも、いつかの、野あざみさんの書き込みが、心にすんなり入ってきたのは事実です。

 通っていた心療内科、もう行くのやめようと思っています。ちょっと気まずいことになってしまったので。
 医者を変えるのは憂鬱です。変える理由は前の医師の治療方法に疑問があるから。もし、それを次の医者に伝えれば、また勘違いの被害妄想患者が流れ込んできたか、と思うのだろう。
 医者にも言い分はあろうが、こっちにだって言い分はある。医者と患者。立場が決定的に違う。どこで折り合えと言うのだろう。
 バスの運転手と乗客ほども違う。ただし、バスの運転手は運賃さえ払えば、数分の狂いはあっても、間違いなく目的地へ連れて行ってくれる。
 でも、医者はどうだろう。
 医者の立場なんて知らないが、医者も患者の立場なんてものには興味も関心もないらしい。こちらの生活が破綻しようが、知った事じゃない。こっちだって、病院が潰れようが知った事じゃない。どこで折り合えと言うのだろう。
 生活が不安で、それ自体が心の負担になっているのに、医者は見向きもしない。勝手に破綻でも何でもしろと言わんばかりだ。
 医者のあたりが悪かった、それだけなんだろうか。まるで障害年金をたかりに来たウジ虫みたいに扱われるのだけはごめんだ。冗談じゃない。

 すいません、愚痴ってしまって。
 これって「認知の誤り」なんでしょうかね。
 自分の見ている赤と、誰かの見ている赤とは、実は違う赤なんだ、って、どこかで聞いたことがあります。
 偏見は、仕方のないことなのかな。
 確かに、自分は偏見だらけで、現実をあまり知らない。事実と思っていても皆偏見なのかもしれない。
 そう一歩後ろへ引いて自分を見つめることは出来るけれど、その自分の姿はあまりに虚しい。あまりに心許ない。




2874:背負わない。
名前:本間かいな   日時: 2004/10/18 23:06:11

ああ、歯がぐらぐらしてる。左側で噛めない。ため息だ、やれやれ。

そんでもって、嫌でも続けていれば、答えなりヒントが得られるものだなあ、と思った。と言うか、Mさんがいい人なもんで、噛んで含めるように教えてくれた。

デイサービスの実習を休む人がいた。連絡もしない。施設の人から、予定の人が来ない、という電話をいただいた。電話する。出ない。自営業のお父さんに、勤務先ということで電話をしたら「具合が悪い」そうで、家で寝ていて電話にもでないんだろう、と。

で、明日は行けるのか、休むようだったら、施設の方と学校の方に電話をして下さい。と、先ほど=今日の夜お父さんに話した。

で、これでは手ぬるい!ダメだ!と。

今までのいくつかの経緯があって、どうも本人に全うする気があるのかないのか、怪しい、と。施設側に迷惑をかけるのがこの場合一番避けたいところ。
もう電話に出られない、ということからして、どっちかと言うと俺は身体よりも心の方なのかな?と思うけれど。
今日・明日・あさって。3日間の実習。今日・明日の2日がデイサービスの実習で、あさっては在宅介護支援センターの同行訪問。
今日の時点で既に、今日・明日とも込みでダメだと判断すること。と言うか2日単位で変更も別の施設、別の日程を設定し直すことになるから。すなわち、明日一日だけ実習をされると、逆に変なことになる。もう一日だけ、同じ施設に謝ってもう一日別の日にやらせてもらうのか。

そう言う訳で、要するにMさんから何を教わったかと言うと、「背負わない」こと。休むのは勝手だけれども、施設にその旨電話をしたり、学校の方にも電話をするのが、休む人の責任。それを俺が背負って、明日の朝から、施設に確認したり、その人の家に電話をしたり。やきもきするなんて。No Good。ノー・グッド。

受講生さんの方ですべきことははっきりその旨、お父さんにでもいいから、伝えること。こちらが肩代わりして、朝からそのことを覚えていて、振り回されることはバカバカしい。ほんとにそうだ。

背負わなくてもいいものは、背負わない。ほんとにそうだと思う。俺に欠けているのはそういうクールさだ。いちいちとか、何度もとか。俺はもたもたしている。
電話→依頼文・資料送付。でいいのに、電話→FAX送付→電話→依頼文・資料送付。と、余計なことまでしているから、俺は遅いのだ。

親切と丁寧は違う。とか、事務なのだから、事務的にやればいい、と部長先生にも指摘された。俺は受講生さんからの電話が長すぎる。いいものはいい、ダメなものはダメ。用件がわかったら、もう切りなさい、ということのようだ。やれやれ。

こういうことも、親切なMさんが教えてくれるから初めてわかること。まったくなあ。俺は甘いんだ。自分に甘いから人にも甘いんだろうなあ。ダメだなあ…。やれやれ。負うた子に教えられ。か。

医者とかカウンセラーが事務的だっていうのはどうなんだろう?やっぱり背負いたくないのだろうか。別に背負ってくれなくてもいいのにね。言葉を交わすうちに自分が気が付けることが何かあれば。答えではなくても、何かのヒントを掴むことができれば。めっけもんなんじゃないかなあ。

よし、明日も頑張って事務的に事務しようっと。毎朝うつなんだけどねえ。今日みたいに無理してでも会社に行けば、こんな風に何かを教わることもあるので。犬も歩けば、下手な鉄砲も数打ちゃ、ってことなんだろうねえ。Doo。




2873:吐露
名前:まるひこ   日時: 2004/10/18 21:08:07

 心に溜め込んでいたことは、吐き出せば楽になる、という。
 しかし、吐き出そうとして、吐き出せるのは、ほんのうわずみだけだ。煮えたぎる鍋の真ん中に浮かんできた灰汁だけだ。
 何を心に溜め込んでいるのか、それすら分からないのだから。何に苦しんでいるのか、何と戦っているのか、それも分からない。自分が本当に苦しんで、戦っているのかすら判然としない。吐き出そうとして、吐き出せるものなんかじゃない。
  「吐き出しちゃえよ」なんて言葉は、かえってこちらを身構えさせるだけだ。耳にはそう聞こえていても、心では「冷静になれよ」「大人になれよ」と聞き取っている。
 例えは悪いが、便秘で苦しんでいる人に、出せば楽なのに、なんて言って何になる。出ないから苦しんでるというのに。いや、便秘ならまだいい。何がつかえているのかは分かっているのだから(便秘にお悩みの方、お食事中の方、大変失礼)。

 突然、ふってわいたように嗚咽する。訳も分からず、はらはらと涙を流す。多分、そんな風にしか出てこない。その時、はじめて、心に何を溜め込んでいたのか、自分が何に、どれほど苦しんでいたのかが分かるのだと思う。
 今日、そんな経験をした。
 何がきっかけだったろう。たわいもない会話の筈だったのに、突然、感情があふれてきた。と、同時に、今がチャンスだと思った。
 いつもならブレーキがかかるところを、敢えてブレーキを踏まず、アクセルの方を踏んでやった。爆発した。声を荒げ、怒鳴り散らし、椅子を蹴飛ばしていた。
 母親はうろたえた。そして、いつものように母は罵った。お前は、それだからいつまでたっても駄目なんだと。
 いつの間にか嗚咽していた。何故、涙が出てくるのか分からなかった。
 部屋に戻ってから、おや、と思った。何故、罵られるのだろう。こんなに心は晴れやかなのに。言いたいことを言って、心に抱えていたことを吐き出してスッキリして、心晴れやかであるのに、どうして抑えつけられるのだろう、と。
 冷静になってから、母親に話した。責めないでくれと。自分はあの瞬間を待っていたのだと。吐き出したくても吐き出せなかった、長いことつかえて出てこなかったものが飛び出してきた瞬間なのだから、と。

 母親の前で涙を見せるなんて、子供の頃以来だ。
 子供の頃は、酷い泣き虫だった。どうやら、この年になってまたその虫が騒ぎ出したらしい。
 さすがに三十四面さげて泣きわめくわけにはゆかなかったが、心は三十数年前のその頃に戻っていたのかもしれない。
 なに、母親なら子供の泣き顔なんて見慣れてる。強がってみたって、体面繕ってみたって、一皮むけばこの様だ。今更恥じる必要もない。

 吐き出したものが何かと言えば、吐き出してしまった後では、実に、たわいもないこと。いや、そうでもないか。しかし傍から見ればたわいもないことに違いない。
 悔しかったこと、心残りだったこと、言うに言えなかったこと。心にはあっても、口には出せなかったこと。恥ずかしすぎて、とても自分の口から言うなんて、プライドが許さない、というようなこと。
 母は、黙って辛抱強く聞いてくれた。他人じゃ、こうはゆくまい。どこぞで資格を取ったカウンセラーごときが何を言う。母はタダで聞いてくれたぞ。薬だけよこして、ろくに診察もしない医者が何を言う。 
 母には申し訳なかった。そして、今まで生きていてくれたことを感謝する。ここに書く事じゃないな。口で言え、口で。




2872:ふるちゃんさんへ
名前:ぷー   日時: 2004/10/18 18:34:32

返信ありがとうございます!それだけで、うれしいです。
 自分も死にたいと思うときよくあります。このつらさは、誰にもわからないと思います・・・。けど、この前テレビで、人生で無駄な時なんてない、と言ってるのを聞いて同感しました。他人もしくは自分自身が今は無意味な時間と思ってるかもしれないけど、無意味じゃないんだ、と言いきかせてます。長いトンネルに入ってしまったけど、その先には出口があると信じてます。



2871:気付いたこと
名前:のびた   日時: 2004/10/18 16:30:40

18になる前に少しでも変わりたいと思って、環境を変えました。(引っ越すとか大げさなことじゃなく)どんどん変えました。汚いものといらないものを全部捨てています。すっごく気持ちが良いので皆さんにお勧めします。
ところで最近、きれいなものとか美しさを求めるのは自然な事だなぁと思いました。私はこれまで、外見だけに執着するなんて卑しいと思っていました。でもそれって実は妬みだったのかも(自信がないから)。人の外見に限らず、植物とか、空とか、美しいものはこの世にあふれていて、そういうものに触れると癒されるというか、心にまで美しさが染み込んでくる感覚がして、美しいってすごいなぁ!と思いました。汚いものを掃除してピカピカになると気持ちいいし。自分の中で美は癒しと感動ではないかと思ってます。
ひきこもってから私はだいぶ自分の外見と環境をほったらかしてきました。部屋がきれいになって気付いたのですが、汚いものと美しいものが精神に与える影響は大きいです。きれいになると何かやるぞーって気になります。パワーが生まれます。外見に限らず自分に美しさが生み出せるなら、その努力はしていこうと思ってます。



2870:ひきこもり号の栄冠
名前:落合   日時: 2004/10/18 16:01:34

ネットは対面接触を回避させる手段と
なっていることは否めない。
携帯電話の普及。多機能化、高速大容量化…
ブロードバンド化…

そんなことよりも
ゆとりとか癒しに耳を傾けた方がいいと思う。
スローライフを標榜しているのではない。
ただ人間の精神的な部分を現代の日本人はとかく
忘れがちだと思う。
利便性や物質的な豊かさを追求した結果、
少年犯罪が低年齢化し、不登校、ひきこもり、ニート…
そういう人が増加してきた。

宇宙船地球号のようにひきこもりも一つの船に乗っている。
時には船が傾き、船酔いする人もいる。
それでもマストを張って、大波に打たれながらも
雨にも負けず、風にも負けず
最後には希望の島へ到着する…
それが理想だ。

しかし、将来は「ひきこもり号」が益々、偏在化してしまうのではないか。
枠に括られ、型にはめられ、烙印を押され、
ひきこもりとそうでない人の格差が生じるのではないか。

今後、不安が増える一方だ。




2869:ぷーさんへ
名前:ふるちゃん   日時: 2004/10/18 13:00:23

 足を組んでる医者なんて、真剣みがないですね。私は病院通うの3ヶ所目です。今ようやく1年以上同じ病院に通い続けることができました。前の2ヶ所は、やっぱり自分には合ってなくて、先生がずっと下向いていたり、ろくに話も聞かない先生ばかりでした。
 過去にカウンセリングにも通ったけどダメでした。自分にはもうどうすることもできません。これ以上良くなりたくても限界があります。簡単なバイトも習い事もできません。今またネット喫茶でメールしてるのですが、こうすることしか私にはできないのです。疲れてくると死にたくもなります。死って逃げかもしれないけど、逃げたくなる程つらくなる時もあるんです。本気で死ぬことは考えてないけど、死にたいっていうより楽になりたい。死ねば楽になれるかわからないけど、どうしてもそう考えてしまうのです。生きていたいけど、疲れてくると死しか考えられなくなるのです。
 ほんとにつらいです。



2868:心療内科
名前:まるひこ   日時: 2004/10/18 10:48:41

 今朝、心療内科に行ってきた。障害基礎年金の事を訊ねたが、「あんたみたいなのが適用されるわけがない」と言われた。
 患者をどん底に突き落とすのが心療内科の仕事なのだろうか。
 実家が廃業し、結果、失業したが、退職金もないし、失業保険も支給されない。その上、高額な健康保険料が請求される。父は会社の負債を抱えたまま、両親とも年金暮らし。彼らに頼るわけには行かない。働きたくても働けない。今は薬で大分落ち着いてはいるが、履歴書を書こうとするだけでパニック発作を起こしそうになるのに面接なんてとても受けられない。車の運転はおろか、乗ることさえ不安だ。バスや地下鉄にも乗れない。
 どうしろというのだろう。首をくくって死ねと言うことなのか。
 どもって医者に上手く話せない。こちらが口を開く前に、医者は声を荒げる。荒げる意味が分からない。
 死ねと言っているのか? お前なんか死ねと。診察を終え、待合室で涙があふれそうで仕方なかった。
 全部自分が悪い? 働かない自分が悪い? 働かないのは自分のせい? 
 薬は効いてる。夜も眠れるようになったし、動悸や不整脈も呼吸困難もなくなった。薬が効いているからだ。部屋にいるからだ。
 その薬だってどうやって手に入れる? 部屋にいるのだってただではないのだ。その金はどこから調達する? 
 死ねってことなのか。さっさと首をくくって死ねって言ってるのか? 何故声を荒げる? 何故、話を聞かない? 聞こうとしない? 「ね、」「ね、」と念を押すばかりで、さっさと追い返そうとする。
 死ねってことなのか? なら、なぜそう言わない。
 死ねと言って相手が自殺でもしたら罪になる。だから死ねとは言わない。その代わり相手にしないし、話を聞こうともしない。
 死にたくなんてない。だから涙も出る。死にたくないから悲しい。
 どうしたらいいのか分からない。

 医者はしきりに初診日の事を言うが、病気が始まったのは6年前のことだ。
 勿論当時パニック発作なんて言葉も知らなかったし、当時十二指腸潰瘍で長くかかっていた医者からも、「あんたなんか悩んでいるように見えない」と診察中に机に足をのせられ煙草をふかされた。
 夜眠ろうとするとドキリと目を覚まし、それが朝までずっと続く。とにかく息が苦しくてベッドから起きあがることも出来なかった。甲状腺の検査もし肺の検査もしたが異常が見つからない。それでも苦しいことには変わりないので、診察を受けに行くと、何しに来たという顔をされる。それきり医者に対して不信感しか抱かなくなった。
 だから自分がパニック症状に苦しんでいるんだと自覚しても、なかなか心療内科へ行けなかった。6年もかかった。6年も苦しんできて、この様だ。
 また、「あんたなんか」だ。また言われた。自分は、それほどの人間でしかないのか。くずだと言いたいのか。ゴミだと言いたいのか。
 どうしたらいいのか分からない。




