03月20日(日)放送
思い出の街が甦(よみがえ)る〜写真家・井上孝治の世界〜
写真・左:撮影する井上孝治さん
写真・中:井上孝治さん撮影写真(福岡県春日市・昭和31年)
写真・右:井上孝治さん撮影写真(福岡市天神・昭和29年)※夏、商店街には氷柱が並べられた。
写真・左:井上孝治さん撮影写真(福岡市博多区下川端町・昭和31年)※街頭テレビを見つめる人々
写真・右:井上孝治さん撮影写真(福岡県春日市・昭和33年)
 

昭和30年頃の街と人々の暮らしを撮った井上孝治さん(大正8年〜平成5年)。生涯、カメラ店を経営する傍ら写真を撮り続けたアマチュアカメラマンで、18年前に74歳で亡くなるまでに3万枚の写真を残しました。
『大きな氷柱をなめる丸坊主の男の子』『路地には七輪で煮炊きをするお母さんたち』『街頭テレビには人だかり』『山のように弁当を積んだ博多駅の駅弁売り』『舗装された一本道にぽつんと座る犬の後ろ姿』・・・井上さんの写真には、懐かしさとともに、じっと見ているとクスッと笑ってしまいそうな表情豊かな人々と、温かい人情や家族の絆など、生き生きとした暮らしが写されています。
井上さんは、幼いときの事故が原因で耳が不自由でした。話すことはできませんでしたが、人なつっこい性格で、特に子どもたちと仲良くなり写真を撮っていたといいます。音のない世界で、時代と風景を見つめ続けていました。その写真には、めまぐるしく移り変わる時の中で、わたしたちが置き忘れてきたものが写し出されています。
井上さんの写真が広く知られたのは、平成元年、福岡の岩田屋デパートが企画したキャンペーン「想い出の街」でのことです。新聞やポスターで紹介されると大きな反響を呼び、写真集が刊行された他、平成5年にはフランスのアルル国際写真フェスティバルに招待され名誉市民章を受章しました。カメラインターナショナル誌では「極めて斬新。フレーミングと画面構成はアマチュア離れしている」と評されました。しかし、井上さんは、招待の知らせを聞き、楽しみにしていたフランス行きの直前、肺ガンで74歳の生涯を閉じました。
写真作品と、残された日記、そして家族・関係者の証言などから、井上孝治さんの生涯をたどります。

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