去年、鹿児島の文学館で、作家・織田作之助の代表作『夫婦善哉』の続編、『続・夫婦善哉』の未発表原稿が見つかった。戦争中に執筆されながら、雑誌への掲載を見送られ、埋もれていたと見られる。戦時下の夫婦の日常生活を描いた『続・夫婦善哉』。それがなぜ、掲載されなかったのか?
織田の原稿は、雑誌“改造”の出版社に寄せられた7000枚の原稿の中にあった。
大正8年(1919年)に創刊された“改造”は、急進的な社会批評と人気作家の登用で売り上げを伸ばし、日本を代表する総合雑誌となる。しかし、出版法などによる明治以来の検閲制度の下、さまざまな形の言論統制を受けた。小説も例外ではなかった。
「当局の忌諱」に触れた原稿は掲載中止が命ぜられる。編集者は雑誌自体の発売禁止を避けるため、文章の一部を×印や空欄で置き換えた「伏せ字」を施した。それでも発売後にページごとの削除を命じられる「切り取り処分」を受けることもあった。昭和19年には改造社自体が自主廃業に追い込まれる。
織田の『続・夫婦善哉』を含む“改造”の7000枚の原稿は、そのほとんどが検閲前の生原稿。問題の箇所に何が書かれていたのか、何がどう削除されたのかがそこから明らかとなる。
日本が戦争へ向かう中でエスカレートしていった言論統制。
番組は7000枚の原稿を分析。編集者たちの証言や手記と共に言論統制の実態を浮かび上がらせる。
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