全国の中学校・高校の放送部のみなさんが、日頃の校内放送活動の成果を競うコンテスト。
毎年2,000校をこえる学校が参加しています。
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話し上手は、聞き上手。
1977年生まれ、熊本県出身。
高校生のとき参加したNHK杯では、第40回大会(1993年)のアナウンス部門で4位となる。
翌年の第41回大会でアナウンス部門(参加人数4088人)の優勝を果たす。
2000年にNHKに入局し、盛岡放送局、釧路放送局を経て、2008年から東京アナウンス室勤務。
2010年まで担当した「スタジオパークからこんにちは」では、白衣姿のユーモラスな姿が話題となる。
仲間とライバルの存在があったからこそ…

―放送部に入ったきっかけは?
中学のとき、ビデオ撮影がしたくて放送部に入ったんです。放送コンテストにも県大会ですが番組部門で入賞したんですよ。でもその頃は、人前でしゃべったり、まさかアナウンスをするなんてことは考えられないくらいシャイで恥ずかしがり屋でした。高校に入学してから、いろんなことに興味があったので「無線部」「写真部」「弦楽同好会」「生徒会」そして「放送部」とかけもちで入りました。いやあ、毎日忙しくてほとんど勉強はしてなかったかも(笑)

―それでは、どうしてアナウンスをはじめようとしたのですか?
先輩に薦められて、「男子は少ないから目立つよ」なんて言われたものですから、それじゃはじめてみようかといった感じでした。お調子ものだったんでしょうかねぇ。普段の部活では腹式呼吸や滑舌(かつぜつ)の基礎練習を行った後、実際にアナウンス原稿を読んで先輩後輩関係なくお互いの良い部分や直したほうがいい部分を言い合いながら練習していました。当時から、自分の読み方にも生かすことができると思っていたので他の人のアナウンスを聞いてその人がどうやっているのかをよく見ていました。

―初めて参加したNHK杯はどうでしたか。
1年生ではじめて出場したNHK杯は、県大会で3位に入り、全国大会に行けることになりました。そうと決まったからには、かなり練習しましたねえ。当時、幸運にもNHK熊本放送局でアナウンサーの方に直接指導していただける機会に恵まれたんです。そして、東京の会場では、せっかく全国大会に来たのだからいろんな人たちの発表を聞こうと思いました。「あいつうまいなあ。上手だなあ。」と感心しきりでした。

※第41回NHK杯全国高校放送コンテスト報告より
―そして決勝に残り、初出場で4位に入るわけですよね。
まさか決勝に進むとは本人も誰も思っていませんでしたから、ほんとうにびっくりしました。その大会が終わった後は、放送部の活動に夢中になって練習にも力が入りました。モチベーションを高く持つことができたのには、ライバルの存在も大きかったです。今も続いていますが、九州では、冬に「九州高校放送コンテスト」という大会がありまして、私もこの大会に参加しました。夏のNHK杯4位という成績がまぐれだとは言われたくなかったですし、当時も、九州では長崎の高校がたいへん強かったので負けてなるものかと奮起していました。やっぱり、よき仲間とよきライバルがいることは大切だと思いますね。
4088人の頂点に立った。そのときの心境は…

―2年目のNHK杯にむけてはどんな気持ちで迎えましたか。
正直に言うと、1年目が4位でしたので、2年目に狙うのは一つしかないなと思っていました。
もちろん練習はしましたが、実は練習しすぎるのもよくないといわれているんですよ。イキイキした語りではなく機械的で型にはまったものになってしまうおそれがあります。当時は、その場面を思い浮かべながらみずみずしく伝えることを意識していました。(表現する)型を目指すのではなく、取材対象の思いやメッセージを伝えるためにはどうしたらよいか試行錯誤しながら練習することが大切だと今でも思っています。

―今日は当時の大会プログラムと報告書を持ってきました。「決勝で自分の出番が終わると舞台で居眠りをした」と書いてありますが、緊張はあまりしなかったのですか。
いえいえ、今でも緊張はしますよ(笑)。ただ、頭の中が真っ白になって舞い上がるというようなことはありませんでした。イメージトレーニングを大切にしていたからでしょうか。決勝当日の朝は、会場の空気感に慣れるために早めに会場に入っていました。決勝での発表順は、たしか2番目か3番目だったと思います。舞台の真ん中でスポットライトを浴びて発表しているライバルたちの後ろ姿を、「ああ、こいつもうまいなあ」ってぼんやり思いながら舞台の下手(しもて)後ろから見ていました。(プログラムの出場者一覧を指差さしながら)いやあ、こいつ上手だったんですよ。あっ、この子も強敵だったんですよねえ…。

