写真・左:韓国・クムガン河口 倭と唐が戦った白村江だとされる 写真・中央:百済滅亡 川に身を投げる女官の絵 リポーター:大桃美代子 写真・右:中国様式の最初の都城・藤原京(提供 橿原市・奈良産業大学)
写真・左:世界の中心を意味する須弥山石(飛鳥) 写真・右:熊本に復元された百済式山城
645年「乙巳(いっし)の変」とその後に続く「大化改新」、663年「白村江の戦い」。日本古代史有数の事件が続く背景に、巨大帝国・唐の成立と朝鮮半島の緊張があった事が明らかになってきた。これまで日本は、遣隋使/遣唐使という平和な文化交流の中で国の基礎を作ったと考えられてきた。だが近年の発掘成果や研究から見えるのは、半島各国との交流や対立を通して国家の制度や意識を育んでいこうとした姿である。白村江の敗戦から8世紀初頭に律令国家“日本”が誕生するまでの軌跡を追う。