2014年10月18日(土)
【再放送】2014年10月25日(土)午前0時00分
※金曜日深夜    

ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会

1956(昭和31)年、広島の爆心地に建つ原爆資料館で、3週間にわたって開催された「原子力平和利用博覧会」。
当時の1年間の来館者に相当する11万人が訪れ、原子力エネルギーがもたらす明るい未来に歓声を上げた。
実はこの博覧会は、原爆犠牲者や遺族の魂が込められた遺品などの展示物を一時的に資料館から近くの公民館に移して開催されたものだった。
被爆の記憶がまだ生々しい時期、核廃絶を誓う「聖地」でなぜこのようなことが可能だったのか?
背景にあるのは、日本の反核運動に危機感を持ったアメリカが被爆地ヒロシマで展開した情報文化外交。その内実を明かす史料が出てきた。
米国務省から広島アメリカ文化センター館長として派遣されたアボル・ファズル・フツイ氏が残した手記や公文書には、核の恐怖を取り除き、「平和利用」への理解を取り付けるためにあらゆる手段を講じた様子が詳細に記されていた。
一方、博覧会にさまざまなかたちで関わった地元広島の人々の証言からは、原爆に対する特別な感情を根強く持ちながらも、当時最先端の科学技術だった原子力を肯定的に捉え、そこに夢や希望を見いだそうとした人々がいたことが浮かび上がってきた。
戦後のヒロシマの人々のメンタリティーや原子力の受け止め方は、実に多様で複雑だったのである。
アメリカは、なぜ博覧会の開催を持ちかけたのか。そして被爆地ヒロシマは、原子力の平和利用をめぐるアメリカの世界戦略にどう向き合ったのか。
番組では、フツイが残した手記や米国政府内部文書、関係者の証言を元に、広島の知られざる戦後史を明らかにする。

(内容74分)

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