ぶんけい月刊コラム

Column.6

ぶんけいさん

放送部を知らなかった人は、少し知ってくれただろうか。
放送部を知っている人は、頷きながら読んでくれているだろうか。
リアクションが見えないこの形式に少し不安を抱きながら、
今日は「2年生時代」について話そうと思う。

眩しいときの残念な顔は、幼少期から何も変わらない。

眩しいときの残念な顔は、幼少期から何も変わらない。

1年生のNコンが終わり、来年はどうしようと漠然と考える。
どんな作品を作れば人は面白がってくれるのだろう、と。
悩み続ける日々が始まった。

今思えばこんなに悩んだ時期は珍しいかもしれない。
それくらい自信を失って、前が見えなくなっていた。
そしてそのまま時間は過ぎ去っていき、冬を迎えた。

そろそろ企画決定しなきゃなー。


なんだがずっと、ぼーっとしていた。

決して何も思い浮かばなかったわけではない。

思いついても、面白いと思えなかった。


ここでようやく気が付いた。

悔しかったんだな自分。


大会が終わってから4,5ヶ月経ってもショックを引きずっていた。
というか、それくらい勝つ気満々だったことに恥ずかしくなる。
そんなことを考えていたら、校内での企画プレゼンの時期が来た。

プレゼンまであと数日。
正直、いいアイデアは何もなかった。

そしてぼくは驚くべき行動に出る。


テレビドキュメント部門にエントリーします。



ドラマを作ることを諦めた。
いや、逃げたんだ。

自分が一番やりたかったことを評価してもらえず、
ショックから何も生み出せなくなってしまった挙げ句、
ぼくはその場から逃げる選択をした。

なんとなく自分の中でも分かっていたけれど、
先生や友人にはそういう素振りを見せないよう必死だった。
「テレビドキュメントがやりたくなった」と言いながら
あのときぼくはどんな顔をしていたのだろう。

本気でテレビドキュメントを作る人たちに対しても、
失礼な行動だったと思う。






それからぼくはラジオドラマ部門、アナウンス部門、研究発表部門に
エントリーすることも決めた。


どんだけ〜。

得体のしれない感情を、量でカバーしようとしたんだと思う。
すごいダサい。

とはいえ、そこから始まったテレビドキュメント部門に
愛情を注ぐ日々は有益だったとも思う。
自分が触れてこなかったものに触れることは、
毎日がとても新鮮だった。
そしてこの感覚を楽しみ始めている自分もいた。


ドラマとドキュメントはまったく別物だ。
フィクション・ノンフィクションという理由ではない。
ぼくが感じた大きな違いは、予測可能か否か、である。

ドラマの場合、すべてを計算して0から作り上げていくため、
自分でコントロールをすることができる。
一方でドキュメントは、先が読めないのだ。
どういうハプニングが起こるのか、あるいは何も起きないのか、
全くわからないまま取材をすることになる。



激ムズじゃん。

頭を抱えた。
奥深すぎて引いた。

ぼくは「家庭科の非常勤講師」に密着することにしたのだが、
彼女が1年後どうなっているのか全く分からない中で
構成を練らなければならない。
(そう思うと『究極の登校』は超インテリな作りだとも思った)





あれ.........
なんだか燃えてきた。

逃げるつもりでテレビドキュメント部門に挑んだぼくは、
その面白さと難しさに翻弄され始めた。






連載NコンWEBコラム「ぶんけいの書斎」
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