マキノ雅弘生誕100年を迎えた今年、東京のフィルムセンターでは100本を超えるマキノ雅弘作品の上映が行われ注目を集めた。京都映画祭(10月)のテーマもマキノ映画だ。これまで、小津や黒澤に比べ、正当に評価されてきたとは言い難かったマキノ映画の実力が、いま、ようやく再認識されはじめたのだ。
そもそも日本映画の百年は、マキノ・ファミリーの百年といえる。大衆とキャッチボールをしながら、数々の名作、ヒット作を世に送り、映画草創期、戦中、戦後、激動の時代を生き抜いた、マキノ一家、三代。「日本映画の父」といわれたのが偉大なゴッドファーザー、マキノ省三。その才能を受け継いだのが長男で、天才監督と言われるマキノ雅弘。無声映画からトーキーへと移り変わる時代、アメリカ映画から新しい技術を貪欲に吸収し、日本映画を開拓して行った。そして、弟のマキノ光雄。プロデューサーとして満州映画協会の残党を集め東映を設立。兄と切磋琢磨しながら、戦後の映画黄金時代の立役者となった。
マキノ・プロからは綺羅星のごとくスターが生まれた。阪妻、千恵蔵、右太衛門、長谷川一夫、ロッパ、山田五十鈴、高峰秀子、李香蘭、越路吹雪、森繁久弥、藤純子、高倉健・・・。マキノ省三以来の強力な人脈が、日本映画界の主力部隊となったのである。マキノ一家の歩みは、そのまま日本映画史となる。
借金との格闘、大スターとの泣き笑い。戦争や検閲をめぐる悪戦苦闘、波乱万丈の「映画渡世」をたどれば、教科書風の映画史からはうかがい知れぬ人間ドラマが繰り広げられていく。
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