2867:生きていこうよ
名前:野あざみ   日時: 2004/10/18 09:43:32

まるひこさん、他のかたがた、私にはあなた方の苦しみがどれほど理解できるでしょうか。簡単にわかられてたまるか、とののしられるかもしれない。きっとわからないのでしょう。そして、現実にはなにもできない。
だけど生きるのがつらい、死にたいと思ったときもある私が言えること。
「生きようよ。」
親御さんもそれだけでいいと思ってるはず。
生きてれば必ず変わっていくよ。
自分が何もしなくともね。
「生きていこう」
私も生きるから。

「資格ない」と言いながら、何回もしょうもないこと書き込みしてごめんなさい。




2866:ひとりごと
名前:つくしんぼ   日時: 2004/10/18 02:09:51

ふぅ〜、明日からまた1週間が始まるのか。。
とても憂鬱な気分です。
日曜日の夜が一番嫌い。

いまのバイトを始めてから3週間ほど。そろそろ限界かも。いま事務の仕事をしています。職場の上司はいつもイライラしている人で会社の雰囲気は最悪です。毎日だれかを怒鳴っています。そして自分のミスは認めず、謝りません。怒鳴られた先輩社員のイライラは僕に向けられます(僕はやることは遅いし、覚えも悪いので仕方がないですけど・・)。

事務の仕事は今回が始めてなのですが、どこの会社もこんな感じなのでしょうか?いままでの僕のバイトの経験は倉庫内作業、お中元・お歳暮の配達などできるだけ一人になれる仕事を選んできました。でも今回は一人ではできない事務の仕事を選びました。それには理由があります。それは目指したい資格があって、それに関連した内容の仕事をしようと思ったからです。その資格を取れば、独立して会社勤めはしなくてすむという甘い考えと、いままでちゃんと働いてこなかったのは資格を取るためだと言い訳にしたいだけかも知れません(実際、勉強らしい勉強はしていません)。33にもなって自分のしたいことがわからないなんて情けないです。

これから先も短期のバイトをして、それが終わるとしばらく何もしないで、また短期のバイトをする、、その繰り返しのような気がして将来が全く見えない状態です。すごく怖い・・・。誰に相談していいかもわからない。

けんさんは3ヶ月以上も今の仕事を続けているんですよね。
本当にすごいと思います。

智子さんはその後どうですか?

根本的な解決にならないのに、自分と同じような状態にある人たちがいると思えるだけで安心しています。
いまはこの掲示板が僕の支えです。




2865:ひきこもりからニートへ
名前:メル   日時: 2004/10/17 22:38:45

 最近、話題にされるニート(就学も就業もしていない、職業訓練も受けていないひと)ですが、私が思うのは、社会は「ひきこもり」という言葉ではなく「ニート」という言葉をもちいて問題にしたがっているように見えることです。
 はじめは「ひきこもり」という言葉は、犯罪事件をきっかけにして社会問題として広まったように思います。人々は、犯罪という社会の危機、自らの生命的、身体的な危機として「ひきこもり」をとらえようとしました。ひきこもりの人々の存在の認知が広まれば、それを「絵的に」面白くとらえる(矯正するかにみえる)テレビが興味をひく。次に、その存在が多数に上ることが明らかになってくると、経済的な問題として「ひきこもり」をとらえようとする。将来も含めて財政危機などの社会や自らの経済的危機として。「ひきこもり」がなにか病的な(それが軽度なものであっても)状態を有しているとすれば、そこに何らかの配慮をしなければならないかもしれない。しかし、「ニート」とすれば、その定義が学んでない働いていないという単純なものであるから、考慮すべき要素を簡素化することが出来るだろう。もっぱら、経済問題としてしか社会は解決しようとしなくなる。
 これはおおざっぱな考え方だ(細かい議論をしていけば、けっしてこの限りではないと思う)。だから犯罪と絡めて議論しろというのではもちろんない(むしろ犯罪者になるのはひきこもりでない人のほうが確率が高いであろう)。
 ただ、経済問題としか、とらえようとしない傾向になりつつあるのではないかということに危機感を感じるのは私だけでしょうか。



2864:当事者と支援者の時間のちがい
名前:ごろん   日時: 2004/10/17 17:46:03

僕は引きこもりの当事者として色んな施設、病院に助けを求めてきた。
助ける側と助けられる側の時間の流れの違いをいつも痛切に感じていた。
引きこもりである僕は限られた狭い世界で生きている。
大きな変化はない 退屈でゆっくりと時間が流れている

支援する人は仕事でもプライベートの部分でも友人関係でも色々広い世界がある。
時間の流れも引きこもりの人より速い。

支援者は、サポートする引きこもりの人が早く結果を出さないことにいらだちあきらめてしまう事がある。
引きこもりで苦しんでいる人にとって小さな変化がとても大切な進歩だ。
その積み重ねを継続していくことが何より大事なんだ。

あるドラマにこんな言葉があった。
「思いやりとは相手を信じ、許し、待つことだ」キレイごとかもしれないが、その思いやりが何よりも大事なんだと思う。




2863:こんにちは。
名前:PHONE   日時: 2004/10/17 15:12:21

私は仕事も出来る方では無いので、また仕事に就いても上手くやっていけるか心配です。
今度は、職人見習いをやりたいと思っています。
まだ、就労に向けて準備中なので就職活動はしていません。
時間がかかると思うのですが、少しずつやって行こうと思います。



2862:2853.無題 まるひこさんへ
名前:野あざみ   日時: 2004/10/17 03:09:48

2853.の投稿を読んで、少し安心しました。なぜなら、自分の気持ちを吐き出しておられる、吐き出せているのかなあ、と言う感じがしたからです。
私に返信くださったときの内容は、無理をなさっているような気がしました。
この掲示板に来ているんだもの、現実生活で誰にも言えない気持ちを、ぶちまけてもいいと思います。気持ちのままに。そういう精神状態のときだってあると思います。そのためでもあるんじゃないのですか、この掲示板の存在意義は。
まるひこさんに返信いただいたから、舞い上がってストーカーしてるわけじゃありません。安心してください。
この間返信を読んだときに、真っ先に感じたことなのです。
身近な誰にも苦しみを言えない私は、ここに書くことで心の均衡を保てる感じがします。参加させてもらったばかりですが。

ああ、でも、最近も続けて人の態度を深読みして、「やっぱり嫌われてる・・・・」と思うことばかり。いいことだけカウントしようと思うのだけど難しいです。
医者やカウンセラーはこれを「認知の誤り」と言うのでしょうが、事実なんです。私は他人から受けるこういう態度を30年近くも体験してるんですから、紛れもない事実なんです。
やめようと思いながらまた借りてきた本を読んでいたら、自分は病気じゃない、ただの内気だよ、と思えてきました。
医者に行ったから病名をもらったけど、多分違う。
じゃあどうしようか、どう改善したらよいのか。今までもいろいろ試してきたのに。一人でできるんだろうか。医者に行っても「自分が動かなけりゃどうにもならない」と痛感してるのに、また気持ちが揺らぎます。




2861:トラウマ
名前:   日時: 2004/10/17 02:17:53

僕は小中学校といじめられた経験があります。友達だと思っていた人にも裏切られたり、蹴られたり、馬鹿にされたりと、ものすごくつらいときでした。あれから20年以上経ちましたが今でも夢にでたりしてます。
地元には友達と呼べる人は一人もいません。飲み、遊びに行くなんてことありません。だって誰とも交流がないから。正直、地元に居たくはない、県内にも居たくないです。顔見知りに会いたくないのです。また昔みたいになりそうで。今地元に住んでいることがものすごく苦痛です。長男でなければ・・・。



2860:交響曲 第5番 『運命』
名前:おだみさお   日時: 2004/10/16 19:45:57

 みけんのしわが消えません。 いつも みけんにしわが よっている…。 笑ってる時も。 たぶん、寝てる時も。

 しあわせに なりたいなあ。 しあわせを感じて、こころから笑える日がくればいいのに…ね。

 女の子のコト、あきらめちゃってます。 仕事もないし、かせぎもないし。 それに、ふつーのひとと同じような おつきあいのしかた、できないだろうし…。 「外」に出られないし。 つか、出れるけど、息をとめて水の中に もぐってるようなもんだし。 デートもできない。 買い物も つきあえない…たぶん。 女の子と息を合わせるような、気のきいた会話もできないし。 女の子にボランティアさせちゃうような おつきあいじゃ、気の毒だし…。
 そもそも出会いがないし。 「ないし」じゃ哀しいから「少ないし」くらいに しとこ (笑) 。

 診察のとき、いつも思う。 担当の精神科の医師…女医さんなんだけど、高校の同窓生なんだよネ。 たぶん こっちが先輩で、むこうが後輩。 でも今は こっちが患者で、むこうが先生。 どうしてこんなに歩いてる道が ちがっちゃったのかなあ。 ふしぎ…。

 高校のころから、もし やりなおせたなら、こんなに ちがっちゃってないかナ? それとも やっぱり同じになっちゃうのかナ?
 いくら考えても、しかたない。 実際に やりなおしなんて、できないんだから…。
 現在の状況から、いかにして たてなおすかを考えなくちゃ。  …なんて、ネ。 マジに考えると、笑えてきちゃう。 あまりの お先真っ暗さに…。

 結局、できることを ひとつひとつ やるしかないよ、ね。 さきのコトを考えると、へこんじゃう。 足元だけ見つめて一歩ずつ、半歩ずつ進んでいくしかない。 「明けない夜は ない」とか、自分で自分に言い聞かせながら。
 いやってほど歩いてきたけど、いまだ 夜は明けないけど、ね…。(^ ^;)




2859:諏訪哲人さんへ
名前:ひろぽん   日時: 2004/10/16 11:27:49

諏訪哲人さん、お久しぶりです。
「やはり」と思われましたか(笑)。
お気遣いありがとうございます。

まず、始めに断らせて頂きたいのですが、メールでのやり取りについては遠慮したいと思います。メールでのやり取りはおそらく、諏訪哲人さんが想像する以上に心の深層が語られやすいものだと思います。前回の2816,2819の投稿等及びません。ドス黒い感情や怒り、嫉妬などそれを抑える自信がありませんし、またそういった感情をぶつけられる間柄でもないと思います。
何らかの趣味について話すのとは訳が違うのです。私にはそこまでの覚悟はありませんので、繰り返しになりますが遠慮させてください。

さて、諏訪哲人さんの投稿「2273:発達障害と「ひきこもり」の2類型 I」に対して感想をお聞かせ願いたいとのことですが、「貴方はどの類型に当てはまると思われましたか?」との質問は私にとって残酷であると思います。

例え話になりますが、「貴方はジャガイモです。肉じゃが、カレーの具、こふき芋、ポテトチップスなどいろんな調理方法があると思いますが、どのように調理されたいですか?」と言われているような気がしました。
この場合、調理される側にとって見れば、どう調理されようがまったく無関係ではないでしょうか。調理されることには変わりないのですから。そういう意味で調理人にとってはどう素材を料理するかは意味のあることですが、素材にとってはナンセンスなことだと思います。
私の類型は諏訪哲人さんが類型したければなさってください。それに対して何の非難もするつもりはありません。

最後に「嘆きとなぐさめ」の交流場であるとの受け止め方が主流なのかと思い冷却期間を置いたとのことですが、それは傲慢ではないでしょうか。ここに誰一人として、ここが「嘆きとなぐさめの交流場」だと思って投稿している方はいらっしゃらないと思います。自分が悩んで苦しんでいて書きたいことを必死の思いで書いている。それが結果的に外から見れば「嘆きとなぐさめ」の気持ちになっているだけであって、
初めからそういうテーマで募集しているわけではないでしょう。

諏訪哲人さんはここにいる人達の嘆きとなぐさめを見て何も感じないのでしょうか。
私は、感じています。
私が書いているのはもはや「ひきこもりの悩み」ではありません。人として、○○○(本名です)として生きている悩みです。
そういう意味で私に何かアドバイスをしていただけるのであれば、ありがたく頂戴したいと思います。大変失礼を申し上げました。
それでは、また。




2858:思春期
名前:ベッキー   日時: 2004/10/15 22:53:14

 今日は1週間延ばしの心療内科。
 また担当医の先生が変わってた。

斎藤環著「引きこもりー終わらない思春期」
読んでないのですが、思春期がだらだらと続いているという点で、私もすっごく的を得てると思います。
 段段と分かってきたのですが、私の場合が正にそうかもしれないから。20代後半になったからといっても・・・頭は沢山の悩みでいっぱい。
 自分の性格、容姿、要領悪い所とか。もっとずる賢く如才なくなりたいとか。
また情緒不安定で、急に気分滅入ったりドキドキしたりとか。10代の頃からちっとも変わってない。神経症とは、一生の付き合いなのかしら。
 世間の大人はよく、「10代は悩みが多い。青春のシンボルだ」とか10代の子だけが青春真っ盛りで、失敗しようが何しようが、窃盗しようがわがまま言おうが、「まだ若いし、子供だし成長過程だから」と許してくれる。てな所ある。
 それって何かすっげームカつきます。
 心の成長は人それぞれであって、私はまだ成長途中なのかも。だからわがまま言いたいし、らしくしたいし・・・・・・・・・・・・
 訳わかんなくなってきましたが、要は一度10代に戻ってやり直したいのです。中高生だけが青春盛りで不安定で。。。という世の大人達の見方って憤慨します。ムカつく。




2857:いじいじ…。
名前:おだみさお   日時: 2004/10/15 19:29:54

 37歳でプロ野球の入団テストを受けに行ったら、「バカじゃねーの? こいつ…なに考えてんだ?」って笑われちゃうんでしょうね。
 同じです。 プロの漫画…まして少女漫画だったら、20代の前半がリミットです。
 わかってます。 わかってて、でも描いちゃいました……。 
 なんでだろー? そりゃもちろん、ほんのちょびっとは夢見ちゃってたけど。 でもそんな「可能性」は、二階から目薬どころか、ランドマークタワーの屋上から地面に落ちてる針穴に目薬をたらして通すくらいの確率ですよねー (笑) 。
 それなのに、下書きして、線引いて、 (スクリーン) トーンをはって、セリフを書き入れて…。 気力をふりしぼって描くなんて、バカみたい。
 たぶん編集部のひとたちも、そう思ったでしょう、ね。 もしかしたら「ナメてんじゃねーよッ!!」とか、怒っちゃったかもしれません。
 でもナメてるわけじゃなく、ホントに一生懸命に気力をふりしぼって描いたんです。
 ただ、プロは「結果」です。 たとえお酒を飲みながら足で描いたって、売れたモン勝ちです。 編集部のひとたちは、『売れる漫画家』を発掘するのが仕事ですもんね。
 若い女の子たちの可能性・将来性の輝きの前には、いくら一生懸命になったって、かないません。 それもわかってます。
 問題は 10月23日の誌上に結果が出て、それから、です。
 ダメなの わかってて、でもまだ がんばるのか…。
  「もうだめだ〜」ってあきらめるのか…。
 どっちにしてもドカ─ン!…って落ち込みそう…。 沈んでいくのはしようがないにしても、圧潰しちゃわないようにしなくちゃ。 また浮上する─! って宣言しとかなきゃ。 へんな気を起こさないように。
 ごめんねー、いじいじ書いちゃって(^ ^;)
 10月23日ころも、またいじいじしちゃうかもしれないけど、ごめんねー (笑) 。
 でも ここにしか、たまってるマイナスのエネルギー出すとこがないの。
 ご迷惑でおじゃまでしょうけど、まだ しばらく置かしてください。



