3月13日(土)放送
第1部 「仏」の声を伝えて 〜最後の仏師・西村公朝〜


 
 昨年12月2日、日本の国宝仏修理の第一人者であった西村公朝氏が亡くなった。

 88歳。戦前から仏像修理に携わり、1300体もの仏像を修理してきた。

 三十三間堂の千体千手観音像、広隆寺の弥勒菩薩像…、われわれが知る国宝のほとんどが彼によって修理されてきた。兵士の死体の中を行軍した中国戦線で夢の中に何万体もの壊れた仏像をみる。戦後、全国各地で朽ちる寸前だった仏像を、氏は仲間たちとともに丹念に修理していった。みずから僧侶でもあった氏は、仏像を単なる美術品としてではなく、今の世を生きる人たちにも救いとなるものにしたい、そう願いながら修理を重ねた。みずからが住職を務める寺に一般の人々が彫った仏を1200体安置し、「すべてのものは仏である」との思いから、缶のふたや石ころにも仏を描いた。

 80歳を前に釈迦の高弟「十大弟子」像の木彫に挑み、最後は病に侵され腰の痛みをこらえながら、妻の幸子さん(77)らに支えられてノミをふるった。完成したのは亡くなる二か月前。「祈りの造形」と評された作風にふさわしい慈愛に満ちた面だちの十体が残された。昨年11月に入院。死の直前幸子さんの手のひらに「ありがとう」と指先でなぞった。

 番組では、最後の仏師、西村公朝の最後の思いを、彼の足跡を交えながら描く。
第2部 宿泊拒否 〜ハンセン病回復者の人権〜




 去年11月、熊本県の温泉ホテルが、ハンセン病の回復者たちの宿泊を拒む事件が起きた。
 
 熊本地裁が「ハンセン病回復者を隔離してきた国策は違憲である」と判決を下してから約3年。いまだにハンセン病に対する正しい理解が浸透していないことが明らかになった。
 
 さらに事件の公表後、回復者たちに対し、ホテル側の謝罪を受け入れなかったことを中傷する声が手紙や電話で寄せられた。回復者たちは、社会全体に偏見や差別意識が根深く残っていることをあらためて突きつけられたのである。

 ハンセン病は感染力が弱く、戦後には完治できる病気となった。しかし、隔離政策の根幹となった「らい予防法」が廃止されたのは、つい8年前のことだ。回復者たちは90年にわたって、全国15の療養所に隔離され続け、国際的にも例のない差別と偏見に耐えてきたのである。そしてその偏見は、今もなお続いている。入所者の多くは療養所外での生活をあきらめ、故郷に足を踏み入れることすらできないのが現状だ。
 
 こうした中、回復者自身が若者たちと直接会ってふれあうなど、偏見や差別をなくそうという取り組みも始まっている。
 
 番組は、宿泊拒否はなぜ起きたのか、事件の背景を明らかにするとともに、ひとりひとりの心の中にある偏見をなくしていくためには何が必要なのか、正面から考える。

出演者: 藤野豊 (富山国際大学助教授)
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