“センパイ”に聞いちゃいました!!

2021.01.15

新聞記者

夢をつかむ大変さを実感しました

中務庸子さん

出身地である兵庫県の地元紙、神戸新聞社で記者をしている中務さん。Nコンでの経験が、人の心を動かせるような記事を書くことや取材力につながっているそうです。

取材だけでなく、写真撮影も行う中務さん

現役時代に参加したNコンの思い出は?

1年時(2002年)は先輩の付添いでしたが、2年時(2003年)は、アナウンス部門で県大会優勝を果たし、全国大会でも準決勝までコマを進めました。
「来年こそは決勝進出」と、それからの1年間は以前にも増して練習に励みました。演劇経験のある教諭に発声方法を教えてもらったこともありました。録音した自分の声を聞いて、聞き取りやすいか客観的に評価したり、全国優勝した人の音声と聞き比べ、悪いところを書き出したり…。「自分の声ってこんな声だったっけ?」と分からなくなるくらい練習しました。しかし、リベンジを誓って臨んだNコン最後の年、3年時(2004年)も、結果は同じく全国大会準決勝敗退でした。NHKホールの舞台を踏むことは叶わず、夢をつかむことの大変さを高校生ながらに実感しましたね。

Nコンに参加してよかったことは?

高校生という多感な時期に、何か一つのことに一生懸命に取り組むことは人生の大きな糧になっています。また、出品される作品を見れば(聞けば)、同世代の若者たちが、世の中に対してどんなことに興味があり、魅力を感じ、課題と捉えているのか、を客観的に知ることができます。それは今後の生き方のヒントになるかもしれませんね。

全国大会に出場した際に友人と(右が中務さん)

現在の仕事や人生で役立っていることは?

私は、出身地である兵庫県の地元紙、神戸新聞社で記者をしています。駆け出しの頃は、警察担当など昼夜問わずに事件・事故を追う仕事を経験。現在は経済部で地元企業の事業や業績などについて取材をしています。こちらは、担当業界に関する知識と理解が強く求められる仕事で、原稿も日々のニュースだけでなく、市場環境や事情を深掘りした記事も執筆します。
アナウンスと新聞記事、共通しているのは原稿です。最後のNコンが終わった後、全国大会準決勝時の評価を先生に聞いたら、実はアナウンス原稿の点数が低かったことが分かりました。アナウンスは、声の聞き取りやすさや滑舌の良さだけではダメだったんですね。このことは、ずっと私の中で反省点として残っていて、それが今、簡潔に、わかりやすく、しかし人の心を動かせるような記事を書くこと、そのための取材力につながっていると思います。
「事実は小説より奇なり」と言いますが、取材時に、何でもかんでもしゃべってくれる人は少ないものです。皆さん恥ずかしがったり、遠慮されることが多いのです。そんな時に「どうしてそんな行動を取ったのか?」「どうしてそう思ったのか?」など粘り強く、深く掘り下げていくと、思いがけないドラマが明らかになることがあります。そういうエピソードは記事を輝かせる大きな要素になります。

取材時は「粘り強く、深く掘り下げること」を大事にしている中務さん

先輩からのエール

人生では、どうすることもできない状況に陥ることがままあります。気持ちを前向きに切り替える努力も必要ですが、それができない時に、自分を責めるのではなく、流れに身を任せ、気持ちのままに過ごせばいいのではないかと思います。無理をしないことも大切なことです。
昨年4月の緊急事態宣言下では、私は仕事と育児の両立基盤が大きく崩れました。そんなとき、夫やママ友など、状況を共有し合える仲間がいたことが心の支えとなりました。きっとみなさんにもかけがえのない仲間がいると思います。慰め合うだけでも気持ちは楽になるのではないでしょうか?そして少しずつでも、これからのことを話すことができたら良いですね。


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