5月16日(日)放送
“水俣病”と生きる 〜医師・原田正純の50年〜

写真・左:水俣の海
写真・右:最後の講義の後、花束をもらう原田先生

写真・左:原田先生と胎児性患者の方
写真・右:診察する原田先生

 

半世紀にわたり水俣病と向き合い続ける医師がいる。原田正純さん75歳。
今、水俣は新たな問題に直面している。
去年7月に成立した水俣病の特別措置法(特措法)。この法律では、3年をめどに被害者を救済するとともに、補償金の確保等のために加害企業チッソが分社化できることなどが定められている。国は、慰霊式が行われる水俣病公式確認の日、5月1日に救済の受付開始を目指し準備を進めている。一日も早い救済を求めて、特措法を受け入れる人がいる一方で、水俣病の幕引きだと反対する人もいる。
去年9月、原田さんは、これですべてが解決するわけではないという危機感から、不知火海沿岸住民の大規模検診を呼びかけた。大半が初めて受診するという1000人以上が集まり、その9割が水俣病にみられる症状があると診断された。原田さんは、今もなお、埋もれている潜在的な被害者が相当数いると考えている。
原田さんが初めて水俣を訪れたのは昭和36(1961)年、熊本大学大学院生の時。原田さんが患者多発地区の家々を訪ねると、親は水俣病で寝たきり、生活は困窮し、脳性マヒと診断された子供が寝ていた。強い衝撃を受けた原田さんは、 “見てしまった責任” として患者を診続ける。昭和37年には、「胎盤は毒物を通さない」という、それまでの医学の常識を覆し、母親の胎内で水銀に冒された “胎児性水俣病” を立証した。以来、大学の助教授や教授となった後も水俣に足を運び、患者達の日常生活の相談に乗るなど、患者と医師というだけではなく、一人の人間として関わり続けてきた。
原田さんは、今年3月で大学を退官し、4月からはあらためて一人の医師として水俣に通う。原田さんが歩いてきた人生を振り返りながら、水俣病が直面する問題を考える。

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