免疫学者の多田富雄(74)は「能」を通じて晩年の白洲正子と知り合い、すぐに意気投合した。二人は能と演技を論じ、共に舞台を楽しんだ。
今から10年前の1998年12月26日に正子が他界して3年後、多田は脳梗塞に倒れる。丸一日意識を失って、生還したときには言葉を失い、右半身が麻痺(まひ)していた。多田は自分を確かめるため、恐る恐る声のない『羽衣』を謡ってみた…… 全部覚えていた。学生時代から打ち込み、数々の新作まで発表してきた能は、闘病中の多田の大きな心の支えとなった。今も車椅子で能楽堂に通い能の劇評も続けている。
そして多田の新作能の次の作は「この人を措(お)いて現代人で書くべき人はいない」と、考えていた白洲正子をシテ役とする能である。
死線の「こちら側」に踏みとどまった男が、「あちら側」にいってしまった女を呼び出し、舞台の上で語らせるのだ。いったい何を?
死者の声を聞く――どうしても多田は聞いてみたいのだ。それは10年前のはからずも最後の別れとなった日のこと。正子はどんな思いで多田に、そして現世に別れを告げたのか。 いわば諸国一見の僧、つまり能のワキ役として日本の聖地を巡り、土地の精霊や神を呼びおこし、その声に耳を澄まし、多くの紀行文の名作を残した正子は、長い旅路の果てに何を見たのか?
多田はリハビリの杖を握り、パソコンに向かい、人の百倍の時間をかけて物語を紡ぎだす。新作能を演じるのは正子とも交流の深かった梅若六郎(61)。舞台に花を手向けるのは正子が愛した花人・川瀬敏郎(60)。正子と縁のある人々が〈正子〉をこの世に呼び戻すのだ。
上演の日。〈正子〉は橋掛かりの向こうの時の流れの彼方(かなた)から現れ、己を語り、美しい舞を舞う。
没後10年という節目に、多田はみずから生ましめた〈正子〉に再会し、〈正子〉は多田の心に、何物かを残して去っていく。
病前、病後に著した多田の文章、正子の紀行文、そして多田と正子の間に交わされた能についての対話、老いと死についての往復書簡などをちりばめながら、新作能の構想から上演までを見届け、多田の強じんな生きる意志、透徹した死への眼差(まなざ)しの先を見つめていく。
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