2012年9月2日(日) 夜10時
2012年9月9日(日) 午前0時50分 再放送
2013年2月2日(土) 午後3時 再放送

吉田隆子を知っていますか
~戦争・音楽・女性~

激動の昭和、太平洋戦争のさなか、新しい音楽を目指し、信念を貫いた女性作曲家がいる。吉田隆子(1910~56年)。戦前、男性中心の音楽界にあってみずから演奏家を組織し、聴衆との接点をつくりだそうとした女性の音楽家で、戦後、世界に通じる音楽を作りだすことにも挑んだ。
隆子は、独学で作曲を学び、「楽団創生」をみずから結成。築地小劇場を中心に民衆のための音楽運動を展開し、人気を集めた。楽団では、断髪、タキシード姿の隆子自身が指揮棒を取る。りりしい隆子の姿は話題を呼び満員札止めの盛況となる。昭和13、4年ごろのことだ。
しかし、軍部ににらまれ、思想犯として4度の勾留生活をおくることになる。4回目の勾留は5か月におよんだ。そのため重病になり釈放されたものの、昭和15年から終戦の翌年21年までの6年間、結核を病み闘病することになる。その間、周りにはいつも特高警察の監視があり、伴侶は獄中にあるという過酷な境遇となった。昭和20年に入ると東京空襲で戦火が間近に迫ってくる。この苦難の中にあっても、隆子は音楽への愛、戦争反対の思いを諦めることはなく、「病床日記」にひそかにつづった。今回、新たに見つかった「病床日記」「自筆メモ」、関係者の証言などから、隆子の作曲家としての音楽への強烈な思いが浮かび上がってくる。そして、戦争に蹂躙(じゅうりん)されたクラッシック音楽と女性作曲家の運命が明らかになってくる。
戦前、芸術家の多くが戦争協力した中で、特高警察に勾留されながらも、音楽への情熱を失わず主張を貫き通した吉田隆子。彼女はどのようにして特高と闘い、音楽活動を戦後再開させたのだろうか?
番組では、隆子が残した膨大なメモ、伴侶の劇作家、久保栄、養女の久保マサらの残した証言などから、吉田隆子の音楽へのあくなき情熱、戦争反対の志を浮き彫りにする。

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