2856:晴天
名前:まるひこ   日時: 2004/10/15 15:53:45

 自分が死ななければならない気がして。およそ見当違いであることは、何となく分かるのだけれど。
 死んでどうなるものでもない。それも分かっている。死んだからと言って誰が喜ぶわけでもない。多分、誰も幸せにはしない。それどことか、大切な家族を不幸のどん底にたたき落とす。それだけは間違いない。
 ただ涙が出てきて仕方がなかった。頭からタオルかぶってうずくまっていた。そのうち何も考えられなくなった。何も考えなくていいような気がしてきた。
 今は病気を治すこと。それだけに専念するしかない。医師を信じ、自分を信じ、生きて行くことだけを考えるしかない。
 今日は天気がいい。少しは慰めになる。こんな自分にも日の光はさしてくる。明るいし暖かい。こんな自分にも恵みはある。誰も死ねとは言っていない。日の光は自分の身体を照らしてくれている。
 馬鹿だなと思う。百も承知の筈なのに。今更馬鹿もへったくれもないだろうに。
 明日も晴れるだろうか。それも一つの希望だ。晴れて気持ちの良い風が吹いて、外を出歩けばまた気分も変わるかもしれない。それも希望だ。
 一足飛びには何も変わらないにしても、全てを諦めるのには早すぎる。そう、第一、諦めきれっこない。
 今日はもういい。何もすまい。明日からまた頑張ればいい。
 それにしても天気がいい。少し恨めしいほど。どうせなら、明日、あさっての分までとっておいてほしいのに。
 と、そろそろ夕焼けか。ずいぶんと優しい光がカーテンを揺らしている。明日も晴れればいい。



2855:まるひこさん、気をつかってくれてありがとう。
名前:野あざみ   日時: 2004/10/15 13:08:38

大変な心境のときに、お返事を下さって、どうもありがとうございました。それも、あんなに私にお気遣いくださって、かえってすみませんでした。 
それなのに、返信が遅くなり、申しわけありません。私は家族にこのけいじばんを見ていることや、書き込みをしていることを知られたくないのです。夜は疲れて寝てしまうので、家族が寝ている間に・・・、というわけにもいかなくて、失礼いたしました。起きている根性もない私を許していただけますか・・・。
でもとっても、まるひこさんからの返信、嬉しかったです。ありがとう!
「心の隅にそっとくるんで置いといて」というのは、実は受け売りなんです。「自然にほどけて・・・」というのは、私の言葉ですが。
「迷う心の整理学」(講談社新書)の中の言葉です。ごめんなさいね、自分の言葉みたいに使って。この本に書いてあった、迷いや悩みのやり過ごし方というのが、気に入ったので書きました。
心療内科に行き始めて1年近くになりますが、いろいろ本を読みました。参考になるものも多かったけど、最近本(こういう関係の)を読むとかえって動悸がしてきたり、暗い気持ちになるような感じなのです。だからひとまずくるんでおいておこうと思いました。
そしてとりあえず今しなくてはならないことをするしかないな、と思っています。
不安な気持ちを持ちながら、生きていくしかないんです、今は。朝は来るし、おなかは減るし、洗濯はしなくてはならないし・・・。人と会わなくてはならないとき、しゃべらなくちゃならないときはあるし・・・。つらいけど仕方ないって思ってやり過ごしています。
私もこの掲示板見始めて、まだ1年になりません。共感できる意見がたくさんあって、書き込みして参加したかったけど、なかなかできませんでした。最近やっと、書き込みしてみたんです。
私も「自然にほどけて」きたんだと思っています。
心療内科に行くのも、次回で終わりにしようと思っています。薬のおかげもあってかもしれませんが、とりあえず落ち着いてきたので。でも医者に行ってよかった。「引きこもり」と言ってくれたから、ここに出会えたのですから。
病院は卒業したとしても、ここには来させてもらいますね。皆さんの力を分けてもらいたいから。
まるひこさん、お返事本当に有難うございました。



2854:ひろぽんさん、お久しぶり。
名前:諏訪哲人   日時: 2004/10/15 12:03:08

 2117:日時:2004/04/29で、「自分なりに社会を、家族を、そして、何よりも自分を分析し、「ひきこもり」から脱出することができた」とあったのですが・・

 私は、自分の経験から「わか(ったつもりにな)ることと習得することとは異なるものだ」と思っていましたから、やや気がかりでした。

 それからわずか1ヶ月後の6月初めの「ライダーズの詩に乗せて」を見ておやおやと思いました、同時に「やはり」とも。

 でも、貴方は、私のメールでの会話にお応えいただけなかったので静観することにしました。それから、また4ヶ月、今度のカキコです。
 この間、書き込みを止めていたのは、以下の理由もありました。

 6月の初めに、googleで自分の名前を検索していて、あるBLOGで私のNHK へのカキコについてコメントされる方があるのを発見しました。

 私としては、万人が読む可能性のあるネットでの意見表明であるため、その方の誤解だけでも解いておきたいと思い、場所が適当ではなかったのですが、書き込みをしメールでの釈明を提案したのですが、ここでと同じくレスがありませんでした。

 そして、それ以来その方のBLOGへのカキコがぷっつり途絶えてしまいました。悪いなと思い、自分のコメントを削除しようとしたのですが方法がわからずそのままになっています。この場をお借りしてお詫びします。

 もう一つは、ここでも、カキコをしたのですが、それまでと同様、最近のカキコを見ても、私のカキコを読んでいないのか、あるいは読んでも理解できなかったのか、ひきこもりに関して色んな主張が見られます。自分の書き方が拙劣なせいなのか、この板が「嘆きとなぐさめ」の交流場であるとの受けとめ方が主流なのかとも思い、しばらく冷却期間をおくことにしたのです。

 ひろぽんさん、「2273:発達障害の2類型と「ひきこもり」の2類型 I 」はおよみいただけましたでしょうか?

 他の方々にも、お聞きしたいところですが、貴方はどの類型に該当されると思われましたか?あるいはナンセンスな見解と思われても結構です。感想などお聞かせいただければ幸いです。

 同時に、板では話の内容が限定されてしまいます。再度、メールでのおはなしを提案します。

 ネットは万人が覗く可能性があり、デリケートなことは書けません。弁護士でも、ネットの相談は受けない方もあると聞いています。メールといっても、顔は見えないし、拘束されることは一切ないと思うのですが、いかがでしょうか?

 メール・ストーカーにはなりたくないし、逆もまた好みませんのでお気軽にいかがでしょうか?




2853:無題
名前:まるひこ   日時: 2004/10/15 11:55:38

 悪く考えてはいけない、自分を責めてはいけない。その意味が分からない。
 悪く考えてるつもりなんかない、自分を責めてるつもりもない。
 たとえ医者から処方された薬を飲んでいたって現実が何一つ変わるわけではない。取り囲んでいる状況、置かれた立場には何の変わりもない。
 今の自分を見つめているだけだ。自分を責めているわけでも、悪く考えているわけでもない。
 どうしようもないのが現実なのだから。

 時々思う。楽に死ねる方法があったなら、と。別に心の病気を抱えていなくたって、明日が来なければいい、どこかへ消えてしまいたいと願うことは、一度や二度あるものなのだろう。
 死にたくはない。死にたいはずがない。死ねるわけがない。
 自分を責めてるつもりなんかない。悪く考えてるつもりもない。ただ誰も生きろとは言ってくれない。そう感じる。
 生きるのは自分で、誰に命令されて生きているわけでもない。生きたければ、生きたいのなら、何をしようと何がどうなろうと、生きて行くしかない。
 それだけは分かっているつもりだ。
 自分を責めてなんかいない。いたずらに悪く考えているわけでも何でもない。現実がそうだというだけだ。
 どうやって乗り越えて行こう。どうやって生きて行こう。何も思い当たらない。どうしたらいいのか分からない。
 生きていること、それ自体が希望。ならば希望はあるはずなのに。
 今夜、飯にありつける。それが希望か。布団の中へ入って眠れる。それが希望か。多分、明日もやってくる。それが希望か。
 誰も耳をかしてくれそうにない。現実に話す相手もいない。
 父親、母親につい漏らすことがある。多分、これ以上の親不孝はないだろう。彼らに何の罪がある。彼らを苦しめる理由が何処にある。飯を食わせてもらって、何よりこの世に生んでくれて育ててくれた人たちだ。彼ら以上に大切にしなければならない人は、この世には他にいない。
 自分には無理だ。彼らに少しでも恩返しすることも、喜ばせることも。悲しみと絶望をあたえるだけで、他に何も出来ない。
 膝を痛めて歩くこともおぼつかなくなった。文字通り手足を奪われたようだ。この自分に、一体、何が出来るだろう。何をしてやれるだろう。多分生きていることだけ。




2852:なんとかしたい
名前:K   日時: 2004/10/15 05:02:35

大学を卒業してから正社員を経験。
これまで3つの会社を経験してきた。
でも、社会人をうまくやっていくことができない自分がいる。

最後の会社は、取引先の人に
「ひきこもりになるんじゃないか」とまで言われた。悲しかった。
ちょうどその頃は会社の上司にめちゃくちゃ怒られまくっていた日常を送っていたっけ。
そんな状況の自分を見てそう言ったのだろう。
それが現実になりつつある。

現在はアルバイトをしている。
正社員を目指しているのだが、就きたい仕事がわからなくなった。前に就きたい仕事はあったが、その仕事も魅力を失いつつある。どんな仕事を自分がしていいのかわからない。

不安はある。たくさんある。
果たして10年後どうなっているのか。
この年になって初めて一人で食っていくことの難しさを肌で感じている。
もう親にも頼れない。親もいつかは亡くなる。

もう30歳もとっくに過ぎ、彼女もいない。
これまで恋愛というのものを経験していない。
年をとればだんだん輝きもなくなってくるだろう。
焦る必要はない、と言われるけれども、今の自分のままでずっといるのは寂しい。寂しすぎる。
やり残したことがありすぎる。
早く職に就き、一人暮らしもして彼女を作りたい。

何かプラスのことを自分に仕向けようとしている。成長しようとしている。でも、1日たつと忘れて怠惰な自分がそこにいる。なんて自分は意志が弱くて、怠け者なのか。自分自身がイヤになる。

何が悪いのか。自分が悪いに決まっている。そんな自分をどこかに収めたい。ピタッとはまる場所に。そこから自分が成長できれば。自分を奮い立たせるのは疲れる。具体的に働いて一人で生活できるようにしたい。




2851:ひとりぼっち、ひとりっきりでもけだかく清くありたいと思う。
名前:シンビジウム   日時: 2004/10/15 04:23:04

遠い山から 吹いてくる
小寒い風に ゆれながら
けだかく清く におう花
きれいな野菊 うすむらさきよ

 これは、私の好きな唱歌・野菊の一番の歌詞です。ひきこもり状態で、ひとりぼっち、ひとりっきりでも、人や社会に流されることなく、私はこの歌詞のようにけだかく清くありたいと思っています。




2850:率直な気持ち、少し悲しいです。
名前:名前のない気持ち   日時: 2004/10/15 01:54:03

このサイトを見て投稿した人の数に驚き、やっぱ悲しかったです。きっとモヤモヤした気持ちの人がいっぱいいるんだって。
ぼくのことすこし紹介します。今は仕事やめて新しいこと始めようとしてます。大学に行く前一年間引きこもってました。そしてかなり苦しい気持ちのときが三年くらい続きました。それは、何故かそのときの僕にも友達が、自分で言うのもなんですが、ずいぶんといたのですが、その人たちといてもごくたまにしか気がやすまらなかったくらいです。僕の場合、自分については他の意見も合わせて徹底的に分析してました。なにが正しいか、人と話すことは何を話せばいいか、どうやったら人を傷つけないでいられるかなど、考えているうちに、深みにはまりました。
これが正直な気持ちです。字だけじゃ苦しみを伝えることは難しいですけど、同年代で僕ぐらい何かに悩んだ人は僕の周りを見てもそうはいないといえるくらいです。何年もかけて自分を分析して、好きだった自分と、その時なにが欠けていたかということを見つけられたけど。
でもね、誰もがいつも幸せなんて、あってほしいけどなくて、それが現実で、その現実を受け入れなければ僕も苦しかったし苦しむ人がいるんだ。倫理も大事だけど、現実に暮らしていかないと苦しっかったね。でも大切なことを間違えてる人がいたら、注意していいと思う。そして暖かくやさしくみんなをみてやることが一番いいと思う。やりたいことやんなきゃ、一度の人生だもん、今しかない時間だもん。きちっと今やるべきことことをやって、出来ないという恐れもあるが勇気と努力(この二つの言葉、馬鹿にしちゃいけませんよ。すごいパワーもってますから)でやる。それが現実を見て生きること。そして人と接するときや「ふっ」としたとき、暖かさやさしさを忘れないで。そうすれば人は怖くない。少なくとも、そうだな、ほとんどの人は怖くないよ。今考えたけど、俺の人生の中でうまが合わなかったり、嫌なやついたけど、今んなって思えば話し合える、はなしがわかるねーって人達がほとんどだったことに気づきます。
いろんな事人間だから考えるけどきっと答えが単純な時もあります。それで僕は自分の考えてきたことがおかしくて「なんだそりゃ〜」って笑っちゃったくらいです。今までつらかったけど、人間について何年間も考えてきたことがまとまって良かったと思っています。僕の原点、そしてスタートしました。まとまりのない文章でしたが書かして頂きありがとうございました。文では伝えきれないものもたくさんありましたが、僕もすっきりしました。ありがとうございました。



2849:深紅のカラスとmasterpiece BLEND
名前:海月   日時: 2004/10/15 00:10:29

そんなことをしている場合ではないだろうと言われそうですが、
今日、久しぶりに、カラオケに行ってきました。
行って思ったことなのですが、
もう少し愛想がよくてもいいのではないか
と感じました。嫌な人は他人ではなく、
自分の方であったのだ。
無愛想が円滑な人間関係の妨げとなり、
結果としてひきこもりになってしまうのかもと思いました。
 「死」についての意見が幾つか見られますが、
池田晶子さんの「41歳からの哲学」という本が
参考になると思います。
本当に追い詰められているのでなければ、
少なくとも自分から死のうとは思わなくなります。
死体を見ることが出来ても死を見ることはできない。

 >>2834:おだみさお さん
そうですか。原稿は手描きなのですね。
 Sさん、以前は素敵な絵とストーリーが人気だったのですが、
突然休載なされて2年前に復帰なされた時は、
絵の感じが変わっていました。
今でも影武者が描いているのではと噂される方です。




