8月1日(日)放送
シリーズ 安保とその時代 第1回 日米安保を生んだ“冷戦”

写真・左:日米安全保障条約(旧安保条約)調印式(1951年)
写真・右:平和問題談話会(東京女子大学所蔵)

 

写真:
日米安全保障条約(旧安保条約)調印文書
(外務省所蔵)

今年6月、サンフランシスコ郊外の旧アメリカ陸軍クラブで、日米安保改定50周年を記念する式典が開かれた。参列した日米の関係者は共に、両国の緊密な同盟関係の重要性を強調した。会場となったクラブは、1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約に調印して占領を脱した日本が、同じ日に日米安保条約(旧安保)に調印をした場所である。史上初めて日米間に結ばれたこの同盟は、「冷戦の賜(たまもの)」だと言われる。では当時日本を覆っていった「冷戦」とは、どのような実態だったのか。現在、世界各地で「冷戦史」研究が進められている。上海華東師範大学・国際冷戦史研究センターの沈志華教授は、アメリカを日米同盟に向かわせた中ソの動向を解明し、東西陣営の外交上の駆け引きが、それぞれの体制強化と対立をもたらした点を指摘する。日米安保を生み出した「冷戦」のメカニズムを、世界最新の研究、関係者の証言、一次史料から読み解いていく。

一方、日本には、ソ連や中国を除く西側陣営のみとの「単独講和」や、アメリカとの二国間同盟に異議を唱える人びとがいた。1949年に発足した「平和問題談話会」には、さまざまな専門分野から50人を超す学者が集い、「中ソを含む全面講和、中立不可侵、軍事基地反対」を訴えた。メンバーだった武田清子さん(93歳、国際基督教大学名誉教授=日本思想史)は、多様な分野の学者を結びつけていたのは「二度と戦争をしない国をつくる」という強固な共通の志だったという。談話会のメンバーは「象牙の塔」を飛び出し、市民に「冷戦の論理を乗り超える東西共存の可能性」を語りかけていく。

シリーズ第1回は、1951年の日米安保条約(旧安保)の調印に至るまでの道のりを、東アジアで進行した冷戦を背景にたどっていく。

Copyright (C) NHK(Japan Broadcasting Corporation) , ALL rights reserved. 無断転載・転用を禁じます。