9月17日(土)放送
第1部 “老い”を描く
写真左:巨大なケント紙に鉛筆画を描く画家の木下晋さん。
写真右:能登半島に住む81歳の川端きんさん(右)と川端さんをスケッチする画家の木下晋さん(左)。今回のモデルの川端きんさんは長年能登の漁村で生まれ育ち、畑を耕し、民宿を営みながら、4人の子供を育て上げた。木下晋さんは“老い”の姿にはその人の全人生が凝縮されているという。

 畳一畳分を優に超える巨大なキャンバスいっぱいに鉛筆だけで描かれた、盲目の旅芸人の“閉じられた両眼”。無数の深いシワが克明に描き込まれた精ちな作品は、見る者の視線をつかんで離さない。画家・木下晋さん(58歳)の作品である。

 “老い”の姿にはその人の全人生が凝縮されている――徹底して対象と向き合う木下さんの作品は今、「現代のもっとも豊かな人間表現」と評される。全国で個展が開催され、東大にも招へいされるなど、“現代に欠けた何かを与えるもの”として、大きな注目を集めている。

 木下さんが、今、その“顔”にひかれ、描きたいと考えているのが、石川県の海沿いの小さな町に住む川端作雄さん(87歳)・きんさん(81歳)の老夫婦である。

 二人は63年前に結婚。戦争体験を経て、戦後は夫婦で漁業と農業を営み、4人の子供を育てあげた。すっかり腰が曲がった今も、毎日漁に出る作雄さんを港にきんさんが出迎え、支え合って暮らしている。「自殺でもしないかぎり、ふたりで一緒に死ぬなんてことは無理ですものねぇ。」老いの中の穏やかな日々をすごす川端さん夫婦が、この世で望むのはただ一つ。『死ぬときまで、ふたりで生きること』である。

 「川端さん夫婦のシワだらけの顔には、僕たちにはない人生のリアリティがあると思えるんです」という木下さんは、この夏の数日間を二人と共にすごしたいと考えている。

 「誰かを描くことは、自分が何にひかれるのか、それを探す作業でもある」という木下さんは、この老夫婦の何にひかれ何を描くのか。“老い”が二人に与えた痕跡とは、いったい何なのか。番組では木下さんが“老い”と“人生”を描く過程をドキュメントしながら人間にとって“老いること”とは何なのかを考えてゆく。

第2部 ニッポン万博こと始め

 万国博覧会が開催された今年、海を隔てたロサンジェルスでは、明治の日本が万国博覧会に出品した工芸品の展覧会が開かれている。近代国家の仲間入りをめざした日本が世界に発信した奇想天外、粋を集めた技術や発想力は、日本の“ものづくり”の原点として、近年世界的に再評価され始めている。

 武家階級に抱えられ、決められた仕事をすればよかった時代から、自ら活路を切り開く明治維新への大転換。職人たちは厳しい生存競争を生き抜き、世界を相手に勝負をかけた。陶芸家宮川香山は伝統の町、京都から新天地横浜に移り住み、写実的なかにや鳥の丸彫りを貼り付けた独創的な花瓶や鉢を世界に向けて発信した。備前藩のお抱え金工師だった正阿弥勝義は、世界の誰もが実現し得なかった打ち出しや色付けの精巧な技術を駆使して、博覧会にやってきた西欧人の度肝を抜いた。工業化の遅れによって自信を失いがちだった日本にとって、自国の工芸品が世界に評価されることは経済性以上の大きな価値を持っていた。

 番組ではこれまでにマスコミに公開されてこなかった個人コレクションや美術館の収蔵庫に眠る名品などを、赤瀬川原平が訪ね歩く。明治の工芸は明治末以来の狭義な美術観によって単なる外国向け土産物と分類されてきたが、赤瀬川はそこに近年流行するサブカルチャーの源流を見る。「高尚な美術」という窮屈な枠組みから外してみると、明治のものづくりは世界を驚かすほどの創造性と発想力に富んでいた。

 逆境の中、世界と対じした明治の柔軟な「ものづくり」を再評価することによって、グローバル化が進む世界で拠を見失いがちな現代日本に、大きな示唆を与える番組である。

 ナビゲーター:赤瀬川原平

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