2848:コルトさんへ
名前:ベッキー   日時: 2004/10/14 23:15:58

前の投稿の続き。

コルトさん、容姿の醜さについて書いておられましたが・・・・・。私も、多分自分でも「ブス」だと思ってます。前にも容姿に悩んでることを、私も何度も投稿しました。
 酷いよなー。「人間は心だ」「人柄が大事」だの何だの綺麗事だか能書き垂れといて、その一方では、前から歩いてきた人が顔そむけたり、「きもい、きしょい」とか言ったり。
 あんまりですわ。
 私だってもっと美しかったら、チャーミングだったら、好きな人が出来て告白しても振られなかったし、今ごろ彼氏だって・・・・!!
社会に対する憎悪を感じてるとしたら、私の場合
世の男性に対する憎しみに駆られています。
 好きな人がいた。クッキー焼いてプレゼントした。学校で見かけると話かけたり講義で隣の席座っちゃたり。でも、「おれ彼女いるから」って冷たく避けられた。
 最近も振られた。
何故、私を愛してくれないんだろう。昔、周りの友達はみんな、彼氏持ち。なぜかもてる子が多くて高校生の時に男子校の文化祭に遊びに行って、友達の紹介で気に入られて、告白されずーっと付き合ってるだの、飲み会やサークルで告白されただの・・・・。
 私も同じようにサークルにもいた。飲み会にも参加した。でも何もなし。完全な無視され状態。
女友達からそんな話しを聞かされるたび、「ふ〜ん、よかったじゃん」と言いつつ、心の中では悔しくって情けなくって泣いていた。
 唇かんで暗い部屋ん中で八つ当たり。

「人間的に好きだ」なんて言われたって少しも嬉しくありません。馬鹿じゃないの???????
 どの男の子も、男友達も女として見てくれなかった。何時の間にか、別な人を好きになって交際していた。あんた達の側で悲しく悲しく指をくわえて立っている女がいることに、気づかなかったのか?すごく悩んで、心がずたずたに切り裂かれて血潮が吹いてるのを。
 すっごく空しい気持ちが分かるの??
 最近じゃ、恋愛映画、ラブストーリーも怖くてバカバカしくて観られない。学生時代の男友達とも全て縁切った。努力も放棄した。




2847:本間かいなさんへ
名前:ベッキー   日時: 2004/10/14 22:45:18

こんばんはーのベッキ−ちゃんです(今書きこみ投稿してるの、夜だからです)。

本間かいなさん、ネットカフェについての情報、ありがとうございます。二時間で900円かー。となると映画館で観るのの半額というところでしょうか。
割引デーが女性用にあるっていうのが嬉しいですね。
それにしても、俳優さん女優さんって綺麗だな〜。美しい。まさに美の女神に愛されて産まれてきた人達なんでしょうね。
 私はTVを、CMを見る度、にっこりと微笑むタレントのガールズたちをみるたび、女優を見る度、
「彼女(彼)達は、凡人とは違う特別高級なひとたち」
 なんだろうなとうっとりしてしまう。ロードショー、図書館行って借りてきた。同じ年頃なのに、あたしと違ってこんなにも輝いていて、美人で愛されていて・・・・・。ああ、この光の中に入りたい。




2846:モラルの崩壊
名前:落合   日時: 2004/10/14 22:21:16

最近、外に出にくくなったとつくづく思う。小学生の頃は道端で通りすがりに高校生にガムを吐きかけられても、友人がいたから自信が持てた。昔からモラルは崩壊していたのかもしれない。
ところで、普通に働いている人は自分はひきこもりにならない自信みたいなものがあるのだろうか?それは学生時代に培われたのだろうか?私はこれから人間関係をうまく築ける自信がない。完全なひきこもりではないかもしれないが、社会に溶け込んでる感じがしない。生きていくことが不安でしょうがない。



2845:疲れたなあ。
名前:本間かいな   日時: 2004/10/14 22:08:59

疲れやすいなあ…。はあ、あんまし頭も働かないや。もう寝よう、明日はスポーツ大会だから休みみたいなもんだね。でもきっとまた、どこにいたらいいのか、とかそういうことに苦しむことになる。おまけに禁煙デーだから、タバコを吸いに表に出ることもできないや。やれやれ。

   秋甘くどこから匂うキンモクセイ

   朝夜に開いて閉じるオシロイバナ

   バイパスでクロネコ追い越すゆうパック

   帰り道いるかな?イチにゃんこ2にゃんこ

ああ、やれやれ。いい季節ですよ。キンモクセイの匂い。甘い。どこだ?

社会かあ…。世間とか…。ゆとりがないんだよねえ。2週間のバカンスとか、昼寝の習慣とか。みんなのんびりしてくれたら、ひきこもり的な人も、その間に頑張ってついてゆくのに。勉強したり練習したりしてさ。

みんな必死になってすごく頑張っているからなあ。そんなペースの世の流れにはついていけない、入っていけない。

とりあえず、サービス残業というのは悪い風習だから、関係機関にはしっかり取り締まってもらいたい。なんやねん、サービスって?働いているんだから、金を払えよ。くれないなら定時で帰りまーす。

そういうのね、ほんとは労働組合で連合して赤い旗を振って、国会の前でデモとかするべきだと思う。ひどい労働環境だと思います。落ちこぼれたらジ・エンド。だからみんな必死になって、汲々として働く。文句も言わすに働く。愚痴はこぼすけど。

テレビとかネットとかで、我々大衆は「バカ」にされています。家族の一人一人の部屋にテレビがある。何を見ている?何を笑っている?個はバラバラにされ、上の方の人が望んでいる大衆の「白痴化」はまんまと大成功している。

60年代には労働者は団結してシュプレヒコールを力強く叫んでいた(と思う)。労働環境の劣悪さは度を増しているのに、労働者は労働者という言葉が似合わないくらいになった。団結とか大衆とか、もうそういう言葉は似合わない。

何だかなあ。そういう社会が生み出すうっぷんが、どのように吐き出されるのだろうか。少年犯罪とか、凶悪な衝動。役職ある人のハレンチな犯罪。あといろいろな社会問題。
ゆがみや、うっぷんは、さらに弱い人に集約される。さらにさらに弱い人が、憂さ晴らしにバカにされおとしめられ、居場所を追い出される。

ん〜何か適当に書いてしまった。間違いがあったら指摘して下さい。俺もこの社会は嫌いです。ゆとりがない。アフター5はどこへ行ったんだ?バブルの頃が懐かしいなあ…。




2844:朝昼晩さんへ
名前:ひろぽん   日時: 2004/10/14 18:36:59

初めまして、ひろぽんと申します。こうして、
掲示板の方に直接メールを送らせていただくのは、ずいぶん久しぶりですが、投稿を拝見して、私にも一言言わせて頂きたいと思い、投稿します。

私は思うんですが、因果っていうのはあると思うんです。ただ、それは人それぞれ違うっていうことなんじゃないでしょうか。
自分がこういう因果でひきこもったからって納得すれば、それはその人にとって因果だと思うんです。その因果に囚われすぎてもよくないとは思うんですが、もっと悪いのは、自分の因果を他人にも押し付けようとすることだと思うんですよね。そりゃあ、共感してくれたらうれしいと思うんですけど。
自分がこうだからひきこもったのできっと全員がそういう因果でひきこもったに違いない、と思うのがまずいんじゃないかと。
自分で原因が見えなくても他人が気づいた原因を指摘してくれることもあるかもしれません。
納得すれば、それをもとに脱出しようと思ってもいいし、それが重い、違うと思えば捨てればいいし。そんなもんじゃないですかね。
結局、朝昼晩さんのおっしゃる通り、原因は無数にあるってことなのかもしれません。
運命を受け入れるということと、運命を切り開くということは両立できるのではないかと、私は思っています。結果は抜きにして。

失礼致しました。




2843:初投稿
名前:ぷー   日時: 2004/10/14 16:38:52

ひきこもりになって早1年。きっかけは人間関係のストレスかな?来年30だし、あせりも少しだけどでてきた。今年前半はかなりのうつ状態で自殺願望もあった。でも相変わらず診療内科に通い続けてる。
今通ってる心療内科は4ヵ所め。昨日いってきたけど、診療中医者は足を組んでいる状態!それにはむかついたけど、皆さんはどう思いますか?なんか人生に疲れた・・・。



2842:できるだけ薄着ですごしています。
名前:シンビジウム   日時: 2004/10/14 05:55:40

 昨秋のNHK放送センター112スタジオでの矢井田瞳さんとのライブ&トークのときのトークタイムで、いつものように裸足で登場したヤイコさんに私はこのように質問し、ヤイコさんはこのように答えました。
私「初めて矢井田さんのライブを聴いたんですけれども、靴をはいていないのでびっくりしました。これはどうしてなんですか?」
ヤイコさん「履いていないほうが好きなんですよね。きょうのステージは温かいのか、冷たいのか、空洞なのか、何なのか、すごい直に感じられるのが好きで」

 私も家のなかでは冬でも裸足です。また、家の中でも外でもなるべく薄着ですごしています。できるだけ自分の皮膚で直に外の空気や風を感じていたいからです。今年・2004年は桜の開花がとても早く、夏は猛暑でしたので、1年のうち半分の6か月くらい半袖・ハーフパンツですごしました。体脂肪率が高いのも薄着でも平気でいられる要因です。服に関してはあまり重装備せず、子ども(?)は風の子というようなかんじで、元気よく薄着ですごしたいなあとこの歳になっても思っています。




2841:社会批判
名前:朝昼晩   日時: 2004/10/14 03:23:34

私も、引きこもりの原因をすべて個人の内面に還元するということに疑問を持っています。当然、社会の側にもその原因を見出すことはできるでしょう。もっと言うと、原因というものが実は私にはよく分からないのです。よくよく考えてみると私には因果というものがよく分からないのです。

第一に、直線的な因果関係を措定するということがはたして妥当なのかという疑問があります。
私は、かつて引きこもりの原因は高校時代の人間関係であったと思っていました。しかし、ではその人間関係の原因はなんだったのだろうか。それは、中学時代の人間関係の希薄さではないか。さらに、その原因は何だったのか。こう考えていくと無限後退に陥ってしまいます。あるいは、どこかで私の納得のいく「原因」を見出して、そこで納得をする。極論すれば、世界の存在がそもそもの引きこもりの根本原因だとも言いうるのです。ならば、この世を消滅させればよろしいと言うことにもなりえます。

第二に、相互的・複合的・可逆的な因果関係を措定するということがはたして妥当なのかという疑問があります。
私が最初に引きこもりの原因であったと思うところの高校時代の人間関係に関わる様々なもの―相手の性格、私の性格、先生の教育の仕方や人格、学校の校風・校則、親との関係、テレビ、ラジオ、雑誌、勉強、スポーツ、趣味、食事、睡眠、アルバイト等々―がまた考えられます。これらの輪は、複雑に絡み合っています。時に原因となり、時に結果となる。この場合、高校時代の人間関係というのは様々な因果の輪の一つに過ぎず、こうなるともはや高校時代の人間関係が唯一の原因だといは言えなくなる。裏を返せば、言えることは無限の原因があるということだけだと思うのです。

第三に、因果関係や決定論そのものに対する懐疑があります。
因果は必然性を要請します。すべては、整然と上から下へ落下するだけ。横にはみ出たり、偏りを生じたりすることがない。つまり、一切の偶然性はないと言うことになります。それ故、そこには「意志の自由」や「主体」や「歴史の形成」は入り込む余地がありません。あらゆる場面で、「運命なんだよ」で片付いてしまいます。私は、決定論的な世界を全面的に支持する気にはなれません。

このHPのQ&Aの「Q6」で「人がなぜ引きこもるかは、究極的にはわかりません」「原因として思い当たることは探していけば見つかるかもしれませんが、それが決定的な原因かどうかはたいていの場合よく分からないのです。ひきこもりは社会状況の影響なども含めたさまざまなレベルの問題が、複合的にからみあって起きているといえるでしょう」とありますが、このことの意味がなんとなくわかってきたような気がします。




2840:飛行機
名前:まるひこ   日時: 2004/10/14 01:43:36

 車の運転が出来た頃は、よく海へ出かけた。防波堤に座り込んで、呆っと、誰もいない海を眺めていた。数少ないお気に入りの場所だった。
 そこは、幼い頃に家族や親戚とやって来た浜辺だった。
 寄せる波が怖くて、父母がいくら呼んでも一歩も海へ近づけず、泣いてわめいた記憶がある。今でも海は怖い。金槌だからだろうか。
 車の免許を取ったばかりのころ、幼い頃のうろ覚えの景色を頼りに、偶然たどり着いたのが、その浜辺だった。もう十年以上前だ。
 そこは、近くに航空学校があって、ひっきりなしに小型練習機が飛んでいる。海から吹く風を利用して高く昇った飛行機は、自分が見上げる防波堤の真上あたりでゆっくりと旋回して松の砂防林の向こうへと消えて行く。
 高校の頃、クラスに数学が抜群にできる奴がいた。ただし実家が寿司屋で、卒業後は修行に出るとかで、進学はしないと決めていた。理系組だった自分は、もったいないと、我が事のように口惜しがったものだった。
 自分は、一年浪人して大学へ進んだ。一年はまだよかった。二年になってサボりがちになった。三年からは、まったく行かなくなり、事情もあって、父親の仕事を手伝っていた。四年が終わり留年は確実だった。たまたま仕事の現場が大学の傍だった。父に大学をやめると言ったら、勝手にしろと言われた。仕事を途中で抜け出して、作業着姿のまま大学の学務課のドアを叩いた。大学ばかりが人生じゃないと何故か慰められた。手続きの途中で、出張の仕事が入り、夜、出張先の安宿で、父が寝ている横で退学届けを書いた。体調がすぐれない。そのうち熱が出て身体がガタガタ震えだし動けなくなった。何とか出張を終え病院へ行くと、十二指腸潰瘍と言われた。飲み込んだ胃カメラが血だらけだった。
 大学もやめ、十二指腸潰瘍は快方へ向かっていたが、もう何もする気になれず、仕事もやめた。全てが終わったように思えた。
 そんなとき、風の便りに、寿司屋になっていたはずの彼が航空学校へ入学したと言う話を聞いた。何でも飛行機の整備士になるとかなんとか。
 航空学校から飛び立つ飛行機を眺め、ひょっとして、あれに彼が乗っているのかもしれないな、なんて考えながら、羨望と、焦燥と、いくらかの嫉妬とが入り交じった心をもてあましていた。



2839:独り言「ひきこもりをなくすには 2」
名前:ホーム   日時: 2004/10/14 01:32:48

私が言いたい事は、一時的にでも日本を180°変えるくらいの事をしないとひきこもりは根本的にはなくならないと思うのです。今のままではひきこもりを産む社会だと思われます。
私は精神面の真の指導者は宗教者だと思いますが、京都や奈良の寺院は観光ビジネスをやっています。それに仏教はビジネスの葬式仏教になっています。おまけに新興宗教は危険なレッテルを貼られてもしかたないような状態です。精神的指導者がこうですから世も末ですね。
**************************************************************
みんなが一つになって、手遅れになる前に精神面をよくする運動をしていかないと大変な事になります。予防という意味で今回投稿しました。インパクトの為にあえて長文にさせていただきました。申し訳ありません。
小物のくせにスケールの大きい事を言いたがる自分が嫌になりますが、そのくらいスケールの大きい運動を国民全体でしないといけないと思ったからです。

プロ野球再編問題で『ストライキ』が話題になりました。ひきこもりは一種の『ストライキ』ではないでしょうか?以前にも言いましたが、皆さん、堂々とひきこもってください。



