いま日韓の歴史研究者たちが熱い視線をおくる発掘現場がある。韓国南西部、百済の古都プヨ(扶余)にある6世紀の王興寺跡だ。2007年10月、この発掘現場から1430年前の金・銀・青銅の舎利容器が入れ子状で発見された。舎利容器に刻まれた文字から、王興寺は百済王の発願で577年2月に創建されたことが判明。
「日本書紀」によると、同じ年の11月に百済から造仏工や造寺工が日本に送られたとされる。一方、日本最古の寺院、飛鳥寺(別名・法興寺)は588年に百済から仏舎利が届いて造営を開始した。今回の発掘で出土品や伽藍(がらん)
の配置などから二つの寺を結ぶ深い繋(つな)がりが浮き彫りになり、百済と倭国の仏教交流の全容が明かになろうとしている。
また、飛鳥寺のある奈良県明日香村で、昨年の春、渡来系豪族の古墳や寺跡の発掘調査が行われた。国内最大級の巨大な石室、氏寺跡から出土した仏像の一部などから、ヤマト王権における渡来人の役割と仏教との関(かか)わりが改めて注目を浴びている。
最新の研究成果をもとに朝鮮半島と日本の仏教外交、さらに古代国家形成を支えた渡来人の姿に迫る。
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