9月5日(日)放送
シリーズ安保とその時代 60年安保 市民たちの一か月
 

写真・左:60年安保当時を語る中曽根康弘元首相
写真・右:60年安保当時のデモを振り返る男性

写真:60年安保闘争で国会を取り巻く市民たち

 

日本の戦後のあり方を決定づけた日米安全保障条約。1960年の改定から今年でちょうど50年を迎える。
60年の5月から6月、国会周辺には連日十万を超える群衆が押し寄せ、全国から政府に突きつけられた安保撤回請願書は二千万を超えた。当時テレビが映し出したのは、国会正門を突破しようとした全学連の学生たちや、社会党などが組織した総評系労働組合の大集会。しかし、その背後には映像に映し出されない膨大な未組織の市民の姿があった。商店街ごと休業にしてかけつけた商店主たち、貸し切りバスでやってきた団地の住民・・・これほどの数の国民が、ひとつの運動に結集したのは、今日に至るまで例がない。
彼らの多くを行動に駆り立てたのが、安保そのものへの異議というより 「戦争がまたやってくる」 ことへの恐怖であり怒りだった。敗戦からまだ15年目だった当時、国会周辺に集まった市民の大半が戦争体験者だった。開戦の詔勅に署名し、A級戦犯容疑者でもあった岸首相が強行する安保改定。5月19日深夜の安保承認の強行採決は、それまで安保に関心がなかった者たちの心を刺激した。「あの流儀でやれば、戦争さえも強行採決されてしまう」―。新興団地の主婦たちは、国会周りの若者たちに自分の親族の姿を重ねた。「兄や父を戦場に送ったのもついこの間のように思われるのに、この若い人たちにまたそんなことが起こったらどうしたらいいのか」。山形のサクランボ農家は、国会まわりのうねりに 「日本は変わる」 と信じた。
番組が取り上げるのは60年5月19日の国会強行採決から6月19日の自動承認までの一か月の熱き日々。主婦、店員、サラリーマンなど、ごくごく普通の市民の証言を、個々の戦争体験までさかのぼって取材し、戦争の過酷な記憶がどのように60年安保での行動に結びついていったのかを明らかにする。さらに、岸辞任、その後の高度経済成長の中で急速に冷めていった安保運動のぜい弱の原因を探りながら、安保と日本人の原点を問う。

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