2838:独り言「ひきこもりをなくすには 1」
名前:ホーム   日時: 2004/10/14 01:24:46

管理人さんというフィルターを通してしか投稿が掲載されない当掲示板。こういう仕組みの掲示板は編集型BBSとでも言うのでしょうか。掲載まで時間は少しだけかかりますが安全で質がよく安心できます。
昨日、ネットで知り合った若者が集団自殺するニュースがありました。またかと思いつつ記事を読んでいました。私は、人を管理する資格を持たない管理人と、社会に多大な影響を与えているのにもかかわらずネット社会の「利用者の自己責任」という無責任さが事件をおこした原因だと思います。
一般の掲示板では、「誰でも・どんな内容の投稿でも・瞬時に・不特定多数の方に」情報発信ができます。心中相手募集の投稿も掲載できます。編集型BBSならそういう投稿は掲載の前に削除されるでしょう。掲載され事件(心中)が起こってからでは遅いからです。もちろん編集者は法律やマナーなどを勉強され、人としても一流の方に限定されると思います。大手出版社の編集者の採用試験は100倍以上にもなるそうです。厳しい試験に合格した一流の方が編集者になるのですから一般の本や雑誌はレベルが高いのでしょうね。
皆さんは一般の掲示板にどのような意見をお持ちですか?私は掲示板は編集型にすべきだと思うのですが、表現の自由に反するとも思い複雑です。
少なくとも現在の掲示板やホームページは犯罪者やマナー違反者を教育している側面もあり、明らかに問題があると思います。ネットは無法地帯ではないですがそう勘違いしている方が多くて困ります。せめて、マナーや法律を含めたネット教育が一般に充分に広まるまで安全重視の編集型にすべきだと思うのですが…。皆さんの意見を聞いてみたいものです。
今のネットは利点と欠点の差が極端に大きすぎて一般向けとは言えないと思います。ネットの欠点に気づかず利益至上主義・無責任主義のプロバイダーの甘い言葉にのせられてネットをしている一般人。そう思わずにはいられません。
ネットは、理科系(技術)の分野は最先端にあると思います。しかし反面、掲示板やホームページ・マナー・法律など文科系の面は原始時代の感が否めません。

掲示板の管理人の頼りなさのお話をしてきました。掲示板を国におきかえると、管理人に当たるのは政府です。政府が頼りないのですからひきこもりを含め、世の中問題が多いのです。一般の掲示板は日本社会の縮図のようで大変興味深いです(苦笑)。
経済至上主義で精神面をおろそかにした事が原因だと思います。政府は精神面の対策をしてはいるようですがあまり効果がないと思っているのは私だけでしょうか。政府自体に精神面に問題があるのですから精神面の指導力がない事は自然な事とも言えます。どんなにすばらしい才能があっても進むべき方向を誤ってしまうと、その才能を悪用してしまう事になります。問題の先送り、税金の無駄遣い、無責任、自己中心的な政治ばかりです。あまりに情けないので私は怒りをとおりこして毎日開いた口がふさがらない状態です。
精神面に明らかに問題があるとされるニュースが絶えません。おまけにそういうニュースがなくなるとは思えないのです。景気回復や経済方面で大変だと思いますが、今までの政治を思い出すと明らかに自己中心的な行いばかりです。



2837:誤解を招かないように書いておきます。
名前:コルト   日時: 2004/10/13 23:33:58

 つい興奮して言いたいことからずれてしまいましたが、僕は決して「だから自分は何もしなくて良い、引きこもりのまま文句ばっかり言っていれば社会が勝手に変わって自分は出られるようになるんだ」などと言っているわけではありません。
  もちろん社会が劇的に変わって僕みたいな人間でも気楽に外に出られるようになればそれはそれでいいのですが、そんなことは僕も期待していません。むしろ僕はこれからますます出にくくなるのではないかと心配しています。なぜなら前に書いた、『「きしょい」などと言う連中が外で平然と歩き回っている』事態をほとんど誰も憂慮することなく、これを改善しようという動きが目に見えてこないからです。変えなければ変わりません。むしろ病気の根源が絶たれない以上、病気はさらに深刻化し、僕はますます絶望することになります。
 僕は「一般の人」に言いたいのですが、引きこもりの現状についてよく知って、1分だけでいいから「彼らの気持ち」について考えて欲しいのです。これが無いと何も始まりません。これが出来ないと言うのなら、せめて学校教育においてこういうことが起こっている事をなるべく正確に伝えて欲しい。僕は次世代の人間にもっとも可能性を期待しています。しかし、それもほとんど不可能に近い。教える側がまだわかっていないのだから。
 最も現実的なのは誰かが引きこもりの現実を訴えて改善を迫る何らかの運動を起こすことです。僕は大多数の人間が多数意見に従う事を知っています。僕たちの大きな声がマスコミを動かすことになれば少しは変わるでしょう。今は、まだマスコミは引きこもりについてよくわかっていません。
 少し希望的に書きましたが、これすら未だ可能性は微々たるものです。やはり今は自分が変わるしかありません。しかし、八方ふさがりに見える僕でも、まだ手は打てます。どんな手が打てるかは、次の時書きます。



2836:また二つに分けました。(すみません。)
名前:コルト   日時: 2004/10/13 23:04:06

 引きこもりになるのは社会にも原因があるが(これについてはこの前示しました)、自分にも原因があるのか?自分は屈辱的な苦しみを受けたが、引きこもりになるのは自分の選択であって自分が悪いのか?
 たぶんそうだ。自分は自分で考え、外に出るとこれほどの苦しみを味わうから、外になるべく出たくない、出たくないと思い引きこもりになるのだ。これは自分で選択したのであって、何者も干渉していない。自分はそうするのが最善だと思ったからそうしたのです。ならば自分の選択について後悔することはあるとしても、社会とは関係が無い。人々は自分の環境においてそれが公平であるにしても不公平であるにしても自分ですべき事を考え、自分で実行します。では自分はどうしてこんなに不満なのでしょう?自分に不満なのか?
 それは違う。社会は自分をこんな不当な立場においた。これが不満なのです。引きこもりはそれについてきた結果に過ぎない。僕は「引きこもり」としてではなく、一人の日本人として、人権が守られるはずの民主主義国家における一人の国民として「話が違うじゃないか」とほかの国民に向かって抗議するのです。
 そんな大げさなことかって?「一般人」は何かと「お前は引きこもりだ、引きこもりだ」と唱えるでしょう。僕は彼らに対して自分には文句を言う権利があるという事を言いたいのです。自分は不当な立場におかれ、その事を不満に思い、引きこもりになりました。引きこもりは自分の判断ですが、不当な立場においたのは社会です。「自分の引きこもり」について抗議すると「一般人」に揚げ足をとられます。自分はこういう不当な立場に置かれたのが不満なのだと我々は言うべきでしょう。
 また文が長くなり、すみません。僕はただ自分は気後れすることなく言いたい事を言える事を示したかっただけです。



2835:思ったこと
名前:コルト   日時: 2004/10/13 23:01:57

 僕の初めての書き込みに、反応が返ってきたのでとてもうれしいです。掲示板を見て、いくつか感じた事を書きたいと思います。
  この掲示板では「一般の人(正常な人)」と引きこもりの人がしばしば議論しているという趣旨の文を目にしましたが、僕もそれに同感です。やはり相手の立場を双方が理解しにくい以上、こうしたことは仕方が無いと思います。ただ、僕は思うのですが、「一般人」の悩みと「引きこもり」の悩みには隔たりがあるのでしょうか?よく「正常な人」は「そんなくだらない悩みで引きこもってるんじゃない」などと「引きこもり」を彼らの悩みもろとも非難しますが、僕は「正常な人」が非難している悩みは、彼ら自身のもつ悩みとほとんど同じなのではないかと考えています。さらに、この前の延長になりますが、「正常な人」は自分が受けている苦しみにもかかわらず(むしろ自分が苦しみを受けているために)、また別の人にほとんど同質の苦しみを与え、そのしわよせがいま「引きこもっている」我々に「大きな苦しみ」を与えているのかもしれないと僕は思います。ただしこの前と違って確信があって言っているわけではありません。
 「一般の人」も多かれ少なかれ被害者であり社会の病毒を受けているのであって、僕は彼らを許してあげるべきなのでしょうか?さあ?自分が苦しんでいるからと言って、人に新たな苦しみを与えていいのですか?
 また、「引きこもり」と「一般の人」が似たような環境におかれているのであれば、「引きこもり」の人は相対的に言って精神的に弱いと言えるのでしょうか?さあ?もしかするとそうかもしれません。僕自身は確かに屈辱的な苦しみを受けていますが、精神的に弱いのも事実です。では引きこもりはやはり自分が悪いのか?



2834:この平和日本のド真ん中で…。
名前:おだみさお   日時: 2004/10/13 20:58:07

 最初にあやまっちゃいます。 ごめんなさい。 ひとによっては ヤな感じに思われちゃうかもしれません。

 よく、「アフリカの一部の国では、食べるものもなくて、毎日ひとが たくさん死んでいる。 それに比べたら よっぽど恵まれているのに…死ぬ死ぬってカンタンに言うんじゃないッ !! 」なんて言われる。
 う〜ん…たしかに。 でも、恵まれてないひとたちを引き合いに出して、それと比べれば 『しあわせ』 だ…なんて、そんな言い方しちゃって いいのかナ。
 じゃあ「イラクのひとたちは、テロや爆撃の恐怖はあるけど、とりあえず食べれてるみたいだから、アフリカのひとたちよりは 『しあわせ』 だね。」なんて言い方したら、「なんてコト言うんだッ !! 」って非難されちゃう。
 でも、本気で死ぬコトなんて考えたこともないひとが、「死」について考えているひとに対して、だれだれとくらべれば 『しあわせ』 だ…なーんて平気で言っちゃう。 いいのかナ?

 イラクのひとも、アフリカのひとも、せいいっぱい生きているのに、「自分」から見て「恵まれてない」ってキメつけちゃうよーな言い方していいのかナ?
 当然、「死」について考えてしまうひとだって、せいいっぱい生きてます。 なんとか死なないように。 残り少ないプラスのエネルギーをかき集めて。 ろうそくに火をともすように。 風にゆらめいているけど…。

 命を大切に思わなければいけないのは、よーくわかってます。 ただそれは、比べて理解するものじゃないと思います。
 言わせてもらえば、命について考えるのだって、ふつうのひとたちに比べれば、よっぽど深く深く考えています。 生きることだけじゃなくて、生きることと死ぬことの、両方を考えてるんですから。

 自殺願望を正当化するつもりなんて ありません。 ただ、非難するよりは、わかってほしいのです。 「死」を考えるひとは、こころがキズついていて、弱ってるってことを…。

P・S
 2800 海月さん、気にかけていただいちゃって、ありがとです。 漫画は手描きです。 以前はマッキントッシュを使って描いてみたこともあったのですが…。 出来上がった作品をプリントアウトして送ってみたら、「(手描きの生原稿でなくては)ダメです」との 編集部からのお達しが…。
(^ ^;)
 あと、「Sさん」って、S郎正宗さんのコトですか? ファンなんです (笑) 。
 でも、あの描き込みのスゴさときたら…。 漫画を描くの、イヤんなってきます。 あまりの才能の差に。 これも、比べるのが間違ってるのかナ?




2833:こんにちは
名前:shiro   日時: 2004/10/13 19:56:16

これからの私の発言がホームページに載せてもらえるかどうか分からないけど、もし載せていただけるのなら、幸いだと思います。
それは性的なことです。引きこもりでも性的なものはあります。経験してみたい。
ビデオや本など見すぎたかもしれませんけど、
身体への好奇心だけで、女の人をそういう目でしか見られない自分がいたりします。女の人と話をしたりする時にはそういう下心があります。でもそうなると女性は引いてしまうというか、敬遠してしまうというか。
自分でも見透かされてしまうんじゃないのかなと不安です。
それより、人を好きになることの方が先決なのに、自分はなんでこんなんだろうと思います。
引きこもりの本にも終わらない思春期と書いてあったんだけど、まさしくその通りだと思います。
こんな私でも女の人を性の対象ではなく、一人の女の人として、人間として見ることができるのか不安です。
女の人はそのことについてどう思いますか?
また恋愛できる人はどのように思うのか、聞けたら嬉しいです。



2832:ひきこもり
名前:落合   日時: 2004/10/13 15:49:06

私も電車の中で隣が空席ということが多々ありました。
ひきこもりは顔が悪いせいか恋愛というものを知らない。世の中に溢れている音楽のテーマは恋愛ものが多い。それらを聴いている自分に違和感がある。
「俺にこんな曲聴く資格あんのかな?」っていう感じで。しかし、「愛」をテーマに歌わないものは少ない。
ひきこもりではない人が顔の悪いひきこもりの人を嘲笑する場面に数多く出くわした。私たちに人権はあるのか?ふと疑いたくなる。平等なのか?それは単なる法律の形式上のことなのか?と。同世代の人間は少なくとも私を尊重してはいないだろう。人間としてみなされていないのかもしれない。なんとか病で隔離されていた人々のように、私たちは潜在的なものとして扱われているのかもしれない。



2831:日本に必要な職業
名前:あらけずりの木   日時: 2004/10/13 15:41:18

PHONEさん、こんにちは。
読書が趣味、いいですね。
しかも資格試験の参考書、とくれば将来必ず役に立つでしょう。勉強が好きだったのかもしれませんね。

>最近は、ガテン系の職業で使う道具のマニュアルなどを読んでいます。
道具って観ているだけで味があり、輝いている美しい物もありますね。使うヒトの感性やイメージを拡げてくれるようです。

ガテン系はPHONEさんが言われるように、体力が必要とされる職業が多いですが、いわゆる職人さんには、一つのことを黙々とやるタイプがあり、PHONEさんのように何か好きな事(物)があるヒトには向いていると思います。
昔の職人さんは、「無口で無愛想だけど腕が立つ」というヒトが多かったようです。
もちろん仕事をしていく上で最低限の会話や関わりは必要です。要領は慣れてくれば後からついてくるものです。

初めてのことに挑戦することは、とても勇気がいることですね。
でも、その挑戦していこう、という気持ちは大切にしてください。
きっと、PHONEさんのようなヒトを必要にしている会社が見つかるはずです。




2830:コルトさんへ
名前:SIDE STANDER   日時: 2004/10/13 14:39:33

 自分の外見も相当醜いです(具体的には、異様に顔が大きい。今の世の中では完全にアウトですよね)。
コンビニのバイトのお姉さんが釣銭を投げてよこす(手が触れるのは絶対避けたいらしい)。
近所の子供達が「ばーか」などと言って走りよってくる(子供のほうが、「異物」に対する感覚が鋭い)。
付き合った女性から「話も合うし、とても楽しいけど、頼むから人前で慣れなれしくしないで欲しい」と言われる等々、書き出したら止まらないくらい悲惨なエピソードはたくさんあります(すれ違う人が大きく顔をそむけるなんてのは日常茶飯事です)。

 一時期、自分は「醜形恐怖症」で、「本当はそれほど醜くないのに、心の病気でそう感じてしまっている」と思い込もうとしましたが、どうやら本当に人に嫌悪感を感じさせる外見をしているらしい事を認めざるを得なくなり、絶望して4年間程ひきこもりました(その間の絶望感や死への願望等はここの掲示板で他の方が書かれているのとほぼ同様なので割愛します)。

