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昨年12月2日、日本の国宝仏修理の第一人者であった西村公朝氏が亡くなった。
88歳。戦前から仏像修理に携わり、1300体もの仏像を修理してきた。
三十三間堂の千体千手観音像、広隆寺の弥勒菩薩像…、われわれが知る国宝のほとんどが彼によって修理されてきた。兵士の死体の中を行軍した中国戦線で夢の中に何万体もの壊れた仏像をみる。戦後、全国各地で朽ちる寸前だった仏像を、氏は仲間たちとともに丹念に修理していった。みずから僧侶でもあった氏は、仏像を単なる美術品としてではなく、今の世を生きる人たちにも救いとなるものにしたい、そう願いながら修理を重ねた。みずからが住職を務める寺に一般の人々が彫った仏を1200体安置し、「すべてのものは仏である」との思いから、缶のふたや石ころにも仏を描いた。
80歳を前に釈迦の高弟「十大弟子」像の木彫に挑み、最後は病に侵され腰の痛みをこらえながら、妻の幸子さん(77)らに支えられてノミをふるった。完成したのは亡くなる二か月前。「祈りの造形」と評された作風にふさわしい慈愛に満ちた面だちの十体が残された。昨年11月に入院。死の直前幸子さんの手のひらに「ありがとう」と指先でなぞった。
番組では、最後の仏師、西村公朝の最後の思いを、彼の足跡を交えながら描く。
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