12月24日(土)放送
第1部 故郷の村は津波に消えた〜インドネシア人が見つめた復興の記録〜

 昨年12月26日に発生したスマトラ島沖地震はインド洋の沿岸諸国に未曾有の大災害を引き起こした。最も被害が大きかったインドネシア・アチェ州では17万の死者・行方不明者を出した。地震発生の翌日からアチェ州都のバンダアチェで一人のカメラマンが被災直後の住民の様子をビデオカメラに収めている。アチェで生まれ、現在は日本のアジアプレスに所属、ジャカルタで活躍するフリーカメラマン・ユスリザル。ユスリザルの生まれ故郷のムルドゥアティ村も300世帯のうち、少なくとも50人以上が犠牲になり、津波で村は廃墟になった。アチェに入ったユスリザルはあまりの惨劇に家族の捜索も後に、カメラを回し続けた。人々の避難所になっていたモスクを取材していたとき、ユスリザルは偶然、父親の死体に出会う。そこで彼は初めてカメラを置き、残った家族を探し始める。たった一人の姉の死、いまだ見つからない母親。ユスリザルはアチェの被災者の一人として、故郷ムルドゥアティ村の復興を見続けてきた。

 生き残った人々が村を去り、崩壊したままの村、行政が機能しないいらだち、滞る政府からの援助金や物資。彼の目線からは一人のアチェ市民から見た復興のあり方がかいま見えてくる。番組は地震発生から1年を機に、最も被害の大きかったアチェを舞台に、現地のカメラマンの視点から被災地の姿を描く。

第2部 「ルート181」パレスチナ・イスラエル境界線の記憶
インタビューを受けるパレスチナ人映画監督のミシェル・クレイフィ(左)とイスラエル人映画監督のエイアル・シヴァン(右)

 今年秋、山形ドキュメンタリー映画祭で最優秀賞を受賞した「ルート181〜パレスチナ・イスラエルの旅の断章〜」(270分・2003年)。イスラエル領に生まれ育った2人の映画監督がカメラを携え、ともにイスラエル・パレスチナの「境界線」をたどった旅のドキュメンタリーである。今秋、この映画を共同撮影・編集した2人の映画監督がそろって来日した。

 パレスチナ人映画監督ミシェル・クレイフィとイスラエル人映画監督エイアル・シヴァンの二人。クレイフィはカンヌ国際映画祭批評家賞を受賞した作品「豊穣な記憶」(1980年)でパレスチナ人の生活を追い、シヴァンは「スペシャリスト:自覚なき殺戮者」(1999年)でナチスドイツ高官のアイヒマン裁判を描いた。その二人が出会って、総決算ともいえるドキュメンタリー「ルート181」を制作した。 「ルート181」とは、ふたりが名づけた1本の道。その由来は、国連決議181号で定められた分割線である。ふたりは、「181号」線上を車で走る。その過程で、出会う人々は、モロッコ出身のイスラエル人、ハンガリーからのユダヤ新移民、イスラエル国籍のパレスチナ人、中国人労働者たち―。かれらの肉声と暮らしから、「占領」という現実と、「占領者」として生きる人々の弁明を探ってゆく。 来日する2人は、日本の哲学者・思想家・作家・市民との対話を通して、パレスチナ問題が、日本に関わりのない「遠い場所」のことではなく、世界和平に向けた普遍性を持っていることを浮き上がらせた。番組の構成は、映画「ルート181」の主要シーン、ふたりの監督へのインタビューと日本の識者との対論、市民とのシンポジウムでの討論によって作られる。イスラエルのガザ撤退が行われ、世界の注目を浴びた2005年の中東和平問題。その概観と今後の見通しを、一編の映画をひもとき、「境界線」上の現実を探ることで考えてゆく。

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