 自分も、コルトさんと同様に、世間や社会に対する怒りを感じましたが、「人が人を侮辱したり軽蔑したりしない、少なくとも、それを表現しない礼儀を持った社会」が実現するのはまず無理だと思っています。何故なら、人と自分を差別化するのは人間を含めた動物の本能だと思うからです。「人より力が強い」「学歴がある」「お金がある」「顔がいい」等、努力して手にするもの、生まれた時に決定してしまうものなど分野はいろいろありこそすれ、結局は「自分は誰々より〇〇で勝っている」というのが人間が生きる上での動機付けの一つになっていると思うからです。なにかのコンプレックスにさいなまれている人間が、自分よりとてつもなく醜い人間を見つけて、「きもーい、うざーい、うぇー」等と声を上げて優越感を感じたくなる気持ちもなんとなくわかる気がします。




2829:ネットカフェで投稿してます
名前:ふるちゃん   日時: 2004/10/13 13:29:01

 初めてマンガ喫茶に入りました。何を見ていいのか解らず、家にもパソコンはあるのにここに来て投稿することもないのですが、場所を変えてレスするのもまた違った感覚でいいですね。なんだかすごく落ち着きます。外に出たのはいいのですが、何をしていいのか解らなくて、一度どういうところか入ってみたくなったのです。
 マンガはほとんど読まないので、ネットのみになってしまいますが、結構落ち着きますよ。ここは、隣りが、ボーリング場になっていて少しにぎやかなんですが、それもまた違った感覚でおもしろいです。
 なかなか気にいりました。



2828:どっちを向いても「心」だらけ
名前:秋風   日時: 2004/10/13 11:52:12

今の世の中、「社会派」なんてものは全く流行らない。ある人が人生に行き詰まり、悩み苦しんでいるとき、その人が真っ先にすがるものは臨床心理学であり、精神医学だ。「私の人生がうまくいかないのは、私の心に問題がある」と誰もが思っている。そこで「私が今苦しいのは、社会システムの側にも原因がある」などと言おうものなら、その人には「自分が悪いのに、社会に責任転嫁するダメ人間」というレッテルが貼られるだろう。どんな人の人生でも、最終的にはその人に責任がある。これは当然のことであり、私だってそう思っている。しかしその当たり前のことが、「自己責任」という名の下に強調されるのは、一体なぜなのだろうか。それは、本当に責任を取るべき誰かが責任逃れをして、個人の内面に責任をなすりつけるために生み出された都合のいい言葉ではないのだろうか。

この掲示板において、「ひきこもりたくてもひきこもれない人」と「現役のひきこもり」との議論を何度か目にしたが、いつも話がかみ合っていないという印象を受けた。「ひきこもりたくてもひきこもれない人」の言うことはいつも同じだ。「自分はこんなに苦労して働いているのに、働かないで生きている連中がいるなんて許せない」とひきこもりを非難するのだ。その人が苦しい原因は過酷な職場環境や人間関係であり、その大元を作っている経済状況にあるのにそちらには怒りが向けられず、そんな歪んだ環境に合わせない個人が悪い、と彼らは言うのだ。人を使う側にとっては、こんな都合のいい話はないだろう。誰も自分達に怒りは向けず、自らを鞭打って働いてくれるだけでなく、働けずにいる人たちまでも鞭打ってくれるというのだから。先日ある番組で「ニート」の特集があり、無職の男性が「働いたら負け」と答えていたそうだが、これだけ声高に労働の苦しさを訴える人が多ければ、自ら進んで働こうなどという意欲がわかないのも無理はないのかもしれない。

心理学にしろ精神医学にしろ、それが疲れた人の心を癒し、回復させるのに役立つものであることを私は否定しない。しかし人の苦しみを解釈するのは「心」を扱う人でなくてはならないのだろうか。人の内面に注目するあまり、社会全体を考察する視点が抜け落ちていないだろうか。ひきこもりやフリーター問題にしても、斎藤環氏の本を読んだ人は多いと思うのだけれど、対してこのサイトでもコラムを書かれている玄田有史氏の「仕事のなかの曖昧な不安」はどれだけ読まれているのだろう。フリーターが増加しているのは、会社に居座る中高年が若年層を締め出した結果であるというのがこの本の趣旨なのだが、本当だとすれば驚くべきことだ。最も盛んにフリーターを批判している人たちが、フリーター増加の元凶だというのである。それならば、彼らの性根を叩きなおしたところで、何も変わらない。ひきこもりも同じだ。彼らの多くは、社会復帰の第一歩としてまずフリーターになるのだから。

生きていくうえで自助努力が大事であるということ、それを否定するつもりはない。「社会が悪い」と100回叫んだところで社会の方が変わってくれるということも、まずあり得ない。だから自分を変えるしかない、という発想はわかるし、私自身も基本的にはそうしている。しかし、この社会に居場所を確保できないのはその人の心構えが悪く、社会の側には一切問題がない、ということで片付けられてしまうのなら、それは全くやりきれないことだという思いは、何とか社会の一角に食い込むことのできた今でも変わることがない。




2827:焦る毎日・・・
名前:智子   日時: 2004/10/13 10:02:32

色々な方からのレスを読みました。とても感謝してます。こんな私の気持ちや思いがわかってくれる人がいる。ただそれだけでも嬉しいし感謝です。最近は、朝から気分が憂鬱で焦ってます。あー今日はどうやって過ごそう、仕事しないとって毎日毎日、頭の中でグルグルと回ってます。多分、絶対に仕事が決まったら朝から吐き気がして腹痛が起こり、憂鬱な気分になるのがわかるのでそれも怖い。この気持ちは、どうせなら味わいたくない。けれど、だからって働かなくはいけない。いつまでも、こんな生活はよくない。心のどこかでは忙しい毎日を送りたいと思っている。応募の電話・面接・仕事が始まる・・・はぁ〜私には出来るのだろうか? 1日でも早くこんな毎日を抜け出したい。



2826:ひきこもった原因
名前:うすあじ   日時: 2004/10/13 04:26:20

初めて書きこみます。

自分自身でもはっきりと分からなかった
自分が引き篭もった原因について考えてみました。

私は小学生の時に熾烈ないじめを受けていたんですが、どう考えても、それから現在までの自分が本当の自分じゃないという感覚がしてます。

いじめにあっていた小学生の頃の私は、
仲の良かった友達が全員いじめる側に参加したので孤立してしまい、いじめに対してどう対処して
いいのかまったく分からない状態でした。

結局、いじめは直ぐ終わるんじゃないかと思っていじめる側に対して全く立ち向かわず、自分を押し殺してただ耐えているだけでした。しかし、実際には半年間毎日いじめは続きました。

おそらくその期間に自尊心や男らしさというものを捨ててしまったんです。

だから現在のように親に甘えたひきこもった生活が出来てしまうんじゃないかと思います。




2825:ベッキーさん、PHONEさん。
名前:本間かいな   日時: 2004/10/13 01:44:50

2812:ベッキーさん。そうですか、DVDないのかあ。となると、いっちょどうですか?ネットカフェは。1時間450円くらい、2時間なら900円か。そんでも入会する時に特典があると思うから、もう少し安くなると思います。

俺も必要にかられて、敷居を跨いでみたんだけれど、そんなに悪くはないですよ。ゲームもできるしネットもできるし、マンガも読めるしDVDも観られます。
普通の喫茶店に入るよりも、むしろ困難ではないと思います。「個室」というか個別のブースになって、仕切られているので他の人と会うことも話すことも、見られることもありません。

そんでPHONEさん、ガテン系ですか、いいですねえ。俺も造園屋さんや鉄工所で働いたことが、短いですがあります。何かでかいものを作るのはいいですよね。ダイナミックです。汗かいて一日を過ごすのは気持ち的にも晴ればれします。ビールがうまいっすよ。

それには体力が必要だから、毎日鍛えたらいいと思います。少しずつ少しずつ。そんじゃまた。




2824:コルトさんへ
名前:にじ   日時: 2004/10/12 23:14:49

ありきたりな言葉だけどあえて書きます。
コルトさん、気持ちはよくわかります。
僕も自分の顔にコンプレックスがあります。そのせいで高校生の頃、対人恐怖症になり今も苦しんでいます。もともと友達と遊んだり出かけたりすることが好きだったので今の生活はすごくつらいです。
コンプレックスを軽減するために最近はなるべく笑うようにしています。笑っているときは二枚目もブ男も関係ないと思うから。それに顔に関係なく「この人いい顔してる!」ていう人いると思うし。気休めかもしれないけどあまり思いつめないで下さいね。僕自身も最近行ったお店で鏡に映った自分の顔にショックを受けて、そういうことを考え始めたんですけどね(目がうつろでおびえるような顔をしてたのですっごくあせりました。いつもこんな顔して外歩いてたのか〜って)。



2823:コルトさんへ
名前:メル   日時: 2004/10/12 19:50:08

 私もあなたと同じようなことで中学生ごろから悩んでいました。そのような周りからの反応によって社会に対する憎悪をもつ私の人格の一部は形成されたと感じることもあります。
 しかし、彼らを変える方法は私にはありませんでした。何かこの社会をとりまく人の意識を変えようと考えてみてもとても現実的なものはありません。この不条理に私は怒りをもって屈服するしかありませんでした。
 彼らは自らの言動が「ほんの些細なこと」だとの認識があるようです。しかし、彼らにとってはほんの「いっときの」「ささいな」ものであっても、それらの反応を受け取る私たちには、不特定多数の「連続した」「絶え間ない」苦痛に他ならないのです。それを主張すると、今度は受け取る私の方が「敏感すぎる」と非難される始末です。「他の人はそんなにいちいち気にしていない」とのこと。このような経験のない人にとっては想像すらできないもののようです。だから、平然とそのような言動が出来るのでしょう。外へ出るときにはこのようなものと必死に「戦い」つづけている私の苦悩も知らずに。
 単にそのような反応をするな、というのではなく、その根底にある社会や文化をもっといきやすいものに変革していきたいのですが、どしたらよいものでしょうか。



2822:神経症だって辛いのだ
名前:ふるちゃん   日時: 2004/10/12 18:00:43

 私は、神経症と共に歩んできた気がします。
 自分が神経症じゃなかったら、もっと楽しい人生を歩んできたかもしれない。身体が不自由じゃなくても、心に病気を持ってても不自由を感じます。よく物事をプラス思考にって言うけど、私の人生挫折だらけでした。行きたかった専門学校にも病気で行かれず、やっと見つけた吹奏楽も病気ですぐ断念してしまった。プラスに物事を考えることに恐怖を感じることもあります。
 子供の頃からそうでした。小学校でも、中学高校でも、卒業してからも神経症に苦しめられました。今でもそう。小学校の時から、いつか楽になる時は来るって思ってきました。でも神経症には苦しめられて解放されることもなく今まできました。プラスに考えると、マイナスなことが起こります。だからプラスに物事を考えることがなかなか出来なくなりました。
 いつになったら病気から解放される時が来るんだって思う時がある。せめて、やりたかった吹奏楽がまた出来るようになったらいいのに。
 今は自信がありません。心の病気って理解されづらい。ほんとはすごく苦しいのに。辛いのに。怠けだけで片付けられたくありません。神経症でも一生懸命生きてます。怠けなんて絶対言われたくありません。多くの人が心の病気を理解してくれない。決して怠けじゃありません。
 心の病気を多くの人が理解してほしいって思う。働けない辛さをわかってほしい。



2821:字数が多すぎて分けることにしました。
名前:コルト   日時: 2004/10/12 01:40:40

 僕は何も自分を中傷した人を片っ端から法廷に連れ込もうとしているのではなく、言いたい事を抱えているのです。引きこもりでない、「一般の人」は、頭の中で何かと「引きこもり」のイメージを作っているようですが、彼らは、この世にいる引きこもりたちは「精神上の欠陥を抱えていて、勝手に引きこもった」のではなく、「日本社会そのもの(つまり日本人一人一人)が大勢の引きこもりを作り出している」可能性について考えたことがあるのでしょうか?彼らは日常生活の何気ない一言一言が引きこもりを生んでいるのをわかっているのでしょうか?知らず知らずのうちに社会にたまってきた病毒が引きこもりを生み出している可能性を知らないのでしょうか?
 僕は引きこもりの問題は一部に限定される、ひとごとで済む問題ではなく、教育に関わる、もしかすると社会全体を揺るがしかねない問題だと考えています。そもそも人の容姿が不恰好だ、気持ち悪いなどと言って笑う人間が何の良心の呵責も無く外を歩き回っている社会をどう思いますか?僕は何も不審な言動はしていません。ただ外にでると耐えがたい緊張と不安が襲います。何で見た目が悪いだけで外に出れんようになるのですか。多くの中傷は主に僕の同世代からですが、中には中年も混じっています。なぜあの連中を矯正しようと言う動きが現れないのでしょうか?どうもここには日本人一流の「事なかれ主義」が見え隠れしている様に思えてなりません。今はまだ他人事で済むかもしれませんがいずれ全土に飛び火するかもしれませんよ。
 いくら自分は正しい、やましいことは無いと確信しても、やっぱり外に出ると極度の緊張と絶望にさらされます。ここに書いてあるのはおそらく引きこもりの人にとっては(特に僕と同じ悩みを抱えている人にとっては)とっくに承知のことでしょう。しかし「一般人」には逆立ちで町内一周するよりも難しく思えるのかもしれません。「どうせわかってもらえない」と言うあきらめムードが引きこもりの人の多くに抱かれているのでしょうか。
 後からこの文を見たんですけど長すぎますしゴチャゴチャしててわかりにくいですね。次から短くします。



2920:いいたいこと
名前:コルト   日時: 2004/10/12 01:36:41

 初めて書き込みします。
 僕は今大学生ですが、醜形恐怖症で半年家に引きこもっていました。僕が悩んでいるのは正確に言えば「醜い」と言う話ではなく、顔が「気持ち悪い」(もっと俗に言えば「きもい」「きしょい」)と言われることです。
 後期が始まり、このまま家にこもり続けるのも問題なのでいやいや大学に出ることにしたのですが、外にでるとやっぱり…何かが起こるのです。人とすれ違う時には向かいから来る人が僕を見たくないというふうに目をそらそうとするし、電車に乗るとなぜか僕の周りの席は常に空いているし、講義室では意識的に僕から離れようとする人がよく見られるし、「きしょい」「やばい」だのと言う声が僕にはよく聞こえるのです。それでわずか1週間でうんざりしてしまいました。
 これらの「イベント」は5年前から僕の身に起こっていることですし、いまさら「それは妄想に過ぎない」とか「この世にはもっと苦しんでいる人が」とかいう事に触れるつもりはありません。これらのことは現に僕の周りで起きてきたことで、事実なのです。それに僕は今確かに、程度に関わり無く、不幸です。
 僕が強く不満に思っているのは今の僕の立場は全く不当であるからです。まず、一部の人は好感を持つと「かわいい」などといったり、嫌悪すると「きしょい」などと言ったりしますが(僕の同世代では人の印象についてこの2つしか知らない人が多くいますが)、これらの「印象」を左右するのが個人の考える「美的基準」です。しかしこれは結局マスコミや雑誌が作り上げたものに過ぎず、所変わればそれも変わってしまいます。手っ取り早くいえば「僕もほかの土地にいればなんて事の無い顔になる可能性がある」ということです。こんなあやふやな基準にしたがって僕を非難するのは正当といえるでしょうか?
 次に、百歩譲って僕の顔が「どこに行っても絶対に気持ち悪い」顔であるとしましょう。しかし、これでも僕を嘲笑する権利は無いのです。なぜなら、顔と言うのはなかなか変えられるものではないからです。例えば性格とか、態度であれば、非難されるような人は多くいますし、僕もそうした非難は場合によって正当だと考えます。それに性格は、自分の意思でかなり改善することが可能です。だからこそ、人はほかの人に態度を改善するよう忠告できますし、人に接する態度を変えることで人間関係がより円滑に進むこともできるのです。しかし、性格とは違い、顔など身体的なものは自分の選んだものではありません。人にどんなに非難されようと、改善することがほとんど出来ないのです。こうしたことをわきまえずに、性格に対する非難と同じように人の容姿を非難すると、単にいわれたほうがストレスをためるだけであり、全くそうした非難は建設的でなく、無意味なものになります。その非難はされたほうが悪いのではなく、相手の立場を考えずに非難したその人が不当であると僕は考えます。
 これらの2つの考えから導かれることは、僕だけでなく、全ての似たような症状を持つ人たち全般についていえるのですが、「容貌に関する非難は正当ではない」ということです。証拠をつかめば、裁判でも勝てるのではないでしょうか?



