10月4日(日)放送
「斜陽」への旅 〜太宰治と太田静子の真実〜

写真・左:母が帰れなかった故郷の琵琶湖に立つ太田治子
写真・右:太宰の墓(三鷹・禅林寺) 2009年6月19日 桜桃忌(太宰の命日)の時の様子

写真・左:小説「斜陽」のモデルとなった家=神奈川県下曽我にある太田静子が暮らした山荘。太宰はここに静子を訪ね、一緒にすごした。太田治子さんもここで生まれた。
写真・右:小説「斜陽」の書かれた西伊豆の「安田屋」旅館。太宰が、小説「斜陽」を執筆した部屋がそのまま残っている。

 


太宰の愛人・太田静子 / その子ども・太田治子
昭和の文豪、太宰治。今年は、生誕100年にあたり作品が相次いで映画化されるなど太宰ブームが起こっている。太宰を後世にのこる作家に押し上げた作品「斜陽」。これは、ある女性の日記を下敷きにして書いた作品であった。女性の名は、太田静子。作家への夢を断念し、太宰の作品を支えることで夢を実現しようとした彼女は、やがて太宰の子供を身ごもる。そして、生まれたのが、作家、太田治子。世間から「斜陽の子」といわれた太田は、これまで母が太宰の愛人だったこともあり、両親については多くを語らなかった。

しかし、母が亡くなって26年。太宰となにがあったのか、きちんと真実を書いて欲しいと告げて逝った母の思いを遂げたいと太田は、筆をとる決意をした。「母のメモ」が残されている。今まで一切、公開されていない「母のメモ」。昭和22年、治子が誕生してから、太宰の死、そしてその後やってきた苦しい母子生活。母は、思いを書き留めた。父と母の間にどのようなやり取りがあったのか、それは、どのように作品「斜陽」に昇華されていったのであろうか。2人の男女は心に何を秘めていたのか。太田は深層を掘り起こしていく。

番組では、「斜陽」の生まれる経緯から、太宰の死までを太田静子との関係を軸に検証し、その陰に潜む作家、太宰の「悪魔性」と「命がけの執念」を太田治子があぶり出してゆく。

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