―そしてついに結果発表、運命のときがやってくるわけですね。
自分は思っていたとおりにできた、やれることは全部やったという思いでしたが、それでも結果発表までは一体どういうお裁きが下るのかそわそわしていました。優勝が決まった瞬間の気持ちは…スーパー歌舞伎の宙乗りではないですがワイヤーをつけて「わーい」って釣り上げられたような、まさに天にも昇るような解放感でした。

―仲間のみなさんも喜んでくれましたか。
帰りは飛行機で帰ったんですが、熊本空港に着いて到着ロビーで仲間が胴上げをしてくれました。生まれて初めての胴上げでした。今だったら、体重が重いので下の人がつぶれちゃいますよねえ(笑)。新聞やテレビにも出していただきました。

―1年生のときの4位入賞は、「驚いた」と言われましたが、2年生で優勝したときはどう思いましたか。
「(自分自身も仲間たちも)報われたなあ」って思いました。今までの考え方や練習が間違いではなかったんだなと。それに後輩たちが自信をもってくれたらいいなとも思いました。そして、このとき、「夢っていうのは、その夢のためにしっかりと努力すれば、もしかしたら叶うものなのかもしれない」って思いましたね。

―上京して大学に進学してからも、放送活動は続けていたのですか?
アナウンス研究会にも顔はだしましたが、大学時代は違うことをしようかなと思い、沖縄の離島で民謡にふれようと貧乏旅行したりしていました。でも、高校の頃から職業としてのアナウンサーに興味はあったんです。たまたま、高校時代に熊本放送局で指導してくれたアナウンサーの方が東京に転勤していて、就職活動を前にいろいろ相談に乗ってもらえました。勧められてアナウンサーをめざす学生向けのセミナーに参加し、おかげで同じ目標をもつたくさんの仲間と出会い、刺激しあって学ぶことができました。このアナウンサーの方には人生を変えられてしまったようなもので(笑)、ほんとうに不思議なご縁を感じています。
Nコンに参加する意味とは…

―コンテストに参加するみなさんへメッセージをお願いします。
高校時代は、賞を取ることが目標であり大切なことでした。でも、今思えば得たものはそれだけでなくほんとうに濃密な3年間を過ごせたと思っています。何かにむけて努力する意味や、仲間や先輩たちに支えられ導かれてものを成し遂げ、乗り越えていくことの大切さを学ぶことができました。いま大会に挑戦しようとしている皆さんはきっと夢中でしょうから、そうは思えないかもしれませんが、一生懸命やっていれば何年か経って大きな財産になってくれると思っています。
夏には、甲子園では高校野球があるじゃないですか。高校野球の場合、全校で応援し県のみんなが応援してくれて、たいへんな注目を浴びるわけです。一方、われらが放送コンテストは、放送部員以外にはあまり知られてはいませんね。でも、価値としてはまったく負けていないはず。一生懸命目標にむかってぶつかり練習をするといったプロセスや大切さは変わらないんです。後輩たちには胸をはっていただきたいです。そして、ぜひお願いしたいのは、ほかの人の発表をしっかり聞くということ。私にとって、全国大会で各地の仲間たちの語りを聞けたことはほんとうに勉強になりました。他人の表現を聞いて何も感じない人が、自分の語りを変えられるとは思えません。これは今でも大切にしていることです。コンテストの会場では録音をして満足する人もいますが、アナウンスの場合、生で聞くとその人がどういう声の圧力で発表しているのか、その場でしか感じられないことがあります。そして、審査員と話せる機会があれば、自分の発表はどうだったか、どうやればもっとうまくなれるか聞いてほしいです。「話し上手は聞き上手」という言葉がありますが、人の声を聞く、人の意見を聞くというのはとても大切なんだということを、このとき学んだような気がします。

―稲塚さんにとって、Nコンとは?
今の自分をつくってくれた大きな基礎であり、柱です。目標をもって努力することの大切さを教えてもらったと言いましたが、努力を忘れなければ自分をもっと上に引っ張りあげてくれるかもしれませんよね。
仮にアナウンサーという仕事をしていなくても、Nコンや仲間たちとの出会いは、自分の人生にとって大きくプラスになったはずです。放送部に入ってほんとうによかった、ほんとうに幸せな出会いに恵まれました。


  ニュース深読み」の生放送を終えたばかりだというのに、疲れた表情ひとつ出さず快くインタビューにこたえてくれた稲塚アナウンサー。
実は、3月16日にこのインタビューを予定していましたが、東日本大震災が起こった2時間後には新人時代を過ごした盛岡放送局へ応援出張に行くことになったため東京に戻って来られてから、あらためてお話を伺うことになりました。被災地を目の当たりにした稲塚アナウンサーは、「岩手のみなさんに自分なりの恩返しがしたい」と話していました。
人との出会いを大切にし、夢をあきらめずひたむきに努力する姿勢は学生の頃から変わっていないようです。インタビューの最後に「ほんとうに放送部に入ってよかった」と噛みしめるように話す姿がとても印象的でした。
 
(2011年4月)

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