2819:詩のような、愚痴のような、希望のような。
名前:ひろぽん   日時: 2004/10/12 00:35:49

いつからだろう。僕はどこにもない場所に何者でもないまま閉じ込められていつのまにか年をとってしまった。

僕を育ててくれたのは誰だっけ?。ああ、そうだ、父と母だった。

僕を助けてくれたのは誰だったろう。ああ、そうだ、お金がないからあんまり読むことも見ることもできなかったけど、本と映画の中の登場人物だった。

僕を愛してくれたのは誰だっただろう。ああ、そうだ、自分だけだった。

そこから時は流れ始める。いつのまにか失った時間と夢と欲望を一番深い心のブラックボックスに押し込めて。

社会は人を育ててくれるものだと言う。知らなかった。僕は今まで社会は要らないものを排除して効率的に秩序を保つための枠組みだと思っていたよ。

近所のおばさんもおじさんも幼馴染も頼りになる先輩もいなかった僕は、いつも一人ぼっちで「世の中」と対峙していた。
ああ、そうだね。お金がないから、話題がないから、能力がないから「世の中」には入れるはずもないね。

僕は誰を育てただろう。ああ、そうだ、誰も育てていなかった。

僕は誰を助けただろう。ああ、そうだ、誰も助けたことはなかったね。

僕は誰を愛しただろう。ああ、そうだ、誰も愛したことはなかったね。

僕はこれからどうやって生きていけばいいんだろう。ああ、そうだ、自分で決めていかなきゃならないね。

僕はいったい誰なんだろう。はあ、先が思いやられる。でも前よりもずっとましになりました。




2818:後悔のこと
名前:たいち   日時: 2004/10/11 23:37:29

 僕もまた、長い間この掲示板にお世話になっていますが、このところちょっと気がついたことがあります。
 はじめの頃は、「親がわかってくれない」など周囲の無理解を叫ぶ声が多かったのに、このあたりになって、「もう選びなおすことができない自分自身の生き方を悔やむ」といった自分を激しく責めるご意見が多く見られるように変わってきたと思うのです。
 2775:フリー様 や2766:シンビジウム様 の話を読んだとき、その話が僕の大学生活とすごく似ていた。そして、あの4年を無駄にしたことが、自分が人と同じ流れに戻る最後の機会を自分で捨ててしまったのだと、僕も自分の生き方を後悔し続けています..。
 みんな大学時代は「夏休みは仲間たちと旅行に行った」とか 「ワイワイ徹夜でドライブ」とか 「飲みまくってハメをはずした」とか 「宿題は全部写させてもらってあとは遊び」とか..、それが普通じゃないですか。
 それにひきかえ僕はずっと、教室では前の席で机にかじりついていた。休み時間は図書館でとりあえず本を広げていた。食堂でひとり食事をするのが情けなくて、どこかの薄暗い階段に座り込んで、近くのコンビで買ったパンとジュースで済ませていた。
 やめて会社勤めするのは嫌だった。また、学費がものすごく高いことは知っていたので、そこまでして僕を学校へ行かせてくれる家族の気持ちを無にしたくなかった。
 ....僕は小・中学と「ねくらくん」ですごした。運動神経ゼロの僕にとって、体でコミュニケーションがとれないのは子供同士の人間関係を構築する上で致命的だった。それゆえ、「ねくらくん」になるしかなかった。
 そこで高校のとき、好きだったパソコン遊びを捨てて、ムリヤリに運動部に入部した。
 でも、小さい頃培ってこなかった対人能力と、生まれながらの運動センスのなさで、ことごとく玉砕だった。
 パソコンの特技もあのときに枯れてしまい、「培ってこなかった対人能力によって人から逃げ続けてきた」という借金は、もう手が付けられないほどに膨らんでいた....。
 大学に入って、まわりを見ると、みんなが僕よりとても大きく見えた。僕は体だけ大きいが、中身はがらんどうだった。
 声をかけて、はじめのうちは友達になるかもしれないけれど、じきに僕の中身を見透かされて破局を迎えるのは明白だった。
 あまりにも「ツケ」を貯め続けすぎた..。 やりなおせない、と思った。 だから、あの4年間、どうすることもできなかった....。
 そんな状態で卒業して、就職すれば、どんな悲劇的な結果が待っているか。僕は卒業するまえからわかっていた。でも、人々の大きな流れに僕も押し流されていってしまったんだ..。
  いつだったか、「自分は中卒だから」と自分をおとしめていた方がいて、本間かいな様が「大丈夫さ」と励ましていたことがありました。僕もそう思います。今の世の中、学歴などなんの効果もありません。
 ....とにかく、あとで悔やむことがひとつでも少なくなるような、そんな生き方を、してほしい。僕自身もまた、この世にいる間はこれ以上の後悔を積み重ねないようにしてゆきたいです。



2817:東京オリンピックから40年
名前:シンビジウム   日時: 2004/10/11 18:04:50

 この夏アテネオリンピックで盛り上がりましたが、今年は1964年に東京オリンピックが開催されてから40年になります。きょうの体育の日、私は国立競技場内にある秩父宮記念スポーツ博物館に行って、東京オリンピック40年記念特別企画の展示を見ました。また館内で、市川崑監督の東京オリンピックの記録映画を約3時間にわたって見ました。私は東京オリンピックが開催されたころは母の胎内にいました。東京オリンピックは私にとって生きる原点であり、生きる希望につながるものでもあります。いまはひきこもりという不遇な状態になってしまいましたが、東京オリンピックと聞いただけで胸がわくわくしたり心が熱くなることがあります。帰りに国立競技場のスタンドに入らせていただき周囲を見渡し、澄み切った心境になることができました。あの東京オリンピックのころの興奮と感動を、これからの私の人生のなかで少しでも生み出すことができればいいなあと思っています。



2816:ちょっとその先の自分へ
名前:ひろぽん   日時: 2004/10/11 00:32:15

皆さん、お久しぶりです。何とか生きてます(といっても気にしてる人なんていないかあ)。

今日、TR見てその後、パリーグのプレーオフの熱戦を見て、そのままチャン・イーモウ監督の「英雄」を見て、ちょっと自分の中の「憑き物」が落ちたような気がします。

女優の栗山千明さんが、言っていた、「好きなものよりも自分に似合うものを探している。」という感じの素敵な言葉がありました。
僕はちょうどそのことで今苦しんでいる時だったので、目から鱗が落ちるようでした。
そうなんだ。僕は自分に似合うものを探している。好きなものを追いかけようとするとそれはとてつもなく彼方にあって、努力しても努力しても届かない(届きそうだったこともあるから僕の場合は厄介なんだけど)。僕の「頭」は、その答えを実に論理的に僕から逃げ道を奪うかのように如実に示してくれる。諏訪哲人さんと話してきたように。だから、こうするしかない。しかし、そのための実現手段を得る可能性は限りなくゼロに近いと。でも、僕の「心」はそんなこと望んじゃいないってどこかで感じていた。
「英雄」の主人公の刺客4人は個人の恨みを捨てて、天下のために秦王を殺すことをしないで死ぬことを選んだ。これってきっといい意味で自分の運命を受け入れるっていうことなんじゃないかと思った。

僕は口先だけでまだ自分の「現実」から逃げようとしている。これは僕の長い間培ってきた生きかただから一朝一夕で直せるものではないかもしれないけれど、なんだか、今日いろんなものを見て、「一生童貞で、結婚もできなくて、孤独で、貧乏で、ホームレスになるかもしれない自分の人生」を受け入れられるような気がした。きっとみんなが笑う。蔑む。哀れむ。敬遠する。そしてのたれ死ぬのかもしれない。

でも、それが自分なんだ。きっと。
「好きなものと似合うものは違う。」
「なりたいものとなれるものは違う。」
「目指すものと目指せるものは違う。」
「やりたいこととできることは違う。」

だから、今の自分にできることができるんだ。
そうしたら、ちょっとその先の自分へなれるかもしれない。最後にちょっと甘いことを言いたくなっちゃいました(笑)。
でも、ちょっとその先の自分になれたかな。
ムーンライダーズが夢音楽館に出るのが楽しみだなあ。
それでは、皆さん、また。




2815:またまた・・
名前:智子   日時: 2004/10/10 22:47:30

こんにちは。やはり働くことが引きこもから脱出出来る方法なのでしょうか 今日も、求人情報に目をとおしました。働く気はあっても飛び込む勇気がない はぁ〜毎日が退屈としか最近思わない どうしたら飛び込めるのか。



2814:ブログを。
名前:沈丁花   日時: 2004/10/10 14:16:44

掲示板を読んでいて共感することも多いのだけど、この掲示板の構造上、有効な意見交換がされにくい気がします。せっかく同じ問題や悩みを抱えている人同士が集まっているのだから、誰かが提示した悩みや問題を一目瞭然でキャッチできて、それをみんなが個々で考え、意見交換をし、ひとつにまとめていける場であったら、ヘタなカウンセラーに通うよりよっぽど一人一人のチカラ(指針や勇気)になると思うのですが・・。 最近ブログが流行っていますよね。ここにブロク形式のものを作ってもらえたら、より同じ境遇や考えの人同士で意見交換がしやすくなるのでは?と思いました。



2813:こんにちは。
名前:PHONE   日時: 2004/10/10 13:26:07

私の趣味は本を読んだりする事なのですが、とくに資格試験の参考書を読むのが大好きです。
べつに受験する訳では無いのですが、なんとなく読んでみたくなるので、読んでいるだけです。
最近は、ガテン系の職業で使う道具のマニュアルなどを読んでいます。
将来はガテン系の職業に就きたいと思っているのですが、体力に自信が無いのと、私は要領が悪いので、なれるかどうかすごく不安です。



2812:無題
名前:ベッキー   日時: 2004/10/10 11:45:56

「死ぬまでにしたい10のこと」見たいんだけどDVD。残念ながら家には10年もののビデオデッキしかない。不公平だわ。DVDが普及してきたとはいえ、まだ持ってない人もいるのに。近所のレンタルビデオショップに抗議する勇気もない。

 先が見えないと、つい死についてよく考える。
どうせ死ぬんなら、何か凄いことやって死にたいな〜てね。私に酷いこと言った奴らも何も関係なくなる。ああ、私もリストアップしようかなあ。

 あなたばかりじゃない、悩んでるのはあなたただけではない、皆そうなの、自分だけが不幸だと思ってるのかい?、誰もが経験し乗り越えてることだから・・・・・こんなのクソくらえだ。
 心臓の動悸がガンガン頭に響くほど緊張して吐きそうなる。電車に乗るだけでも。便器にしゃがみこんで吐いちゃったこともある。
 強迫症ぽいのも。辛いこと愚痴ると、他人はこういう。だからなんだっていうの?
 「大変だったね。辛かったでしょう。」とかありのままに受け入れてくれる人がいれば、分かってくれるひとがいたなら、ただ辛さを聞いてくれるひとがいたなら、きっと私はここまで酷くならなかったと思う。 

 そんなのちっとも慰めにならねーんだよ。
 私ばかりじゃないからってなんだっていうんだ?




2811:神経っぽいので・・・(TOT:)
名前:ベッキー   日時: 2004/10/10 11:17:07

ここずーっと夜が好き。夜間のあの静けさが・・・。部屋ん中ごろごろして何をするでもなくボーっと。カーテンはらりと隙間空けて月を見る。

月はぼんやりとした光を投げかける。

何か、ここに来る人の中には、本間かいなさんとか「ジョジョの奇妙な冒険」等の漫画読んだり世間で話題にってる小説読めてる方も少なくないようですが、私には全くできません。
 集中力ないのか鬱状態なのか、本も読めないし読んでも面白くないし。。。いつのまにか心配事考えちゃってる。くよくよと。
 昔はへたっぴいな物語をノートに書いてたのにな〜。文章書くのが好きで。
 CDも聴かない。
 買い物神経症は相変わらず続いてる。
 トート、ボストンバック一つ選ぶのに「流行の型かな、皆が持ってるようなものかな、他の店にもっと良い奴があるかも、あ〜また失敗したって飽きたらどうしよ・・・」なんて考えてショッピングが苦痛になってます。スカートにしてもそう。
 ああ、私ってなんて駄目なんだろう。小さな小学生ですら横でちゃ〜んと選んでる。

 神様、あんたはほんとに存在するのかい??
 買い物楽しんだり、漫画や小説読んだりゲームしたり、そんな当たり前の「楽しみ」すら奪うというのか。心を病ませるだけじゃなく。
 こないだだって読みたくもない漫画勢いで買って、銭失いした。ワンピースだぞ。




2810:なんでもないようなことがええの〜
名前:ゴロン   日時: 2004/10/10 07:00:14

ひっきーになって強迫観念症という心の病気をして身にしみて感じることは、なんでもない事がなまら幸せなことなんだな〜って感じる事です。
なんでもないこと・・・。今PCでネットができることも当たり前になってなんでもないことになってきてる。でもよく考えるとPCするのも買うのにお金がかかるネットをやるのもかかる。目が見えないとできん、キーボードを打てないとできん、鬱になって気力がないとできん、元気がないとできん、日本語がわからんとできん、当たり前なことが本当は恵まれてるとつくづく思う。ありがたい本当にありがたい。
飯を口にいれてその口に入れたものを噛んで飲み込んで胃や腸が消化してくれ尿便としてでる。
歩いて天気のいい日にいい景色に心和む。
寝られること呼吸すること、暑い寒い痛い気持ちいいと感じられこと、すべて俺は幸せだと本当につくづく思う。
そんなこと当たり前だと思ってるけど当たり前に慣れ過ぎてその当たり前の良さ、ありがたさが脅かされないうちはまったくわからん。
それを失ってみないとわからんもんだと俺は思う。
もし僕が健康で日々の生活の中で穏やかに暮らしていればそんなことを感じることも考えることもないだろう。
不幸中の幸いかw僕には強迫観念症という病気があって、ちょっとしたことで大きな不安となって降りかかってくることが多々あるのでそう考える機会が多いんだと思う。

そもそも生きているって事は何か?自分が生きている事は意味があるのか?死ぬことが怖いから生きているのか?なんでこの世に生まれてきたのか?

