日本写真史において、土門拳と並びリアリズムの最高峰と呼ばれる木村伊兵衛。その死から30年を経て、今その膨大なまなざしの記録が改めて注目されている。高度経済成長を遂げる前の日本人の姿、日本社会の光景がまざまざと甦ってくるからだ。
木村の撮った日本は、戦後の焼け跡から復興していく都市の表情や、経済成長に抗うように生きる農村の人々など、13万コマに達する。そのフィルムのベタ焼き(密着プリント)の中には、撮影行為の過程を示すものや、漠然と撮ってしまったものなど、木村が生きた時間が丸ごと封じ込められている。木村がどう被写体を選び、どう歩み寄り、どこでシャッターを切ったかが手に取るように分かる。これらをもとに、評論家と写真家、が、木村伊兵衛の作品性と新たな人物像、さらには彼が生きた昭和という時代の特性をあぶり出していく。
○東京、1947〜1954
40代の木村は報道写真家として時々の話題を追いかける合間に、戦後日本のささいな、しかし印象的な光景にシャッターを切り続けている。上野の屋台のステッキ屋、日劇前の洋画ポスター、浅草パナマ帽の紳士たち、本郷や江東界隈の路地など──。今はもう名残りすらない、高度経済成長前夜の生き生きとした東京の瞬間を、木村は“居合抜き”と称される素早い技術で切り取っていた。
○秋田、1953〜1971
木村は毎年秋田を訪れ、列島改造以前の原風景を19年間、撮影し続けた。圧倒的な量のベタからは、木村と秋田の人々との深い心の交流が読み取れる。収穫する農夫、絣の着物の書生、田で働く母子、たくましい農耕馬。さりげなく、しかし感動的に写し出された写真群からは、木村はなぜ農村に引きつけられたのかが見えてくる。木村は、日本の農村の消えゆく風景に何を見いだそうとしていたのか──?
<出演>
評論家・川本三郎
写真家・荒木経惟
写真家・田沼武能
歴史家・テッサ・モーリス・スズキ |