8月30日(日)放送
第286回シリーズ日本と朝鮮半島2000年 第5回 第5回 日本海の道〜幻の王国・渤海との交流〜

写真・左:日本海と夕日
写真・中央:クラスキノと日本海を望む杉浦友紀アナ
写真・右:渤海の都と日本をつなぐ日本道

 

ロシアの沿海州にある遺跡・クラスキノ土城。昨年暮れ、ここで古代日本に関わる大発見があった。「道隆」という日本人名らしき文字を記した土器が出土したのだ。ここは、7〜10世紀に今の中国/ロシア/北朝鮮に広がった“幻の王国”渤海(ぼっかい)があった地域。土器の発見により、かつて日本海を横断して日本人と渤海人が行き来したと中国の文献に残る“日本道”が特定できる可能性が高まったのだ。
これまで朝鮮半島〜九州〜畿内ルートで主に考えられてきた日本と大陸の交流。しかし、近年の発掘調査で、“日本海外交”が東アジアの国際関係で重要な役割を果たした事実が浮かび上がってきている。 若狭の“王家の谷”といわれる福井県若狭町の脇袋地区やその周囲では、伽耶、百済など歴代の朝鮮半島の国々に関係する装飾品の発掘が相次いでいる。そこから、北陸の地方豪族と朝鮮半島の国々が、日本海
の道を通して独自にやりとりし、それが越前・近江に地盤があったとされる継体天皇誕生につながっていったという説が提起されている。また7〜10世紀には渤海の使者、延べ約2500人が“日本道”を通って日本海沿岸に来着。漢詩を競い合い、暦から高麗人参までさまざまな文物を伝えた。それは、遣唐使を上回る重要な役割を果たした時期さえあったという。
古代より人々の多様な行き来が行われた“日本海の道”。日本のテレビ局で初めて撮影が許可されたクラスキノ遺跡の発掘現場などによる各国の最新調査の模様や、現在も日本海を行き交う人々の姿を織り込みつつ、この道の意義を捉え直す。

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