もし、生きていることの本当の意味を知っているなら、迷ったり悩んだり苦しんだりする事はなくなるんだろうと思う。
俺はその生きてる意味を迷ったり悩んだり苦しんだりしながら、何かを感じ、葛藤し試行錯誤し考えていく。
その生きてる中で探していくものなのかな〜と思ったりする。

目先のことにとらわれないで、今自分のやれることを少しずつやる。自分の周りにある幸せ喜びを大切にして感謝の気持ちをもつ。今日を精一杯生きる。そうしている中で幸せになる道が開かれると信じている。
なんでもないような事でも、それは当たり前じゃない。 失わないとわからん。だけど失って気づいてから立ち直るまで受け入れるまで相当時間がかかるし困難が待ってる。




2809:仕事のこと
名前:つくしんぼ   日時: 2004/10/10 02:50:02

僕は今、バイトを始めて2週間くらいになります。それまで6,7年くらい無職でした。働くこと自体が嫌いというわけではないけど、人との関わりが苦手で就職することに戸惑いを感じていました・・今でもそうですが。。

僕がしゃべると、その場がしらけるというかシ〜ンとしてしまって重い空気になってしまいます。容姿にも自信がありません。小学校の頃、同じクラスの子に’変な顔’って言われたことがショックで、いまだに尾を引いています。あの頃はよく泣いて帰りました。そういうこともあって相手の顔もまともに見られず、人の輪の中になかなか入っていけません。本当はその輪の中に入りたい気持ちでいっぱいなんですけど・・・。

買い物など人のいる所へ外出することはなんとかできますが、職場の人など少し知っている人が苦手です。正社員として働かないのも、正社員だとずっとその会社にいなければならないというような拘束感みたいなものを感じるからかもしれません。なのでバイトとして今の仕事を探したのですが、応募の電話をするときは何週間も迷いました。社会参加をするということがこわかったのです。電話をした後も不安な気持ちと後悔でいっぱいでした。

面接では、履歴書の職歴はほとんど真っ白で(33なのにたいした経験もない)緊張で声は震えるし、さんざんでしたがなぜか採用ということになりました。正直言うと、心のどこかで不採用になればいいって思ってました。やるだけやってダメだったんだからと自分自身を納得させるために。
でも、あいにくというか幸いというか採用されたので、いまも毎朝吐き気を感じながらなんとか仕事に行っているという状態です。

今は親と同居しているのでこんな生活が成り立っていますが、いつまでも親に頼るわけにもいかないし心配させたくもありません。これから先、ちゃんと働いていくことができるか不安です。




2808:10代のひきこもり
名前:Beck   日時: 2004/10/10 02:08:12

自分は去年、矢井田瞳さんのライヴ&トークに参加させてもらったなかの数少ない10代です。
今は19歳ですけど、あの時は18歳でした。
20代や30代の方々の話に圧倒されまくりでした。
正直、自分に一番影響を与えたのはヤイコさんの曲だったかもしれないです。
でも少し時がたって、みなさんの意見が理解できるようになった気がします。



2807:ラン・ローラ・ラン。
名前:本間かいな   日時: 2004/10/09 17:43:05

寝不足で、朝ごはん食べた後も眠かった。昨日夜更かししてこれ(書き込み)してたせいだ。

そんで寝て、10時過ぎにうつうつと目覚め、さてどうしたものか。(1)このまま眠るだけ寝て「寝る人」の一日を過ごす。(2)90円で借りてきたビデオ「ユー・ガット・メール」「ブリジットジョーンズの日記」を観る。(3)新潟医療福祉大学の学園祭に行く(4)PCに入れるべきソフト―ワード・エクセル・プリンター・FDドライブをインストールする。さあどれだ。

ん〜となんとなく頑張って(3)に行ってみた。面白かった。ちょうど俺の職場=福祉医療専門学校の商売敵みたいなものなんだよね。名前も激似している。
俺は別に学園祭好きという訳ではないんだけど学園祭となると、自由にキャンパスに足を踏み入れることができて、いい敵情視察になる。

すげーきれいで、理学療法士科とか作業療法士科とかあって、その設備も見た。ごいす〜。研究室・ゼミ室、学食、体育館。全て整っていて広々している。なのに、なお建築中の建物もあった。
4年前にできたばっかりなのだ。今年初めて全学年が揃って、その数1500人。来春初めてその1期生が卒業することとなるんだって。

コーラス部のいまいちなアカペラを聴いて、どこかの作業所で作ったたこ焼きを買って食べた。我々の建て増し建て増しの、だべるスペースすらない学校とは天地だった。月とスッポン。以上。

動き出すと動き出す時がある。体調も心境も異常なし。そうっと。ぐるぐると、回り出す。あれをやって、これをやって、次はこうしよう、あそこに行こう。と、回り出す。星巡りのいい日。人あたりのいい日。

今日はそんな貴重なアクティブな一日だった。だった、ではなくてまだ続くのだ。この後これから、家族でとんかつを食べに行く。歩いていくから、俺もビールが飲める。そんで「エンタの神様スペシャル」もあるしさ。

きっかけは昨日のラジオだった。俺の好きないつもの番組で、その学園祭の実行委員さん達が来て宣伝をしていた。「おっ」とひっかかった。俺のアンテナにひっかかった。それだけなのだ、それだけ。

学園祭→友達のパン屋→畳の上敷きを買いに行く→車屋さんでお金を返してもらう→ドライブスルーで100円シェイク→池さんに、もらったパンのおすそわけ。

そんな一日。これも同じ一日。




2806:無駄な事は一つもない
名前:ゴロン   日時: 2004/10/09 07:27:52

俺は6年間引きこもっていた事を思い返す時、自分がその中で感じた事考えた事がいい形になって今の自分を支えているように思う。
その中で傷ついた事や失ったものも沢山ある。
だけど、苦しく情けなくダメでダメでどうしようもない屈辱的な思いをしたからこそ、色んなものをみて色んなモノを感じる事ができた。

人生で失敗する事や落ち込む事は沢山ある、誰にでもある。
それは別に恥ではないし、失敗や傷つく事負ける事から学ぶ事は沢山ある。

でも自分の失敗や心の傷に人は向き合う事は苦しいモノだ。
苦しいからといっていつまでも自分の失敗や心の傷から逃げてばかりでは根本的に解決はしない。
自分との戦いが何よりも辛い。
周りの人間は引きこもって自分と戦っていることなんてまるでわからない。
甘えている、ダメなどうしようもない奴だ、そんな言葉だけで片付けてしまう人も中にはいる。
引きこもっていながらも自分なりに努力しているが、気づいてもくれない褒めてももらえない。だったら自分で自分のやったことを褒めて褒めて褒め尽くしてやればいい。
周りにバカだとか気がおかしいとか言われようと今自分が何のためにやっているのか、これから自分がどうなりたいのか?考える。そしてなによりいい方向に自分が進んでいく事を信じて強く信じていく。

どんな情けない時でも苦しいときでも落ち込んでいるときでも、生きる、生きようとする事は尊くてすばらしい事だと俺は思ってる。
でも死んでしまったら、そこまで生きてきたこと苦しみに耐えたこと、辛くても生きてきたことの経験が無駄になってしまう。

せっかく引きこもりで苦しんで屈辱を味わい辛い思いをしてきたんだから、それを絶対に自分の糧にして自分のパワーに変えて生きていきたいと強く今俺は思っている。

志を正しくもって今自分でできる事をやって、目先のことにとらわれずに、周りにある幸せや喜びをしっかり見て大切にして、その日その日を精一杯生きていけばいつか必ず幸せの道が開けると信じている。




2805:IT
名前:フリー   日時: 2004/10/09 01:12:24

 落合さんの書かれいているとおりだと思いました。仕事で使うのはいい。趣味などの情報を得るのもいい。ここのように管理者がしっかりした掲示板もいいと思う。

 だが、僕は趣味がパソコンとかゲームという連中は絶対に信用しない。6年くらい前まだインターネットが普及しはじめたときは、そうでもなかったけど、今はもう個人のホームページなどみるきもしない。なにもかもめちゃくちゃです(そうじゃないのもあるだろうけど)。記号とか顔文字とかみただけで意味不明だし腹がたつ。

 携帯は話す相手もいないので、持っていないからわからないけど、たぶん似たようなものなんでしょうね・・・。

 もしこの掲示板がリアルタイム制ならとんでもないことになっていると思うよ。

 僕は完全に人間不信に陥った。どんなに立派な人でも、ボランティア精神旺盛な人でも、医者も、教授も、親切な人も家に帰ってNETに繋げば誹謗中傷暴言垂れ流しに違いないと思えてしまう。




2804:30歳への恐怖
名前:マグノリアかも   日時: 2004/10/09 00:57:52

はじめまして。
29歳の自称「ドメスティック・ホームレス」です。ひきこもりと言う言葉よりもいろんな意味でこちらの呼び方の方が自分には合ってる気がするのです。

年をとる、と言うより若さが無駄に失われて行く恐怖、と言うものにここ数年打ちひしがれて絶望する時期があります。
まず27歳から28歳になった誕生日に、それまで自分の中で自分のアイデンティティーを、「まだ普通」「まだ間に合う」と支えていた学生的モラトリアム所属意識の様な何かが終わってしまった喪失感に絶望し、家のテレビや何枚ものガラス扉などを壊し、暴れてしまいました。
29歳になる時は28と同じに思えて良くも悪くも現実逃避出来ました。

でも来年の春、30歳になる事は今から恐ろしいです。一定のナーバスな期間を乗り超えれば受け入れられると思いますが、まず、すでに20代である気がしていないし、果たして30歳の自分に耐えられるのかと言う未知への恐怖ですでに心はいっぱいです。
雇用条件とかも大きな境目になってる部分がありますし。自分の偏った考えとは思いつつも焦らずに居られないのですよね。




2803:ことわざ名言辞典
名前:まるひこ   日時: 2004/10/09 00:57:37

 中学の時、クラス担任の思いつきで、毎日順番に、一人一つ、皆の前で、ことわざを紹介することになった。しかたなく本屋へ行って「ことわざ名言辞典」を買った。
 その担任も、その思いつきも、大嫌いだったが、「ことわざ名言辞典」だけは手元に残った。そして、時々、思い出したように開くことがある。

 『希望とは随分嘘つきではあるが、とにかく我々を楽しい小道をへて、人生の終わりまで連れて行ってくれる』ラ・ロシュフーコー

 どんなに絶望しても、どんなに悲嘆にくれようとも、希望ってのは失われないものらしい。「生きる希望」と言うが、生きることそのものが希望なのだろう。命が絶たれるとき、それは希望が絶たれるときだ。そうでなければならない。命より先に、希望が絶たれることはない。生きている限り、呼吸をするように、希望もそこにある。生きている限り、希望が底をつくということはない。たとえ、どんなにつまらなくとも、どんなに下らなかろうとも、それで命が絶たれることはない。
 ぶっちゃけた話、命が絶たれれるよりはましなのだ。
 茫然自失、部屋の中にぽつりと立ちつくす時でも、呼吸はしているんだし、生きている。ということは、まだ、希望はある、ということだ。
  たとえ嘘つきでも、希望は、敵じゃない。どんなに酷い嘘つきでも、希望が命を奪ったりはしない。だから、安心して絶望しようと思う。命ある限り、命より先に希望が底をつくということはないのだから。
 そうして呆然とくうを見つめる。
 どこに希望があるというのだろう。自分はこうして生きているのに。生きている限り、希望は残されているはずなのに。どこにあるんだろう。
 やっぱり、生きているってこと、そのものが希望ということか。それ以外には見つからない。
 いや、きっとそのうち見つかるだろう。何でもいい。何でも構わない。きっと見つかるだろう。そのうち。生きてるんだから。




2802:ファミレス。
名前:本間かいな   日時: 2004/10/09 00:18:59

それにしてもサイ○○ヤって、めちゃ安だと思う。ミラノ風ドリアが300円で、ドリンク・バーをつけても120円。ファミレスの価格破壊だよね。
昔はファミレスと言えば、ハンバーグか何か頼んで800円。コーヒーとサラダを付けて300円とか、平気で千円越えるのが普通だったよね。ファミレスは高いもので、その代わり何時間でもいてもいい、みたいな場所だった。
それがそれが、サイ○○ヤさん、よくやってくれた。こりゃハンバーガー屋とかドーナツ屋よりも安いんだもんね。すごい!そりゃどこ行ってもありゃあ便利で安いから入りますわね。

そんでノートと鉛筆を持って「死ぬまでにしておきたいこと」を思いつくままに書いてみた。すると―

虫歯 通院 洗車 部屋の掃除 朝布団をあげる 散歩する 新しいスーツ アワアワしない 優先独占対策 彼女をつくる 親孝行する 温泉 外食 洗濯 座イス トイレ改修 物干し台段差 トレーニング ダイエット 歯磨き ゆとり ピアノ 池さん いきつけの居酒屋 出張楽しみに 仕事楽しみに ワード エクセル 新聞 勉強

どららあ、取りとめもないや。ちなみに「優先独占対策」って言うのは、俺何かひとつ気にかかると、それが処理されないと他のことが出来なくなる。そういうのを何とかしたいってこと。

ノートに書いてみると、やらなくちゃいけないことが、はっきりわかっちゃった。俺は歯医者に行って、精神科にも自分で行かなくちゃいけない。なるほどなるほど。いろいろやることあるんだな。生活の習慣も見直すべきなのだな。

と、いったところではたと、この掲示板の書き込みっていうのが、リストアップされていないことに気が付いてしまった。
そうか、これは「死ぬまでにしておきたいこと」ではないのだな。ふむふむ。良く言って、タバコのような嗜好品。悪く言えば必要のないこと。なのに時間を費やしてしまうもの。な〜る。もう少し考えてみる必要がありそうだな。
俺にとっては日記みたいな、公開交換日記みたいなものなんだよね。

喋りたガールのG行為。




2801:愚痴を書きたかった
名前:ふるちゃん   日時: 2004/10/08 23:12:25

シンピジウムさんのように一人を楽しむっていうのもいいことかもしれませんね。最初目に飛び込んできたのが、《一人を楽しむ》って題名だったので、そういうのも考え方によってはいいことだなって思う。
 そう思いつつ、やっぱり一人は孤独を感じてしまいます。ほとんど一人でいることが多い。一人は確かに気楽です。でも寂しさや虚しさも感じてしまいます。毎日こんなことの繰り返しで1日、1日過ぎていく。心がどうしても満たされない。私は人が嫌いではありません。でも人と会うとすごく緊張とかして疲れます。しばらく人に会いたくないって思っても、一人で部屋にいるとやっぱり寂しさを感じてパソコンつけてしまいます。何も変わらないけど、なんとなく仲間がいるような気がするのです。ひきこもってしまってから、続けて何かをすることができなくなりました。ボランティアで始めた吹奏楽も、長く続けることは出来なくて、余計落ち込んでしまいました。
 人が苦手だけど、人と会いたいのです。でもどうしても行動にでられません。自分が夢中になれることしたい。仕事できなかったら、少しでも夢中になれることしたいって思うけど、どうしても気力が湧かなかったり、恐怖心が芽生えてしまいます。吹奏楽をまたやりたいけど、やってる内にものすごくしんどくなってきちゃって、それから、譜面すら見たくなくなってしまいました。
 愚痴書いて少しでもすっきりしたくて。
 まだ若いけど、時間が無駄に過ぎていくような気がしちゃってならないんです。


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